瞼が、動いた
ぴくりぴくりと
俺は、イムジャの顔をじっと見つめた
握る手に力をこめる
戻って、来い!
心の中で、もう一度、叫ぶ
何回か、動いた瞼が、重そうに開かれる
イムジャの視線が、天井を、見つめている
そうして、ゆっくりと俺のほうに首が動いた
焦点が合っていないみたいだ
じっと、俺をみている
俺は、天界で初めて視線が合ったときと同じ
妙な高揚感を覚えた
「どうしてここにいるの?」
そういうと、イムジャはまた瞼を閉じる
また、夢の世界に戻ったのだろうか?
俺を俺と認めたのか?
口角があがったままだ。
「目が、開きませんか?」
俺が問うと、思いのほかしっかりした口調で返事が返ってきた
「うん。瞼が重くって仕方ないの。」
「では、目が覚めるまで傍におりましょう。」
イムジャが、目をつぶったまま、微笑む
「ふふふ、やっぱり夢だわ
忙しいウダルチテジャンが、傍にいる、なんていうはずないもの」
そう、言うと、イムジャはしばらく黙っていたが
突然大声で叫んだ
「チェ・ヨン!」
今まで寝ていたとは思えないくらいの勢いで
上半身を起こす
そうして俺を、まじまじと見る。
俺がここにいるのが、信じられないようだ。
俺はびっくりを通り越して、笑ってしまった
「なんですか、大きな声で」
「チェさん、そうよ、チェ・ヨンだわ。
ああ、名前が思い出せなくて」
俺の名前を忘れていたのだろうか?
と、いうことは
夢で逢っていたのは俺なのだろうか?
「・・・・チェさん。何でここにいるの?
いつ、帰ってきたの?」
俺をこんなに心配させたのに。
俺は少し腹が立った
「あれほど騒動を起こすな、と申し上げたのに。
あなたは4日間も眠りっぱなしだったのですよ。
私が開京に戻ってから、2日経ちました」
「え?なんで?私、そんなに寝ていたの?」
「知らない人からあれほど物をもらうな、といってありますでしょう。
ミンジョンという薬員、典医寺のものは誰も知らなかったのです。
おそらく、以前市井であなたを襲った輩の手のものかと。
ユラが、ミンジョンからあなたが何かをもらっていたというのを見ていたおかげで
残っていたかすから薬草をチャン侍医が特定してくれて・・・」
話しているうちに、落ち着いてきた
毒ではない、と聞いたときの感情がよみがえる
「解毒剤を用いるほどの毒ではなく、強力な眠り薬でした。
眠らせて、誘拐するつもりだったのか。
すぐにチュンソクがミンジョンを探したのですが
見つからなかったそうです
あなたに薬を盛ったのがどのような意図なのか。
今では知る由がありませんが。
それでも、4日眠るほどの薬ではないらしく
侍医は、もしかしたらあなたはここに戻ってきたくはなかったのかも、と言っていました。
そんなに、夢の中が心地よかったですか?」
尋ねた俺の眸を、まっすぐに見ていたイムジャの頬が
急に赤く色づいた
「俺が戻った夜、寝言であなたは叫んでいました。
オンマ、アッパ、と・・・
天界のお父上とお母上にお会いになっていたんですか?」
きっと、そうなんだろう。
だから帰りたくなかったんだ
夢から、覚めたくなかったんだ、と
そういうと、思っていた
「そんなに、私を帰したい?」
なぜか、そんな言葉がイムジャの口から出た
「私を、オンマとアッパのところに戻したいの?」
「約束ゆえ・・・」
俺は、イムジャの眸を見れなくなってうつむいた。
今、俺はきっと情けない顔をしている
突然、イムジャは俺のほおを両手で包んで自分に向けた
何をするんだ?
俺はびっくりしてイムジャを見つめる
「夢で、オンマとアッパに逢えた。
幸せだったわ。
今は、それだけで十分」
「・・・」
「チャン先生の言ったことは、当たっている。
私、戻りたくなかったの。
夢のなかにずっといたかったの。」
やっぱりご両親の傍に戻りたいのか
思わず、唇を噛んだ。
俺のことを、少しでも、と思ったのは
浅ましい思い違いだったのだろうか
「時期が来れば、必ずお帰しいたす。
いましばらく、耐えてくだされ」
急にイムジャは俺の頬を掴んで、伸ばした
「なっ・・・」
笑っている
「ほらこうして笑ってよ。
いましばらく、あなたのお世話になるから。
いましばらく、あなたのそばにいさせて」
俺の顔に、笑顔を貼り付けるつもりなのか
こんなことが俺に出来るのは、あなたくらいだ。
そういえば、雪だるまを作ったのも
俺を笑わせるため、と言っていたな
俺が思っている以上に、もしかしたら
あなたは俺を好いていてくれているのかもしれない
ここに戻ってきてくれたことが
何よりの証なのか
ご両親よりも俺の声を聞いて
俺を選んでくれたのだろうか
たまたま、戻ったのだとしても
構わない
俺は、もう、決めたから
「もう、終いです」
ぞんざいにイムジャの手を振りほどく
掴まれていた頬が、痛い
こんなに強く引っ張ることはなかろう?
ギロリ、と睨んでも、平気な顔をしている
それでこそ、イムジャだ
長く寝ていたのにあまりにイムジャらしくて、口角が上がってしまう
そんな顔を見られたくなくて
俺は椅子から立ち上がった
「だいぶ意識もはっきりしたようですね。侍医を呼んできます」
「ねえ」
寝台から、俺を見上げる
「どうして部屋に入ったの?絶対に入らないんじゃなかったの?」
俺は、ふう、と息をつくと、鬼剣を握りなおした
「あきらめましたゆえ・・・」
「あきらめた?」
「観念した、と言うべきでしょうか。逆らうのはやめました」
「なにに?」
「そのうち、おわかりになります」
俺は、ぽりぽりと自分の鼻の頭を掻く
そうして、ぽんぽんとイムジャの頭を2回、いつものようにたたいた
あなたは後悔するかもしれない
目覚めてしまったことを
けれど、俺は決めたから
俺は、俺のやりたいようにさせていただく
俺を惚れさせた、あなたがいけない
恨むなら、自分自身をうらんでください
俺は、自然に含むような笑顔になった
何かを感じたのか?
イムジャの頬が赤くなる
部屋から出ると、もう、外は真っ暗だった
針のように細い月が天空に輝く
けれど、俺の心は満月のように満ちていた
俺は、チャン侍医のもとへと急いだ
明くる日
午後のウダルチの鍛錬までにまだ時間がある
俺はイムジャの部屋に向かった
回廊を曲がり、東屋を左手に見て
少し行くとイムジャの部屋だ
まだ雪が所々に残っている
屋根があるだけの東屋は、この季節は誰も訪れないのだろう
いつも寂しげにたたずんでいるのだが
今日は、なにやら赤いものがちらちら動いている
まさか?
俺は、早足で、歩く
東屋の手前にユラとハニョンがいた
俺は問いたいのを我慢して、東屋に足をかける
「イムジャ!」
赤い綿入れを着込んだイムジャが
俺を認めるとにっこり笑う
「やっぱり、来た」
そういって、傍の椅子を指差す
「ね、座って」
俺は何から言おうか、言いたいことがありすぎて
言葉にならず口をうごかす
そんな俺を見て、うんうん、とイムジャはうなづく
「チェさんが言いたいことはわかるわ。
なんで、部屋にいないのか、って?
昨日、長い眠りから覚めたばかりなのに。
だって、お布団、あきちゃったんだもの。
だからって、寒いのにここにいることない、って?
だって、念を送るのに部屋よりここのほうがいいと思って」
イムジャは、俺は来た方角に身体を向ける
「私、ここからウダルチ宿舎に念を送っていたの。
チェ・ヨン、チェ・ヨン、ウンスの傍に来い!って。
だから、来てくれたんでしょ?」
そんな念は感じなかったが、言い返すのも面倒になった
どさ、っと音を立てて椅子に腰をかける
「私に、なにか、用ですか?」
俺が問うと、イムジャは俺の傍に椅子を運び、腰をかける
「手、出して」
「はい?」
「いいから。手を見せて」
俺はおずおずと両手のひらをイムジャに向けて差し出した
「なんですか?」
「こっちじゃないの。裏」
そういって、俺の手を掴んで、反対にする
手の甲の指の付け根に、赤い線が横に小さく四本づつ走っている
俺は、イムジャの顔を見た
覚えているのか?
イムジャは、俺の指に自分の指を絡ませて
ぎゅっと握る
俺の赤い線と、イムジャの爪の位置がぴったりと、合う
「やっぱり、私だったのね・・・」
俺についた爪のあとを、優しく指の腹でなでつける
「ごめんね、痛かったでしょう?」
「・・・よく、気が付きましたね」
俺は、イムジャの指先から、俺の手を引っ込める
赤い線を、無意識になでる
「昨日、あなたの手を見て、何だろう、って思っていたの。
夢で、オンマとアッパが急に消えて、私、怖くて、
近くにあったなにかをギュッと握った気がしたから、もしかして、と思って。」
しばらく、下を見ていたが、顔を上げて俺を見つめる
「ずっと、傍にいてくれたのね、チェさん」
俺は気恥ずかしくなって、横を向く
「ずっとなど、おりません。
たまたま俺がお傍にいたときだったのでしょう。」
「・・・それでもいいの。嬉しい。ありがとう。」
上目遣いの微笑みに、俺の鼓動は早鐘を打つ
気取られぬよう、わざと咳をし、席を立つ
「そんなことでしたら、わざわざこんな寒いところで待たなくても。
部屋でお待ちしていればよろしいのに」
「だって、呼んでもあなたは来ないから・・・」
「言ったでしょう、覚悟を決めた、と。
これからはあなたが呼べば、部屋でもどこでも伺いますから。」
「・・・急に、どうしたの?」
いぶかしげに、俺を見る。
「なにか、悪いものでも食べたの?」
俺は、吹き出した
「・・・あなたではありません。思うところがあるのですよ」
「思うところ、って?」
しつこく食い下がって聞こうとする。
普通の女人ならこの辺で諦めるだろう
イムジャは、知りたいことは知りたい。
知らずにいたら、きっといつまでもうだうだするのだろう。
「陽の光があるとはいえ、風邪が冷たい。
病みあがりなのですよ。部屋に戻りましょう。
言うこと聞かないと、担いでいきますよ」
「私を荷物みたいに扱わないで、って言ってるでしょ!」
頬を膨らませる。
ああ、イムジャが戻ってきたな。
こういう表情までいとおしいと思ってしまう俺は、ほんとにイカレちまったようだ。
「以前、ここで、イムジャが言ったこと、覚えてますか?」
「・・・なあに?」
「秋夕のあとだったか。冬が来る前のことです。
イムジャは、夜が好きだと。
夜、眠って夢を見ると、逢いたい人に逢えるからだ、と、そう言ってました。」
「・・・言った、気がする・・・」
俺が何を言おうとしているのか
測りかねているようだ
「イムジャは、イムジャが誰に逢いたいのか、当ててみろ、とおっしゃったのです。
私はわからない、降参だ、と申しました。
あなたは、私がわかったら、なんでも一回、言うことを聞く、とおっしゃいました。
私は、あなたが誰に逢いたかったのか、やっとわかったのですよ。」
「!」
びっくりした眸で、イムジャが俺をみつめる
「やっと、わかったから、私は覚悟を、決めました」
俺は、ゆっくりとイムジャに向き直る
イムジャが、ごくんとつばを飲み込む音が聞こえて
俺は、つい、笑ってしまいそうになったのを、こらえる
俺は、イムジャだけに聞こえるように
イムジャの耳に、唇を寄せた
「俺でしょ?」
イムジャの顔が、真っ赤に変わる
口が、パクパクしている。
さっきの俺と同じだ
言いたいのに、言葉が出ないんだ
俺はイムジャの頭をポンポンと叩くと
ニヤリと笑った
「私は、これからウダルチの鍛錬につきあわなくっちゃなりません。
部屋には、ユラたちに付き添わせます。
イムジャ、顔が真っ赤ですよ。
熱が出てきたみたいですね」
そう言ってユラとハニョンを呼ぶ
「医仙が熱が出てきたようだ。
俺はもう行かなくっちゃならんから、部屋にお送りしてくれ」
「はい、テジャン」
二人にうなづくと、まだ口をパクパクしているイムジャに向かって、言った
「また、伺います。ゆっくり休んでください。
あ、何でも一回言うことを聞く、と言う約束、お忘れなく」
イムジャに礼をすると、俺は東屋を後にした
言葉は無くても、あの、一瞬で真っ赤になった顔を見れば十分だ
今は、天に戻すことは、考えまい
俺はなにやら愉快になって
高鳴る気持ちを抑えるのに苦労した
「恋をするとは思わなくて」 了