今私の自宅には義父が居ます。
義父は癌を患っており、住んでいた家(妻の実家)は田舎で最寄りの大病院まで通うのに往復3時間もかかる。
また、実家には4人住んで居るが全て60代以上の高齢者。いわゆる老老介護を余儀なくされる。
そこで都会の私の家に移ってもらい、ここを起点にして通院・入院を繰り返している。
最近も一時退院を繰り返しているが、末期癌。余命は長くない。
全身の骨全て癌に侵されているので、強い抗がん剤を使うと骨が崩れる。使うとまず顎が崩れて食事が出来なくなり、膝の骨が崩れて寝たきりになるそう。だから弱性のものしか投与できない。

また、腎臓から管を経て膀胱へ進む尿道から先もほぼ壊死してるので、腰に人工尿道を付けている。常に尿タンクを付けて歩いていて、更に膀胱からの反応が無いから腎臓が尿を出し続ける。よって昼間でも4リットルを目標に水を飲まなくてはいけない。
そんな義父だが、でも何故か楽しそう。
娘(私の妻)や孫にいつも囲まれて笑顔。一緒にテレビを観たりトランプをして遊ぶ姿の笑顔が素敵だ。また友人からも電話が多い。義父には人が集まっているから。
この幸せな時がいつまでも続けば良いのだが、運命の時間は進み続ける。

対して私の父親は実家で一人暮らし。妻(私の母)を亡くしてからもう30年以上ほぼ独り暮らし。
65歳で自営業を引退して現在85歳。若いころ工場勤めだったけど自営業に転身。理由は明確「人と関わるのが嫌だから」
それからずっと独りで仕事。家族にも怒りっぽかった。
そして現在は電話での話し相手だった兄弟や友人も次々に亡くなり、本当に独りぼっち。
数年前に私の家に引き取る話もしたが、「お前の世話になるのは本当に歩けなくなった時だ。でもお前以外の奴と話すとすぐ喧嘩になるからいらん。死ぬ時は独りで死ぬ」と寂しい事を言う。本心かどうか分からぬが。

だから俺が毎週安否確認の電話を入れている。
電話口では嬉しそうに話す。だって話し相手が居ませんから。本心は寂しいに違いない。

ここでこの2人を比較する。
義父は幸せな正しい最期になると思う。
対して私の父親は寂しい最期になるかと。

父親は私以外の娘(私の姉)も親戚も全て人間性や行動を否定して怒りまくる。
自業自得と言えばそれまでだが、私は父親を庇う。愚痴や怒りも「うんうん、そうだよねー」と聞いてやる。だって家族だからさ、この人が居なかったら俺は今存在していないからさ。
だから実家に帰る時はいつも親父の好物のミスタードーナツを土産に買っていく。
「また買ってきやがって」と言うが、笑顔なのですぐ解かる。夜まで話を聞いてやって、俺がバスの時間を気にしていると寂しそうな顔をするので、これもすぐ解かる。
悪態ついてても本心は見え見え。だから俺は親父の最後のその時まで面倒見てやるぜ。ずっとな。長生きしようぜ。

父親には申し訳ないが、反面教師にさせてもらうよ。俺は幸せな正しい最期を選ぼうと思う。