いよいよキャンプファイヤーの開催時間も残りわずかになった現在。
 会場内は、イベント開始早々から明々と燃え盛る三つの櫓の炎の勢いは依然として変わらないものの、それとは裏腹に、さっきまでのお祭り騒ぎがいつの間にかどこかへと消えてしっとりとした落ち着いた雰囲気に包まれている。
 そんなキャンプファイヤーの終わりを告げる足音が少しずつ近付いてくる中、わたしと椿もまた他の生徒たちと同じように静かに櫓の炎を見つめる。
「でさ、椿。さっきの話なんだけど……」
 わたしはタイミングを見計らって、櫓の炎でオレンジ色に染まるその椿の横顔に少し緊張した声を掛ける。
 椿が「おう」と短く答えて、櫓から目を離してこちらに顔を向ける。
「えっと、あの、さっき言った大事な話なんだけど……」
 そこまで口にして、わたしは言葉を詰まらせる。
 ダメだ。

告白をする決心はもうとっくについていたはずなのに、いざこうして椿を目の前にすると、やっぱりめちゃくちゃ緊張する。
それに、もしこの告白に失敗すれば、もう椿とは今みたいな関係でいられなくなるかもしれない。

そう思うと、不安で胸が圧し潰されそうになる。
 だけど、ここまできて告白を諦めるわけにはいかない。

だって、今ここで椿に告白をしなかったら、さっきまでの頑張りが全部無駄になってしまうのだから。
 わたしは一度深呼吸した。そして、「よし、今から椿に想いを伝えるんだ!」と、そう覚悟を決めて、
「聞いて、椿! わたし、ずっと前から……アンタの事が好きだったの!」
 一思いに三年間ずっと伝えたかった自分の想いを椿にぶつけた。
「えっと、その……だから、わたしとハチマキを結んで欲しいのっ!」
 それから、椿に向かってハチマキを差し出した。
 ついに言ってしまった。

もうこれで後戻りできない。

そう思った途端、椿の返事への不安や恐怖、それに期待が一気に押し寄せてきて胸の中を占拠する。
 お願い、神様――。

わたしは俯いて強く祈りながら、破裂しそうなくらいに心臓を高鳴らせて椿の返事を待つ。
「…………」
 ところが――告白してから一秒、二秒、三秒……。

やがて、一○秒以上経っても椿からの返事が返ってこない。
 わたしは息苦しくてまるで生きた心地がしない、そんな時間にいよいよ耐えられなくなって、恐る恐る椿の様子を窺がう。
 顔を上げた瞬間、椿の曇った表情が目に飛び込んでくる。
 え、この反応って……。

ああダメだ、たぶん振られてしまう。
嫌な想像が頭を過ぎり、自然と目頭が熱くなる。
「あの、えっと、椿……もしかして、ダメって事……?」
 わたしは溢れだしそうになる涙を必死に我慢しながら、何とか椿に確認する。
 すると、椿は今にも泣きだしそうなわたしの様子に気付いて、
「ちょ、おいおい! 違うって! 勘違いすんなって! いや、そうじゃなくってよ……!」
 と、慌てた口調ですぐにわたしの言葉を否定した。
「え? じゃあ、返事は……?」
「そんなのオッケーに決まってんじゃねーか!」
「……えっ!! ウ、ウソっ!? ホントにっ……?」
 椿の返事が信じられなくて、わたしは思わず聞き返してしまう。
「ああ、もちろん本当だ。つーか、嘘ついてどーすんだよ!」
 その椿の言葉を耳にした途端、緊張が解けて身体中の力が抜ける。
「……もう。でも、だったら何ですぐに答えてくれなかったのよ? わたし、めっちゃくちゃ不安だったんだから……」
「あー、いや……そりゃ悪かった! ちょっと動揺しちまってよ……」
「えっ、動揺? どうして?」
「実はさ、俺もキャンプファイヤーでお前に気持ちを伝えようと思ってたんだよ。けど、それを先にお前の方から言われちまったもんだから、思わずビックリしちまってよ……」
「えっ……!? そ、そうだったの?」
 椿が「おう、まあな」とバツが悪そうにしながら頷く。
「つーかよ、そういう事は男の俺に言わせろっての! じゃねーと俺の立場がないじゃねーかよ! あ~あ、キャンプファイヤーでお前に告ろうと思って、せっかく黄小路さんに問い詰められた時に我慢して言わなかったってのによ~!」
 くそ、俺マジでカッコわりィな、と。

椿が悔しそうな口調でこぼしながらガシガシと頭を掻く。
 うそ!? 

実は椿と両想いだったなんて! 

しかも、椿から告白しようとしてくれていたなんて……!!
 わたしは椿の嬉しい言葉に胸をキュンとさせながら身体を熱くさせる。
「よし! そんじゃあ、まあ時間もあんまねーし……暁、さっさとハチマキ結んじまうか?」
「あ、うん! そ、そうね!」
 椿の言う通り、キャンプファイヤーの開催時間も残りあと五分くらい。

せっかく苦労して告白を成功させたのに、時間切れで椿とハチマキを結べなかったら全部台無しだ。
わたしは想いが成就した余韻に浸る暇なく、すぐに椿とハチマキを結ぶ準備に取り掛かった。
 キャンプファイヤーの伝説のジンクスは、『お互いの名前を書いたハチマキを結んで櫓の炎に投げ込む』というのが条件だ。

なので、わたしと椿は自分のハチマキに用意していたマジックでお互いの名前を書き込んで、それをしっかりと結びつける。
「っ……」
 念願が叶ってついに椿とハチマキを結べたものの、実際にこうしてみると、かなり照れくさくて恥ずかしい。

思わず顔と耳がカーッと熱くなる。
「おっしゃ、これでオッケーだな! そんじゃハチマキを投げ込もうぜ!」
 投げ込む準備が整ったところで、椿がそう促して櫓の方に視線を向ける。

心なしか、その横顔が赤くなっている気がする。
 結びつけたハチマキの両端を二人で持って櫓の炎の前に立つ。
「じゃあ、いくぞ?」
「う、うん」
 目の前でパチパチと音を立てながら明々と燃え盛る櫓。
そこに、二人で「せーの」の合図でハチマキを投げ込む。

その途端に、メラメラと燃え盛る炎の中で、一本に結ばれた二本のハチマキが勢いよく燃えてゆく。
 そんな中、わたしは願う。
 どうか、これからも椿と一緒にいられますように。
そして、もっともっと良い関係を築いていけますように。
それから、キャンプファイヤーの伝説の二人みたいに心が通じ合えますようにって――。
 やがて、三○秒ほど経って、ハチマキが完全に炎の中に消えていく。
 これにて、キャンプファイヤーの伝説のジンクスは完了だ。
 それにしても、まさかこんな風に、椿と両想いになれてハチマキを結べる日が来るなんて……。
一度は諦めていた、わたしの椿へのこの想い。

それが三年の月日を経て、ようやく今叶ったのだ。

もうその感動と言ったら、言葉にできないほどだ。
 と、わたしがいろいろな思いで胸をいっぱいにして、独りで舞い上がっていると、
「つーか、暁。何だよハチマキの、あの必勝ってやつ……。お前ちょっと気合入れすぎだろ!」 
 椿がわたしのハチマキの刺繍についてニヤけた顔でツッコミを入れてくる。
「えっ!? あ、そ、それは……!」
 知っての通り、わたしがハチマキに『必勝』の刺繍を入れたのは、体育祭で勝ちたかったからじゃない。告白を成功させる(恋の勝負に勝つ)為だ。もちろん、そんな事恥ずかしくて椿に言えるわけがない。
「……うん。そ、そうよ。体育祭で勝つための願掛けよ! てゆーか、もういいでしょ! そんなのわたしの勝手でしょ!」
「ったく、そんなに体育祭で勝ちたかったのかよ? 暁、お前って昔から本当に負けず嫌いだよな!」
 適当に誤魔化したわたしの言葉を信じた椿が「ははっ」と無邪気な顔で笑う。それから、一頻り笑った後に、
「おっと、そうだ! いろいろあって忘れるとこだったぜ」
 と、ポケットから可愛らしい包み紙を取り出して「これ受け取ってくれよ」と、わたしに差し出してくる。
「……? えっと、何これ?」
 わたしはわけが分からず、椿に怪訝な顔を向ける。
「いやいや……暁、お前明日誕生日だろ? だから、その、まあ一日はえーけど、一応誕生日プレゼントを渡しとこうと思ってよ……」
「……あっ!」
 そう言えば、明日――9月17日は、わたしの17回目の誕生日だった。この二日間、欄高祭や告白、それにストーカーの事でずっとバタバタしていたのですっかり忘れていた。
 というか、椿がわたしの誕生日をちゃんと覚えていてくれたなんて……。

何か少し照れるけどめちゃくちゃ嬉しい。
「ありがとう、椿っ!」
 わたしは感激しながら包み紙を受け取る。
「暁、開けてみてくれよ! まあ、大したもんじゃねーけど」
「うん、開けてみるね!」
 椿に促されて、わたしは可愛らしくラッピングされた包み紙を開く。
 すると、その中には可愛らしい飾りのついたヘアゴムが二つ。
「わぁっ! 何これ! めっちゃかわいいじゃない!」
「お、おう。そっか? そりゃよかったぜ! なんだったら、今使ってみてくれよ!」
「うん! わたし、今ヘアゴム片方しかなかったから。すごく助かる!」
 笑顔の椿を前に、わたしはさっそく手慣れた手つきで髪を纏めてヘアゴムで固定する。
「どう? 椿?」
「おっ、いいじゃん! なかなか似合ってんじゃねーか! つか、やっぱ暁はその髪型じゃねーとな!」
 いつものツインテール姿のわたしを目にして、椿が腕を組んで満足そうに「うんうん」と頷く。
 わたしはそんな椿の反応に何だか気恥ずかしくなって、
「いやいや、ちょっと椿! アンタ、中学の時にわたしの髪型の事めちゃくちゃバカにしてたじゃないのよ!」
 思わず、照れ隠しでいつものように憎まれ口を叩いてしまう。
「あん? そうだっけか? 俺、お前にそんな事言ったかぁ? わりィ。つーか、そんな昔の事覚えてねーって!」
「はぁ!? もう、何よそれー! わたし、あの時アンタに髪型の事言われて、めっちゃムカついたんだからねっ!?」
「まあまあ、もういいじゃねーか! そんな昔の事はよー」
「ちょっと何言ってんのよ! 全然よくないわよ! 椿、アンタってホント昔っからいい加減なんだからー!」
 結局、いつものように適当に軽口を叩く椿とそれに対して怒るわたし。

その光景は恋人同士になっても、以前と何も変わらない。
 だけど、と。
 わたしはそんなやり取りを椿と交わしながら思う。
 わたしと椿がこうして恋人同士になった以上、たぶんこれからは少しずつ変わっていくんだろうなぁって。
 例えば、それは普段の会話ややり取りのような些細な事だったり――。
「つーか、なあ暁。明日から振替休日だしよ。一日早えーけど、この後、お前の誕生日会でもやらねーか?」
「あ、うん。じゃあ去年みたいに司も呼ばなきゃ……」
「……いや、今年は二人だけでやろうと思うんだけどよ」
 それに、こんな風にお馴染みのイベントが今までとは少し違っていったり――。
そんな風に、すべてが『友達』から『恋人』のものへと変わっていくはずだ。
 確かに、今まで椿と友達という関係が長かった分、すぐには新しい関係に馴染めないかもしれない。

もしかしたら、時には戸惑ったり、不安になったりするかもしれない。
それでも――わたしはもう昔の自分みたいにブレーキをかけたりしない。
今までの日々(関係)を壊して、椿と二人で少しずつ変わって、その先に進んでいこうと思う。
 そう、だって。
 勇気を出して、一歩進んだその暁(あかつき)には――。
 きっと、最高の未来が待っているって。わたしはそう信じているから。
「ったく、何急に黙ってんだよ? つーか、暁。二人で誕生日会やるの、もう決定事項な!」
 わたしの様子にじれったく思ったのか、椿が強制的に話を終わらせる。
「ほら、行くぞ! 暁」

 

「うん。これからもよろしく、椿」
  わたしは椿が照れ臭そうにしながら差し出してくれた、その手をしっかりと握った。

 

 

 

 そう言えば、わたしの恋物語が無事に終わったところで、最後に一つだけ。
これは余談なんだけど――実を言うとね、キャンプファイヤーの伝説の物語には続きがあって、二人の物語には悲恋で終わらない別の結末が存在するのよ。
わたしはその衝撃の事実を、つばさが見せてくれた古い文集に記載されていたキャンプファイヤーの伝説の『真実』の記事を読んで知ったんだけど、内容はこんな感じ。
 話は、わたしが最初に語ったところの続き。男の子と女の子が体育祭でキャンプファイヤーに永遠の愛を誓ってハチマキを結んで投げ込んだ後の事。
 何と不思議な事に、キャンプファイヤーに誓った二人の想いが神様に届いたのか――その次の日から、女の子の身体は見る見るうちに良くなっていって、やがて一ヶ月後には女の子の病気はすっかり治って元気になったのよ。
そして、そんな信じられない奇跡を目の当たりにした彼女の両親は大喜び。その結果として、娘が助かって猛烈に感動した父親は、今までの二人に対する態度を深く反省して、改心したそうなの。
 まあそんなわけで、晴れて二人は仲を認められ、その後、みんなに祝福されて、それはそれは幸せに暮らしたんだってさ。
めでたし、めでたし。

 

                                                                                                   瞬華愁灯~daybreak!~ 
                                                                                                                  Ⅷ「そんなのオッケーに決まってんじゃねーか!」 了

 

「何よ、急に……?」
 いきなり怒りを顕わにした黄小路レイの様子に、訳が分からず少し戸惑ってしまう。
 そんなわたしに向かって、黄小路レイはさっきまでの馬鹿にしたような笑みを消しさった余裕がない表情で、感情をむき出しにした口調で言葉を続ける。
「自己中? 身勝手? はあ? 誰が誰に向かって、そんな事を言っているんですか? その言葉、そのまま伊佐実先輩にお返ししますよ!」
「は? それどういう事よ? 意味分かんないんだけど!」
「だってそうでしょう? 伊佐美先輩、あなたは中学の頃からずっと建脇先輩の傍にいましたよね? 同じ部活でもないし、それに恋人でもなかったのに! それなのに、いつもいつも当たり前のように建脇先輩の傍にいた! そんな、私からすれば羨ましくて仕方がない立ち位置にいたのに! あなたは何もしないで、ただただ建脇先輩を自分の都合で独占して……建脇先輩に他の女子が近付けないようにしていたんです! それのどこが身勝手じゃないって言うんですかっ!!」 
「…………」
「私なんか、建脇先輩に少しでも近付きたくて、わざわざサッカー部のマネージャーにまでなって頑張ったのに! だけど、それでも建脇先輩は私の事なんか全然見てくれなくて……結局、建脇先輩に相手にされなくて、告白するチャンスさえ貰えなかったのに! 伊佐実先輩は何の努力も行動もしないで、私の手に入れたかったポジションをいとも簡単に手に入れているのにっ……!」
「…………」
「それなのに、あなたは高校生になっても建脇先輩と付き合いもせずに、未だにあの人を独占して自分の思い通りに過ごしている! 私は昨日の文化祭の帰りにあなたに会った時、それを知って腹が立って仕方がなかった! だから、私はあの時決意したんです! 建脇先輩から伊佐実先輩を遠ざけて、解放して救ってあげようって! そして、欄高のキャンプファイヤーで建脇先輩に今度こそ自分の気持ちを伝えようって思ったんです!」
 黄小路レイが自分の思いをぶちまけて、荒い息を吐きながら鋭い目つきで睨みつけてくる。
「…………」
 だけど、黄小路レイがそんな風に必死になってぶつけてきた言葉は、わたしには何一つ響かない。
 いいや。

というか理解できないし、認められない。
 だって、なぜなら黄小路レイのそれは――。
「何よそれ? そんなの、わたしに対する嫉妬じゃない」
 そう、黄小路レイがわたしに抱いていたのは、ただの嫉妬だ。

昨日の放課後に、椿と喋っていた奥松真(まこと)へわたしが抱いた感情と同じ。

そして結局、わたしもそんな醜い自分勝手な感情が原因で、ソアーベや蓮に八つ当たりしてしまって後悔した。
だから、それを当たり前のように正当化して、わたしの事を邪魔しようとした黄小路レイにだけは何も言われたくない。
 大体、黄小路レイにわたしと椿の関係の何が分かるっていうのよ!
わたしの中で、怒りのメーターが一気に上がり頂点に達する。

それから、そのまま勢いよく振り切れて何かがブチ切れた。
「てゆーか、黙って聞いてれば何好き放題言ってんのよ! アンタに、わたしの何が分かるっていうのよ!! 勝手に自分の偏見や憶測だけでゴチャゴチャ言ってんじゃないわよっ!」
 もう自分では止められなかった。

わたしの心に留めていた思いが、まるでダムが決壊したかのように、それが言葉になって溢れ出す。
「ねえ、アンタ言ったわよね? わたしのポジションが羨ましいって! 椿の傍で、ずっと自分の思い通りに過ごしてるって! はあ?! マジで何言ってんのよ! そんなわけないでしょっ! わたしが今までどんな思いで、椿の傍にいたと思ってんのよ! 正直、いつもいつも怖かったわよ! 毎日が不安で仕方なかったわよ! だって、そうでしょ!? 椿はあんな風に軟派な性格だし、他の女子にもどんどん話し掛けるし……そんなだから、いつどこでアイツに彼女ができてもおかしくないし……!」
「何ですかそれ! そんなの知りませんよ! だったら、さっさと告白すればよかったじゃないですか!」
「それが簡単にできなかったから、苦しかったんじゃないのよ! ほんとにアンタは何にも分かってないっ! ねえ、考えてみなさいよ! 椿とわたしはずっと友達だったのよ! そんな関係のわたしが椿に告白して、もし振られたらどうなると思う!? そうなったら、付き合うどころか傍にいられなくなるかもしれない! 気まずくなって、友達ですらなくなるかもしれない! そんな風に考えたら……わたしは怖くて告白なんかできなかった! だけど! そうだとしても、わたしの椿の事を好きな気持ちは簡単に消す事はできなかった! ううん、我慢すれば我慢するほど、否定すれば否定するほど、もっともっと気持ちは大きくなっていった! だから、わたしはどうする事もできなくて、ずっとずっと苦しかった! それでも、わたしは椿の傍でいたいから、今日までずっと気持ちを抑えて耐えてきたのよ! わたしのこの気持ちが何も知らないアンタなんかにわかるわけないっ!!」
「はっ! そんなの分かりませんよ! だって、私だったらすぐに行動する! たとえどんな結果が待っていても、私は何もせずに諦める事なんて絶対しませんからっ!」
「だから、わたしだっていろいろ悩んで考えて、それで今日のキャンプファイヤーで告白しようと、やっと決心したのにっ! アンタがそれをぶち壊そうとしたんじゃないのっ! わたしが今日のキャンプファイヤーにどれだけ賭けてたと思ってんのよ! マジでいい加減にしてよっ!」
「うるさい! うるさいっ!! 今さら告白するって? はっ、笑わせないで下さい! どうせ、伊佐実先輩なんか建脇先輩に振られますよ! だから良かったじゃないですかっ! むしろ、振られて関係が壊れる前に止めてあげたんだから感謝して欲しいくらいですよ!」
「はあぁ? マジでふざっけんじゃないわよ!! 黄小路さん、アンタ自分が何を言ってるか分かってんの!? アンタってほんと最悪で自己中ね! マジで性根が腐ってるわ! もうハッキリ言っとくけど、わたしは椿に自分の想いを伝えるまで絶対に諦めないから!」
「ああもうっ! 本当にウザいです! 伊佐実先輩、もう素直に諦めて下さい! というか、私が絶対に建脇先輩に告白なんてさせません! 代わりに、私が建脇先輩に告白して結ばれるんですから!」
 わたしと黄小路レイがお互いをキッと睨みつけ合い火花を散らす。
「分かりました。だったら、もういいです! 諦めてくれないのなら、私が今ここで終わらせるまでです!」
 しばらく睨み合った後、不意に黄小路レイがそう口にして、鋭い視線をわたしの手元の方へと向けた。

その瞬間――。
「っ!!」
 まさか、とわたしは勘を働かせる。

危機感を抱いてすぐさま手元のハチマキを引っ込めようとする。
 だけど、一瞬遅かった。
それより少し早く黄小路レイの手がわたしのハチマキを引っ掴む。

そして、そのままわたしから奪い取ろうと力いっぱい引っ張ってきた。
「こんな物があるからいけないんです! だから伊佐実先輩が諦められるように私がちゃんと処分してあげます!」
「ちょ、何すんのよ! やめてっ! 離しなさいよ!」
 わたしはハチマキを取られまいと必死に抵抗する。
黄小路レイの体格はわたしとほとんど変わらない。

なので、両者の引く力もほとんど同じ。

ハチマキが一歩も引かないわたしたちの間を行ったり来たりする。
「アンタ! もう、いい加減離しなさいってば!」
「嫌です! 先輩の方こそ、離して下さいよっ!」
 引っ張り合いでは勝負がつかず、次第にわたしたちは掴み合いにまで発展する。
 ハチマキを奪い取ろうと、わたしの肩や胸を押して引き離そうとする黄小路レイ。
ハチマキを守ろうと、黄小路レイの攻撃を何とか避けながら必死に耐えるわたし。
そんな攻防がしばらく続いた後、やがて避け切れなかった黄小路レイの攻撃が、わたしの頭を掠める。

その衝撃で、ツインテールに髪の毛を結っていた片方のヘアゴムが外れる。
「くっ……!」
 わたしは思わず怯んで、ハチマキを握る手を少し緩めてしまう。
その瞬間――黄小路レイがチャンスとばかりに渾身の力で一気にハチマキを引っ張ってくる。
そして結果、耐えきれず、わたしの手からハチマキがスルリと抜ける。
「きゃっ!」
 直後に、わたしは掴む物を失ってしまい、その場に勢いよく尻もちをついてしまう。
「あ、ごめんなさい伊佐実先輩。つい力が入っちゃって……でも、先輩が抵抗するから悪いんですよ? というか、大丈夫ですかぁ? 何かボロボロになってますけど。ふふ……」
 黄小路レイが、わたしを見下ろしながら勝ち誇ったように言って、ニヤリと笑みを漏らす。

その手にはわたしのハチマキが握られている。
「さあ、これで私の勝ちですね! 伊佐実先輩、そういうわけで、もういい加減に建脇先輩の事は諦めてくださいよ。このハチマキは私がちゃんと責任を持って櫓で燃やしてあげますからぁ! あは、あははははははははははははははっ…………!」
 くるりと踵を返して、狂ったように笑いながら一目散に櫓を目指す黄小路レイ。
そんな事、絶対にさせてたまるか。

わたしはすぐにその背中を追いかけようと、その場から立ち上がろうとした。

が、その瞬間――。
「い、痛っ!」
 左足首にズキリと痛みを覚えて立ち上がる事に失敗する。

どうやら、さっき尻もちをついた時に足首を捻ってしまったみたいだ。
 やばい、どうしよう。

この足じゃ追いかけられない。

でも、早く黄小路レイを止めないと!
 わたしは何とか黄小路レイの足を止めようと、その後ろ姿に向かって必死に叫ぶ。
「ねえ、ちょっと待って! やめてっ! 黄小路さん! お願いだからっ! そのハチマキを返してーーっ!!」
 だけど、黄小路レイは全く聞く耳を持たない。

振り向く事さえなく、そのまま一直線に櫓へと向かって走っていく。
「お願い、誰か! 誰でもいいからその子を止めてーーっ!!」
 メイン会場の方に向かって助けを求めるも、ここはから少し距離がある。

わたしの声は届かない。

他の生徒たちこちらに気付かず、今も楽しそうに櫓を囲んでいる。
「っ…………」
 わたしはもうどうする事もできず、櫓へと近付いていく黄小路レイの後ろ姿を、唇をグッと噛み締めながらただ見つめる事しかできない。
 終わった。
 もう無理だ。
 わたしは全てを諦めた。
 すると――その時だった。
「おっと、そこのキミ! わりィんだけどさ、キャンプファイヤー中に走るのは危ねえから遠慮してくんねーかな?」
 一つの人影が颯爽と現れて、黄小路レイの前に立ちはだかった。
「え、うそ……」
 もしかして、あれは――。
 その、何度も耳にした聞き覚えのある声。
それに、軽い口調と軟派な態度。
それから、櫓の炎に照らさて輝くツンツンの金髪頭。
そんな少しチャラくて、派手な見た目で――だけど、ここぞって時に頼りになるヤツは、わたしの知り合いの中で一人しかいない。
「椿っ!」
 わたしは黄小路レイの前に割って入った人影に向かって、その名前を呼んだ。
「おう、暁!」
 人影の正体である椿がわたしに気付いて軽く手を挙げる。
「つーかよ、お前そんな所で何やってんだ?」
 そして、地面に座り込んでいるわたしの事を不審に思ったのか、目の前の黄小路レイをするりと避けて、怪訝な表情でこちらに向かおうと足を踏み出す。
「建脇先輩!」
 と、椿が数歩進んだところで、その背中に黄小路レイが呼びかける。
「ん?」 
 黄小路レイの声に気付いた椿が足を止めて振り返る。
「あれ? もしかして……キミって、同中だった黄小路さんじゃねえ? つーか、中学生のキミが何でここにいるんだよ?」
「わぁ! 建脇先輩! 私の事、覚えていてくれたんですね!」
 黄小路レイがすぐに椿に駆け寄って、嬉しそうな顔でさらに話を続けようとする。
「あの、それでですね。建脇先輩、私――」
「あー、まあいいや。わりィけどさ、話はまた後でな」
 が、椿は黄小路レイの言葉を途中で遮って、こちらに向かって歩みを進める。
「え? あっ! 建脇先輩……?」
 その場に置き去りにされた黄小路レイは、どうしていいか分からない、といった様子でぽかんとしている。
「おいおい、暁~。お前さ、人を呼び出しといて待ち合わせ場所にいねえってどういう事だよ? お陰で場内を探し回ったんだぞ?」
 やがて、わたしの前まで歩み寄ってきた椿が、地面に片膝をついてそんな風に様子を窺がってくる。
「えーと……ごめん。その、ちょっと用事があって……」
「そっか。いやまあ、こうやって見付けられたからもういいけどよ。ん? つか、それより暁、お前よく見りゃあちこち汚れてんじゃねーか。それに髪の毛も……って、おい! 暁、お前もしかしてケガしてんのか? 大丈夫なのかよ?」
 椿がわたしの状態(髪が解けて体操服が汚れている)に気付いて心配そうな顔を向ける。
「えっと、これは……うん。まあ、ちょっといろいろあって。その、足を捻っちゃって……」
「おい、マジかよ! だったら無理すんなよな。暁、立てるか? ほら、俺の手に掴まれよ」
 わたしは椿が差し出してくれたその手を借りながらゆっくりと立ち上がる。
「サンキュ。でも、足の方はちょっと捻っただけで、そんなに酷くはないはずだから」
「そうか? なら良かったぜ! けどよ、ケガしてんだからとりあえずは安静にしてねーと……」
「あの、建脇先輩! 私、先輩に話があるんです! だから、聞いて下さい!」
 いつの間にか、わたしたちの傍にやって来ていた黄小路レイが少し焦ったような様子で話に割り込んでくる。
「いや、あのよ、黄小路さん。だからさっきも言ったけど、今はちょっと無理だって……」
 椿がわたしを手で支えながら迷惑そうに対応する。
 だけど、黄小路レイはそんな椿を前にしても、全く引き下がる素振りを見せず、「お願いです! 聞いて下さい! 大事な話なんです!」と懇願して強引に話を続ける。
「建脇先輩! 私、ずっと前からあなたの事が好きでした! それで、どうしてもあなたに気持ちを伝えたくて、今日のキャンプファイヤーに忍び込んだんです! だから……あの、良かったら私とハチマキを結んで下さい! そして、私と付き合って下さいっ!」
 真剣な表情を張り付けた黄小路レイが、わたしから奪い取ったハチマキをさも自分の物のように椿の前へと差し出す。
「あっ……!」
 しまった。

そういえば、まだハチマキを盗られたままだった。

わたしは椿に『その事』を伝えようと慌てて声を上げる。
「椿! ちょっと待って! そのハチマキは……」
「暁、いいから」
 と、意外と勘の良い椿は、わたしたちの状況を前にして何かを察したのか、俺に任せろとでも言うように一度頷いて、わたしを手で制す。

それに従って、わたしはとりあえず口を噤む。
「なあ、黄小路さん」
「は、はい!」
 黄小路レイが期待の籠った眼を椿に向ける。
「気持ちは有り難いんだけどよ、そりゃ無理だ。つーわけで、わりィけど、俺は黄小路さんとは付き合えねえよ」
「え……?」
 椿の返事を聞いて、黄小路レイが一瞬フリーズする。
 が、すぐに気を取り戻して必死な様子で椿に詰め寄る。
「建脇先輩……あ、あのっ、どうしてですか? 何が駄目なんですか? その理由を教えてください!」
「わりィ、黄小路さん。理由はちょっとここでは言いたくねえんだ。だから、分かってくれねーかな?」
 椿が諭すような口調でそう告げて頭を下げる。
 それでも、黄小路レイはそれを聞き入れようとはせず、まるで聞き分けの悪い子供のようにヒステリック気味に食い下がる。
「嫌です! そんなの無理です! 建脇先輩の口からきちんとした理由を言ってもらわないと私は納得できません! というか、まさかですけど……もしかして、伊佐実先輩の事が好きだからとか言わないですよね!?」
「はあ!? 黄小路さん、アンタ急に何言ってんのよ!」
 わたしは黄小路レイの発言に動揺して、思わずそこで口を挟む。
「伊佐実先輩は黙っていて下さい! 私は建脇先輩に聞いているんですから!」
 すかさず黄小路レイがすごい剣幕で言い放って、わたしに鋭い視線を向ける。

そしてすぐにまた注意を椿に戻して、「建脇先輩、どうなんですか?」と答えを促す。
「それは……」
 椿がわたしを一瞥して、その後言葉を詰まらせて沈黙する。
 すると、黄小路レイはその肯定とも否定ともとれる煮え切らない椿の反応に業を煮やしたのか、
「建脇先輩、はっきりして下さい! まさか、そんなわけないですよね? 伊佐実先輩の事なんか好きじゃないですよね?いいえ、仮にそうだとしても、建脇先輩は伊佐実先輩みたいなタイプの女の子が好きなだけですよね? ほら、だったらこれを見て下さい。先輩が喜ぶと思って私も伊佐実先輩と同じ髪型にしてみました! ねえ、どうですか? 髪型も体格もほとんど同じだから私でもいいですよね? というか、私なら建脇先輩の好きな女の子になってみせます!」
 と、そう一方的に言って、綺麗な黒髪のツインテールを揺らしてアピールする。
 だけど、椿はそんな黄小路レイを前に、いい加減辟易したような様子で「はあ」と軽く溜め息を吐く。
「なあ黄小路さん、もういいだろ? そういう事じゃねえんだ」
「……えっ?」
「だってよ、人は見た目だけで相手の事を好きになるわけじゃねーだろ? だから、キミがどれだけ俺の好みの格好をしたからって、そんなのは関係ねえんだよ」
「そ、そんな……」
「つーか、大体キミの持ってるそのハチマキって、暁の物なんじゃねーのか? さっきチラッと見えた時に生地に刺繍されてんのが見えたんだけどよ……確か、暁のハチマキにもキミが今持ってるハチマキと同じ刺繍があったはずなんだよな」
「な、何を言っているんですか!? 建脇先輩、これは私のハチマキですよ? 私が自分で作った物なんです! だから、そんな刺繍なんかあるはずないじゃないですか!」
 黄小路レイが少し動揺した口調で言って、すかさず手でハチマキの刺繍を隠す。
 椿はその様子を冷めた目でとらえて言葉を継ぐ。
「それによ、これは俺の勝手な想像だけど……もしかして、暁に怪我をさせたのってキミなんじゃねーのか?」
「……えっ! いえ……ち、違いますよ! 私が伊佐実先輩に怪我をさせるなんて……そ、そんなわけないじゃないですか!」
 今度こそ完全に動揺した様子で、必死に弁解する黄小路レイ。
 対して、椿はそんな黄小路レイの言い分を「そっか。なら、もういいよ」と切り捨てて言葉を続ける。
「まあ、確かに俺はキミがどうしてここにいるかも分からねえし、ここで何をしたのかも知らねえ。つーか、もうそれを聞く気もねえ」
 そして、「けどよ」と。椿はそう前置きして、黄小路レイをしっかりと見据えて、
「俺はどこの誰だろうと、暁の事を傷つけるヤツは絶対に許さねえ! だから、もしキミが今後暁に何か手を出したら俺は容赦しねえ! つーわけで、そこんとこだけはよく覚えといてくれっ!」
 と、強い口調でそう断言した。
 その直後。
「……っ!!」
 黄小路レイが言葉を失って、見る見るうちに顔を曇らせていく。

それから、まるで糸の切れた操り人形のように、ドサリとその場に膝から崩れ落ちる。
 だけど、そんな黄小路レイの反応は無理もない。
だって、好きな人に面と向かってあんな風に啖呵を切られたら、誰だってショックを受けてしまう。しかも、それが多感な中学生の女の子だったらなおさらの事。
「……そ、んな……私は、ただ……だけで……は、なくて……」
 黄小路レイはかなりのショックを受けたのだろう、ついにはべたりと地面に座り込んで、頭を抱えるようにしてブツブツと呪文を唱えるかのように言葉を漏らしている。
 わたしは痛む左足を庇いながら、そんな黄小路レイの傍へと近づいて、その隣に足が痛まないように慎重に片膝を着く。
「黄小路さん、わたしのハチマキは返してもらうわよ」
 すでに黄小路レイの手から解放されて地面に無造作に落ちているハチマキを回収する。
「……」
 ハチマキに執着したさっきまでの態度がまるで嘘のように、黄小路レイはわたしの邪魔をする素振りを全く見せず、虚ろな目でただぼーっとこちらを見つめている。
 無事で本当に良かった。

わたしは取り戻したハチマキを胸にグッと抱いて、まずはほっと胸を撫で下ろす。

それから、一つ息を吐いて「よし」と気持ちを整理して、黄小路レイの目をまっすぐに見据えて語りかける。
「ねえ、黄小路さん。さすがにわたしも今日の事はなかった事には出来ない。だけど……今後わたしはアンタに仕返しをするつもりもないし、それに憎んだりもしない。だから、もう帰りなさい」
「え…………」
 今まで覇気のない様子でわたしの言葉に耳を傾けていた黄小路レイが、少し驚いたような表情を向ける。
「暁、いいのか?」
 すぐ傍で、わたしたちのやり取りを無言で見守っていた椿もわたしの言葉を聞いて確認してくる。
 たぶん、勘の良い椿の事だから『わたしと黄小路レイの関係』を何となく把握していて、わたしの事を慮(おもんぱか)ってくれたのだろう。

さっきの黄小路レイへの言葉もそうだけど、そんな椿の気遣いがめちゃくちゃ嬉しい。
 わたしはこちらの様子を心配そうに窺がう椿に向かって「うん、いいの」と短く答えて口の端を緩めて見せる。
 正直なところ、黄小路レイの事を今すぐ完全に許せるかって言うと、素直に「はい」とは言えない。

でも、だからと言って、本人に伝えた通り、今後わたしは黄小路レイの事をとくに咎めたり、仕返しをしたりしようとも思わない。

だって、わたしがそんな事をしなくても、今の黄小路レイにはさっきの椿の言葉が十分に効いていると思うし、それに今の彼女にとってそれ以上の重い罰はないだろうって思うから。
「そっか、なら良いけどよ」
 椿がわたしの返答を聞いて、納得したように肯いて口を噤む。
 わたしは視線を椿から黄小路レイへと戻して、足を痛めないようにゆっくりと立ち上がる。
「って事で、黄小路さん。今のうちに帰りなさい。キャンプファイヤーが終わっちゃったら、ややこしくなっちゃうし……。だから……ほら、さあ立って」
 そして、そう言いながら黄小路レイに向かって手を差し出す。
「……っ」
 黄小路レイが弾かれた様にこちらを見上げる。

それから、視線をわたしの差し出した手へと移動させて唇をグッと噛み締める。
そんな黄小路レイの仕草は、もしかしたらわたしのとった態度(行動)に屈辱を感じているのか、それともわたしの手を借りる事に戸惑っているだけなのか、その真意は読み取れない。
 やがて、しばらく逡巡していた黄小路レイが、結局わたしの手を借りる事なく脱力した様子でふらりと立ち上がる。

そして、わたしを見つめて一瞬だけ何か言いたそうな素振りを見せた後、それをグッと飲み込むようにして、
「…………失礼します」
 と、消え入りそうな声でそう言って、わたしと椿の反応を待たずに、この場を去ろうと一歩を踏み出した。
もうこれ以上掛ける言葉はない。

それに、本人もそっとして欲しいはず。

そう判断して、わたしはこの場を離れて行く黄小路レイを無言で見送る。

たぶん椿も同じ考えなんだろう、わたしの隣で静かに佇んでいる。
 キャンプファイヤーを楽しむ生徒たちで埋め尽くされている明るい会場内の中を、まるで一人だけ背中に重りでも背負っているように、ふらふらと弱々しい足取りで歩いていく黄小路レイ。
 わたしはそんな後輩の寂しい後ろ姿をじっと見つめながら、何とも言えない悲しさを胸に抱く。
確かに今回の一件で、わたしと黄小路レイは『被害者とストーカー』といういわば敵同士の関係で、そして激しくぶつかり合って、目の前の残念な結果で終わってしまった。
 だけど、わたしは今さらながら思ってしまう。もしかしたら、わたしたちにはもっと違う結果があったのかもしれないって。
だって、わたしと黄小路レイは、何だかんだ言っても『建脇椿の事が好きだ』っていう一つの大きな共通点――同じ想いを持った同志だったのだ。
だから、きっとそんな二人なら、状況や環境、それに接し方が今回とは違ってうまくいっていれば、良い恋のライバル、または信頼できる先輩と後輩のような素敵な関係を築けていたはずだ。
 もう今さらそんな事を言っても遅いのは分かっている。

それでも、わたしはやっぱり黄小路レイとの『今とは違う関係』があったのかもと思うと残念で仕方ない。
 と、あれこれと考えて複雑な気分になっているうちに、黄小路レイの姿が徐々に小さくなっていき――やがて、わたしの視界から完全に消えてしまう。
 そんなわけで、微妙に後味が悪い結果に終わってしまったけど、ようやくこれで、色々な人を巻き込んだわたしとストーカーとの二日間の短いようで長かった戦いが幕を閉じる。
 まあ何はともあれ、ストーカーから解放されて一安心。わたしはやっと重かった肩の荷が下りて、思わず一息吐こうとする。
が、そこで――いいや、まだ気を抜いちゃいけない、ともう一度気を引き締め直す。
そう、なぜならまだわたしには『椿に告白する』という大事なミッションが残っているからだ。
 校舎の壁に備え付けられている大時計を確認すると、時刻はすでに午後7時20分。

キャンプファイヤーの開催時間は残りあと10分しかない。
「ねえ、椿。大事な話があるから、わたしたちも櫓の方へ行かない?」
 わたしは『恋の勝負』の決着をつける為に意を決して、隣で佇む椿をキャンプファイヤーへと誘った。

 

                                #11.5 瞬華愁灯~daybreak!~Ⅷ「そんなのOKに決まってるじゃねーか!」中編   了

 

 

何なの、これ……?
わたしは、もう何が何だか分からなかった。
 だって、ハチマキを盗んだ犯人がわたしと同じ格好をしていて。

そして、それがこの場所に居るはずのない後輩で。そうなると、ストーカーの犯人はハチマキを盗んだ後輩である黄小路レイだという事で。

しかも、その黄小路レイは何事もないように、平然とわたしに笑顔を向けていて――。
ストーカーを捕まえるまではもう何があっても動じない。そう固く決意していたけど、さすがにこれだけの衝撃を一気に受ければ動揺し混乱してしまう。
 でも――それでも。
 わたしは「ふう」と、軽く息を吐いて決意を固める。
ストーカーを目の前にして、わたしは今ここで止まるわけにはいかない、と。
昨日と今日の二日間、わたしは色々な障害をみんなに支えてもらいながらも、何とか乗り越えてここまで来たのだ。
それなのに、ようやく辿り着いたこの瞬間を絶対に無駄にするわけにはいかない。

どんなに動揺しても、混乱しても、犯人が誰であったとしても、もう腹をくくって前に進むしかない。
「……黄小路さん。どうして、アンタがここにいるの?」
 わたしは自分を鼓舞し、止まった思考を再開させて、ようやく言葉を吐き出した。そして、さらに緊張で干上がった喉を無理矢理動かして、自分に纏わりつく動揺や混乱、それに緊張を振り払うかのように一気にまくし立てる。
「てゆーか、黄小路さん! アンタがストーカーの犯人なんでしょ! もう全部分かってるんだからっ! 昨日からしつこく嫌がらせメールを送ってきて! それに、わたしのハチマキまで盗んで! 一体何なのよアンタはっ!!」
 マジでいい加減にしてよ。

わたしは最後にそう叩きつけるように言って、肩で息をしながら黄小路レイの反応を窺がう。
 少し離れた運動場の中央では、今も滞りなくキャンプファイヤーが続行されている。

ここまで漏れてくる喧騒と櫓の灯りを横顔に浴びながら、黄小路レイが小動物のように小首を傾げてみせる。
「あの、先輩。スト―カーって何の事ですか? メール? ハチマキ? その、私には何の事だかさっぱりなんですが……」
「はぁ? ちょっと、惚けないでよ! だったらもう一度聞くけど、アンタがストーカーじゃないって言うのなら、何でここにいるのよ! 欄高生じゃないのにおかしいでしょ!」
「伊佐実先輩、どうか私の話を聞いて下さい。実は私、来年欄高を受験しようと思っていて、昨日の文化祭に続いてどうしても今日のキャンプファイヤーも見学したかったんです。それで、近所の欄高に通っているお姉さんに体操服を借りて忍び込んだんです。部外者が勝手に混じって本当に悪いと思っています。だから、その、他の生徒の方や先生方には秘密にしてもらえると助かります」
 怒りを顕わにするわたしに対して、黄小路レイは怯む事なく、「伊佐実先輩、どうかお願いします」と手を合わせて懇願してくる。

そんな焦りも動揺も全く感じられない堂々とした黄小路レイの態度に、わたしは一瞬、もしかしたら、この後輩は犯人じゃないのかも、と思ってしまう。
 だけど、わたしはその考えをすぐに頭から振り払う。
いいや、騙されちゃダメだ。

今回はソアーベの時みたいに、わたしの勘違いじゃない。黄小路レイは、ストーカーの事なんか知らないし、今は見学しているだけだと言っているけど、そんなのは嘘に違いない。
それに、今の黄小路レイの格好だって普通じゃない。確か、昨日の夕方に会った時は黒髪のストレートだったはずだ。なのに、今はわたしと同じ髪型(ツインテール)で、しかも髪を結っている位置まで同じ。

それはどういう意図かはわからないけど、明らかにわたしの髪型を真似ている。
「何言ってんのよ! そんなの信じられるわけないでしょ! てゆーか、アンタがわたしのハチマキを捨てるところを見たっていう友達がいるんだけど!」
 そうだ。

わたしはソアーベの事(証言)を信じている。
そして何より、実際に黄小路レイを目の前にして、わたしの女の勘が告げているのだ。この後輩がストーカーの犯人に違いないって。
「そんな……私はハチマキなんか捨てていませんよ。伊佐実先輩、信じてください。本当に私には何の事だか分からないんです」
「アンタねえ! さっきも言ったけど、わたしの友達が実際にこのハチマキを捨てるアンタを見たって言ってんのよ! それでもまだ言い逃れするつもり?! 証拠があがってるんだからもう認めなさいよ!」
 わたしは黄小路レイの目の前に「これに見覚えあるでしょ!」と、ハチマキを突き付ける。
「ちょっと待ってください。伊佐実先輩、そんなのは何の証拠にはなりませんよ。だって、もしかしたらハチマキの事は伊佐実先輩のお友達の見違いかもしれないじゃないですか。私がストーカーの犯人だって言うのなら、ちゃんとした証拠を見せて下さいよ」
「そ、それは……」
 悔しいけど、黄小路レイの言い分は間違ってはいない。

確かに、ソアーベが見たというだけでは動かぬ証拠にはならない。
わたしはハチマキを胸元でグッと握りしめた。
「伊佐実先輩。もういい加減にして下さい。ちゃんとした証拠もないのに、いきなりストーカー扱いなんかされて……。私、傷つきます」
 依然盛り上がっているキャンプファイヤーの会場を背にして、黄小路レイがわざとらしく困った表情を張り付ける。
どうやら、黄小路レイはあくまでも自分はスト―カーじゃないと、そう言い張るつもりのようだ。
このままじゃ一向に埒が明きそうにない。
 だったら、わたしにも考えがある。
「わかったわ。黄小路さん、アンタがストーカーの犯人だっていう証拠ならあるわよ!」
 わたしはハチマキを握っていない方の手で、ポケットから携帯を取り出した。
「って事で、黄小路さん。悪いけど、ちょっと確認したい事があるから携帯を見せてくれない? もし、アンタが犯人じゃないって言うのなら、何も問題ないはずでしょ?」
「……えっ、携帯電話ですか?」 
 わたしの言葉に、黄小路レイが一瞬だけ動揺した様子を見せる。

が、すぐに取り繕って、
「あの、すみません。私、今携帯電話持ってないんですよ」
 と、申し訳なさそうに頭を下げる。
「ふーん、そっか。じゃあいいわ」
 わたしは構わず手元の携帯を操作する。そして、すかさず黄小路レイの様子を注意深く観察する。
 ややあって、短い着信音が耳に飛び込んでくる。

音源は黄小路レイの体操服のズボンのポケット中。

その証拠に、着信を知らせる光がピカピカと点っている。
「黄小路さん、今何か着信音聞こえなかった? あっ、そのポケットで光ってるのって携帯じゃない? あれ? おかしいわね。黄小路さんって、今携帯持ってないんじゃなかったっけ?」 
 わたしはわざとらしくそう言って、黄小路レイのズボンのポケットを指差した。
「あっ! えっと、これはその……」
 黄小路レイがズボンのポケットを手で隠しながら、慌てた様子を見せる。
「てゆーか、わたし昨日からずっとストーカーから嫌がらせメールが送られてきてて……。実はさっきハチマキを盗まれた後にもストーカーからメールが届いたのよ。それで、今そのストーカーのアドレスにメールを返信したんだけど。黄小路さん、今アンタの携帯に着信したのって、タイミング的にわたしが送ったメールじゃない?」
 わたしは「ほら、これ見てよ!」と、ストーカーへ返信したメールを開いて、黄小路レイに突き付けた。
「ねえ、黄小路さん。どうしてわたしのメールがアンタの携帯に届くわけ? そもそも、アンタとはアドレス交換してないはずよね? それとも、もし今届いたメールがわたしからじゃないって言うのなら見せてくれない?」
「えっと、それは……」
 黄小路レイがメールを確認して、わたしから視線を逸らすように顔を下に向ける。
「そっか、わかった。見せられないって事は、今のメールはわたしからだって事でいいのね? 自分がストーカーだって認めるのね?」
「…………」
 何も答えず俯いたままの黄小路レイ。

その反応からして、ようやく自分がストーカーだと認めたみたいだ。
 それにしても、何とか上手くいって良かった。
正直なところ、ストーカー(黄小路レイ)にメールを返信できるかどうかは賭けだった。

おそらく、ストーカー(黄小路レイ)は昼以降、わたしにアドレスをブロックされないのをいい事に同じアドレスを使い続けていたんだろうど、もし今の段階で証拠隠滅の為にアドレスを変えられていたら、もうわたしには他に打つ手がなかった。
わたしは安堵の息を吐くと、すぐにまた気を引き締めて、
「そんなわけで、詰めが甘かったわね黄小路さん! さあ、観念して今からいろいろと話してもらうわよ!」
 と、黄小路レイに向かって、ビシっと人差し指を突き付けた。
「…………」
 少し間を置いて、黄小路レイが沈黙を保ったままゆっくりとその顔を上げる。

そして、わたしと視線を合わせるや否や、「ふふっ」と、噴き出すように笑みを零して言葉を口にする。
「分かりましたよ。認めればいいんでしょう? 私もいい加減誤魔化すのも面倒になったので白状しますよ!」
「……そう、やっと認めるのね」
「ええ。伊佐実先輩、あなたの言う通りです。私がストーカーの犯人ですよ! そう、あなたに嫌がらせメールを送ったのも、体育祭でハチマキを盗んだのも、全部私の仕業です!」
 さっきまでの謙虚な態度とは打って変わり、完全に開き直った様子で「うふふっ」と黒い笑みを浮かべて、まるでドラマの悪役のように振る舞う黄小路レイ。
「……それが、アンタの本性ってわけ!?」
 わたしは普段の『儚いお嬢様』というイメージから遠くかけ離れた目の前の後輩の姿に驚きを隠せない。
 そんなこちらの反応に構いもせず、完全に人が変わった黄小路レイがわざとらしく見せつけるように、「はぁ~あ」と大きな溜め息を吐いて、
「それにしても伊佐実先輩には参りますよ。これで私の今までの苦労が全部台無しです。あ~あ、ここに至るまで本当にいろいろ大変だったんですよ? 例えば、伊佐実先輩のアドレスを知っている人を探して聞き出したり……それから先輩にバレないように尾行したり。それに今日だって……朝から校内に忍び込むのに苦労したんですから!」
 と、まるで自分の犯行を武勇伝のように楽しそうに語る。
「……アンタ、開き直ってんじゃないわよ?」
わたしは異常な黄小路レイの様子を気味悪く思いながらも、それを抑えて冷めた口調で皮肉の籠った言葉を向ける。
「てゆーか、黄小路さん。アンタ、マジで良い性格してるわね」
「いえいえ、それはどうも有難うございます。ふふ、でも伊佐実先輩だって良い性格しているじゃないですか。だって、私がストーカーに扮してあれだけ嫌がらせをしたのに、家に引き籠るどころか、平気な様子で体育祭やキャンプファイヤーに参加して……。それに、結局今もこうやって私のところまで辿り着いちゃうし。本当にずいぶんと図太い神経をお持ちのようですね」
 というか鈍感過ぎでしょう、と。黄小路レイがこちらの皮肉に対して、嫌味な言葉で反撃してくる。

しかも、オマケに「やれやれ」というジェスチャーを付けて。
「っ……」
 わたしは黄小路レイの挑発的な態度に怒りを覚える。

が、それをスル―して頭の中を整理する。
やっぱり、そうだ。

今の黄小路レイの口振りからすると、さっきの体育館裏でのわたしの考えは間違っていなかった。黄小路レイがストーカーをした目的は、わたしを体育祭(キャンプファイヤー)に参加させない事。

いいや、もっと言えば、たぶん『わたしの告白を邪魔する事』だったのだ。
 そう考えると、今までのストーカーの行動(わたしが嫌がるメールの内容を絶妙なタイミングで送り付けてきて怖がらせた事、そしてハチマキを盗んで捨てた事)その全部に納得がいく。
 だけど、それはそうだとして――。
わたしはそこまで思考を巡らせたところで、一つの疑問を思い浮かべる。
「あのー、伊佐実先輩? 急に黙りこくってどうしちゃったんですか? さっきまでの威勢はどこにいっちゃったんです? あ、もしかして、今さら私が犯人だった事にショックを受けているんですか?」
 突然黙り込んだわたしを不審に思ったのか、黄小路レイが少し訝しんだ調子で声を掛けてくる。
対して、わたしは「別に何でもないわよ」と適当に答えて、今頭に浮かんでいる疑問を投げかける。
「ねえ、黄小路さん。ところで、どうしてアンタはそこまでしてわたしの邪魔をしようとしたのよ?」
 そう、黄小路レイがわざわざ手の込んだスト―カーまでして、わたしの告白を邪魔しようとしたのには、きっと何か理由があったからに違いない。
「それは……」
 わたしの問いかけに、黄小路レイが一瞬真剣な表情を張り付けて押し黙る。

が、すぐにまた表情を戻して、
「……そんなの、どうだっていいじゃないですか!」
 と、何か言い難い事なのか、わたしの疑問の答えをはぐらかす。
「はぁ!? アンタねえ、どうでもいいわけないでしょっ!」
 これだけの被害を受けて、黄小路レイの答えになっていない答えに納得できるわけがない。

わたしは黄小路レイをキッと睨みつけると、強い口調で言い放った。
「てゆーか、わたしにここまでやっておいて、それで済むはずないじゃない! ちゃんと理由を話しなさいよ! わたしには聞く権利があるんだから!」
「…………」
 わたしの追及を受けて、黄小路レイが逡巡した様子を見せる。

それから、やがて観念したのか、「分かりました。そこまで言うのならお話しますよ」と、重いため息を吐いてその口を開く。
「伊佐美先輩、じゃあハッキリ言わせてもらいます。実は私、建脇先輩の事が好きなんです。だから、いつも建脇先輩と一緒にいるあなたが邪魔だったんですよ」
「何なの、その自己中な理由は……」
 黄小路レイが口にしたあまりにも勝手で理不尽な理由を耳にして、体の底から一気に怒りが込み上げてくる。
「そんな身勝手な理由でわたしにこんな嫌がらせをしたっていうの? マジで信じらんない! アンタ、ふざけるのもいい加減に――」
「ふざけているのは伊佐実先輩の方じゃないですかっ!!」
 突然、黄小路レイがわたしの言葉を怒りの籠った声で遮った。

 

                             #11.5 瞬華愁灯~daybreak!~Ⅷ「そんなのOKに決まってるじゃねーか!」前編 了

 

「マジか。そんな事があったのかー。つーか、早くオレに相談してくれればよかったのにさー」
 わたしの話を聞き終えたソアーベがそんな第一声を上げる。
「ごめん。でも、わたしみんなに心配かけたくなかったから」
「そっか。うん、まあでも今のところ伊佐実ちゃんが無事で何よりだよ! それにハチマキもちゃんと渡せたしさ」
「うん。ほんとソアーベのお陰で助かったわ」
 わたしは自分の手元にあるハチマキに視線を向けた。

すると、その瞬間。
「あっ! そう言えば……」
 ソアーベがさっきのストーカーの誤解を解く時に口にしていた言葉を思い出す。
「ねえ、ソアーベ! アンタ、わたしのハチマキを拾ったって言ってたけど、一体どこで拾ったのよ?」
「あー、うん。えーと、ゴミ捨て場だけど……」
「ゴミ捨て場って? それって、どこのゴミ捨て場よ?」
「欄高祭で出たゴミを集めてある、あの運動場の隅のゴミ捨て場だよ。欄高祭が終わった後なんだけどさ、たまたま近く歩いてたら、そこでハチマキを見つけたんだよ。それで、興味本位で拾ってみたら、そのハチマキに見覚えのある『必勝』の刺繍があってさ。そういや、昼間に伊佐実ちゃんのハチマキを見た時にも同じ刺繍あったから、これって伊佐実ちゃんのじゃねって」
「そうだったんだ……」
 わたしはソアーベの話を聞いて、頭の中に一つの疑問を思い浮かべた。
 おそらくストーカーは洗面所からわたしのハチマキを盗んで、その後に運動場のゴミ捨て場に捨てたに違いない。
 でもだとしたら、スト―カーはどうして盗んだわたしのハチマキを捨てたのだろうか?
 だって、ストーカーがわたしに好意を抱いているのだとしたら、わたしのハチマキ(持ち物)を盗む事はあっても、わざわざ盗んだハチマキを捨てるのは不自然だ。
もしかしたら、ストーカーの狙いは別にあるのかもしれない。
 例えばだけど、何か理由があってわたし嫌がらせをするのが目的だったとか? 
 いや、ハチマキを盗んで捨てた事を踏まえると、わたしの『告白を阻止する事』が目的だったとも考えられる。
何にしても、犯人は今もわたしにとって大きな障害になっているのは確かだ。

だから、ハチマキが手元に無事戻ってきたからといって安心はできない。
やっぱり、ここまできたらストーカーの犯人を捕まえるしかない。
 と、わたしがストーカーについて、いろいろと考えを巡らせている時だった。
「いやーそれにしても、あのハチマキを捨ててったヤツが伊佐実ちゃんのストーカーだったのかな?」
 ソアーベが不意にそんな衝撃的な言葉を口にする。
「はぁっ?!」
 わたしは裏返り気味の声を上げて、慌ててソアーベに詰め寄った。
「ちょっと、ソアーベ! アンタ、もしかしてわたしのハチマキを捨てた犯人を見たの!?」
「あーうん。まあ一応ね」
 いや、それを早く言っててば!!

平然と答えるソアーベに、思わずそうツッコミそうになる。

が、ストーカーの事をソアーベが知ったのは今さっきなので仕方ない。

わたしは出掛かった言葉をぐっと飲み込んで話を進める。
「で? どんな人だったの?」
「遠目で見たんだけどさ、オレらと同じ青の体操服着た二年の女子だったぜ」
「……え? 女子?」
 わたしは思いもよらないソアーベの答えに困惑する。
 当然だ。

だって、ソアーベの言うハチマキを捨てた生徒がストーカーだとしたら……。

結果、わたしのストーカーをしていたのは女子だという事になる。
 わたしはそれが信じられず、もう一度ソアーベに確認する。
「ソアーベ、ハチマキを捨てた人ってアンタの見間違いじゃなくてホントに女の子だったの?」
「もちろん。後姿しか見えなかったけど、あれは女子で間違いないって! オレ、視力良い方だしさ!」
 自信満々のソアーベの様子からして見間違いの線はなさそうだ。
 正直、ストーカーの犯人が女の子かもしれないなんて訳が分からないし、信じたくはない。

だけど、今はソアーベの言うハチマキを盗んだ女子が犯人の有力候補なのは確かだ。
とにかく、その女子を急いで見つけなくちゃいけない。
「ソアーベ、その女の子の特徴とかって覚えてる? 何でもいいから教えてほしいんだけど」
「あー、うん。それが結構特徴的なヤツだったんだけど……。つーか、何だったらオレがそのハチマキ捨てた女子を一緒に探すよ! その方が早いしさ」
 ソアーベが親指で自分の胸のあたりを差してアピールする。
「ホントにっ!? ソアーベがOKなら頼みたいんだけど!」
何て言ったって、キャンプファイヤーに参加している欄高生は約一○○○人と多い。

例えハチマキを捨てた生徒が『二年生の女子』だと絞られていても、薄暗い会場の中から一人の生徒を探し出すなんて至難の業だ。

なので、本人を見たソアーベが協力してくれればかなり助かる。
「もちろん! オレに任せてよ! すぐ見つけるからさ!」
 ソアーベの頼もしい返事を耳にして、かなり希望の光が見えてきた。
 これで犯人を見つけられるかもしれない。

キャンプファイヤーで椿に想いを伝えるまで、もうひと踏ん張りだ。
「ソアーベ。悪いけど、時間ないから早速お願いするわ!」
「了解!」
 わたしはすぐにソアーベと二人で運動場を目指した。

「ねえ、ソアーベ! てゆーか、ホントに大丈夫なわけ? 人もいっぱいだし、やっぱり無理なんじゃない?!」
 わたしはソアーベと運動場へと到着するや否や、会場の様子を目の当たりにして不安の混じった声を上げた。
 現在、イベントが始まって約三○分。

キャンプファイヤーの盛り上がり振りは最高潮に達している。元から開始早々、生徒たちは櫓を囲んでクラスで集まって歌ったり、踊ったりと大いに盛り上がっていたけど、それも今は二割増し。

歌はBGMを抑えるほどの大合唱に、踊りも参加者が増えて激しいものへと変わっている。

カップルの数も序盤の頃より増えていて、場内の至る所で見受けられる。
今の時刻は18時半。

もうすっかり陽は落ちていて、会場内を照らすのは三つの櫓の炎をだけだ。

その灯りだけを頼りに、この大人数の中から犯人を見つけられるのだろうか?
「大丈夫だってば伊佐実ちゃん! 特徴的だったからすぐに見つかるって! つーか、時間ねーから急がないと!」
 ソアーベの言う通り、体育館裏で30分ほど時間を消費したので、キャンプファイヤーの開催時間はあと一時間くらいしかない。

確かにここで弱音を吐いている時間はない。
「何やってんの! ほら、伊佐実ちゃん! オレに着いてきて!」
 生徒の山を前にして不安を抱くわたしに、ソアーベが「早く! こっちだよ!」と手招きする。
こうなったら、ソアーベをあてにするしかない。
「わかった! 今行く!」
 わたしは決心してソアーベの後をついていく。
「とりあえず、オレが櫓を一つずつ回ってくから! 伊佐実ちゃんははぐれないよーについて来てよ!」
 ソアーベがそう提案して、先陣を切って場内を進んでいく。
 まずは一つ目の櫓に到着し、ソアーベが炎を頼りに軽い身のこなしで周りの生徒(青の体操服の女子)の姿を確認していく。

そして、櫓の周りをぐるりと回り終えて首を横に振る。
「伊佐実ちゃん、次の櫓に行こう!」
 わたしたちは気を取り直してすぐに次の櫓へと向かう。
 二つ目の櫓に到着し、すぐにソアーベが同じ要領で例の生徒を探す。
 例に漏れず、二つ目の櫓の周りにも多くの生徒が集まって盛り上がっている。
いくら二年生の女子だけを確認すればいいとは言っても、やっぱりこの大人数の中からとなると、見つけるのは無理なのかもしれない。
 と、弱気になりながらソアーベの背中を追いかけていた時だ。
「あっ! 見つけた!」
 ソアーベが不意に声を上げて足を止めた。
「ほら! 伊佐実ちゃん、あそこ見てよ! ハチマキを捨てたのはあの子だよ!」
 ソアーベがわたしに向かって叫びながら、二つ目の櫓の方を指差した。
「えっ!! どこ?!」
 わたしはすぐにソアーベの指先を目で追って確認する。
 するとその先には、櫓の近くで一人佇む青の体操服を着た女子の姿が。
「ちょっと、何よあれ……!」
 わたしは一瞬自分の目を疑ってしまう。
「何かあの女子さ、髪型から体系まで伊佐実ちゃんに似てるんだよねー。だから見つけやすかったわ!」
 隣でソアーベがそう言った通り。

例のソアーベが指差した女子生徒は、わたしとほとんど同じ背格好だったのだ。
 わたしと同じように、髪の毛をツインテールに結わえていて小柄な体格、そして同じ二年の体操服。

違うところと言えば、わたしが茶髪で相手が黒髪だという事くらい。そんな自分と格好がそっくりな人間を前にして驚かないわけがない。
「ねえ、伊佐実ちゃん大丈夫?」 
 動揺して固まるわたしにソアーベが声を掛けてくれる。
 ソアーベの声でわたしは何とか正気を取り戻す。
「あ、うん。大丈夫だから!」
「そっか、ならいいけどさ! それで、どうする? あのハチマキを盗んだ女子の所に行くなら、もちろんオレもお供するぜ?」 
「ううん。ソアーベ、ここまで付き合ってくれてホントありがとう。マジで助かった。でも、もう大丈夫! わたしが一人であの子と話してくるから」
 わたしはソアーベの申し出を断って手で制した。
「いや、でも伊佐美ちゃんが心配だしさ……」
「だけど、この問題はわたしが自分で決着をつけなくちゃダメだから!」
 そうだ。

わたしはここまで辿り着くまでに色々な困難にぶつかって、その度に誰かに助けてもらってきた。
 蓮に励まされて、司に気付かされて、つばさに勇気をもらって、志音に背中を押してもらった。そして、ソアーベにはここまで導いてもらった。
 だけど、ここからは誰かの力を借りるわけにはいかない。

すでに因縁に近いストーカーとの決着は私自身でつけなくちゃ
意味がない。

「……そっか、わかったよ。つーか、伊佐実ちゃんは言い出したら聞かなねーもんな」
 わたしの決意が伝わったのか、ソアーベがしぶしぶといったように首を縦に振る。
「でもさ、何か困った事があったらすぐに連絡してよ! すぐに駆けつけるからさ!」
「うん! そん時はよろしく! じゃあ、わたし行ってくるから!」
 最後まで気を遣ってくれるソアーベに感謝しながら、わたしは例の生徒がいる二つ目の櫓に向かって一歩を踏み出す。
 会場内は相変わらずのお祭り状態で、キャンプファイヤーを満喫する生徒たちで溢れ返っている。

わたしは人影を避けながら、例の生徒に気付かれないように慎重に歩みを進めていく。
 やがて、例の生徒の三メールほど後ろまで近付いて一旦足を止める。
例の女子生徒は誰かを探しているのか、櫓の前でこちらに背を向けてきょろきょろと辺りを見回している。
 わたしは改めてその髪の毛の色以外はそっくりの後ろ姿を前にして背筋がゾッとする。

不安と緊張が襲ってきて身体が強張ってしまう。
 だけど、いつまでも躊躇しているわけにはいかない。

わたしはネガティブな感情をぐっと抑え込んで、勇気を振り絞って女子生徒の背中に声を掛けた。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど……」
 ビクっと小さく肩を跳ねさせて、ツーサイドに結わえた髪を揺らしながら女子生徒が振り返る。
「はい?」
 女子生徒がわたしを見て、一瞬だけ驚いたような表情を見せる。
 だけど、それ以上に驚いたのはわたしの方だった。
「えっ……!!」
 わたしは犯人の顔を確認して、あまりの衝撃で言葉を失い、その場で立ち尽くしてしまう。
 何でっ?

どうして、アンタがここにいるの?

てゆーか、何でそんな格好してんの……?!
 頭の中をそんな疑問がぐるぐると駆け巡る。
 が、わたしは口をパクパクさせるだけで、その疑問を声にする事ができない。
 未だに思考が追いつかず、身体が石化したように動かない。
 そんな状態のわたしに対して――。
 目の前のわたしと同じ格好をした女子生徒――黄小路レイは、何事もなかったかのように満面の笑みをわたしに向ける。

 

「どうも、伊佐美先輩。お疲れ様です」

 

瞬華愁灯~daybreak!~

         Ⅶ「どうも、、伊佐美先輩。お疲れ様です」後編 了

 

 体育館裏に足を踏み入れると、昼間とは雰囲気がガラっと変わっていた。
 今の体育館裏は、一面が薄い夕闇に染まっていて、会場で流れるBGMが微かに漏れ聞こえている。

そんな会場とはまた違った、静かでしっとりとした空間がデートスポットにぴったりなのだろう。

昼休みや体育祭の後、それにミーティングの前は閑散としていたのに、それが嘘のようで辺りにはたくさんのカップルの姿が見受けられる。
 しまった。

ソアーベを呼び出す場所を間違えたかも……。
あちらこちらでカップルが楽しんでいる中、少し気まずい空気を味わいながら敷地の奥にある手洗い場へと向かう。
ややあって、待ち合わせ場所の手洗い場へと到着すると、すでにソアーベの姿があった。
「あっ、お疲れー。伊佐実ちゃん」
 わたしに気づいたソアーベが軽く手を振りながら声を掛けてくる。
「お待たせ」
 わたしは警戒心を抱きながら近付いて、手洗い場の前でソアーベと向き合った。
 体育館裏がデートスポットになっている今、手洗い場も例外ではなく、辺りには数組のカップルの影が散らばっている。

傍から見れば、わたしたちも告白をする男女、もしくは、すでに出来上がったカップル。

そんな風に見えるかもしれない。
「いやー、それにしてもまさか伊佐美ちゃんからオレに連絡くれるなんてさー。オレそんな事ありえねーって思ってたから、ほんとマジで嬉しいわ!」
 いつものように軽いノリで話すソアーベ。
見たところ、そんなソアーベの様子は普段と全然変わらない。

あえて言うと、電話した時と同じで、やっぱりちょっとテンション高いくらいだ。

もう目も暗さに慣れてきたので表情を確認してみるも、その表情からはとくに何も読み取れない。
 と、わたしがいろいろと考えながら様子を窺っていると、
「あーそうだ! 忘れねーうちに、先に伊佐実ちゃんにこれ渡しとくよ」
 そう言って、ソアーベがズボンのポケットから何かを取り出して、それをわたしに向かって差し出してきた。
「伊佐実ちゃん。はい、これ!」
「……えっ!? これって……」
 わたしは思わず言葉を詰まらせて面食らってしまう。
 なぜなら、ソアーベが差し出してきた物――何と、それが菖蒲色のハチマキだったからだ。
「貸して!」
 わたしはソアーベの手から奪い取るようにしてハチマキを手に取った。
「あれっ? えっ、何? 伊佐美ちゃんどうしたの? そんな血相かえてさ……」
 ソアーベがわたしの行動に驚いた素振りを見せる。
 だけど、わたしはそれを無視して慌ててハチマキを確認する。

すると、菖蒲色の生地には刺繍された『必勝』の文字。

正真正銘、これはわたしのハチマキだ。
 瞬間、ソアーベへの疑惑が確信へと変わる。

自分の推理通り、ソアーベがストーカーの犯人で間違いない。

わたしのハチマキを持っているのがその証拠だ。
 もう様子を窺がう必要なんかない。

ソアーベはわたしの前でずっと平静を装って、ストーカーじゃないフリをしているだけだ。

今の様子もきっと演技に違いない。

騙されるもんか。
「ソアーベ! やっぱりアンタがストーカーだったのね!!」
 わたしは意を決して、ソアーベに語気を強めて言い放った。
「全部アンタがやったって分かってるんだから! もう観念しなさいっ!」
 さらにそうつけ加えて、ソアーベに向かって人差し指をビシっと突き付ける。
「…………」
 ソアーベがわたしの方を見つめて沈黙する。
そして数秒程経って、まるで訳が分からないという様子で、「へ? ストーカー? オレが……?」と、自分を指差してきょとんした表情を向けてくる。
 ソアーベの白々しい態度を前に、わたしの中でストーカーによって溜まっていた不安や恐怖が、怒りとなって一気に爆発する。
「はあ!? 何よそれ? ふざっけんじゃいわよっ!!」
 怒りのあまり我を忘れて、思わず大きな声を出してしまう。
 ソアーベがビクッと肩を揺らしてその場から一歩後ずさる。
近くにいたカップルも「何事?」というように、こちらに視線を向けてくる。
「ふう……」
 とりあえず落ち着かなきゃ……。

わたしは一度深呼吸して、声のボリュームを戻して言葉を続ける。
「ねえ、ソアーベ。アンタがわたしにストーカーしてるって事はもうわかってんのよ。昨日からわたしにつきまとって嫌がらせメールを送ってきたり、それにわたしのハチマキを盗んだり……。それも全部アンタがやってたんでしょ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! オレが昨日から伊佐実ちゃんのストーカーしてるって? いやいや、オレがそんな事するわけねーじゃん! つーか、マジ意味わかんねーって!」 
 ソアーベが頭をブンブンと横に振って、長髪を乱れさせながら否定する。
「この期に及んでまだしらばっくれるつもり? アンタがわたしのハチマキを持ってたのが動かぬ証拠じゃないのよ!」 
 わたしはハチマキをソアーベにずいっと突き付ける。
「いや、そりゃ確かにそのハチマキはオレが持ってたけどさ! でも、そのハチマキは拾っただけで……。だから、オレはマジでスト―カーなんてしてないって!」
「アンタねぇ、もういい加減にしなさいよ! ハチマキを拾ったなんて、そんな都合の良い嘘を信じるわけないでしょ!」
「いや、マジだって! 嘘じゃないんだって! つーか、オレがストーカーの犯人だったらおかしいって!」
「はあ? 何がおかしいのよ? てゆーか、まだ言い逃れするつもり!」
「違うって! 伊佐実ちゃん、ちょっと落ち着いて考えてみてよ! もし、仮にオレがストーカーの犯人だったとしたら、どうして盗んだハチマキをこうやってわざわざ本人に返すのさ? 普通ならそんな事しないっしょ?」
「あ……」
 そういえばそうだ。

冷静に考えてみると、ソアーベの言う通りかもしれない。

もし、ソアーベがストーカーだったとしたら、盗んだハチマキをこのタイミングで返してくるのは不自然だし、それに盗んだハチマキを自分の手でわたしに返してきたら「犯人は自分だ」と言っているようなものだ。
 だけど、だからと言ってソアーベへの疑いがまだ全部晴れたわけじゃない。

まだいろいろと怪しい部分がある。
「わかった。とりあえずだけど、アンタが言った通りハチマキの件は拾ったっていうのを信じるわよ。でもそれはそれとして、じゃあどうしてアンタは昨日からわたしの周りをウロウロしてたのよ? わたしの家の近くの公園でもアンタを見たっていう情報もあるんだから」
 わたしはもう一度気を引き締めてソアーベに問い質した。
「えーと、その……それは伊佐美ちゃんに話があってさ……」
「だから、その話って何なのよ? 結局、まだその話聞いてないし。てゆーか、話があるって言ったのは、やっぱりわたしに近付く為の口実だったって事?」 
「それは違うって! そうじゃなくて……。伊佐実ちゃんに話したい事は本当にあるんだけどさ……」
 ソアーベが歯切れの悪い声を漏らして困った様子を見せる。
やっぱり、ソアーベには何か後ろめたい事があるのかもしれない。煮え切らないソアーベの態度に再び怒りが湧いてくる。
 もう!

はっきりしなさいよ!

わたしがソアーベにそう言いかけた時だ。
「わかったよ。オレも男だ。全部言うよ!」
 ソアーベが気合を入れるように自分の頬をパンと叩いて、改まった様子で口を開いた。
「伊佐実ちゃん、聞いてくれ!」
「う、うん」
 何だか緊張の籠った声色のソアーベにつられて、わたしも居住まいを正す。
「実はさ……オレ、伊佐実ちゃんの事が好きなんだ!」
「……え?」
 一瞬、わたしはソアーベの言った事が理解できなかった。
 ……えーと、何?

うそ!?

今ソアーベって、わたしの事好きって言った?
 遅れて思考が働きだして、ようやくソアーベの発した衝撃的な言葉を理解する。

直後に驚きと照れが同時にやってきて、胸がドクンドクンと大きく跳ね上がり、顔が一気に沸騰する。
「い、いきなり何言ってんのよ! ば、バカじゃないの!?」
 わたしは動揺を隠そうとして、思わずそんな言葉をソアーベにぶつけてしまう。
「あの、いや……ゴメン、伊佐実ちゃん。何か、急にこんな事言って……」
 ソアーベが申し訳なさそうに言って、自分の頬を掻く。

が、すぐにまた場の空気を引き締めるように、「でも、続きを聞いてほしい!」と、力の籠った口調で話の続きを口にする。
「それで、オレ昨日の放課後に教室で話してた時に、伊佐実ちゃんがキャンプファイヤーのジンクスを信じてるって聞いて、今回のキャンプファイヤーで伊佐実ちゃんに告白しようと思ったんだ。だからさ、オレ昨日の放課後に伊佐実ちゃんをキャンプファイヤーに誘おうとしたんだけど……」
 そこまで言って、ソアーベが「ふう」と軽く一息入れる。
 わたしはいまだに少し戸惑いながら黙って話に耳を傾ける。
「……でも、オレ何かいざとなったらビビっちゃって。なかなか伊佐実ちゃんに言えなくてさ。話があるって言ったのは、その事なんだけど……結局、今の今まで言い出せなくて伊佐実ちゃんにつきまとう形になっちゃったんだ」
 まあ、そんなだから伊佐実ちゃんにストーカーだって誤解されても仕方ないんだけどさ……。
ソアーベがそう自虐気味に付け足して顔を伏せる。

それから、少し間を置いて一度深呼吸するように大きく息を吐いた後、「でも!」と、顔を上げて言葉を継ぐ。
「オレは、好きな人の……伊佐実ちゃんの嫌がる事は、絶対にしねーから!」
 わたしは、そんな風に力強く宣言するソアーベの姿を目にした瞬間――。
「……っ!」
 ソアーベはストーカーの犯人じゃない、とそう確信した。
 そして、ソアーベの言っている事は嘘じゃなく、わたしの事を本気で想ってくれているのだと理解した。
 だって、目の前のソアーベの姿を見れば分かる。
 拳を握りしめて、今も真剣な表情で力の籠った眼差しを向けてくるソアーベ。

その姿は、昨日の公園で話した時の司と同じ。

誰かの事を真剣に想って、必死で相手に気持ちを伝えたい。

そんな強い想いが、全身から滲み出ていて伝わってくる。
 だから、ソアーベはストーカーなんかじゃないって、そう断言できる。

わたしの推理は間違っていたのだ。
「ソアーベ、ごめん!」
 わたしは自分の間違いを認めるや否や、ソアーベに謝罪した。
「わたし、ソアーベの話を聞いて分かった。ストーカーの事はわたしの勘違いだったって……。わたしの勘違いの所為で、ソアーベに嫌な思いさせちゃって……」
 いくらストーカーが原因で焦っていたとはいえ、わたしはソアーベにひどい態度をとってしまった。

好意を持ってくれている相手をストーカーの犯人扱いしてしまうなんて……。

我ながら、本当に最悪だ。
 ソアーベに咎められても仕方ない。

許してもらえなくても当然だ。

その覚悟で、わたしはソアーべに向かって深く頭を下げた。
「本当に、ごめんなさいっ!」
「えぇっ!? 伊佐実ちゃん!? ちょ、待ってよ! そんな、いいって!」
 頭を下げるわたしに対して、ソアーベが驚いた声を出す。

そして、すぐに慌てた様子で、
「つーか、マジでいいから頭上げてよ!」
 と、わたしに促す。
「……っ?」
 予想外のソアーベの反応に少し戸惑いながらも、わたしは促されるままに顔を上げる。
「でも、わたしソアーベにひどい事しちゃったし……」
「いやいや、だからもういいってば。伊佐実ちゃん」
「そんな、でも……」
「いやまあ、つーか疑われるような態度をとったオレも悪いんだしさ。伊佐実ちゃんがオレをストーカーと勘違いしても仕方ないって!」
 だからさ、もう気にしないでよ。

と、ソアーベがわたしの肩を優しくポンと叩く。
「……ありがとう、ソアーベ」
 わたしはソアーベの寛大な対応に感謝する。
 普通なら、勘違いでソアーベを一方的にストーカーの犯人扱いしたわたしは責められてもおかしくない。

なのに、ソアーベは怒るどころか気にせず水に流してくれた。
普段は少し軽いけど、ソアーベは本当に良いヤツだ。

わたしは、そんなソアーベとこれからも『仲の良い友達』でいたいって思う。
 でも、だったらわたしはソアーベに許してもらえたからといってこのまま終わりにしちゃいけない。
 そう、さっきのソアーベの告白の事だ。

ソアーベはわたしにストーカーに間違えられながらも、自分の想いを一生懸命に伝えてくれたのだ。

本当はショックだっただろうし、こんな場面で気持ちを告げるなんて、もの凄く勇気がいったに違いない。
だから、わたしもその想いを真摯に受け止めて、それにきちんと応えなきゃいけない。

そうしないと、これからもソアーベと友達として付き合っていく資格はない。
「まあでも、マジで伊佐実ちゃんに信じてもらえてよかったよー」
 わたしは目の前で安堵の声を漏らすソアーベに、少し緊張を滲ませながら話を切り出す。
「ソアーベ。あの、それとさっきの話の事なんだけど……」
「えっ……」
 ソアーベが少し驚いた様子でわたしに顔を向ける。
「えっと、正直言っていきなりでびっくりしたけど、その、ソアーベの気持ちはほんとに嬉しい。でも……」
「……」
「……実はわたし、好きな人がいるの。だから、ごめん。わたしはソアーベの気持ちには応えられない」
 ごめんなさい。

わたしはもう一度言って、ソアーベに頭を下げた。
「そっか……」
 さすがにソアーベもショックを隠し切れないのか、暗い声でそう呟くように言って押し黙る。
 二人の間を運動場から漏れてくるBGMと近くのカップルの話し声が流れていく。
その場に重い空気が漂う。
 だけど、それもつかの間。

ソアーベが暗くなり始めた場の雰囲気を振り払うように、明るく口火を切る。
「うん、了解! 伊佐実ちゃんの気持ちはわかったよ。まあ、伊佐実ちゃんに好きな人がいるなら仕方ないわ」
「ソアーベ……」
「伊佐実ちゃん、ちゃんと返事してくれてありがとう」
 何て言っていいか分からず、言葉が続かないわたしに、ソアーベがいつものへらっとした緩い笑顔を向ける。

それから、手をパンと軽く打ち鳴らして、
「はーい! じゃあこの話はこれでもう終わりって事で!」
 そう言って話を切り上げる。
 たぶんソアーベはこれ以上変な空気にならないように話を終わらせてくれたんだろう。

その気遣いを無駄にしないように、わたしも「わかった」と肯いて話を合わせる。
「それはそうと、伊佐実ちゃん。ストーカーって何なの?」 
 と、話に決着がついたところで、ソアーベが心配そうな様子で訪ねてくる。
「つーか大丈夫なの? よかったら、話聞かせてくれないかな?」
「う~ん……」
わたしは曖昧な返事をしながら一瞬考える。

 が、ここまでストーカー事件に巻き込んだ(犯人扱いした)以上、ソアーベには話を聞く権利があると思い、結局、ストーカーの件を簡単に説明する事にした。

 

瞬華愁灯~daybreak!~

          Ⅶ「どうも、伊佐美先輩。お疲れ様です」中編 了

 

 

 序盤こそ作業に集中できなかったけど、その後、わたしはみんなに混じって一生懸命準備に取り組んだ。

そしてその結果、キャンプファイヤーの準備は予定通りに終了した。
 運動場には三つの立派な櫓が建てられていて、その周りを中心に白い誘導線が引かれている。
 指揮をとっていた体育教師が完成した会場を見渡した後、拡声器を使ってわたしたち体育委員に告げる。
《よーし、みんなお疲れさん! これで何とか準備は終了だ! みんな本当によく頑張ってくれた! 準備で疲れただろうから、あとは17時40分からのミーティングまで各自休憩にしてくれ! 以上で解散!》
 先生の労いの言葉を合図に、今まで張りつめていた運動場の空気が一気に緩む。

体育委員のみんなも自分たちが作り上げた会場を前にして、満足げな表情や安堵の表情を浮かべている。
 が、そんな中、わたしは一息つく暇もなく、すぐに体育館裏へと足を運ぶ。
 ストーカーの犯人をつきとめるのなら、まずは手掛かりが必要になってくる。

だったら、とりあえずはもう一度ハチマキがなくなった場所に行って現場検証をすれば、何か情報を得られるかもしれない。と、そう思ったからだ。
 体育館裏に足を踏み入れるや否や、わたしは息が整うのを待たずに手洗い場と物干し台を中心に、何か変わった事がないか入念に見て回る。
もし犯人が手掛かりを残すとしたら、ハチマキが盗まれた現場(物干し台の近く)に違いないと睨んだのだ。
 だけど残念な事に、とくにストーカーの犯人に繋がるようなものは見つからないし、ヒントすらも得られない。

それに一応現場の近くも見て回ったけど結果は同じ。
 このままでは不味い。

早く何かストーカーに繋がる手掛かりやヒントを手に入れて、犯人に辿り着かないと本番に間に合わない。
「はぁ……」
 わたしはがっくりと肩を落として、重い溜め息を漏らす。携帯で時間を確認すると、今は17時30分。

ミーティング開始まであと10分しかない。
「やばい……」
 時間がない。

ミーティングが始まってしまえば、犯人捜しはできないし、それが終わればすぐにキャンプファイヤー本番が始まってしまう。
 再び焦燥感が身体を駆け巡り、思考がネガティブな方向へと引っ張られていく。
 だけど、わたしはそこでグッと踏ん張って、「落ち込んでたまるか!」とブレーキをかける。
 確かにもう時間はない。

でも、だからといってここで焦ってまたパニックなってしまったら、今までと何も変わらないし、前にも進めない。
 それに、そもそもわたしみたいな普通の女子高生が自力でストーカーを捕まえようっていうのだ。

だから、今後何かアクシデントが起る度にいちいち動揺していていたら、絶対にストーカーを捕まえる事なんて出来っこない。
 わたしは深呼吸をして心を落ち着かせると、もう一度頭を働かせた。
「うーん……」
 そうだ。

物をなくした時や何かを探す時は、まずは順を追って物事を一から思い出して整理してみると良いって聞いた事がある。
この場合、それが正しいかどうかは分からない。

でも、今は何でもやってみるしかない。
 わたしはここまでのストーカーの経緯(被害)を一つ一つ思い出して、整理してみる事にした。

 事の発端は、9月15日――昨日の放課後。
 帰宅してから届いた『 わたしはあなたの事を見ています 』という異様なメール。

それがストーカーから届いた初めてのメールだった。
 そしてその後、公園で司と会って別れた直後にストーカーから二通目のメールを受信した。

わたしはその時点でメールの送信者を警戒して、相手のアドレスをブロックした。
 それから一夜明けて、9月16日――今日の体育祭当日。
 朝の準備の後、スト―カーはアドレスを変えて再びメールを送ってきた。

その時、わたしはストーカーを完全に『スト―カー』だと認識した。
 その後の体育祭が始まってからは、ストーカーから大量のメールが届いた。

しかも何度送信元を拒否しても、アドレスを変えてしつこくメールを送ってきて、その内容もどんどん酷くなっていった。

 昼休みに入った直後には、『 あなたのような尻軽女には制裁を加えます 』という物騒なメールが届いた。
 だけど、そのメールを境にストーカーはしばらく何のアプローチもしてこなくなった。
 だから、わたしは安心して午後からの体育祭を過ごして、閉会後に昼休みに体育館裏に干しておいたハチマキを回収しに行った。
 すると、ハチマキの姿が消えていて、ストーカーから『 あなたの大事なものは頂きました 』という最後のメールが届いた。

それで今に至る。

 さっきまではスト―カーへの恐怖心が薄れていたけど、やっぱり今までの事を改めて思い出すと、その感情が蘇ってくる。
 でも、ここでまたストーカーに恐れて立ち止まるわけにいかない。わたしは「ふぅ」と一息吐くと、無理やり気持ちを切り替えて自分なりの推理を始めた。
 しばらく考えた結果、わたしはもしかしたら、ストーカーは『わたしの知り合い』で、しかも『欄高生』かもしれない、という答えに辿り着いた。
 じゃあ、なぜわたしはそう思うのか。

それにはいくつか理由がある。
 まずは一つ。

当たり前だけど、ストーカーはわたしのアドレスを知っているという事だ。
 今までは、私自身がストーカーと向き合っていなかったので見落としていた(というか、パニックで考えられなかった)けど、これはかなり重要な事だと思う。
 だって、わたしのアドレスを知っているという事は、以前にわたしと番号を交換したという事になる。

それだけでストーカーの犯人が『わたしの知り合い』だという可能性が高い。
 次に、犯人が『欄高生』かもしれないという理由についてだけど、それはストーカーから送られてくるメールのタイミングだ。
 今までの事を振り返ってみると、ストーカーは事ある毎に絶好のタイミングでわたしにメールを送ってきた。
 昨日の放課後の帰宅した後から始まって、次に司と別れた後。それからハチマキを盗まれる前と盗まれた後――いや、もしかしたら全部のメールが狙ったタイミングだったかもしれない。
 とにかく、ストーカーはまるでわたしの行動を逐一監視しているみたいだった。

もし仮にそうだとしたら、学校内でも怪しまれずにわたしを監視できるのは『欄高生』じゃないと無理だ。
 そして、理由はもう一つ。

というか、これが一番重要な事なんだけど――そもそも、どうしてストーカーはハチマキが『わたしの大事なもの』だと思ったのだろうか?
 そう、よく考えてみると答えは簡単な事。
 なぜなら、犯人は今日欄高では体育祭の後にキャンプファイヤーが行われる事を知っていて、しかもキャンプファイヤーには、『キャンプファイヤーの伝説』というジンクスが存在する事を知っていたのだ。

だから、犯人はジンクスに必要なハチマキが欄高生にとってどれだけ大事なものかという事を分かっていて、わたしからハチマキを盗んだのだろう。
 つまり、ストーカーがそれをよく知っているという事から、犯人は『欄高生』かもしれないと思ったのだ。
 そんなわけで、わたしはストーカーの犯人を『わたしの知り合い』で『欄高生』という方向で、改めて絞り込む事にした。
 さっきも言ったけど、メールが送られてくるタイミングからして、たぶん犯人はわたしを監視していた可能性が高い。

という事は、ストーカーから最初のメールが届いた『昨日の放課後あたりからわたしの周りいた人物』が怪しい。
 わたしは昨日の放課後から自分の周りで見かけた(近くに居た)人物を一人ひとり思い出していく。
 確か、昨日の放課後から会った人物はというと――。
 まず放課後の教室で、一緒に盛り上がっていた――咲元蓮(さきもとれん)と佐藤大巳(さとうひろみ)=エース、そして曽阿部了(そあべりょう)=ソアーベの三人。
 普通に考えて、親友の蓮がストーカーの犯人のはずがない。

それに、あとの男子たちもそんな感じ(怪しい様子)には見えなかった気がする。

なので、とりあえず二人とも犯人じゃないと思う。
 そして次に関わったのは、帰りに校内でばったり会った――大河みなみと黄小路(きこうじ)レイの中学の後輩コンビ。
 だけど、二人は中学の後輩で『欄高生』じゃないので、犯人候補からは除外する。
 それから、わたしは一度帰宅した後――公園で夜白司(やしろつかさ)、その帰りに二階堂つばさの二人と顔を合わせた。
 司は中学からの友人で椿の親友だし、つばさはわたしの親友だ。そんな二人がわたしのスト―カーをするわけがない。
 昨日の放課後を思い返してみて、わたしが関わった人物の中で、疑わしい人物は思い当たらない。
 そうなると、今日の体育祭当日の朝から怪しい人物がいなかったかを思い出すしかない。
 わたしはすぐに今日のここまでの記憶を引っ張り出す。
が、少し記憶を振り返って、今日わたしの周りにいた人物の中から犯人を捜し出すのは難しいと気付く。
 だって、今日は朝から体育祭の準備で他の体育委員が常にわたしの周りにいたし、体育祭が始まってからはそれこそ全校生徒がわたしの周りにいた事になる。
 なので、今朝一緒に作業していた親友の天川志音(あまかわしおん)は犯人じゃないとして、さっき除外した以外の生徒(ほぼ全校生徒)の中に怪しい人物がいたかどうかなんて分からない。
 というか、よくよく考えると、昨日の放課後の教室にしたって、蓮たち以外にも周りに生徒は何人もいたし……。

その中から犯人を見つけるなんて無理だ。
 でも、そうだとしても……。
キャンプファイヤー本番がすぐそこまで迫っている今、ここでもう一度犯人を特定する別の方法を考えている時間はない。
 もう今は記憶を頼りに犯人を捜すしかない! 

無理でもやらなくちゃ! 

犯人に繋がるヒントでも何でもいい! 

ここで犯人に辿り着けなければ全部終わっちゃうんだから!!
 わたしは必死に自分の記憶に縋りついて、とにかく怪しい人物を捜していく。
 昨日の放課後の教室で、蓮とエース、それにソアーベと盛り上がって……。

そして家に帰った後、ストーカーからメールが届いて……。

それから、司と公園で会って――。
「……っ!」
 と、司と公園で会った記憶を反芻していた時だ。
 わたしは司が言っていた、ある言葉を思い出した。

 

『――さっき、暁に会う前この公園の傍で曽阿部を見たよ』
 
 司の言葉が頭の中で再生される――その、瞬間。
 わたしの頭にビカッと雷が落ちたみたいに閃きが走る。

そして直後、今まで起こったいろいろな事柄が線で繋がっていき、やがて一人の人物に行き着いた。
「え、うそ! もしかして……」
 ストーカーの犯人は――ソアーベかもしれない!! 
 そういえば思い返してみると、昨日の放課後からソアーベの様子はおかしかった。
 ソアーベとは昨日から数えて三度(昨日の帰り際、今日の昼休み、体育館裏の三回)二人で話したけど、その態度は全部何か落ち着きのない感じで変だった。

ソアーベはわたしに『話がある』と言っていたけど、その話も今となっては怪しい。
 確かに司の言葉を聞いただけで、証拠もないのにソアーベを犯人扱いにするのは酷いかもしれない。

はっきり言って、今の焦っている状況が『ストーカー=ソアーベ』という答えを決めつけているところもある。
 でも今になって考えると、わたしがハチマキを体育館裏に干していたのを知っているのは、その時一緒にいたソアーベだけだという事実がある。

もしかしたら、はじめからハチマキを盗む為に、あの時(テント前で)わざとわたしに汚させたのかもしれない。
 まあ、そこまではわたしの考えすぎだとしても、ストーカーの犯人に一番近いのはソアーベに間違いない。
ソアーベなら犯人の条件である『わたしの知り合い』で『欄高生』という条件に当てはまるし、わたしと番号交換もしている。

なので、今までの事を考えていくと、『ソアーベ=ストーカー』という答えになるのが自然だ。
 それにしても、ソアーベがストーカーかもしれないなんて……!
 ストーカーの犯人に目星がついて光が見えてきたものの、わたしは複雑な気分で胸がいっぱいになる。
 だって、まだソアーベが犯人だと決まったわけじゃないけど、クラスメイトが犯人かもしれないと思うとかなりショックだ。

正直、ソアーベがストーカーだなんて信じたくない。
 でもだからと言って、このままストーカーにハチマキを盗られたままにはできない。

ハチマキはこの後のキャンプファイヤーでの告白で絶対に必要なものだ。
 今さらわたしは何言ってんのよ!
 弱気になりかけた自分にもう一度活を入れる。
 もうここまでで来たら、悩んでいても仕方がない。

わたしはストーカーの犯人を見つけ出して、それが誰であっても、椿に告白する為にハチマキを取り返さなくちゃならないのだ。
 ソアーベを呼び出して話をする。

今のわたしはそうしない事には先に進まないんだから。
 気持ちの整理を終えて、携帯で時間を確認する。

時刻はミーティング開始一分前に迫っている。
 さて、ミーティングが終わると、いよいよキャンプファイヤー本番が始まる。

ストーカーとの戦い――そして、ついにわたしの『椿への想い』に決着がつく。
 もう後戻りはできない。

いいや、しない。

前に進むだけだ。
 わたしは闘志を漲らせながら、力強い足取りでミーティングへと向かった。
 
 やがて、10分程のミーティングを終えて、ついにキャンプファイヤーが始まった。
 普段は静かで少し寂しい夕方の運動場。

そんな場所が今は一転。

賑やかなキャンプファイヤーの会場へと変貌している。
 夕闇の中に浮かび上がる三つの櫓の炎。

その温かい灯りによって、照らし出される生徒たちの影。

そしてバックで流れるBGMが会場の雰囲気をさらに盛り上げていて。
 欄高のキャンプファイヤーは今年で二度目だけど、そんな目の前の光景は、やっぱり何度見てもロマンチックで幻想的だ。
 欄高のキャンプファイヤーは、とくに決まったルールや流れはない。

基本的に、生徒たちはイベントが始まると、危険な行為をしなければ、自由な時間を過ごして良い事になっている。
 まだ始まったばかりなのに、生徒たちはそれぞれ三つの櫓を中心に囲んで、クラスで集まって歌ったり、踊ったり、カップルで過ごしたりと、すでにキャンプファイヤーは大盛り上がりだ。
 わたしたち、体育委員のメンバーもイベント中に異常(危険行為)がないかパトロールをする仕事があるものの、それ以外は自由時間になっているので、他の生徒と同じようにキャンプファイヤーに参加する事ができる。
 そんなわけで、一緒に会場に入った志音は、さっそく男子に声を掛けられたみたいで、開始早々、キャンプファイヤーの風景のどこかへ消えていってしまった。

はっきりと顔は見えなかったけど、相手の男子はうちのイケメンクラス委員の佐津間(さつま)カオルだった気がする。
 いいなあ。

わたしもあんな風にキャンプファイヤーを楽しみたいな。

思わず、椿と二人で櫓を囲む光景を想像してしまう。
 だけど、今はそんな妄想に浸っている場合じゃない。
キャンプファイヤーの開催時間は約1時間30分で、19時半まで。

その間に、急いでわたしはストーカーの犯人を捕まえて、ハチマキを取り返さなくちゃならない。

そしてその後、予定通り櫓の前で椿に告白して妄想を現実にするのだ。
 ストーカーの犯人かもしれないソアーベは、すでにミーティングの直後に電話で呼び出している。

呼び出した場所は、ハチマキがなくなった現場である例の体育館裏の手洗い場だ。
 ちなみに、電話で話した時の様子からはソアーベが犯人かどうかは判断できなかった。

何か妙にテンションが高かった気はするけど、それだけでは犯人と断定するのは難しい。
 とにかく、今さらゴチャゴチャ考えたって仕方ない。

この後本人に会えば、それで全部ハッキリするんだから。
 わたしは気持ちを引き締めて、今もキャンプファイヤーの熱で冷めない運動場を後にした。

 

瞬華愁灯~daybreak!~

          Ⅶ「どうも、伊佐実先輩。お疲れ様です」前編 了

 

 

「伊佐実ちゃん! ほんと、マジでゴメンっ!!」
 ソアーベが拝むように手を合わせながら、わたしに向かって頭を下げる。
 黒い長髪で顔が隠れて、一見某ホラー映画の幽霊のような状態のソアーベに、わたしは水道でハチマキを洗いながら言う。
「もういいってば。わたしが勝手にびっくりして零しちゃっただけだし。別にアンタが悪いわけじゃないから」
 ソアーベの指摘で荷物(ハチマキ)が濡れている事に気づいた後。

わたしは何とか気を取り直して、とりあえず濡れてしまったハチマキを洗う事にした。
 お陰で志音との昼食がダメになってしまったのは残念だけど、ハチマキの現状を考えると仕方がない。

志音には「急用ができたから、ごめん」という謝罪のメールを送っていて、すでに許しをもらっている。
 そんなわけで、現在、わたしはその『急用』を済ませる為に、ソアーベと二人で体育館裏の手洗い場を訪れている。
 ちなみに、お世話になっているこの手洗い場は部活動の洗濯などで使われてるんだけど、それは主に放課後で、普段はほとんど人が来ない。

なので、ソアーベの話を聞くのと洗濯を同時に済ませるのにはもってこいの場所だ。
「ソアーベ、ホントもういいから。頭上げてよ。ほら、洗ったからこの通り大丈夫」
 いまだに頭を上げないソアーベに、洗い終わったハチマキやタオルを見せる。

すぐに処理をしたので、幸いはハチマキをはじめとした荷物たちには汚れ一つ残っていない。
「いやー、でもさ……」
 ソアーベがまだ申し訳なさそうにしながらも、ようやく頭を上げる。
 わたしはその様子を確認して口を開く。
「てゆーか、ソアーベ。わたしこそごめん!」
 そして、今度はわたしがソアーベに向かって頭を下げた。
 そう、謝らなくちゃいけないのはソアーベじゃなくて、わたしの方だ。
わたしはまだ昨日のソアーベに冷たい態度をとってしまった事を謝れていない。

本当は朝見かけた時に謝りたかった。

だけど、ストーカーからのメールや体育委員の仕事で、結局今まで引き延ばしてしまっていたのだ。
「ソアーベ、昨日はホントごめん!」
 自分が昨日ソアーベにとった態度は完全に八つ当たりだし、理不尽だった。

だから、ソアーベに責められても仕方がない。

そう覚悟して、わたしはもう一度頭を下げた。
 すると、そんなこちらに対して、ソアーベが「んー? 何の事?」とキョトンとした顔を向ける。
「えっ……! ちょ、何の事って!」
 ソアーベの予想外の反応に拍子抜けしてしまう。

わたしは思わず謝罪の内容(昨日の事)を説明した。
「ほら、昨日の放課後の事よ! わたし、帰り際に話し掛けてきたアンタに冷たくしちゃったでしょ? その事よ!」
「あー、なるほど」
 ソアーベがようやく話を理解してくれたようで、「昨日のアレねー!」と納得のいった顔を向ける。
「だから、それをずっと謝りたくて……」
 今度こそ何を言われても仕方がない。

わたしは神妙な面持ちでソアーベの様子を窺がう。
 だけど、ソアーベはわたしを咎めたり怒ったりはしなかった。

そんな素振りを一切見せず、
「いやー、そんなの全然気にしてねーって! つーか伊佐実ちゃんに言われるまで忘れてたし! それに、昨日の伊佐実ちゃん何か急いでたみたいだしさー。オレもタイミングが悪かったって事で、その話はもうナシって事にしよーぜ?」
 そう言って、昨日の事をなかった事にしてくれた。
「はーい! つーわけで、この話はこれで終了~!」
 ソアーベが軽い調子で言って、にへらとした笑顔を向けてくる。
 わたしはソアーベの懐の深さに触れて胸を熱くする。
「ありがとう、ソアーベ」
「いやいや、オレお礼言われるような事してねーよ?」
 気恥ずかしそうにするソアーベの姿を前に、わたしもふっと頬を緩める。
 随分と遅くなってしまったけど、ソアーベへの謝罪を無事に済ませる事ができた。

これでようやくスッキリした。
 と、わたしがそんな風に安堵感と達成感で胸をいっぱいにしていると、
「ところでさ、伊佐実ちゃん! オレ、伊佐実ちゃんに聞いてほしい事があるんだけどさ……」
 ソアーベが仕切り直すように話を切り出してきた。
 そうだ。

元々この場所に来た理由は、荷物を洗う為とソアーベの話を聞く為だった。

そういえば、昨日もソアーベはわたしに何かを伝えようとしていた。

その話と今からする話は同じなのだろうか?
 そんな疑問を頭に浮かべながらソアーベの言葉を待つ。
 何か言いづらい事なのか、ソアーベが話すタイミングを計るように何度か深呼吸する。
 ややあって、真剣な表情を張り付けながらソアーベが口を開く。
「あの、伊佐実ちゃん! 実はオレ――」
《体育祭実行委員よりお知らせします!》
 瞬間、校内放送がソアーベの声に割り込んできた。

そして、そのままソアーベの声が掻き消されてしまう。
《只今より、午後からの競技の準備を始めます! したがって、体育委員の人は速やかに運動場に集合して下さい! 繰り返します。体育委員の人は速やかに運動場に集合して下さい!》
 やがて校内放送が終わり、ソアーベが苦笑いしながら言う。
「いやー……えーと、伊佐実ちゃん。オレの言った事聞こえた?」
 結局、ソアーベの声は校内アナウンスの乱入で、わたしの耳に全く届かなかった。
「ごめん、今の放送でソアーベの声よく聞こえなったんだけど」
「だよねー。ははっ……」
「……」
「つーか、マジでオレってタイミングわりーのな」
 ソアーベが自嘲気味に言って肩を落とす。
「えっと……」
 わたしはソアーベに何か言葉を掛けようとして、そこではっとする。
 というか、今の校内放送は体育委員(わたし)に対しての放送だった。

わたしは慌てて携帯で時間を確認する。

すると、時刻はすでに集合時間五分前を指している。
「やばっ! もうこんな時間じゃない!? ごめんっ、ソアーベ! わたし、体育委員だから行かなくちゃ!」
 ソアーベには悪いと思うけど、わたしも体育委員の仕事をサボるわけにはいかない。

ソアーベに慌てた口調で告げながら、急いで荷物の片付けに取り掛かる。
「あー、うん。体育委員の仕事ならしょうがねーよ。いってらっしゃい」
 ソアーベが力なく言って、手をひらひらと振る。
「ホントごめん! 話はまた今度聞くから!」
 わたしはソアーベにそう約束しながら、洗濯済みの荷物たちを備え付けの物干しに手早く掛けていく。
 今日は天気も良いし、この場所に干しておけば何とか乾くだろう。

適当に時間が経った後に、ハチマキたちは回収しに来ればいい。
「じゃあね! わたし行くから!」
 ソアーベに別れの言葉を残して、無事だった(濡れていない)荷物だけを持って洗い場を後にする。

急いで行けば、運動場へは集合時間ジャストには到着できるはずだ。
 それにしても、結局、ソアーベはわたしに何を言おうとしたのだろうか? 
 わたしはそんな疑問を抱きながら、運動場へと向かう足を急がせた。

 

 

 昼休みが開けて、体育祭は午後からも滞りなく進行していった。
午前中と同じく、体育祭日和のロケーションの中で、欄高生たちがいろいろな競技で競い合って汗を流し、そして熱の入った応援合戦を繰り広げていく。
 わたしも午前中とは打って変わり、今はそんな風に盛り上がっている体育祭の風景の一部として溶け込んでいる。
どういうわけか、体育祭が始まってから届き続けたストーカーからのメールは、午後からは一通も届いていない。

昼休み前にテントで届いたメールが最後。

あれ以降はピタリと止んでしまった。
そして、そのストーカーから届いた最後のメールも結局は意味不明だった。
 実際、あのメールが届いてから今まで、わたしは何かの被害を受けたわけでもないし、とくに周りにも異変が起こってもいない。
メールが届いた時は、内容が『 あなたのような尻軽女には制裁を加えます 』という物騒なものだっただけに、ストーカーからメール以外のアプローチがあるかもしれないと危惧したけど、それは単なるわたしの取り越し苦労だったみたい。
 何はともあれ、お陰でわたしは午前中のようにメールに悩まされる事なく、今は進行中の体育祭に目を向けられているというわけだ。
 まあ、しいて問題を挙げるとすれば、わたしの食事事情(ソアーベの件と体育委員の仕事で昼食は結局抜きになった)くらい。
濡れてしまったハチマキの件も、わたしは午前のうちに自分の参加する競技をすべて済ませているので、キャンプファイヤーの時間まであのまま洗面所に干していても何も問題はない。
 確かに、ストーカーの件は今も何一つ解決していないし、もちろん不安も抱えている。
それでも、とりあえず今のところはストーカーからメールが届かなくなったし、何かのアクションを起こしてくる気配もない。

なので、午前と午後での気の持ちようが全然違う。

今のわたしはクラスメイトを応援したり、体育委員の仕事をしたり、そして競技で活躍する椿を前にドキドキしたりと体育祭をそれなりに楽しめている。

 

 

 そんなわけで、その後も体育祭は順調に進められていった。
そして結果、わたしの身の周りにもとくに問題が起こる事もなく、体育祭は閉会式を迎えた。
《それでは、これで第××回欄玉高校体育祭を終了します!》
 アナウンスの声で閉会式が締めくくられ、これにて体育祭が終了する。
「ふぅ、何とか終わった……」
 わたしは無事に体育祭を終えられて、思わず安堵の声を漏らす。
今までの事を振り返ると、今日の体育祭は朝からいろいろと大変だった。
午後の部こそ体育祭に集中できたけど、午前の部はストーカーからのメール攻撃で大迷惑した。

一時はストーカーの所為で、体育祭がダメになるかと思ったけど、耐え抜いた結果、何とか無事に終わりを迎えられて本当に良かった。
 だけど、まだこれで終わったわけじゃない。
というか、むしろわたしにとってはここからが本番。

この後、ついにわたしの勝負の時間がやってくる。
キャンプファイヤーで椿に想いを告げてこそ、わたしの体育祭が終了するのだ。だから、ストーカーの件があったとは言っても、体育祭が終わったくらいで気を緩めている場合じゃない。
 絶対に告白を成功させてやるんだから! 
わたしはそう決意して、グッと拳を握りしめた。
 と、迫る告白に向けて今一度自分に気合を入れていると、引き続きアナウンスが流れる。
《生徒の皆さんにお知らせします! これより運動場でキャンプファイヤーの準備を行います。よって、生徒の皆さんはキャンプファイヤーの開始時間まで休憩となりますので、速やかに校舎の方に移動してください! 尚、キャンプファイヤーの開始時刻は18八時を予定しておりますので、生徒の皆さんは開始時刻10分前には運動場に集合して下さい!》
 そういえば、今のアナウンスで聞いた通り、この後も体育委員は担当の先生たちと体育祭の片付けや櫓の準備、そしてミーティングなどの予定がぎっしりと詰まっているんだった。
忙しくなる前に、干していたハチマキを回収しておかないと。

何て言ったって、あのハチマキがないとわたしの告白が始まらない。

だって、キャンプファイヤーのジンクスを成立させないと意味がないんだから。
 運動場は体育祭が終わった直後という事で、今はまだ大勢の生徒たちで埋め尽くされている。

この様子だとキャンプファイヤーの準備が始まるまでもう少し時間がかかりそうだ。
 わたしは今がチャンスだと思い、すぐに生徒の集団から抜け出してハチマキの回収へと向かった。
 やがて、体育館裏の手洗い場に到着すると、そこは運動場の真逆だった。

さっきまでの運動場の喧騒とは打って変わって、同じ校内とは思えないほど静寂に包まれている。
 時間もあまりないので、さっさとハチマキを回収して運動場に戻らなければいけない。

さっそく洗濯物を掛けておいた物干し台へと目を向ける。
「……え、何で?」
 わたしは物干しスタンドを前にして、思わず戸惑いの声を上げてしまう。
なぜなら、そこに掛けていたはずのハチマキの姿がなかったからだ。
 ハチマキと一緒に洗濯したタオルたちは、確かに今も物干し台にきちんと掛かっている。
 もしかしたら、ハチマキだけ風で飛ばされたのかもしれない。

そう思って、わたしは辺りを見回した。洗面所の下、側溝の中、近くの植木や花壇、とりあえず思いつく限りの場所に目を向ける。
だけど、いくら探してもハチマキの姿は見当たらない。
 どうしよう!

あと少しでキャンプファイヤーを迎えられるっていうのに。

こんな時にハチマキがなくなるなんて。
 わたしは愕然としながら、携帯で時間を確認した。
すでにこの場所に到着してから10分以上過ぎている。

これだけ時間が経つと、さすがに生徒たちで溢れ返っていた運動場も空いてきた頃だ。

そろそろ運動場に戻らないと、キャンプファイヤーの準備が始まってしまう。
 とは言っても、ハチマキがないままキャンプファイヤーを迎えるわけにもいかない。
わたしはもう一度だけハチマキを探す事にした。
 が、その時――手に持っていた携帯にメールが届いた。
 まるでタイミングを見計らったかのように届いたメール。
 こんなタイミングでメールを送信してくる人物は、まさか……。   
嫌な予感が頭を過ぎる中、急いでメールを開く。
送信元のアドレスは『 the-little-thunder-akira/love.2 』と表記されている。
「……!」
 案の定、メールの送信者はストーカーだ。
緊張が走り、一気に身体を縛り上げる。

わたしはゴクリと喉を鳴らしながら、メールの本文に視線をスライドさせる。
 そして、目に飛び込んできた文面を前にして、ハチマキが無くなった理由を理解する。
『 あなたの大事なものは頂きました 』
 すなわち、ハチマキを盗んだのはストーカーだという事を。
「そんな、嘘でしょ……!」
 午後からはストーカーからのメールが止んで、何の問題もなく体育祭を終える事ができた。

ストーカー問題はまだ解決していないと思いながらも、わたしは心のどこかで『もう大丈夫だ』と高をくくっていた。
 なのに、ここにきてストーカーからのアプローチが復活しただけじゃなく、よりにもよって大切なハチマキを奪われてしまうなんて。
完全に油断していた。

それだけに大きなショックを受ける。
 再び膨れ上がるスト―カーへの恐怖感。

ハチマキを失った焦燥感。

その二つの感情が同時に押し寄せる。

頭がパニック状態で何も考えられない。
 やばい!

マジでやばい!!

どうしよう!

どうすればいいの!? 
頭の中をそんな言葉ばかりが駆け巡る。
わたしは携帯を握りしめたまま、その場で立ち尽くす。
《お知らせします! 只今よりキャンプファイヤーの準備を始めますので、体育委員の生徒は運動場に集合して下さい!》
「……っ!」
 不意に流れた校内アナウンスでハッと我に返る。
そして、少しだけ落ち着きを取り戻す。
 ……そうだ。早く運動場に戻らないといけないんだった。
 本音を言えば、今は精神状態が良くないので、準備をサボって気持ちを整理したい。
 でも、もしわたしが準備に参加しなければ、先生や実行委員に変に目を付けられて、それこそ後のキャンプファイヤーに支障が出るかもしれない。そうなれば、椿への告白はさらに絶望的になってしまう。
 今は何とか頑張って準備に参加するしかない。
わたしは自分を奮い立たせながら、重い足取りで運動場へと向かった。

 

 

 運動場に着くと、すでにキャンプファイヤーの準備が始まっていた。
 キャンプファイヤーの準備は、主に男子が櫓の組み立てやそれに使う木の運搬という力仕事。

一方の女子は、生徒が櫓に近付き過ぎないように記すライン引きや体育祭で使った道具の片付けというように分けられている。
わたしも「遅れてすみません」と一声掛けて女子の作業に混じる。
「ねえ、暁。遅れてきたけど大丈夫?」
 わたしに気づいた志音が駆け寄ってきて、心配した様子で声を掛けてくれる。
「あ、うん。大丈夫、ちょっとトイレに行ってただけよ」
 わたしは志音に心配させまいと、努めて明るく言葉を返す。
「そっか。うん、わかった。じゃあまた後でね」
 わたしの返事を聞いて安心したのか、志音が小さく手を振って持ち場へと戻っていく。

どうやら何も悟られず、うまく対応できたみたいだ。
 志音の背中が完全に小さくなったのを確認した途端、堰き止めていた感情が一気に溢れ出してくる。
 今は出来るだけ一人になりたい。そう思って、わたしは比較的に一人になりやすい道具を体育倉庫に片付ける作業につく。
何とか作業を続けるものの、頭の中がストーカーとハチマキの事でいっぱいになる。
 何でっ!

どうしてこんな事になっちゃったのよ!! 
わたしは道具を倉庫へ運びながら、これまでの事を反芻して後悔する。
 昼休み前に『 あなたのような尻軽女には制裁を加えます 』というメールが届いた時、どうしてもっと警戒しなかったのか。
確かに、あのメールが届いた後は警戒したかもしれない。
 でも、昼以降の自分はどうだった?
ストーカーからのメールが止んだというだけで、わたしは安心して警戒する事を怠った。
メールに書かれていた『制裁』の意味が分からなかったとしても、それでも何か対処はできたはずだ。
 なのに、わたしは油断して何もしなかった。

いくら不意をつかれたとしても、大事なハチマキを長時間放置するなんて間違っている。
スト―カーからのメールを楽観視していた自分に本当に腹が立つ。
 そもそも今思えば、午前中のうちにさっさと先生に相談しておけばよかった。

そうすれば、少なくとも今の状況には陥らなかったかもしれない。
警察沙汰になるのが嫌だとか、キャンプファイヤーが中止なってしまうだとか、いろいろと理由を並べていたけど、わたしは意地を張っていただけだ。

結局、自分の愚かさの所為でこの結果を招いてしまったのだ。
 だけど、今さら後悔して自分を責め立てても、現状は何も変わらない。
大事なハチマキをストーカーに奪われて、キャンプファイヤーのジンクスで椿に告白できなくなってしまった。

それが目の前の現実だ。
 さっきまで燃え盛っていたやる気の炎が、絶望感によって掻き消されていく。
 もうダメだ。これ以上の大事にならないうちに先生に相談しよう。無理にキャンプファイヤーで告白なんかしなくても、落ち着いてから改めて椿に告白すればいいだけだ。
 うん、そうだ。

それが今のわたしにとって一番正しい選択だ。

なかば自分に言い聞かせるように、心の中でそう唱える。
 運んでいた道具を体育倉庫へと片付けて、わたしはさっそくストーカーの件を打ち明けようと、運動場を見渡して先生の姿を探す。
 運動場では、今も各所で体育委員たちが櫓の準備や体育祭の片付けに取り組んでいる。

その中に混じって、指示を出したり一緒に作業したりする数人の体育教師の姿が見受けられる。
 相談するなら話しやすい女性の先生の方がいい。

そう思い、わたしは運動場の端で片付けの指示をしている女性教師の方へと歩みを進める。
「おーし、じゃあ次これいこうぜー! つーか、そっち側のヤツ危ねえから気をつけろよー!」
 不意に運動場の中央当たりから、そんな聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
 あ、この声は……。

わたしは反射的に足を止めて、その声が聞こえた方へと目を向ける。
 すると、視線の先には他の生徒たちと一緒に作業している椿の姿があった。
椿は櫓の準備を担当しているようで、数人の男子たちとコミュニケーションをとりながら櫓を組み立てている。

夕方になって少し傾いてきた陽がその椿の真剣な様子を照らし出す。
 わたしは思わず夕日で輝くそんな椿に見蕩れてしまう。
 そして、再確認する。

普段は軽口を叩いていても、やる時は先陣を切って一生懸命に物事へと取り組む。

やっぱりわたしは、そんな椿の事が大好きなんだって。
「……っ!」
 しばらく椿に目を奪われた後、今の自分の状況を思い出す。
今は早くスト―カーの件を先生に相談しなくてはいけない。
わたしは溢れ出してきた椿への想いを無理やり胸の奥へと押し込んだ。
「これでいいのよ……」
 そう呟き、再び先生の方へと歩みを向ける。
だけど、数歩進んだところで、
 ――本当にそれでいいの?
 胸に押し込んだはずの椿への想いが心の声となって、わたしに問いかけてくる。
 もういい。

キャンプファイヤーで椿に告白する事は諦めて、ストーカーの件を先生に相談する。

そうするって、もう決めたんだから。
わたしは心の声を振り払って、歩みを進める。
 ――でも、本当は諦めたくないんじゃないの? 
 仕方ないじゃない!

ハチマキがなくなってしまったんだし。

それに、このままじゃストーカーに何をされるか分からないんだから。
もう、わたしは諦めるしかないのよ!
自分の心に必死にそう言い聞かせる。
 それでも、心の声は止まらない。
 ――わたしの椿への想いは、その程度だったの?

ストーカーに負けてしまう程、そんなに弱いものだったの?
 その言葉を聞いた瞬間、わたしの足がピタリと止まる。
 そして、わたしはその場でもう一度考える。
「……」
 いいや、違う。
 わたしの椿への想いは、こんなものじゃない。
絶望感によって消し炭にされてしまったやる気。

その炎がもう一度パチパチと音を立てて燃え始める。
 わたしの椿への想いは、こんな事で諦められるものじゃない!
 やる気の炎がメラメラと燃え上がっていく。
 やがて、その炎がストーカーへの恐怖心を勢いよく燃やす。
 というか、大体どうしてストーカーの所為で、わたしが椿の事を諦めなくちゃいけないのよ!
 わたしは椿に想いを寄せてから、いろいろと悩んで、考えて、苦しんで――。

今日のキャンプファイヤーで告白する事を決意するまでに二年もの時間をかけたんだから。
 なのに、ようやくここまできて諦めるなんて。

そんなの絶対に嫌だ!
 よし、決めた。
 わたしは拳をグッと強く握って、決意する。
こうなったら、自分でストーカーの犯人をつきとめて、キャンプファイヤーの時間までにハチマキを取り返すしかない。
もしかしたら、この後もストーカーは何かアクションを起こしてくるかもしれない。

そうなれば、きっと危険も付き纏ってくる。

もうスト―カーが怖くなくなったといえば、それは嘘になる。
 だけど――それでも、今のわたしはストーカーよりもこのまま告白を諦めて、椿との距離が一生縮まらない未来の方がずっと怖い。
 いろいろと吹っ切れたお陰か、胸がすぅっと軽くなっていく。

ピンチという状況は今も変わらないのに、何だか晴れやかな気分になる。
「さてと……」
 決意が固まったところで、わたしは目の前の仕事に意識を戻す。
 わたしにはストーカー問題より先に片付けなければならない仕事が残っている。

そう、まずは今取り掛かっているキャンプファイヤーの準備をみんなで協力して終わらせない事には何も始まらない。
「さあ、やるぞ」
 今までサボっていた分、頑張らないとみんなに申し訳ない。

自分の頬を軽くパンっと叩いて気合を入れ直す。

そして、すぐに運動場へ向かって、道具を回収して倉庫へと片付けていく。
 現在、校舎の壁に備え付けられている大時計時計の針は、16時35分を指している。
 キャンプファイヤー開始まで、あと約一時間半。

わたしの告白を懸けたストーカーとの戦いが今始まった。

 

瞬華愁灯~daybreak!~ 
     Ⅵ「つーか、マジでオレってタイミングわりーのな」後編 了

 

 

 これでもかってくらい晴れ渡った青空をバックに白い花火が鳴り響く。その派手な快音を合図に、ついに体育祭が始まった。
《それでは只今より第××回欄玉高校体育祭を始めます! 開会式を始めますので、生徒の皆さんは指定の場所に整列してください!》
 空に花火の余韻が残る中、さっそく開幕のアナウンスが流れる。

さっきまでバラバラに散らばって盛り上がっていた生徒たちが先生の指示に従って、運動場にぞろぞろと集まってくる。
 やがて地上絵のように白線が引かれた運動場に、一クラス40人、一学年9クラスの合計1000人以上の体操服を纏った全校生徒が整列する。

欄高の体操服はごく普通のジャージで、一年が赤、二年が青、三年が緑という風に色分けされている。

ちなみに、今の時期はまだ暑いので、ほとんどの生徒が上はTシャツで下はハーフパンツという夏服スタイルだ。
「暁、私たちも早く列に並ばなくちゃ」
「うん」
 わたしも一緒にいた志音と体育委員の仕事を中断して、二人で青の集団(二年生の列)へと混じる。
司会進行役の先生が全員集まったのを確認して、すぐに開会式が開かれる。

校長先生がテント横に設けられたステージに上がり、開会の挨拶を始める。
季節は九月半ば。

そうは言っても、この時期はまだまだ残暑が厳しい。

朝の準備の時は涼しくて清々しかったけど、今の時間にもなると日が昇って気温も高くなってくる。
それに、校長先生には可哀そうだけど、早く体育祭をエンジョイしたい、というのがわたしたち生徒の本音だ。
なので、さっきから周りの生徒たちは「話はいいから早く体育祭始めてほしいわ」「今年は絶対うちのクラスが優勝してやるからな」「暑くない?」「てか、話なげーし」「マジだりー」など、いろいろと囁いていて会場は少しザワついている。
そして、かくいうわたしもみんなと同じ。

校長先生の話はあまり耳に入っていない。

体育祭が始まってからずっと浮足立っている。
今さら言うまでもない事だけど、わたしには『体育祭後のキャンプファイヤーで椿に告白する』という重大なミッションが待ち受けているからだ。
 だけどそうは言っても、わたしが落ち着いていられないのは『椿への告白』が控えているからだけじゃない。
 実を言うと、今のわたしは一つの問題を抱えているのだ。
そう、その問題が発生するまでの経緯を思い出してみると、あれは今朝の事。

体育委員の仕事を抜け出した後の事だった。
 わたしは残りの仕事を志音に任せると、すぐに椿のところへと向かった。

そして男子が受け持つ準備場所を適当に何ヵ所か巡った後、運良く椿に会う事ができた。
どうやら椿は道具を一人で運んだ帰りのようで、わたしが名前を呼ぶとすぐに足を止めてくれた。
まずは昨日の事を謝る。

本題はそれから。

わたしはそう自分で決めていた通り、まずは椿に頭を下げた。
 椿はカラっとした性格で、根に持つようなタイプじゃない。

それに、普段から椿とはよく喧嘩をしては仲直り、とそんな事を繰り返しているというのもあって、椿はいつものように許してくれた。
 そしてその次に、わたしが緊張しながら本題である『キャンプファイヤーで話したい事があるから、櫓の前で待っていてほしい』という事を伝えると、「おう、いいぜ!」と、快くOKしてくれた。

正直に言って、話をする前は昨日の事(変な態度をとってしまった)があったので、椿はわたしに怒っていると思っていた。

だけど、そんな心配は杞憂だったようで本当に良かった。
 そんなこんなで、わたしは何とか椿と仲直りして、キャンプファイヤーの櫓で会う約束をした。
さて、とりあえずはこれで一安心。

あとはキャンプファイヤーで椿に告白するだけだ。

椿と別れた後、わたしは安堵の思いで胸をいっぱいにした。
 もちろん、うまくいったのは志音のお陰。

とりあえず今から志音にもう一度お礼を言って、それから残りの仕事を手伝おう。

わたしはそう思って、志音と合流する事にした。
 そしてその後。

わたしが志音に会う為にもう一度体育館の倉庫へ向かう途中、校門の近くを通った時だった。

例の問題が起こったのは。
 大体時刻は8時過ぎ。

欄高は朝のHRが8時半からなので、一般(体育委員以外)の生徒たちも登校し始めていた。

普段は制服一色だけど、今日は体育祭なので、中には体操服姿の生徒も多く見受けられた。
 すると、そんないつもと少し違った登校風景の中で、わたしはたまたまソアーベの姿を見かけた。
昨日わたしはソアーベに、冷たい態度をとってしまった。

その事を謝らなくちゃいけない。だったら、今がそのチャンスだ。

わたしはすぐにソアーベに声を掛けようとした。
 と、その時だった。

不意に、ポケットの中で携帯の着信音が鳴った。
 わたしは思わず携帯を取り出してディスプレイを確認した。

その所為で、ソアーベに声を掛けるタイミングを失ってしまう。

そして、そうこうしているうちに、ソアーベはこちらに気づかず行ってしまった。
 わたしは諦めて携帯のフリップを開いた。

着信したのは一通のメールだった。
 瞬間、何か嫌な予感がする。

もしかして、まさか――。
 わたしは不穏なものを感じながら、恐る恐るそのメールを開いた。
すると、そのまさか。

嫌な予感は的中した。
 何と受信したそのメールは、昨日と同じようにわたしを蔑むものだった。
『 やはりあなたは最悪女ですね 』
 メールの内容からして、恐らく送信者は昨日と同じだろう。

こんな気持ちの悪いメールを送りつけてくる相手は他に心当たりがない。
 でも、どうしてまたこんなメールが届くのだろう?

だって、ストーカーらしき人物のアドレスは、昨日のうちに着信拒否したはずなのに……。
 わたしはストーカーらしき人物からのメールを前に、そんな疑問を頭に浮かべた。
 そして、送信アドレスを確認してすぐにその答えに辿り着く。
よく考えてみれば簡単な事だ。

確かに昨日の時点で、わたしはストーカーの送信アドレスをブロックした。

だから、もう『そのアドレス』からはメールは受信しない。
 だけどそもそもな話、わたしのアドレスが相手にバレてしまっている以上、何度相手のアドレスを拒否しても意味がない。

なぜなら、相手がアドレスを変えて、またメールを送ればいいだけの話なのだから。
 こちらがアドレスを変えない限り、相手はアドレスを変えていくらでもメールを送る事ができる。

それこそアドレスなんて適当で何でもいい。

実際に、送信アドレスを見てみると、

『 the-little-thunder-akira/love.2 』
 という、昨日とほとんど変わらないものだ。
 それにしても、アドレスを変えてまでしつこくわたしにメールを送ってくるなんて。

そこまでするのは、すでに悪戯や嫌がらせの域を超えている。

これはもうストーカーと断定しても間違いない。相手の目的は分からないけど、わたしは誰かにストーカーされているのだ。
 そんなわけで、今のわたしは『椿への告白を成功させなくちゃ』という思いと『スト―カーされている』という恐怖、その二つが胸の裡でゴチャ混ぜになって落ち着いていられないというわけだ。
「はぁ~」
 わたしは小さな溜め息を漏らして、意識を目の前に戻した。
いつの間にか校長先生の話が終わっていて、ステージでは体育の先生による競技での注意事項が行われている。
 そんな中、わたしはポケットから一本のハチマキを取り出す。

そのハチマキは各クラスで色分けされていて、各競技で使われるものだ。

それを見つめながら、わたしは思う。
 せっかく椿と仲直りできたのに。

今日はキャンプファイヤーで気持ちを伝えるはずだったのに。

今のわたしは全然テンションが上がらない。

ストーカーという障害の所為で、すべてが台無しだ。
 こんな状況で、わたしは椿に告白できるのだろうか?
 我がクラスの菖蒲色のハチマキに、昨日刺繍した『必勝』の文字。

その二文字に込めた思いが少し揺らぐ。
ハチマキを握る手に、暑さの所為ではない嫌な汗がじわりと滲む。
 と、そんなわたしの不安を他所に、司会のアナウンスが元気よく告げる。
《それではこれで開会式を終了します! 続きまして、プログラム一番の準備体操へと移ります! 生徒の皆さんは速やかに体操が出来る距離をとって下さい!》
 指示に従って生徒たちが移動する。

わたしもその流れに促される。
 そして間もなくして、ラジオ体操のテンポの良いリズムが会場を包み込んだ。




 結果から言うと、わたしのストーカー問題は体育祭が始まってからさらに悪化した。

というか、体育祭が始まってからが『本番』だったと言うべきかもしれない。
 なぜなら、準備体操が終わって、体育祭が本格的に幕を開けた後、ストーカーは何度もメールを送り付けてきたのだ。

 そう、わたしが競技の準備や応援をしたり、競技に参加したりする、その間に何通も。

しかも、送信元のアドレスを拒否しても、またアドレスを変えて何度もしつこく。
 そんなストーカーからのメールの内容は今までと同じで、わたしを蔑むもの。

そして回数を重ねる毎に、内容はどんどん酷くなっていって、中には口に出しては言えないほどの侮蔑の言葉もあった。
 常識で考えて、ここまでくると先生もしくは警察に相談した方がいいのかもしれない。

ストーカーからメールの内容や回数の異常さはもうそんなレベルに達している。
 だけど、わたしは今も先生や警察はおろか友達にさえストーカーの事を打ち明けていない。
 もちろん、ストーカーが怖くないわけじゃない。

本当は滅茶苦茶怖いし、気持ち悪いに決まっている。

それに常に気を張っていて、不安で胸が締め付けられるような思いをしている。
 それでも、わたしがストーカーの事を誰にもうち開けず一人で抱え込んでいるのは、今日のキャンプファイヤーでの告白の為だ。
だって、ストーカーの事を打ち明けてしまったら、わたしの体育祭は終わってしまうかもしれないのだ。

もし仮にストーカーの事を大人に相談すれば、この件はただ事では終わらない。

わたしは事情を説明しないといけないし、体育祭どころじゃなくなってしまうだろう。

そして話が大事になって警察沙汰にまでなってしまえば、それこそ体育祭自体が中止になりかねない。

そうなってしまえば、言葉通り体育祭が終わってしまい、他の生徒も巻き込んでしまう。

中には、きっとわたしみたいに告白をしようとしている生徒もいっぱいいるはずだ。

そんな欄高生にとって、一年に一度の大切な日を駄目にしてしまうのは絶対に嫌だ。
 それに、わたしだって今日のキャンプファイヤーでの告白に懸けている。

確かに、今日のキャンプファイヤーじゃなくても告白は出来る。

でも、わたしはやっぱりジンクスを信じて告白したい。

今のわたしの気持ちを椿に伝えたい。

だから、何とかこのまま体育祭を続けたいのだ。
 幸い、今のところはストーカーからのアプローチがメールだけに留まっている。

とりあえずは、このまま警戒してやり過ごせば大丈夫そうだ。
 ただそうは言っても、今後はどうなるか分からない。

もしかしたら、ストーカーはメールだけじゃなく直接的な何かをしてくるかもしれない。
 とにかく、そんなわけで今のところ何一つストーカー問題は解決していないけど、わたしはこれ以上エスカレートしないように祈りながら、キャンプファイヤーの時間まで耐えるしかないのだ。
《それでは只今を持ちまして、体育祭・午前の部を終了します! この後一時間の休憩を挟みまして、午後の部の開始は13時に10分からとします! 生徒の皆さんは遅れないように注意してください!》 
 大熱戦が繰り広げられた学年対抗綱引きの余韻が残る中、体育祭・午前の部終了のアナウンスが入る。
 はっきり言って、ストーカーの所為で体育祭にほとんど集中できなかったけど、何とか午前中をやり過ごせた。

わたしは安堵の息を吐きながら、荷物を置いてある自分の席(2年B組のテント)へと向かう。
「あ、暁。お疲れー」
 テントに着くと、同じ体育委員である志音と顔を合わせる。

どうやら志音の担当の方が早く終わったようで、先にテントに帰って来ていたようだ。
「はい、体育委員の差し入れ。みんなの分貰ってきたんだけど、他の二人にはもう渡したから。これ暁の分だよ」
「うん、サンキュ」
 わたしは志音から差し入れのペットボトルのお茶を受け取る。
「ねえ暁、お昼どうする? あんまり時間ないけど、いつもみたいに食堂で食べる?」
 すでに休憩に向かう準備を済ませて、志音が聞いてくる。
「うん、そうしよっか。じゃあわたしまだ準備できてないから、志音は先に行って場所取っててよ」
「うん、分かった。じゃあ、暁。悪いけど、私先に行ってるね」
「オッケー」
 志音がわたしに「後でね」と小さく手を振って、この場から離れていく。

その背中を見送りながら、わたしも急いで荷物を手提げ袋に纏める。
 志音が言う通り、体育委員は午後一番の競技の準備があるので、休憩時間は実質30分くらいしかない。

急がないと昼食を食べる時間がなくなってしまう。

わたしは荷物を持ってテントから足を踏み出した。
 が、そこで携帯の着信音によって足を止められる。

着信音からしてたぶんメールだ。
 今日はストーカーの所為で、何通メールを確認したか分からない。

重い溜め息を吐きながら、ポケットから携帯を取り出す。
 どうせこれもストーカーからの嫌がらせメールに違いない。

内容もまたわたしを侮蔑するものだろう。

そう思い、事務的に受信したメールを確認する。
 そして、そんな風に気を抜いていただけに、わたしは届いたメールの内容を前に動揺する。
 確かに届いたのは、予想通りスト―カーからのメールだった。

 だけど、その内容は今までと違って、
『 あなたのような尻軽女には制裁を加えます 』
 と、いう意味深で、何かメール以外のアプローチを仄めかすものだったのだ。
「……え?」
 わたしは思わず言葉を失い、その場で硬直した。
 制裁って、いったい何なの? 

ストーカーはこれ以上わたしに何をしようとしてるの?
 ついに恐れていた事が起ころうとしている。

その予兆がわたしに恐怖と不安をもたらす。

一瞬にして背筋を冷たいものが駆け抜ける。

悪い考えが頭の中をぐるぐると巡り、押し寄せる緊張感で喉が渇きを覚える。
 ここはとりあえず落ち着かなくちゃ。

わたしは渇き切った喉を潤そうと差し入れの飲み物を口に運ぼうとした。
 と、その時だ。

わたしの肩が誰かによってトントンと叩かれた。
「きゃっ!!」
 わたしはビクっと盛大に肩を震わせて短い悲鳴を上げた。

同時に、口に入れかけた飲み物を取り落としてしまう。

ペットボトルが地面に落ちてバシャリと中身のお茶が零れる。
「えぇっ!? あっ、いやー、ゴメン! 何回呼んでも返事がなかったからさ……」
 こちらの反応に肩を叩いた相手も驚いたようで、背後から少し慌てた声が聞こえる。
 不意を突かれたのとタイミングがタイミング(ストーカーからのメールの後)だったので、「まさか相手はストーカーかも」と思ってびっくりしたけど、声の様子からして違うみたいだ。

わたしは落ち着きを取り戻して背後を振り返った。
 すると、目の前にはよく見知ったクラスメイトの姿があった。
「もう! なんだ、ソアーベじゃない。ビックリさせないでよ!」
「いやー、つーかオレもビビっちゃったよー。だって、伊佐実ちゃんがあんなに驚くとは思わなかったからさー」
 ソアーベが大袈裟に息を「ふうー」と吐いて、長い黒髪をファサッと掻き上げる。
「てゆーか、ソアーベがいきなり肩叩くからでしょ! マジでビックリしたんだからね!」
「いやいや! さっきも言ったけど、オレ何回も伊佐実ちゃんの事呼んだんだぜー? それでも返事がねーからさー、仕方なく肩叩いたんだよ?」
「え、そうだったの? ごめん。ちょっと考え事してたから、気付かなかったのよ」
「何? 考え事? 伊佐実ちゃん、もしかして悩んでんの? そういや、さっき何か深刻な顔してたように見えたけどさー」
 ソアーベが心配そうな顔で「オレで良かったら話聞くぜ?」とこちらの様子を窺がってくる。
 わたしのさっきの様子を見て、ソアーベは何かあると勘付いて心配してくれているのかもしれない。

その気遣いは素直に嬉しい。
 でもストーカーの事は誰にも相談しないと決めた以上、今ここで話すわけにはいかない。
「サンキュ。でも、もう大丈夫だから。てゆーか、それよりアンタわたしに何か用があるんじゃないの?」
 わたしはそう言ってすぐに話をすり替えた。
 うまく話を逸らせたようで、ソアーベが「あー、そうだったわ」とポンと柏手を打って言葉を継ぐ。
「えーと、実はちょっと伊佐実ちゃんに話があってさー……」
 が、ソアーベがそこまで言って、「ん?」と訝しむように視線をわたしの手元へ向ける。

そして何かに気づいたのか、「あーっ!」と声を上げて慌てた様子でわたしの手元を指差した。
「やべー! 伊佐実ちゃん、それ!」
「えっ、何? どうしたのよ?」
 わたしはすぐにソアーベの指し示す先を目で追った。
「きゃー! 何これやだ?!」
 視線を手元に落とすと、ビショビショに濡れた手提げ袋の姿。

どうやら、さっき驚いて飲み物を落とした時に、中身のお茶が零れてかかってしまったらしい。
 手提げ袋の中には着替えやタオル、それに大切なクラスハチマキが入っている。

どうか中身が無事でありますように。

わたしはそう祈りながら、急いで手提げ袋の中身を確認した。
 だけど、残念。

祈り届かず、被害は中の荷物にまで到達していた。

 幸いタオルが一番上に入っていたので、それが壁になって全滅にはならなかったものの、一番大切なハチマキはしっかりと濡れてしまっている。
 物がお茶だけにシミになるかもしれない。

早く洗い流さないとキャンプファイヤーでの告白で使えなくなってしまう。
 それにしても、ストーカーの事といい、このハチマキといい、本当についてない。

まるで何かに呪われているみたいだ。
 荷物を確認するわたしに、ソアーベが「大丈夫?」と気遣ってくれる。
 わたしはそれを他所に、肩を落として「はぁ~」と大きな溜め息を漏らす。
「……もう、やだぁ」
 そして、思わず情けない声を漏らして、その場にしゃがみ込んだ。
    
           瞬華愁灯~daybreak!~ Ⅵ「つーか、マジでオレってタイミングわりーのな」前編 了


 わたしとアイツの出会い。
 それは、胸がときめくようなドラマチックな展開でもなく、ましてや伝説になるような運命的な話でもなかった。
 きっかけも凄くありきたりで、何の色気もない。
 だけど、ただ一つ言えるのは、アイツの第一印象は最低で。

そんなアイツとの出会いは最悪だったっていう事だ。 

 



 三年前――中学二年の秋。

わたしは、友人の夜白司を通してアイツ――建脇椿と知り合った。
 司とはお互いバスケ部に所属していて練習が一緒になる事が多かったので、部活がきっかけで仲良くなった男友達だった。

そんな司が、その日たまたま男子バスケ部に遊びに来ていた椿をわたしに紹介したのだ。
 すでに男女それぞれ練習が終わって、帰り支度や談笑する生徒で賑わう体育館の一角で。
『どーも! 俺、建脇椿っつーんだけどよろしくね! つーか、伊佐実さんて何か小学生みたいじゃね? とくにその髪型とかさ!』
 椿は司にわたしを紹介されるなり、まだあどけなさを残す笑顔を貼り付けて軽い口調で接してきた。
 確かに良く言えば、相手との距離を縮めるフレンドリーな対応とも受け取れる。

もしかしたら、椿にとってはそれが通常のスタイルで、わたしを揶揄するつもりはなかったのかもしれない。
 だけど、わたしは自分に初めて向けられたその椿の言葉、そして態度に腹が立った。
 だって、なぜなら椿は無神経にも平気でわたしの地雷を踏んだのだ。
当時のわたしは、みんなに比べて自分が小柄なのを気にしていた。

それにツインテールの髪型だって、わたしのお気に入りでトレードマークだった。

だから、椿が軽いノリで口にしたデリカシーのない言葉が許せなかった。

『何で初対面のヤツにそんな事を言われなくちゃいけないのよっ! てゆーか大体、わたしはアンタみたいなチャラいヤツなんか大っ嫌いなんだから!!』
 わたしは思わず椿に叩きつけるように言い返して、慌てる司をよそにその場を去った。

 はっきり言って、ありえなかった。

わたしが今まで(たかが生まれて十三年間だけど)知り合った人間の中で、椿は一番ムカつくヤツだった。
 

 というか、そもそも『あんなヤツ』と仲良くする司もどうかしてる!


どうして司が椿みたいなヤツと友達なんだろう?
 

 あの時のわたしは不思議で仕方がなかった。
 

だって見た感じ、司は大人しい真面目なタイプで、一方の椿は騒がしい派手(チャラい系)なタイプで性格はまるで真逆。


だから普通はそんな正反対な人間は絶対に馬が合わないだろうし、仲良しにはならないはずだ。

まったく、司はあんなデリカシーゼロでチャラいヤツのどこがいいんだか。


余計なお世話だけど、司はもっと友達を選ぶべきだと思った。
 

 とりあえず、わたしはもうアイツと顔を合わせたくない。


アイツとは今後絶対に関わらないでおこう、と。


わたしは椿に会ったその日に、そう固く決意した。
 

 だけど――そんなわたしの決心は、いとも簡単に崩される事になった。
 

 なぜなら、最悪の出会いを果たした翌日に、椿が昨日と同じように軽い口調とへラっとした態度で、わたしに話し掛けてきたからだ。


しかもさも当たり前のように、「オッス! 暁!」と、わたしの事を『下の名前』で呼んで。
 

 昨日の事がありながら、平然と屈託のない笑顔を向けてくる。


そんな椿の行動が理解できなかった。
 

 この建脇椿ってヤツは、いったいどんだけハート強いのよ? 


というか、昨日の今日でいきなり呼び捨てって……もしかしてこいつ馬鹿なの? 
 

 わたしはこちらの反応に構わず親しげに接してくる椿に戸惑いながらも、そのまま『無視してやり過ごす』という答えを出した。


ずっと相手にしなければ、さすがに図太い椿でもわたしに関わってこないだろうって、そう思ったからだ。
 

 かくして翌日から、椿との戦い(わたしが一方的にそう思っている)が始まった。

 昨日と変わらず、わたしに無視されても意に介さない様子で、顔を合わせる度に友好的に接してくる椿。


対して、どんなに声を掛けられようと、椿が諦めるまで無視を続けるわたし。それが何度も繰り返される持久戦。
 

 だけど、そんな椿とのやり取りが毎日何度も、しかもそれが一週間も続けば、さすがに意地っ張りなわたしでも疲れてくる。


それに、諦める素振りを見せず毎日のように話し掛けてくる椿に対して、わたしは一つの疑問を持った。
 

 そもそも、どうして椿はわたしに相手にされないのに近寄って来るんだろう?


ここまで無視しても諦めないんだから、もしかしたら椿には何か特別な事情でもあるのかもしれない。

『ねぇ、何でアンタはわたしにしつこく構ってくるわけ?』
 

 わたしは終わりの見えない持久戦にいい加減嫌気がさしてきていたし、興味本位で疑問の答えを確かめようと椿にそう問いかけた。
 

 すると、そんな一変したわたしの態度に、椿は「おぉっ! やっと返事してくれたぜ!」と嬉しそうにして、わたしの今までの冷たい対応に怒る素振りも見せず答えを口にした。

『そんなの俺がお前と仲良くしたいって思ったからに決まってんじゃねえか! だってよ、司の友達なら絶対良いヤツに間違いねえからな! つか、女の子に無視されっぱなしってのも俺の主義に反するからな!』
 

 いや~暁にも俺の魅惑オーラが伝わってよかったぜ、と。


そう茶化すように付け足して、椿はニコっと屈託のない笑顔をわたしに向けてきた。
 

 ……はぁ?! 


そんな理由で今まで諦めないでわたしに話し掛けてたの……?
 

 あまりにも単純な理由で、しかもワケのわからない理屈。


わたしは椿の答えを聞いて思わず呆れてしまった。


そして、それと同時に椿に対する怒りの気持ちも薄れて、意固地になっている自分が馬鹿らしくなった。 
 

 いつまでも意地を張って無視していても仕方ないし……まあいいか。


わたしは何だか毒気を抜かれて、結局、その日から椿を受け入れる事にした。
 

 それからは、わたしと椿が今の関係を築くのにそう時間はかからなかった。
 

 元々わたしはお喋り好きだったし、椿みたいな騒がしいタイプは嫌いじゃない。


むしろ自分自身も賑やかで椿と似たようなところがあったので、初めから相性自体は悪くなかったのかもしれない。


初めこそ椿の図々しいくらいのアグレッシブさに困惑したものの、何度か話しているうちにわたしは椿と意気投合して一気に距離を縮めていった。
 

 どこまでも自己中で、自分の考えを曲げない。


自分を信じてまっすぐに突っ走る馬鹿。


いざ打ち解けてみて、わたしは改めて椿の事をそんな風に思った。
 

 そして同時に理解もした。


きっと司はそんな椿に魅力を感じて惹かれたんだろうって。


悔しいけど、いつの間にかわたしもそのうちの一人になっていたんだなって。
 

 その後もわたしと椿の付き合いはどんどん増えていった。

休み時間、放課後、部活帰り。


休日には司を交えて三人で遊んだり、たまに嫌味を言い合ったり、それがエスカレートして喧嘩になったり。


いろいろな時間を椿と過ごして――わたしたちの現在の『腐れ縁の男友達』の関係が完成した。
 

 そんなある日の事だった。


わたしの椿への感情が、友情から特別なものに変わるきっかけが訪れたのは。 
 

 そう、あれはわたしと椿が知り合って約半年――わたしたちが中学三年になった春の事。


椿のとある一面を目にした時だった。
 

 こう言ってしまうと失礼だけど、当時から椿は(というか今もだけど)チャラい割に勉強をはじめ、スポーツ万能で何でもこなす器用なヤツだった。


そんなわけで、椿は中学に入学してからサッカー部に所属していたんだけど、その持ち前の運動神経を活かして一年の頃からレギュラーの座を射止めていた。
 

 でも、いくら椿が万能だからってやっぱり手を抜けば何でもうまくはいかない。


三年になった春の大会で、椿は初めてサッカー部のレギュラーから外されてしまった。
 

 レギュラーを外された理由は、椿がチームのエースなのにもかかわらず部活を何度も休んで、仲間からの信用とともに実力も落としていったかららしい。


当時、司にその話を詳しく聞かせてもらったんだけど、椿はその頃部活とバンド活動を掛け持ちしていて、それがうまく両立できずに部活とバンドのどちらも失敗してしまったとの事だった。
 

 正直、わたしはさすがの椿でもヘコむと思った。

 だって、椿は自分が懸けていたものを同時に二つも失ってしまったんだから。


いくら神経が図太い椿でもショックを隠せないだろうって。
 

 だけど、そんなわたしの考えと実際の椿の様子は全然違っていた。
 

 椿は心配して集まったわたしと司の前で、

『ま、今回の事はしゃーねえな! つーか、そんなつまんねー事より何か他に楽しい事しようぜ!』
 と、まるでどうでもいい事のように軽い調子で言って笑ってみせたのだ。
 

 はっきり言って、わたしはそんな椿のヘラヘラした態度を前にして腹が立った。
 

 やっぱり椿なんかチャラいだけのいい加減なヤツなんじゃない!

こんなの初対面の時の印象と何にも変わらないじゃないの!

 勝手だけど、わたしは椿に何だか裏切られたような思いと怒りを抱いた。
 

 ところが、そんな風に椿を見損なってから数日が経ったある日。


部室の掃除当番で遅くなってしまい、その帰り際に運動場を通りがかった時だった。


わたしはそこで意外な椿の姿を目の当たりにした。

 全部の部活動が終わって誰もいない運動場で、椿は一人真剣な様子でボールを蹴っていたのだ。
 

 普段は軽い調子で、真剣な姿なんて見せた事がない。それにサッカーのレギュラーを外された時だって、いつものように軽口を叩いていたのに……。

まさか、あの椿が人目に付かない所で練習をしているなんて!
 

 わたしは思いがけない椿の姿に驚いた。
 

 そして、そこで考えを改める事にした。もしかしたら、自分は椿の事を全然理解していなかったのかも。


だから椿の事をもっとよく見てみよう、と。
 

 その次の日から、わたしは椿の秘密特訓を何度か見かけるようになった。
 

放課後の運動場や欄高の近くの公園。


時には雨の中、人知れず黙々と練習する椿。
 

 きっと、椿は誰にも知られたくないんだろうな……。

わたしは一心不乱に練習に打ち込む椿を見て、何となくそう思い、声を掛ける事は一度もなかった。
 

 やがてそんな日々が過ぎて、数ヵ月経った県大会。そこで椿は見事にレギュラーに復帰した。
 

しかもそれだけじゃない。驚く事に、椿は以前より実力をアップさせて、そのうえチームを県大会優勝へと導いてみせた。

『へへっ、どーよ? 俺がちょっと本気出せばこんなもんよ!』

 県大会優勝を祝うわたしたちの前で、陰の努力なんか微塵も感じさせずいつものように軽口をたたく椿。

 そんな椿を前にした瞬間だった。


わたしは今度こそちゃんと椿の事を理解した。

 自己中で、自分を信じてまっすぐに突っ走る馬鹿で。


みんなの前では、いつもチャラチャラした態度をとるお調子者。

 だけど、本当はそうじゃなくて。


負けず嫌いで、裏で人一倍努力して、みんなには絶対にそんな素振りを見せない頑張り屋。


それが建脇椿という『男の子』なのだ。

 そして――そんな風に本当の椿を見出した時には、もうわたしの中で、椿への気持ちがパチンと音を立ててハジけていた。

単純かもしれないけど、わたしは椿の普段の様子と本当の姿とのギャップに惹かれ――気が付けば、椿に恋をしていたのだ。

 以前と何も変わらない生活、今まで通りの椿との他愛もない会話や何気ないやりとり。


そんな日常の中に、たった一つの『椿の事が好き』という気持ちが混じっただけで、まるで住む世界が違ったように見えた。


椿と過ごす時間が特別なものに変わった。

 正直言って、どうしていいのか分からなかった。


椿へ抱く感情が友情から恋心へと変わって、戸惑う自分がいた。


 そして、それからだった。わたしが『椿への想い』を無理矢理押し潰して、必死に『今まで通り』を演じる日々が始まったのは。

 そう、わたしはすぐに椿に気持ちを伝える事ができなかった。

 だって、そうだ。わたしは自分の気持ちが変わるまで、椿の事をずっと『腐れ縁の男友達』だと思っていたのだ。


だから、それが『椿の事が好き』になったからといって、すぐに気持ちを伝えられるほどわたしは素直じゃないしそんな度胸もなかった。

 それに、もし告白したとしてそれが失敗してしまったら、その後の関係を今まで通りにキープできるだろうか? 


今までの関係を失ってしまわないだろうか?

そう考えると、椿に想いを伝えるのが怖かったのだ。

 いっそのこと自分がアイツを好きにならなければ、こんな気持ちにならなかったのに。


そうしたら、ずっとアイツと友達でいられたのに……。

 わたしは愛情と友情の間で、何度も揺れ動く気持ちに悩み苦しんだ。

 そして、さんざん考えた結果にこう決意した。

 だったら、椿の事は今まで通りの関係でいよう。


恋愛を諦めれば、友情を守る事ができる、と。

 だけど――わたしの椿への想いは、そう簡単には消す事ができなかった。

 日常の中で、椿が見せる屈託のない笑顔。ふと発見する椿の良いところやダメなところ。


一緒に時間を過ごして、アイツの事を知れば知るほど。気持ちを胸の奥に必死に隠そうとすればするほど。


わたしの裡で想いはどんどん大きく膨らんでいった。

 それでも、結局気持ちを伝える事ができなくて……。


わたしたちは、変わらない一定の距離で『くされ縁』の関係を保ったまま時を刻んでいった。

 中学を卒業した春休みでは、お互い欄高に入学する事を知って本当は嬉しくてたまらないのに、その気持ちを隠していつものように嫌味を言い合ったり。


それから欄高に入学して、一年生のクラスでは椿と別になってしまい一人落胆したり。

 今年迎えた二年生の新学期では、ついに念願が叶って同じクラスになれて一人大喜びしたり。

 そして同じグループになれた修学旅行では、部屋での女子トーク(恋バナ)を椿に盗み聞きされて、わたしは自分の気持ちがバレたと思い込んで大喧嘩したり。


その後それが勘違いだと分かって、いつものようにまた仲直りしたり……。

 そんな風に今までずっとずっと、友情の裏に『好き』という気持ちを必死に隠して平行線を辿ってきた。


自分の気持ちに嘘を吐いて、胸が痛くて苦しい毎日を過ごしてまで『腐れ縁の男友達』という関係を守ってきた。 

 だけど。

 そんなわたしとアイツの関係に、ついに決着をつける日がやってきた。


やっと自分の気持ちを伝える決心がついた。 

 わたしは椿との変わらない『腐れ縁の男友達』という関係で過ごす日々を壊したい。


今までのような自分の気持ちを嘘で塗りつぶす毎日にさよならしたい。

 そして、友情の壁を越えたその先のステージへと進みたい。

わたしと椿の『新しい関係』を体験してみたい。
 だから――。




「――今日は絶対にうまくやってやるんだから!!」

 体育館の倉庫の片隅で、わたしはアナウンス用のマイクをグッと握りしめた。

 文化祭から一夜明けて、翌9月17日。

欄高祭二日目の体育祭当日。
昨日の文化祭に続いて天気は晴れ。

まだ気温が上がらず、ひんやりとして清々しい朝。

 わたしたち体育委員のメンバーは、朝早くから登校して体育祭の準備に取り組んでいた。

 毎年の事だけど、欄高では基本的に体育祭の準備は当日に済ませる事になっている。前日の文化祭の後は、全校生徒でその日の片付けをするようになっているからだ。
 なので、時間の掛かるテントの組み立てや大まかなライン引きなどは前日に済ませているものの、ほとんどの準備ができていない。今も体育委員全員(三年は受験生なので準備には参加しない)が一丸となって、運動場でテントの設営や細かいライン引き、体育館では競技で使う道具のスタンバイ、など各自手分けして一生懸命作業を行っている。

そんなわけで、わたしも例にもれず、現在、同じクラスの女子体育委員で親友の天川志音(あまかわ しおん)と体育館の倉庫で放送器具の準備中なんだけど――。 

 わたしは作業の片手間に、椿との出会いから今までの事を思い出して、ついつい感情が昂ってしまい思わず自分に気合を入れてしまったのだ。

「……え? 暁、今何か言った?」

 やっぱり、というかあれだけ声に出して決意表明をすれば当たり前か。


隣で黙々と放送器具を準備していた志音が不思議そうな顔を向けてくる。

「えーと……何でもないから!」

 志音にさっきの決意表明を聞かれたと思うと恥ずかしい。わたしは顔を熱くしながら、必死に何とか誤魔化そうとした。
「さっきのは……その、あれよ。独り言! うん、ただの独り言だからっ! だから気にしないでよ!」
「……そうなの? でもさっきの暁、独り言にしては何かやたら気合が入ってたよ?」
「え!? そ、そんな事ないわよ?!」

「ううん、そんな事あるよ。ねえ暁、もしかして何かあるの?」

 志音が作業の手を止めて言う。

「私じゃ頼りないかもしれないけど、良かったら話聞くよ?」

 心配そうな表情を向けてくる志音。そしてその澄んだ大きな瞳で見つめてくる。

「……」 

 ああ、ダメだ。こんなに純粋に心配してくれている志音を前に隠し事なんかできない。 

 それに、わたしの三人の親友のうち二人――蓮とつばさには昨日『椿の事』を話したのに、もう一人の親友である志音にだけ秘密にしておくのは何か違うと思う。

「わかった。話すわよ」

 わたしは志音に『椿の事』を話す事にした。

「――まあそんなわけで、わたしは今日アイツに告白しようって思ってるわけなのよ」

 わたしは今日までの経緯、そしてさっきの独り言の事を大まかに説明し終えてそう締めくくった。

 今まで隣でわたしの話を静かに聞いてくれていた志音が口を開く。

「そっか。話してくれてありがとう、暁」

「ううん、わたしの方こそ。志音に話して何か落ち着いたわ。ぶっちゃけ、わたしちょっと緊張してたから」

 実を言うと、わたしは昨日の夜から緊張していた。

それはそうだ。


だって、今日の告白の結果次第で、今まで続いてきたわたしと椿との関係が良くも悪くも変わってしまう。


だから、そんな大事な事を前にして緊張しない方がおかしい。

 だけど志音に話してみて、それも大分薄れて楽になった。

 普段から志音は少しおっとりしていて、その柔らかい雰囲気で周りのみんなをホッと安心させてくれる。


今回も志音の癒しのオーラのお陰で、わたしは落ち着きを取り戻した。


本番の前に志音に話して本当によかった。

「ありがとう、志音」

 わたしはもう一度きちんと志音にお礼を言った。

「そんな、私はただ話を聞いただけよ」

 志音が照れ臭そうにしながら言う。


そして準備した放送器具を段ボールに一つ詰めたところで、

「そういえば、暁はもう建脇君を呼び出したの?」

 と、聞いてきた。

 わたしは志音の問いかけに顔を曇らせる。

 そう、キャンプファイヤーのジンクスで告白するのなら、椿を櫓の前に呼び出さなければいけない。


まずはその第一ステージを突破しないと始まらない。

 だけど、わたしはまだ椿を呼び出せていない。


それどころか、今日はまだ椿と顔さえ合わせていない。


今日のこの準備の時間に椿に声を掛けようと思っていたけど、作業が忙しくてなかなかその機会が訪れないのだ。

「ううん。実はまだなのよ」

「だったら、急いだ方がいいんじゃない? 体育祭が始まっちゃうと、機会がなかなか見つからないかもしれないよ?」

「そうよね……」

 志音の言う通り。


体育祭が始まってしまうと、体育委員の仕事が忙しくて椿と話すチャンスがないかもしれない。


それに、もしあったとしても落ち着いては話せるとは限らない。

だとしたら、体育祭が始まる前のこの時間が絶好のチャンスだ。

「あ、でも暁。もし時間なかったら、電話やメールっていう手もあるし大丈夫だよ」

 考え込むわたしに気を遣ってくれたのか、志音がそんな風に提案してくれる。

 だけど、わたしは首を横に振る。

 メールや電話。

確かにそれなら確実に、椿を呼び出す事ができるかもしれない。

でも、それじゃダメだ。

 なぜなら、わたしは椿を櫓の前に呼び出す前に、まずは面と向かって自分が昨日とった態度の事を誤りたい。まずはそれから始めたいのだ。

「ううん。わたし直接椿と話す。その方が良いと思うから」

「そっか」

 志音が「頑張ってね」と、ファイトのジェスチャーをする。

わたしはその応援に「うん!」と力強く答えて、グッと拳を握ってみせた。

「よーし! それじゃあ、さっさとこの仕事を片付けちゃおっか。早くしないと体育祭始まっちゃうし」

 話が一段落したところで、わたしは仕切り直すように言う。

そして、すぐに作業の続きに取り掛かろうと機材に手を伸ばす。

だけど、その手は「暁、待って。いいから」という志音の声で止められる。

「え?」

 わたしは機材に手を向けたまま志音に顔を向ける

「後は私がやっておくから。暁は早く建脇君のところに行って」

 志音がそう言って、すぐにわたしの分の機材を段ボールに詰め始める。

「でも……」

「いいから。もう必要な機材は全部準備できてるし。あとは段ボールに詰めて持っていくだけだから。あとは私に任せて」

 目線を機材に向けたままそう言って、志音が作業を進めていく。

 その隣でわたしは逡巡する。

「……」

 確かにここで作業を抜ければ、今すぐに椿に会いに行く事ができる。

でも、個人的な用事の為に自分の仕事を友達に押し付けていいんだろうか? 

それに、志音一人で準備すると言っても荷物は結構多いし運ぶのも大変だ。やっぱり志音一人に任せるのは悪い……。

「ほら暁!」

 未だ煮え切らない態度のわたしにしびれを切らしたのか、

「早く行かないと時間がなくなっちゃうよ」

 志音が作業を止めて、わたしの背中を押してくる。

「……わかった。じゃあ後はお願いするわ」

 いつもは大人しい志音がここまでしてくれるなんて。

わたしは志音の勢いに少しびっくりしながら、結局、その厚意に甘える事にした。

「志音、ホントにごめんね」

 頭を深々と下げるわたしに、志音が満足気な顔で言う。

「ううん、本当に気にしなくていいから。そんなことより暁は早く行って」

「ありがとう、志音。じゃあ行ってくる!」

「いってらっしゃい」

 志音と挨拶を交わして、わたしは椿のところへ向かおう歩みを進める。

「ねえ、暁」

 と、倉庫を出ようとしたわたしの背中に、志音が声を掛ける。

 わたしは足を止めてすぐに振り返った。

「なに?」

 怪訝な顔を志音に向ける。

そんなわたしに対して、志音が柔らかい笑顔を張り付けて言う。

「今日は良い体育祭にしようね」

「うん! もちろん♪」

 わたしは親友に元気よく答えて、ビシッとVサインを向けた。

そして踵を返して、椿に会いに行く為に勢いよく一歩を踏み出した。


                       瞬華愁灯~daybreak~ Ⅴ「今日は良い体育祭にしようね」 了

 司の相談が無事に終了して、二人で軽く談笑をした後の事――。


「ありがとう、暁。僕そろそろ行くよ」


 司が携帯で時間を確認しながら言った。


今の司は公園に着いた時と比べて、何かスッキリしたような表情を浮かべている。 


「そっか。うんわかった」


 わたしはそう言って、腰掛けていたベンチ脇の鞄を手にする。


司もわたしに倣って鞄を手に取ると、肩に担ぎながら、

「あっ、そういえば、どうでもいい事なんだけど……さっき、暁に会う前この公園の傍で曽阿部を見たよ」


 と、雑談を口にする。


「何か一人でブツブツ言ってたみたいだったけど……やっぱり、曽阿部って変わった奴だよ」


 もうすっかり余裕ができたのか、司は笑みを漏らしている。


「ふーん、そうなんだ。ソアーベらしいわね」


 わたしはそう言葉を返しながら、ソアーベの事を思い浮かべる。


 放課後の教室で、ソアーベはわたしに何かを言いたそうにしていた。 


もしかしたら、わたしに何か大事な用事があったのかもしれない。


本当に今さらだけど、ソアーベには悪い事をしてしまった。


明日、面と向かって謝らなければいけない。

 と、そんな風に胸中で再反省&再決心していると、


「暁、今日は話聞いてくれてありがとう。助かったよ。じゃあ、また。明日の朝の体育祭の準備遅れちゃ駄目だよ!」


 帰り支度を済ませた司が公園を後にする。


「オッケー! また明日ねー」


 わたしはその場で元気よく手を振って司を見送る。


 そういえば司の忠告通り、体育委員は明日朝から集合して、体育祭の当日準備をしなければいけないんだった。


ちなみに、体育委員は各クラス男女2名ずつの計4人。


2年B組の体育委員は、女子がわたしと友人の天川志音(あまかわ しおん)、そして男子が建脇椿と夜白司だ。


 確か明日の集合時間は早かったはずだけど、司や志音はともかくとして、椿が遅れずに来られるのかが心配だ。

だって、椿は今日バンドメンバーたちと打ち上げをして遅くまで大騒ぎするはずだし。


 …………。 


 いや、そんな事より――。


正直に言ってしまうと、本当はわたしの中で別の心配が渦巻いている。


それは椿と奥松真の関係の事だ。


 放課後の事を思い出すと、二人のやり取りを見たところかなり親しそうだった。

もしかしたら、打ち上げでテンションが上がって二人はさらに距離を縮めるかもしれない。


自分にとって悪い想像が頭を過ぎる。



『いっそのこと、決着をつけるってのはどうかな?』

 

 

 不意に、頭の中で蓮の言葉が再生される。


 そう、確かに蓮の言った通り――椿に『告白する事』が、このモヤモヤした落ち着かない気持ちを解消する一番の近道だ。


そしてラッキーな事に、明日は体育祭後のキャンプファイヤーが控えている。


なので、告白するには絶好のチャンス。


それを棒に振ってしまう手はない。


 だけど――。


わたしはブレーキを踏んでしまう。


 だって、椿とは中学の頃から今まで、お互いに遠慮せず好き勝手言い合う『くされ縁の男友達』だった。


 だから、急に今になって、簡単に自分の気持ちを伝えるなんて出来るわけがない。


今さら何て言って気持ちを伝えればいいのかわからない。


 それに、もし仮にわたしが椿に告白して失敗してしまったら、その後、わたしたちの関係はどうなるんだろう?


告白がきっかけでギクシャクして、今まで通りの『くされ縁の男友達』の関係でいられなくなってしまわないだろうか……?


 そんな風に失敗した後の椿との関係を考えると、不安で仕方がない。
 

 今までだって何度も椿に気持ちを伝えようとしたけど、結局それが原因でどうしてもアクションを何も起こせなかった。
 

 というか、よく考えてみたら、告白するにしても椿はおまじないや占いなんて信じるようなタイプじゃない。


それこそ司の言葉じゃないけど、キャンプファイヤーのジンクスなんて引かれてしまうかもしれない。


 やっぱり告白する勇気が湧かない。


「はぁ……司に恋について偉そうに語っといて、わたしってばダメダメじゃないのよ……」


 自分のヘタレっぷりが嫌になる。


「あー、もう!」


 わたしは閑散とした公園で独り頭を抱えた。


その時だ。 


 チャララチャラララー……♪

 

 不意に、携帯の着信音が耳に滑り込んできた。
                

 もしかしたら、椿からだったりして……。


わたしはそんな都合の良い期待を抱きながら、すぐに鞄から携帯を取り出す。


携帯を手に取ると、ディスプレイには新着メールが一件という表示。


すぐに手慣れた手つきで受信フォルダを開く。


そして、受信メールの送信元を確認する。


 その直後、わたしは「えっ、これって……」と、そう声を漏らして目を見開いた。


なぜなら、そこには登録されていないアドレスが表示されていて――。


 ドクン!


心臓が跳ね上がる。 


「まさか……!」


 わたしは背中にゾクリと悪寒を感じながら、視線を本文にゆっくりとスライドさせた。


メールの文面にはこんな事が書かれていた。


『  この裏切り者   』


「……っ!!」 


 わたしは一瞬声を失い、携帯を取り落としそうになった。

 

焦燥感が一気に押し寄せてくる。


それを必死に押さえながら、もう一度送信元のアドレスを確認する。

『 the-little-thunder-akira/love 』

 やっぱり、間違いない。


このアドレスは、さっき自分の部屋で受信したメールのものと同じだ。


「何なのよ、マジで……!」


 わたしは受信した気味の悪いメールを前に、戦慄しながら考える。

 やっぱりこのメールは、ただの悪戯じゃなくてストーカーなんだろうか? 


一度なら勘違いで済むけど、さすがに二度目ともなるとそう思ってしまう。

 それに、メールの文面の『この裏切り者』という言葉。


はっきり言って、わたしには心当たりはないし意味も分からない。


だけど、絶対に普通じゃないっていうのは分かる。


そもそも最初に部屋で受信したメールの内容も、『わたしはあなたを見ています』という気味が悪い内容で、いかにもストーカーっぽい。


 というか、その考えが当たっていて、送信者がストーカーだとしたら、今もどこかからわたしを監視しているのかもしれない。


メールを受信したタイミングが司と別れた後で、わたしが『一人になった時』だった事を踏まえるとそれも考えられる。


 わたしは警戒しながら、公園内をぐるりと見回す。


「…………」


 暫らく注意深く見回すも、捕えられるのは風で木々がサラサラと揺れる音だけだ。


公園内は閑散としていて、人の気配は感じられない。


 やっぱりストーカーはわたしの考えすぎなんだろうか?


わたしはとりあえずホッと胸を撫で下ろしながら、警戒を弱める。

 とは言っても、もちろん完全に不安や恐怖心が消えたわけじゃない。


どちらにしても、誰かがわたしに気味の悪いメールを送信しているのは間違いない。


わたしはすぐに携帯を操作して、ストーカーらしきアドレスを受信拒否に設定した。


これでもう不審なメールは届かないはずだ。


携帯を鞄に戻して一安心する。


「これでOKっと」


 時刻も午後6時を過ぎて、辺りも薄暗い。


公園内に備わっている数本の電灯にも灯りが点いている。

 

 とりあえず、さっさと家に帰ろう。


ストーカー問題は解決したわけじゃないけど、考えるのはそれからだ。


まずは安全な場所(自宅)に移動するのが一番。


 わたしは逃げるように公園を後にする。


そして、自宅を目指して早歩きで歩を進める。


 数分後、公園から少し離れた大きな通りに足を踏み入れる。


通りには道を挟んで両側にちらほらと店が並んでいて、夕方にもかかわらず人の往来が多く見受けられる。


 人もたくさんいるし、この通りから家まであと少しなのでもう安心だ。


わたしは一旦足を止めて、周りに不審者がいない事を確認して「ふう」と安堵の息を吐いた。


と、その時。


「あら、暁?」

 背後から、誰かがわたしに声を掛けた。


タイミングがタイミングなだけに、思わずビクっと肩を震わせてしまう。


「……!?」


 わたしはすぐに振り向いて声の主を確認した。


すると、目の前には一人の女子クラスメイトの姿。


「……あぁ、何だ。つばさかぁ……」 


 そのクラスメイトの名前は、二階堂つばさ。


わたしの仲の良い友人で、すらりとした体型で長身、そしてサラサラの長い黒髪が特徴的なかなり美形の女の子だ。


ちなみに、つばさはクラスの男子に人気があるのは言わずもがなだけど、それだけじゃない。


面倒見の良い性格と少しクールな雰囲気が好感を得て、女子達の憧れの的でクラスのお姉さん的存在だ。


 そんなパーフェクト美人が、わたしの格好(制服姿)を見て口を開く。


「暁、何してるの? こんな所で立ち止まって。というか、今帰り? 今日は全部の部活が休みのはずだけど……」


「え? あー、うん……ちょっとね……」

 
 わたしは曖昧な言葉を返して、少し間を開ける。

 

 実際のところ、わたしは一度帰宅していて、それから今まで司の相談に乗っていた。


そしてその後に、不審なメール(ストーカー)で悩んでいたのが帰りが遅くなった理由だ。


だけど、それを説明すると少し長くなるし、ストーカーの事を話したら、つばさに心配させてしまうかもしれない。


そう考えて、わたしは笑顔を浮かべながら適当な答えを返す。


「……えっと、実は今まで用事があって寄り道してたのよ」 


「ふーん、そうなんだ」


 わたしの答えに納得したのか、つばさが短い相槌を打つ。


「うん、そうなのよ。てゆーか、つばさ。アンタこそこんな時間まで何してたのよ?」


 今度はわたしがつばさに同じ問いを投げかける。


つばさの姿も制服で、まだ家には帰っていないように見えたからだ。


 つばさがさっき言っていたように、明日は体育祭本番なので、今日はその準備(運動場の一部が使用禁止だったり先生たちが忙しい)で基本的に全部の部活は休みになっている。


つばさは女子バドミントン部に所属しいるんだけど、例外じゃないはずだ。


もしかしたら、つばさも部活のない放課後を満喫していたのかも……。


 と、わたしがそんな勝手な想像をしながら答えを待っていると、


「ええと、ちょっと今まで学校でね……」 


 つばさがわたしの質問にそこまで答えて、何だか疲れているように「はぁ~……」と大きな溜め息を吐いた。


「学校?」


 わたしは怪訝な表情でつばさの様子を窺う。


 すると、つばさは一拍置いて、「そうだ、暁」と気持ちを切り替えるようにパンッと平手を打ち合わせて、


「その前に、私喉が渇いちゃって。立ち話もなんだから、よかったら向こうでゆっくりしない?」

 そう言って、道を挟んだ向かい側にある明々としたコンビニを指差した。




「はぁ~、冷たくて美味しい。生き返るわ」

 

 コンビニの前に設置されているベンチに腰を下ろし、買い食いならぬ買い飲み(?)をしながら、つばさが整った顔を緩めながらそんな声を漏らす。


「もう、つばさ。どんだけ喉乾いてたのよ?!」


 わたしは幸せそうな様子のつばさにツッコみを入れながら、ペットボトルを片手にその隣に腰を下ろす。


ちなみに、手に持っているオレンジジュースはつばさの奢り。


本人曰く『付き合ってくれたお礼』らしい。


「サンキュ、つばさ」


 わたしは一言お礼を言って有難くジュースを頂きながら、さっきの会話の続きを促す。


「で、結局つばさはこんな時間まで学校で何してたのよ?」


 上品な仕草でペットボトルのお茶で喉を潤していたつばさが顔をこちらに向ける。 


「ああ、そうね。その事だけど、実は私さっきまで学校で体育祭の練習してたのよ」


「体育祭の練習?」


「うん、そう。体育祭のプログラムの一つの部活対抗リレーの練習よ。うちの部長ったら、かなり張り切っちゃって。今日なんて運動場のほとんどが使用禁止だから、他の生徒と場所取りから競い合って大変だったんだから……」


 もう、部長の熱血ぶりには本当に困っちゃうわ。 


つばさはそう付け足しながら苦笑いを浮かべる。

「なるほど。つばさもいろいろと大変なのねぇ」


「そうなのよ。ていうか、暁。あなたこそ明日は大変なんじゃないの? ほら、体育委員だからいろいろ仕事もあるだろうし」


「うん、まあねー。確かに明日は朝早くから当日準備で大変よ。あーあ、今日も文化祭で一日中忙しかったのに……ホント嫌になるってのよー!」

 わたしはわざとらしく大きな溜め息を吐いて見せる。


「まあまあ、そう言わないで暁。明日の体育祭は欄高生にとって、一年間の中で一番のビッグイベントなんだから」


 つばさが少し困った様子で宥めてくる。 


「もうー! わかってるってばー……」

 わたしはふて腐れたように言って、ベンチの背もたれにぼふっと背中を預けた。 


そして溜まった疲れをほぐそうと、そのまま「う~ん」と伸びをする。 


 そんなわたしに向かって、つばさが期待の籠った表情を向ける。


「それに暁、明日はキャンプファイヤーもあるのよ? だから大変だろうけど、暁たち体育委員のメンバーには頑張ってもらわないと、ね?」 


 ……確かにその通りだ。


明日は体育祭の後にキャンプファイヤーが待ち構えている。


 キャンプファイヤーは文化祭・体育祭と続いた二日間――欄高祭の締めくくり。


毎年、欄高祭に熱い思いを懸けた生徒たちが、祭の成功を祝ったり労ったりで大いに盛り上がる重要なイベントだ。


 しかも欄高生にとって、キャンプファイヤーの役割はそれだけじゃない。


そう、もう一つの重要な役割は恋愛の成就――つまり、例のキャンプファイヤーの伝説に因んだジンクスだ。


前にも説明したけど、キャンプファイヤーでは、そのジンクスを信じて告白する生徒は少なくない。


というか、司や自分(まだ告白する決心はついてない)もその中の一人で、他にもたくさんの欄高生が明日のキャンプファイヤーに想いを懸けているはずだ。

 

 そんなわけで、わたしたち体育委員は責任重大。


明日の体育祭からキャンプファイヤーまでのプロセスをきっちり成功させなければならない。


正直言って、今日の文化祭でもうクタクタだけど……明日も頑張らなくっちゃ! 


「ねえ暁。ところで、あなたはキャンプファイヤーで彼に告白しないの?」

 心中で気合を入れていたわたしに、突然つばさがそんな事を聞いてきた。

「え゛っ?! ちょ、彼って!? な、何よ急に……げほげほっ⁉」


 瞬間、わたしは盛大に咳込んだ。


つばさの言葉に動揺して、口にしていたジュースが変な場所に入ってしまったのだ。


 いやいや、ちょっと……!


つばさってば、何でいきなり告白の話を……!


もしかして、わたしがキャンプファイヤーで告白するかどうか迷っている事に気付いてるの?


 というか、何か口振りからして、わたしの好きな相手が分かってるみたいなんだけど!


アイツに想いを寄せている事を知っているのは、蓮だけのはずなのに……。


わたしはそんな事を考えながら、いろいろな意味で顔を真っ赤にする。


「ちょっと、大丈夫なの? 暁?!」


 つばさが慌てて背中をさすってくれる。


「はぁー、死ぬかと思った……」


 数分後、わたしはつばさのお蔭で体調を回復させ、安堵の声を漏らした。 


「もう、びっくりするじゃないのよ。暁ったら急に……」


「……いやいや、つばさが急に変なこと言うからでしょ!」


 わたしはハンカチで口を拭いながら、事の原因である友人をビシッと指差す。


「ごめん、ごめん。暁は明日好きな人に告白するのかなって思って、ちょっと気になって聞いてみただけなんだけど。その反応からして、やっぱり……」


 つばさが「ふふ、やっぱり暁は分かりやすいわね」と、微笑を浮かべる。


普段は頼りになるお姉さんだけど、今のつばさは悪戯好きな小悪魔みたいだ。


「ま、まだ告白するって決めてないし!」


「あら、じゃあやっぱり告白する相手はいるって事ね」


 ああ、ダメだ!


完全に墓穴を掘ってしまっている。


というか、つばさには何を言っても見透かされてしまう気がする。 


わたしは顔を熱くしながら、無理矢理自分の話題を終わらせる。


「も、もういいでしょ! わたしの話は! てゆーか、つばさはどうなのよ?」 


「え、私?」


「そうよ! つばさこそキャンプファイヤーで誰かに告白しないわけ?」  


「……そうね、私は……・」

 

 こちらの言葉に、つばさが少し考える素振りを見せる。 


 さっきのお返しとばかりに、わたしはニヤニヤしながら返答を待つ。


 やがて、そんなわたしの態度を気にもせず、つばさが静かに口を開く。


「私はキャンプファイヤーで好きな人に告白したいと思ってる。だって、好きな人と結ばれるチャンスがあるなら、それを生かしたい。それに……」


「……」 


「今の私は、何にだって縋りたいから」

 

 何か、すごいな……。


つばさの言葉が、わたしの心を掴む。


 決して多くは語っていないけど、つばさの相手への想いはひしひしと伝わってきた。


隠しもせず、逃げもしない、好きな人へ向き合おうとする。


わたしは、そんなつばさの想いの籠った、潔くて真っ直ぐな言葉に感銘を受けた。


 そして同時に、今までの自分に腹が立った。


告白する前からゴチャゴチャと考えて、ウジウジと悩んでいた自分に。


 そうだ、わたしは何をビビッてるのよ!


 もし告白して失敗したら、ギクシャクして今まで通りの関係でいられないかも?


 まったく、そんな事は先に考えても仕方がないじゃない!


 大体、後の事は自分次第。


頑張れば、どうにでも出来るんだから。


 椿はおまじないや占いなんて信じるようなタイプじゃないから、キャンプファイヤーのジンクスなんて引かれてしまうかも?


 それがどうしたって?


 つばさが言ったように、チャンスがあるなら何だってものにする。


そのくらいの気合がないと、好きな人に想いが伝えられない!


とくに、わたしと椿みたいな今まで『くされ縁の男友達』だった微妙な関係には。


 それに、わたしはおまじないや占い、そしてジンクスの類が大好きで、何よりそういう力を信じたいって思ってるんだから。

 

 よし、決めた!


「つばさ。わたし、明日告白するわ!」


 わたしは胸を張って言った。


つばさの言葉で、ようやく自分を取り戻す事ができたみたいだ。


「てことで、つばさ。明日はお互い頑張りましょ!」


「うん、そうね……」

 

 と、告白について語っていた時とは違い、何故か浮かない顔のつばさ。


わたしが急にハイテンションになったから、戸惑っているんだろうか?


「ちょっと、つばさ! どうしたのよ?! もっとやる気出さなきゃダメじゃない!」


 わたしは今まで自分もさんざん煮え切らない態度とってきた事を棚に上げ、テンションの低い友人に喝を入れる。 


 だけど、つばさはそんなわたしに対して、「ふふ」と、自嘲気味な笑みをこぼして視線を外す。


「でも、たぶん彼は私の方を向いていないから……」


 そして、呟くように言葉を漏らすつばさ。


その横顔は、影が差していてどこか遠くを見ているようだ。


「つばさ……?」


 一瞬見せたつばさの表情が気になって、わたしは様子を窺うように声を掛ける。


 やがて、つばさはこちらが心配している事に気付いたのか、

「……あ、ごめんね。うん、何でもないから。ええ、お互い頑張りましょう」

 そう言って、口の端を緩めて見せた。 

 正直、つばさは取り繕っているような感じだけど、わたしはそれ以上つっ込まない事を選択する。


うん、誰だって詮索してほしくない事はあるし。


「よし、明日は告白を成功させて、伝説の二人みたいにハチマキ結ぶぞー!」

 わたしは少し変になってしまった雰囲気を振り払うかのように、わざとおどけたように言った。


 すると、つばさはそんなわたしを見て、何かを思い出したように、


「そうだ。ねぇ暁、あなたに見せたい物があったのよ」


 と、鞄の中から一冊の冊子を取り出した。

 よく見ると、つばさが取り出した冊子には『欄高生の集い』と表記されている。


「何これ? 欄高の文集みたいな物……?」


「そうなの。実はうちのお爺ちゃんが欄高の出身で、この前その時の文集を譲って貰ったんだけど……」


 つばさが古い文集をパラパラとめくる。

「記事の中にキャンプファイヤーの伝説の話が詳しく載ってたのよ。暁、前にジンクスとか好きって言ってたから、もしかしたら興味あるかなって思って……」


「うん、めちゃめちゃある!」


 何回も言うけど、わたしはジンクスやおまじないが大好きだ。


だからそれに関連するものにも大いに興味がある。


「あった。ほらこれ」

「どれどれ?」 


 わたしは、つばさからページが広げられた状態の文集を嬉々として受け取った。


すぐにキャンプファイヤーの伝説について書かれた記事に目を通す。


「……うそ、そうだったんだ!」


 暫らくして、記事を読み終えたわたしは、開口一番そんな声を漏らす。  


 文集の記事には、わたしの『知らなかったキャンプファイヤーの伝説』が書かれていた。  


今改めてそのキャンプファイヤーの伝説の新事実に触れて、正直驚きを隠せない。


 だけど、それと同時にわたしは安心感で胸が軽くなる。 


モヤモヤしていたものが、スッと消え去りスッキリしたような爽快な気分。


「サンキュ」


 わたしはつばさに文集を返し、ベンチから腰を上げる。


 俄然テンションが上がってきた。

 

やる気の炎がどんどん燃え上がってくる。


「つばさ! わたし、明日はぜったい告白を成功させてみせるから♪」

 

 わたしは、力強くガッツポーズを作って見せて声高らかに宣言した。




「じゃあ、また明日ね!」


「ええ、また明日」 


 コンビニの前でつばさと別れの挨拶を交わして、わたしはすぐに我が家を目指す。


 どうやら、気が付くとつばさと長い時間話し込んでしまっていたようで、今の時刻は午後八時過ぎ。


辺りはもう完全に真っ暗で、空には月が輝いている。


 つばさに会う前に、不審なメールには対処(受信拒否)したものの、送信者がストーカーかもしれないという疑いはまだ晴れていない。


なので、帰宅コースは出来るだけ人通りが多くて安全な道を選んで歩く。


幸い、そんな用心深い行動が良かったのか、わたしは無事に本日二度目の帰宅を果たした。


「ちょっと、暁! 一度帰って来たと思ったら、また出かけて! あんたご飯も食べないで、今までどこ行ってたのよ!」


「ごめん、ちょっと用事があって。ご飯は後で食べるから」


 玄関を開けた途端に落ちてきた母親の雷をいなして、自分の部屋へと退避する。


正直なところ、今日は放課後から今までいろいろとハードなスケジュールだったので、お腹はペコペコだ。


だけど、わたしには今日中にどうしてもやっておきたい事がある。


わたしは空腹を我慢して部屋に入ると、すぐに机から裁縫道具を取り出した。


「うん、上出来上出来♪」


 やがて一時間程経って、わたしは満足の籠った声を漏らす。


 目の前には、たった今わたしの手によって『オリジナル仕様』に仕立てられたハチマキ。


実はわたしが今日中にやっておきたかったのは、明日の体育祭で使うハチマキに刺繍を入れる事だったのだ。

それも我がクラスの菖蒲色のハチマキに映えるよう赤い糸で『必勝!』という文字を。


 ちなみに、どうして文字が必勝なのかというと、もちろん「体育祭で勝てますように」という願いもあるけどそれだけじゃない。


そう、明日はわたし個人にとっても大勝負が控えている。

つまり、恋の勝負に勝てますように。


告白が成功しますように、という願いが『必勝』に込められているのだ。


「うまくいくといいな」


 わたしはハチマキを手に取り、もう一度願を掛けるように文字を優しくなぞった。


 うん、これで完璧。


あとは明日のキャンプファイヤーで、アイツにわたしの想いを真っ直ぐに伝えるだけだ!


いくらジンクスや願掛けを利用しても、それだけは自分の力でどうにかするしかない。


わたしは今一度気合を入れた。


 と、その瞬間。


グゥ~と、わたしのお腹が間抜けな声を上げる。


「…………」


 そういえば、まだ夕飯を食べていないんだった。


刺繍に夢中で完全に忘れていた。


時計を見ると、すでに午後十時を回っている。


「さてと、明日の準備はこんなとこかな♪」


 とりあえず、腹が減っては戦ができぬって言うし。

それに、明日は体育祭の準備で朝が早い。


なので、今夜はさっさと寝なければいけない。 


 わたしは一先ず必勝ハチマキを大事に鞄にしまい、かなり遅めの夕食を摂りに階下へと向かった。

                    

                    瞬華愁灯~daybreak!~ Ⅳ「今の私は、何にだって縋りたいから」 了