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KENTのブログ

どんなことを書いていくか,きまっていません。気の向くままに書きます

今日,嫁さんとゴジラを観に行った。先日からBSNHKで放送されていた昔の作品を観てからの今回の観賞だった。
アメリカ(ハリウッド)と日本の違いを改めて実感した映画であった。
 まず,古い記録映像コラージュのオープニングから始まり、ゴジラを殺すために水爆実験が行われるシーン。
 続いて,日本を舞台に地震による原子力発電所の臨界事故に始まり、原子炉の炉心近くに取り残される人々、福島第一原子力発電所事故を連想させる展開の場面が続く。
 ところが,そこからは核兵器や原子力の怖ろしさ、人間の愚かさや悲しみは伝わってこない。日本で起きた事故なのにそこで暮らす日本人の生活や悲しみは一切描かれてない。その後も、津波や避難所、核貯蔵施設など、自然災害や核をイメージさせるシーンや言葉が登場するが、これらは単なる物語のネタとして扱われるだけである。...
  2万人近い犠牲者を出した未曾有の自然災害からわずか3年たらず。今も続く福島の状況を考えると、この取り上げ方はあまりにむごい。ハリウッドにとっては、東日本大震災や原発事故は対岸の火事として見られているだろうか。あげくヒロシマまでとってつけたような形でエピソードだけが登場し、日本人として悲しい気持ちになった。
 思えば世界トップクラスの軍備と核兵器、そして原子力発電所保有国のアメリカにまともなゴジラ映画が作れるはずがなかった。
 アメリカにゴジラ映画は作れない。
 ゴジラがオリジナルに近い姿をしていようがいまいが関係ない。強者の上から目線でゴジラを描く限り、核や戦争、原子力の問題から目を背け続ける限り、本当のゴジラ映画は作れない。
 そしてそれは、今の日本にも全く同じことが言える。日本は広島,長崎,そして福島。日本のゴジラをまた登場させてほしい。でないと,ゴジラがかわいそうだ。
ゴジラは単なる怪獣映画ではないのだ。(子どもの頃はそんなことを思わなかったが)

ゴジラ