自分軸
自分軸とは何だろうか。よく言われることかもしれないけど、この激動の時代によくよく感がていかなければならない。へたをすると、
スピリチュアルで突き進んでいるにも関わらず、知らず知らずのうちに眠りに陥ってしまうことがあるからだ。
自分軸とは、それはたしかにそれぞれ自分でどういうものかを決めればいいものかもしれない。
しかし、とても悲しいことがある。
「私は、もうやりたくないことはやらないことにした。」
「私は、やりたいことだけをやることにしました。」
「自分の感性に従って生きるんだ。」
これって果たして自分軸でしょうか。
何か物事を頼まれたとしましょう。
自分軸を持っていると思っている人が、
「自分や、この頼まれごとはやりたくないと感じたから、自分軸に従って断ろう!、できません。」
これは、相手を傷つけることにもなりかけない。
ここで誤解してほしくないことは、他人軸になって人に合わせようということではない。
本当にスピリチュアルに目覚めた人は、自分のことと同じように、相手のことも考えられるため、
相手が傷つくことがわかってしまい、
相手が傷つくことはすなわち自分が傷つくことであるから、そのような言動はとれないということなのです。
私は宇宙。宇宙は私。
あなたは宇宙。宇宙はあなた。
私はあなた、あなたは私。
全部、一なるものとして感じてしまうため、すべてにとって最善の行動をとることが
、相手にとってはもちろん、自分にとっても最善の言動になるのではないでしょうか。
そうしないと、スピリチュアルに目覚めた人が、かえって人を傷つけてしまっているということになりかねません。
それはとても悲しいことです。
スピリチュアルに目覚めた人は、そのうち、能力が開花します。相手の考えていることもわかってしまいます。
そのとき、自分軸と思っていたことが、実は相手を傷つけてしまっていた、とならないように気をつけたいものです。
肉体を脱いだあとは、自分のことを走馬灯のように再体験すると言われています。
同時に、自分がかかわった人の体験も全て自分の感情として体験するとも言われています。
傷つけてしまった人のことも、自分のこととして体験してしまうのです。
でも、目醒めた人たちは、肉体を脱ぐまえに、肉体を持ちながら、
すべての人の幸せを感じることができる感性をもっているため、
そのような苦しい体験をしなくてもよいのかもしれません。
自分軸について、再度考えてみたところです。