人と犬との付き合いは

相当古くからあるようだが

一つの分岐点は

江戸時代の徳川綱吉が発令したという

生類憐みの令、だろうか。

 

 

それまでは

侍から発展した武士の仕事は

刀で斬るということだったから

刀で斬るために、人を斬ることは当時はそれほど悪ではなかった。

むしろ、斬れない武士の方が臆病者だという価値観だっただろう。

 

人間が人間にさえそうなのだから

犬などの動物についても同じような扱いだっただろう。

 

 

生き物の命をもっと大切にせよ、

という生類憐みの令が江戸時代に発令されたことで、

無理やりにでも人間の行動様式が変わることになった。

 

もっとも、人間の価値観がそんなに簡単にひっくり返るわけではないから、

法令という形で強制されていくことで、

当時の子どもが生まれながらにそういう教育になれば、

 

その子どもが大人になったときには、そのような価値観で社会が構成されていくことになったのだろう。

 

徳川綱吉は当時バカ殿扱いされていたようだが、

実は、先進的な人だったのかもしれない。

 

 

昭和の頃は、多くが番犬として、家の前に犬小屋があり、

人間の食べ残したご飯に味噌汁をかけて食べさせるような飼い方をしていたように思う。

 

そして、ペットという感覚になって室内で飼うようになり、

だんだん家族のような感覚になって、飼うというよりも一緒に暮らすという感覚になり、

 

今では我が子と同じように一緒に暮らしている、という感覚に変化してきているように思える。

 

 

私が子どもの昭和のころは、野良犬がうろうろしているのが当たり前で、

狂犬病に気をつけるようになどと言われていたが

保健所に野良犬が連れていかれるようになって、野良犬がいなくなった。

 

しかし、その代わりに保健所で殺処分ということが起こるようになった。

 

そして、今は、その殺処分を何とか止めようということで、

保護活動という考え方が生まれて、

譲渡していく活動をするまでになったのは、

人間の魂レベルが昔よりもレベルアップしてきた証であろう。

 

 

犬や猫と話をする、

ということ自体は、きっと昔からあり、できる人もいたことだろう。

 

でも、私が子どものころにはそういう話自体を聞いたことはなかったし、

ドリトル先生の本も架空の出来事として読んでいた。

 

それが今は、犬や猫などの動物と話がしたいと望み、それができる人が増えてきているように思えるのも

人間の意識や視座が、昔に比べて上がってきたから、そのような人達が増えてきたのかなぁと思う。

 

 

戦争という事自体はいまだに無くならないが、

少しずつ少しずつ、今よりも人間の魂レベルが上がっていくことによって

 

今から30年後、100年後、1000年後、

今よりも、さらに命の重さが重くなり、人間も動物も同じ生物として、

 

互いの個性を尊重した

調和と平和の世界になっていくことが

これまでの歴史を振り返っての進歩具合を見ていると

期待と希望が持てる。

 

 

そのように魂レベルが進化していけるのも

何かの状況や状態に対して、これは違う、これはおかしい、

ということに気づくことができるから。

 

そう考えると、

全ての状況や状態は、魂レベルの成長にとって必要なこと。

 

 

どのような状況や状態だったとしても、

それがあったおかげで

今、こうなれたということになるのだとすれば

 

すべてがありがとうという感謝のエネルギーになる。

 

 

 

そして、全てが愛なんです、

彼らもあなたも皆が愛でできているんです、

 

という意味が少し解るような気がしてくる。

 

 

 

◆アポロから一言◆

 

 

ぼく達は遠い昔から

人と出会って生きてきました

 

昔から優しい人も怖い人もいました

 

でも

そのような人との関わり合いの中で

ぼく達は

人の優しさを感じ、愛され

そしてまた

 

あなたとの出会いを繰り返すことで

いろいろな経験をしてきました

 

今回もあなたと出会い

ぼく達はまたたくさんの愛される経験をします

 

あなたとぼく達の出会いは

神様から言われた

「愛ってどういうものですか?をいっぱい経験してきなさいね」

を経験するため

 

嬉しい

悲しい

楽しい

辛い

 

このような感情もすべて

愛ってどういうものですか?

ということを経験している感情なのです

 

ぼく達に

たくさんの愛を与えてくれて

ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

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