「世界は実は五分前に始まったのかもしれない」
レストランでの夕食。何を食べていたのかは覚えていないけれど、父が私に言ったそれは今でも頭の隅に残っている。
小さい時から哲学が好きだった。父が大学で専攻したと言うそれは、なんだかとてつもなく大人っぽくてかっこよかった。幼いながら私も何か哲学に貢献できないだろうかと頭を凝らしたのをよく覚えている。父に毎日、パラドックスを教えてくれとねだった時期もあった。もちろんだからといって私が何か新発見をしたことはないけれど、今思えば随分ませた子供だったと思う。一人っ子だった私はどうしても大人になりたかったんだろう。
とまあ、そんなわけで夕食中の会話はよくそういう話になりがちだった。その日、父が私に語ってくれたのは「世界五分前仮説」という、哲学上の仮説。それは、私達が知っているこの世界が全部五分前に作られていたら、海も山も動物も人間もこの世にあるもの全てが五分前には存在していなかったら、という少し恐ろしい仮説。当時まだ10才にもなっていなかった私には想像もつかない話。だって、もしこの仮説が本当だとしたら、私はもちろん、親も、レストランも、街も全て、いきなり出現したことになる。形あるものだけじゃない。宗教とか、政治とか、そういう形の無いものだって完全に形成された状態で生まれたということになる。よくイメージが湧かないまま思ったのは、もし本当だったら神様大変だっただろうな、という若干呑気な考えだったのを覚えている。
あの時はそれでもう頭がいっぱいだった。頼んだ食べ物が運ばれてきてそこで話は終わった。でも最近、また考えるようになった。もちろんその仮説が本当だとは思わない。けれど考えるだけ考えてみると、今私が住んでいるこの世界が少し脆く、儚く見えてくる。ロマンチストに育った私は、人間なんて愛してこそ人間だなんて思っているけれど、その「愛」ということ自体、五分前に作られた概念だとしたら?人間としての感情全て作られたってことになるのかな?価値観とか、道徳とか、意味ないのかな?とか思ってしまう。
でもそこでまた考える。所詮、価値観も道徳も人間が人間として数千年間やってきた中で作られたもの。それが本当は五分前にいきなり出来上がったものだとしても、今あることには変わりない。それにこの世界、この私という人が生まれたのが五分前だとしても、結局はこれから存在していくわけで、生まれたからには頑張って生きていくしかない。この「世界五分前仮説」は所詮、生きていく覚悟みたいなものを再確認する為に五分前から作られたのかもしれない。