Alchemy was completed! -2ページ目
自分の心の領域のある一部分を聖域にしたままでいる。
いろいろな理由があってのことだろう。
そこに目を向けるメリットにも少しずつ気付いてきた。
男にして女の誘惑よりつつがなく身を脱するは、まことにこの世のただ一つの奇蹟たるべし。
『完訳千一夜物語』(一)「シャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語」

北光お姉さんたちと遊んだ。

おっぱいちらちらアピールしてた村上お姉さんは、過剰適合思考状態。
浜田お姉さんは直線的で傷つきやすい。

カフェにいって、ファーマーズいって、うちに来て、お酒を飲んで、テレビ見たりしてた。
女の子とは?っていう現実を勉強するいい機会になった。
1920年くらいの時代と今2009年

例えば、今を1920年と思って生きていたって何が違うんだろう。

他人は過去に戻れるとでも思ってたんだろうか。

1920年くらいの時代の女性。
こう思って浮かぶイメージが心地良い。
時間の感覚の歪みだろうか。

現代の人が現代のみのなかにいるわけじゃない。
過去があって、そこから再度学んだりだってできるはずだ。

なぜこんなことを思うんだろう。
学園で中3の男の子と一緒に「ゴースト~ニューヨークの幻」をみた。
映画好きなこの子と話していたら、お互いに何となく見たいと思っていた作品だったので、こっそり借りて来てあげた。

勧善懲悪もあるんだけど、それを超えた魂としての生き方というものをとってもうまく表現している。
あれだけ自由に自分の目標だけを全うできるのは、死んでるからなのかもしれない。

とっても素敵な時間だった。ありがとう。見終わって、泣いてるところがかわいらしかった。

Like a sam &molly!!

鏡が必要なくなるためには?
「過去は変えられない」とよくいうが、単純に未来だけをみてはならない。
過去の成功に上手に焦点を合わせることを忘れてはならない。
これをしなければいくら成功しても、また、過ぎ去ってしまう。
成功は次の成功の力になる。それをしなければ、キリがなくなる。
とても大事なことだと思う。

無から有は産まれない。
不安の時代に生まれました。
教育は表面的にだけ授かっています。

さあどうしますか?

不安には安心を。
表面には本質を。

人が環境を作れるなら、おれはこの時代に合わせた心理療法を行える。

昔、なんで生きてるかわからなくならない?って聞いたおれに、
キン先生は「死ぬために生きてるってよくいうよね。」っていった。

今思えばそれは間違いで、生きること自体に期限があるということで、その先にだけ死を置くのがおかしいんだと思う。

「死ぬということを人間の最終的な形としないほうがいいんじゃないかな」とTVで生前の森繁久彌がいっているところが今日映っていた。

なるほどって感じた。

子どもの頃に、「あ。死なないなら生きていられないんだ!」ってひらめいたんだけど、なんでそう思ったのか、思い出せなくなったことがあった。

一生懸命生きたかったんだ。子どもの頃からずっと。それだけは憶えておこう。