「関東八十八ヵ所遍路(90/95)」写真集-関東86番「宥勝寺」(埼玉県本庄市) | 多幸の湯番台のブログ

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「関八州ぶらり旅」(2015年関東地方一周ぶらり旅) 第34日目(その3)

「関東八十八ヵ所お遍路日記」

「関東八十八ヵ所遍路(90/95)」写真集-関東86番「宥勝寺」(埼玉県本庄市)

撮影日時:平成27年5月25日(月)。 場所:埼玉県本庄市栗崎155。 道の駅「かわもと」を離れ、次に向かったのは本庄市栗崎地区にある関東86番「宥勝寺」。 その間の距離は約19kmあった。道の駅「かわもと」を離れやって来た国道140号線を西へ田中(北)まで戻る。そこで右折して県道69号線に入り北へ進む。 城址公園入口で左折して国道17号線に入り北西へ。寿三丁目で左折して県道23号線に乗り西へ。 けや木2丁目で左折して県道31号線に入り南へ1.5㎞ほど進むと右側、上越新幹線「本庄早稲田駅」の近くに目指す関東86番「宥勝寺」がある。本庄市の山間部にある霊場で山門を潜ると立派な鐘楼があり、本堂・庫裡がある。 応対してくれた副住職は本堂内に十二天の絵があると言われたが、戸の隙間から覗くだけで、せめて本堂内に入れて見せて頂ければありがたかったが残念である。(写真の右下の「+」の上でクリックして下さい。拡大されます。)

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①関東86番「宥勝寺」の立派な山門。

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②山門前に安置されている伝染病平癒を願って祀られた北向き延命地蔵尊と六地蔵(左)と「本庄新八景」に指定されている宥勝寺の案内板(右)。(合成写真)

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③山門から続く参道とその奥の本堂。

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④立派な鐘楼堂。

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⑤本堂の全景。

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⑥本堂の内陣(上)とご本尊の不動明王のアップ写真(下)。(合成写真)

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⑦天を突く巨木の写真2枚(合成写真)。

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⑧庫裡。

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⑨「二十二夜待供羪(供養)」塔や石仏など。

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⑩関東86番「宥勝寺」のご朱印とご詠歌。

関東86番「西光山 宥勝寺(ゆうしょうじ)」。【宗派】真言宗智山派。 【本尊】不動明王。 【真言】のうまくさまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん。 【寺院縁起】西光山宥勝寺は、本庄駅南方約2.5キロ、字栗崎の浅見山丘陵の東端にある真言密教寺院である。 寺伝によると建仁2年(1202)有荘氏(後の本庄氏)により開創された。始め有道宿弥武惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長の嫡子小太郎頼家が寿永3年(1184)一ノ谷の合戦で戦死した為、その妻が菩提を弔うため京より法印良運和尚を迎えて一寺を建立、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった。これより前、有道惟行は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していた。延元2年(1338)新田、足利の兵火で焼失、天文6年(1538)北条、上杉の戦国兵乱の時無住となった。荒廃するを惜しみ紀州根来寺より僧頼暁来り、天文24年(1555)西光、有荘の両寺を合併して一寺をなし、西光山無量寿院宥勝寺と改称された。 爾来、末寺数十ヶ寺を有する地方有数の名刹となり、慶安元年(1648)良弁僧都の時、徳川家より御朱印拾石を賜り、寛永3年(1791)御室御所仁和寺直末となり菊花紋章の使用を許されている。現在の本堂は嘉永元年(1848)宥応代に再建されたもの。本尊不動明王は興教大師作と伝えられる秘仏。また西光寺の本尊阿弥陀如来は鎌倉期の作。 当寺山門前に「北向延命地蔵尊」と「六地蔵」が祀られている。江戸後期の造顕で当寺疫病が流行、病気平癒を祈願して建てられたといわれている。参道脇には文化14年(1817)の「双躰地蔵尊」がある。(関東八十八ヵ所霊場会公式HPより引用)