自分は飽きっぽい性格で、何をやっても続かない
色んなことに興味があるけど、どれも中途半端
小さい頃から「大きくなったら何になるの?」と聞かれると困っていた
「どんな仕事をされているんですか?」っと聞かれるといつもドキドキしてしまう
そんな自分は「マルチポテンシャライト」の考え方を知ってずいぶんと救われた。
マルチポテンシャライトとは
マルチポテンシャライトとは、アメリカ人のエミリー・ワプニックさんが作った造語
で「マルチ(多くの)」「ポテンシャル(可能性を持った)」「アイト(人)」をつなげた言葉だ。
以下のTED動画で彼女が説明しているので、以下の動画を観ていただければ大体のことはわかるかもしれない。
簡単にいうと「マルチポテンシャライト」とは
「さまざまなことに興味をもち、多くのことをクリエイティブに探求する人」のことをいう。
TEDの動画を観て「これ、まさに自分だ」と思った
興味を持つことはたくさんある。
「やりたい」と思ったことには手をつけずにはいられなくなり、
一時期それに向けてのめり込む。
しかし、しばらく時間が経過するといつの間にか興味を失ってしまい、
最初の頃の熱量がいつの間にかなくなって、費やす時間もなくなっていく。
そして、また他の興味を引くものを見つけては、のめり込んでいく。
そして、しばらく時間が経過すると、、、、、
仕事でも、趣味でも大体いつもこのようなサイクルをくりかえす。
のめり込む期間はそれぞれで、短いものだと数日、長くても5年〜7年くらいが限界。
友人や恋人(夫婦関係)などの人間関係についてはそんなことないんだけど。
こういった気質の人は多くの悩みを抱えがちになる。
何をやっても続かない
専門性が育たない
落ち着きがない
自分はこれだっというものがない
いい歳してフラフラしている
やはり社会や、文化、そして周りの多くの人は、はっきりと言葉にする・しないに関わらず、「何かを継続的に続けて、いっぱしの専門家になること」を求めてくるように感じている。
コツコツと努力を積み重ねて小さい頃からの夢を成し遂げる。
イチローや本田圭佑のようなスポーツ選手に代表されるような、そんな生き方が称賛される。
もちろんそんな生き方は称賛されてしかるべきだし、様々な困難に立ち向かい、並々ならぬ努力で夢を実現することは本当に尊い。
だが、しかし、そんな生き方の人を見れば見るほど、自分みたいなマルチポテンシャライトな人は自信をなくしてしまうのではないだろうか?
あ〜、やっぱり何事も続かない自分はダメだよなって。
1万時間も続けられない
自分自身も、マルコムグラッドウェルの「天才!成功する法則」を読んだときに暗澹たる気持ちになったのをよく覚えている。この本には「どんな技量や才能も1万時間を費やせば”本物”になれる」っと書かれていた。
1万時間かぁ、、、、、続く気がしない。
そして実際に続いたことがない。
しかし、この「マルチポテンシャライト」の考え方を知って、ずいぶんと救われたように感じる。
詳細はワプニックさんが本も出しているので、そちらを参照してもらいたいのだが、
この考え方(概念)を知ってから改めて自分が考えたことを書いてみたい。
費やしたエネルギーは無駄にはならない
自分も含めて多くの人は、何か「今現在」に対する結果を得ることに意味を見出す傾向にあるように感じる。なんらかのエネルギーを費やした結果、何かを得て、それが今現在に置いてもなんらかの影響を及ぼしていることによってそのことが報われたように感じてしまう。
例えば、
なんらかの実績を手にしたとか、何かしらの資格を手に入れたとか、大きな財産を手にしたとか。
そのような結果が見えないとき、そこに費やしたエネルギーが無駄だったと思ってしまうことがある。
でも、費やしたエネルギーは決して無駄にはなっていない。例え結果が出なかったとしても、そのことに費やしたエネルギーは必ず人生のどこかで活きてくる。
何より、エネルギーを費やしたことそのこと自体が、人生にとって大きな意義になる。
そう自分は思っている。
だから、マルチポテンシャライトの人にとって、今現在に通じていない努力があったとしても、決して自信をなくす必要はないと思う。
それに費やしたエネルギーは必ずどこかの局面で自分を助けることになるし、そのエネルギーを費やしたその一瞬一瞬が人生の中で輝いているのだから。
自分の気質やできることを超えて「やりたいこと」を追求することこそが自由を体現すること
自分の「できること」と「やりたいこと」が一致することはなかなか少ない。
その場合「できること」に焦点を当てて、実際に結果を出すことや、他人に貢献できることをよしとする風潮があるように感じる。
こういった「自分にできること」というのは、自分で選び取ったというよりは、天から与えられたものに近い。
それに対して、「やりたいこと」というのは、生まれ持ったものを超えて、それでもやりたいと思うこと。
そのことを追求しようとすればどうしても困難が付き纏うのは仕方がない。
だってその行為は「与えられたものを超えて何かを成し遂げよう」とする「自由」を勝ち取ろうとしているから。
うまくいかなくて当然。
でも、そのうまくいかないを乗り越えて自分で勝ち取った自由には、それは今の人生に大きな価値を与えるだけのものがあると思う。その成果の社会的な大きさ小ささなんて、自分の人生に与える価値から考えたら大したものではない。
自分のやりたいことを追求指定いくこと。
それは困難であることには違いがないけど、困難な道のりだとわかっていても、それでも踏み出す一歩にこそ、本当の自由があるのだと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
