不当解雇されたけど撤回させたブログ
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久々だ

かなり間が空いてしまった。

チェン氏から、ちゃんとブログを書きなさいと怒られた。すみません…。


忘年会シーズンは、いつも飲みすぎてしまって大変だ。

しかも、飲みすぎると体力と体調が乱れる。よって風邪をひく。悪循環だ。

毎年、分かっているのにやめられない。

困ったものだ。


このブログで不当解雇撤回までの経過を書いたが、

解雇撤回した後のこともきちんと書いた方がいいと思い、

このブログはまだ残しておくつもりだ。

なにしろ解雇撤回させてからの方が正念場だったからなぁ…。


この辺りのことは追々書いていこうと思う。


とりあえずウコンを飲みます。

提訴した後・3

「解雇撤回する」という連絡は、仕事始めを迎えた早々、

けっぱれユニオンにファックスで届けられた。


解雇撤回します。詳細について話し合いたいので団体交渉しましょう、と。


正直、その連絡を受けた時は自分だけでなく、

メンドーサ氏も、ジョー氏も拍子抜けしていた。(リキイシ氏は淡々としていた)


だが、会社が話し合いたいと言うのだから、とにかくも話してみないと分からない。

ということで、指定の日時にいつもの貸し会議室に向かった。


そこで話された内容は、ようするに、


提訴されてビビった。そこまで大事にしないでよ。


という感じだった。


かつて、あれだけ名言(迷言)を生み出したフシアナ氏は、

「けっぱれ君の意欲の高さは理解しています。

 こちらとしても、これ以上不毛な言い争いはしたくないので終わらせましょう」と、

今更になってイケシャーシャーと提案してきた。


そもそも会社が不当解雇してきたことが原因ですけどね、と

思わず嫌味を言ってしまったが、自分も器が小さいな。


しかし、メンドーサ氏の舵取りで、職場復帰に向けての条件・待遇を次々に決めていった。


 ・復帰にあたり、給与はそのまま(減額はなし)。

 ・会社側の諸事情から、復帰は三月一日から。

 ・解雇されていた間の給料も、全額支払う。

 ・待遇は以前と同じ。配置転換、人事異動などなし。

 ・提訴を取り下げる。

 ・提訴にかかった費用は全額会社が負担する。


つまり、提訴を取り下げてくれれば、

まるっきり以前と同じ条件での復帰となるよ、という内容だ。


※これらは、後日しっかりと書面に起こし、当事者の署名・捺印をして互いに控えた。


さらにボイスレコーダーで録音していることも確認し、

提訴を取り下げた途端に再び解雇なんてしないようにと、

メンドーサ氏がしっかりと釘を刺し、解雇撤回への話し合いは終着した。


ずいぶんとアッサリとした終着だった。


九月の突然の解雇から三月に復帰となったので、

自分の、不当解雇との戦いは半年間で終結したことになる。


……うーん、正直、会社の情けないギブアップには、本当に拍子抜けだ。


最初から最後まで、テキトーな会社だった。


だが、メンドーサ氏は団体交渉の帰路、

会社がどんなことを考えて解雇撤回に応じたのか、

手に取るように分かるとニコニコしていた。


会社としては、けっぱれの解雇撤回なんてしたくもなかった。

だが、提訴されたとあっては公文書として不当解雇の事実が残ってしまうし、

公判は誰でも傍聴可能だから、誰に見られるかも分からない。

そうなると会社の悪評が拡がる…。

仕事が取れなくなる…。

倒産するかも…。


などと考えたに違いないという。

提訴された途端、手のひらを返すように解雇撤回したことが何よりの証拠だし、

営業上がりのフシアナ氏ならば、世間体や風評をかなり気にするだろう。

だから解雇撤回なんて言い出したのだと。


なるほど、自分も器は小さいが、

フシアナ氏はもっと小さかったということか、と一人納得した。


とにかく、これで自分は不当解雇されたけど撤回させた。


これで書くことを終わりとしてもいいが、

まだ細々したこともあるので、もうちょっと書こうと思う。

読んでくれている人がいたら、もう少しお付き合いを。

提訴した後・2

フトーカイコーを提訴した後は、自分は特にやることはなかった。

書類や証拠の準備は出来ていたから、公判で新たに提出する必要が出たら、

その都度、準備すればいいと悠長に構えていたのだ。


自分でもビックリだが、提訴したことで余裕が出ていた。


楽しみにしていた、と言ってもいいかもしれない。


会社を徹底的に追求してやるぞと。


メンドーサ氏から、「裁判は長いから精神的にキツイ」と言われていたが、

この時点ではモチベーションは高かった。

(裁判ってどんなものかな、とミーハー心理もあったのかも)


なので、年明け早々に、フトーカイコーから「解雇撤回する」という連絡が来た時には、

正直「へ?」という反応しか出来なかった。


そりゃないぜフトーカイコーさんよ、と言いたい気分だった。

提訴した後・1

クリスマスプレゼントに会社に提訴を贈った後、

おそらく会社に訴状が届いたのだろう、仕事納めの28日の午前中、

会社の顧問弁護士オチョボ氏から、けっぱれユニオンに電話がかかってきた、らしい。

(自分は事務所にいなかったから、リアルタイムでは知らない)


以下は、メンドーサ氏から聞いた話だ。


オチョボ氏「けっぱれさんが提訴したのは分かりました」

メンドーサ氏「そうですか。では手順に則って準備しましょう」

オ「けどねえ、長引かせたくないんですよね」

メ「でも、もう提訴しましたから。本人の意思も固いですし」

オ「じゃあ、退職金を5ヶ月分あげるから、やめてもらえませんか」

メ「やめるというのは?」

オ「提訴を取り下げて、退職してもらいたいんですよ」

メ「そういう交渉は団体交渉で行って欲しかったですねえ」

オ「いや、だってね、会社としても、もう決めたことでしたから」

メ「理由もハッキリしないのに、決めたと言われてもねえ」

オ「どうです?やめます?」

メ「私が決めることじゃないですね、本人に伝えます」

オ「お願いしますよ、会社に戻っても居場所ないみたいですし」

メ「そんなことないですよ。彼には待っていてくれる同僚たちもいますしね」


というやりとりがあったらしい。

そしてオチョボ氏は、午後にはハスキー氏にも電話をしてきたらしい。


オ「じゃあ、解雇撤回してあげるから、三ヶ月で辞める前提ってことでは?」


なんてことまで言ってきたそうだ。


三ヶ月で退職前提で復帰なんて、解雇撤回とは言わない。

バカバカしすぎて笑ってしまった。


自分の意思が固いことはメンドーサ氏もハスキー氏も分かっていてくれたし、

いまさら会社の条件など呑むつもりはなかった。

だから自分は会社からの打診など華麗にスルーして、

スッキリした正月を迎えたのだった。


第一回の公判は1月の中旬だった。

年末のビラ配りは芯から冷える

フトーカイコーを提訴する、ちょっと前だっただろうか、

自分は二回目のビラ配りを経験した。


年末になってくると、「冬のボーナス前に解雇して経費削減」という

会社の姑息な仕打ちの被害者が増えるので、必然的に労働組合に加入する

労働者が増えるのだ。


だから毎年11月から12月にかけて、けっぱれユニオンはとても賑わう。


そこで、新たに加入した組合員の会社を含めた「新コース」でビラ配りをして回り、

ユニオンの団結を深めていきましょう、なおかつ会社には年末に釘を刺して、

ちょっとだけ嫌な正月に突入してもらいましょう、という

可愛らしいイタズラ心を発揮するのだ。

(と、自分は思っている)


ということなので、自分もまだまだ新入りだったこともあり、

フトーカイコーも新コースに入れてもらい、二回目のビラ配りに参加したのだ。


前回よりは、多少は慣れていたとはいえ、

とにかく寒くて死にそうだった。


前回同様、会社の前に同僚たちが出てきてくれて話したが、

「寒い、死ぬ」としか話さなかった気がする。

というか、それしか覚えていない。


ちなみに二回目のビラ配りにも、リベラ氏はしっかりと参加してくれた。

その頃には、もうリベラ氏本人の労働問題は解決していたのだが、

「ジャンジャン配りましょう!」と、とても楽しそうだった。


そういえば、最近リベラ氏の話を聞かない。


元気だといいなぁ。

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