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アウトプットの場として。割と自分に酔ってます。

つい2週間前ほど

東南アジアを約16日間

1人でバックパッカーをして参った。

保守的人間からの脱却を目論み

部活を引退してから気持ちだけは満々のまま

いつしか2月になっていて

「あ、このままでは行かないパターンのやつや。」

そう悟って、焦って出発3日前に航空券を取って

強引に自らを海外の地に送ってやった

そんなバックパッカーの旅である。

ルートとしては

日本→マレーシア→タイ→カンボジア→タイ→ラオス→タイ→日本

こんな感じ。

旅の当初は現地を日本と比較してばかりで

そのモノ、サービスの低クオリティ感にうんざりしていたけど

カンボジアから帰って来る頃には

その国のスタンダードを理解しようという精神的余裕も生まれ始め

また違った感覚の旅に移行させる事が出来た。

旅を通じて、自分が変化していくことに気付く。

「日本」しか知らない自分。

それでいて「日本」が最高だと感じていた自分。

肌感覚ではなく、容易に手に入るようになった多種多様な情報によって

日本の環境は世界トップレベルだと感じていた自分。

そして身を以て体感し、そのあまりのギャップに愕然とした自分。

日本を基準とし、その基準に戻りたいと感じていた自分。

その国々の在り方を理解しようとする自分。

価値観も気持ちも、日々変化していった。

割と精神的に余裕が出てきた頃に

日本との決定的な違いを3点挙げていたので

少し手を加えながら反芻してみた。

1)人を信用出来ない。
今目の前にいる人が、笑顔で言っていることを信じてはいけない。
彼らはどうにかして観光客から金をもぎ取ろうと平気で嘘をついてくる。

今日はそのお寺は休みだ。
とか
観光名所を案内してやるよ!と言いつつスーツ店や宝石品店に連れていかれ、無理矢理買わせようとしてくる。
とか
おいしいスープがあるから食いに行こうぜ!って言っといてこっちに全額払わせようとしてくる
とか

日本ではそんな事はまずない。だから見知らぬ他人であっても、ある程度は信頼出来る。信頼をおける基準が低いと言える。ただこっちはそうもいかない。

日本にいる時は、人を信用せずして自分の何を伝えられるか!と思ってたけど
そんな事言ってたら即刻一文無しだね。

今じゃ誰だって信用出来ない。それが警察等、オフィシャルな機関の人物であったとしても。
疑心暗鬼であるが故、こちらも騙してやろうと思えて来るほどだ。
こんな人間、愚の骨頂だと思っていたけど。
こういう世界を知らずして口走ってた自分の方が遥かに愚かだよね。
人を信じる理念が、徐々に脆くなっていった。

2)幸せへの感度が鋭い。
余裕がないから人を騙す、自分の中の幸せを守るために、人を偽る。
その幸せとは、毎日食事ができること、二ヶ月に1回、妻と息子に会えること、父親や母親に、元気に老後を暮らしてもらうこと。
日本では当たり前のような事を、本気で幸せと捉え、毎日生活している。
また印象的だったのが、物乞いをする方にお金をあげる人の中に、現地の方も少なくないと言う事。その人にとっての幸せを鋭く察し、寛容に援助する。自分だって決して余裕はないのに。

自分自身の幸せにも、人の幸せにも鋭い、そんな印象。

3)選択肢の少なさ
今日18:00丁度、駅のスクリーンで国家が流れた。その瞬間、現地の方が全員立ち上がり、直立不動のまま静かに国家に耳を傾けていた。
街中には、たくさんの仏像が建っている。信仰者はその仏像の横を通る際、必ず祈りを捧げてから通る姿をよく見た。

当初この光景に、愛国心の強さ、宗教教育の徹底を感じた。
でも、果たしてそれが正しいのか、今は疑問に思っている。

画一化されていると言う事は、逆を言えば選択肢が極端に少ないと言う事。
Aに対してはBという答えしか教えて貰えず、それ以外の回答も許されない。
まだ途上国であるからだろうけど、そんな画一化の流れをこの光景に感じた。

日本は選択肢がたくさんある。
信仰の自由もその1つの例であると思う。
どんな事に対しても、ある程度のオプションが用意されており、自ら選択出来る。

でも、そのフレキシブルさを東南アジア諸国で感じる事は無かった。
自分で選ぶ経済的な余裕が無い場合も、もちろんあるであろうが、
何となく「選ぶ」という事に疎いような、そんな感覚を得た。

以上。
簡単にまとめたけど、ホントに日本って最高だねって、こっちに来て改めて思った。

早く帰りたい気持ちが強いけど、逆にまだ知らない世界を知りたい気持ちも少しある。

でも少なからず、何となく自分が大切にしていた、世界中の人々を幸せにするために不可欠な、素直っていう感情は、通用していると思う。

あ、これは騙しに来てるなって思ったら

ごめんなさい、私お金ないんです。
それよりこの辺でご飯のお店探してるんだけどいいとこ知ってる?

とか言うと、すげー快く教えてくれたり

こっちが素直に腹割って話せば、期待通りのレスポンスくれたり。これは日本よりいい反応かも。

まだまだ信用は出来ないけど、素直に人間に接することは、全世界共通で関係性作りには不可欠な気がする。

素直さ、これマジで世界救えると思う。あと顔芸も。

日本の中でぬくぬく育った中で培った価値観。
ものの見事にぶっ壊された点、自信持って強固にしていこうと思えた点、それぞれ感じる事が出来た。

もっとたくさんの人と話をしたい。もっと自分の興味のある事を聞き出したい。

そんな欲と自分の語学力の乏しさがせめぎ合ってる。

自分に語学がつけば、人間的に何倍も魅力ある存在になれると思う。

帰ったら英語がんばろ。
身を以て弱さを痛感した。
あと計画性もつけよ。

何て事を感じていた。

素直さ、これはホントに通用したと確信している。

言語が通用しないが故に

内心をうまく取り繕って話せる技術が無いことも幸いしたのかも。

とりあえず海外では日本以上に素直であったと思う。

素直である人間は愛される。

そしてそれが信用に変わり

最終的には信頼へと繋がる。

このプロセスは、世界でも、

いや少なからず東南アジアのいくつかの国口、地域では

通用すると確信している。

素直であろう。

そして世界中から愛されよう。

そして世界中を愛せる位

野望を持った人間であろう。