遥か彼方のできごとだが、わたしは二十歳になった誕生日の日に産まれてはじめて交通事故にあった。白昼の図書館帰りである。自転車で青信号を渡ろうとしていたときに左折車にまきこまれた。とはいえ軽くひっかけられた程度、自転車は見事まっぷたつに折れ曲がったが体はかすり傷ていどのものだった。
ダリの絵みたいにぐにゃりとして原型をとどめぬ自転車と散乱している図書館の本たち(自転車のカゴに生で入れてあったので)そして蛙のようにひっくり孵ったわたしの周りには、わらわらと人があつまってきて口々に大丈夫かと声をかける。いまこのような事態に陥ったのならば、のちのちのことなど考え、ひっくりかえったまま痛い痛いといいつつ救急車でも呼んでもらうかもしれないがそこは二十歳のお年頃である。
とにかく痛いより恥ずかしい、一刻もはやくこの場を立ち去りたいという思いだけが駆け巡る。と同時に立ち上がり「大丈夫です大丈夫です」とうわごとのように連呼しながら自転車をおこそうとしていた。無理なのに。だって廃車同然、曲がってるから。周りの人は自転車はいいから、といいたまたま通りがかりのタクシーの運転手さんが家まで送ると後部のドアをあけてくれた。結局家から車で5分ほどの事故現場からはその運転手さんに送ってもらった。いいひと。
当のひっかけた車だが、逃げられた。ひき逃げ。周りの人たちがあんちくしょーとか逃げやがった、とかひき逃げだーとか待てーーとか口々に車の去っていった方を向いている記憶がある。車のナンバーこそ誰もみていなかったようだがたまたま事故現場の交差点にある床屋の主人、店の外で煙草を飲んでいたようで、すべて見ていたという。社用車だった、屋号が書いてあった、○○屋だったから、と教えてくれた。
そのころわたしは近所のボクシングジムに通っており、まあたいして怪我などもしていないのでその事故翌日にもジムへ行き、こうこうこんなめにあって参ったなあ、という世間話をジム仲間にしていた。ら、その人、その屋号○○屋と取引があるという。ちょっくら聞いてみるよといった翌日にあっさりと犯人は割り出された。
本人は全然気づきませんでしたとしらをきっていたようだがそんなわけがない。まあ命に別状はないが頭とか打ってるかもしれないし顔にちょっとして擦り傷なんかもできたわけで示談にしましょと交渉した結果、半月後にわたしの銀行口座に自転車台を含む五十萬円が振り込まれた。(自転車はディスカウントショップで壱萬円以下のものだけど、五萬円くらいといったかな)
二十歳の誕生日におこった出来事のおかげである程度の交渉力と現金五十萬円を手に入れた、そしてなにより下町の人情を再認識したわたしはやはり運がいいのだろうな。って違うかな。