2025.10.13 閉幕日の万博へ
なんということでしょう。
あきらめていた万博最終日に
行くことができました
両親への感謝とともに忘れないように
残しておこうと思います。
万博の閉幕3日ほど前のこと。
ご近所さんのお孫さんからLINEが。
どうしたんだろう
と思ったら、
最終日の万博、僕も仕事で行くから一緒に行こう。
って
彼らのおばあちゃんが頼んでくれたよう。
なぜ、おばあちゃんが頼んだからと行けることに?
お孫さん達は、兄弟でパキスタン館でご活躍。
テレビや新聞でも「日本生まれ」や「大阪生まれ」
など取り上げられました。
彼らがまだ、小学校のときに一年間、日本の学校を体験
するために親元から離れて日本に住んでいました。
それ以外はパキスタンで育ち、途中、アメリカへは留学しているのですが、家族で話すときは日本語なのだとか。
でも、彼らの日本語は大阪弁です
だって、お母さんは生まれも育ちも大阪だからね
そんな彼らも大きくなって万博で日本に戻るとは
弟くんは、ここ一年ほどおばあちゃんのお家に
居候しております。だから、良く会う(笑)
とても茶目っ気のある魅力的な子です。
近所に若い子がいると心強いですしね。
話しは戻って、
閉幕日の予約は、いくら朝4時、5時から頑張っても取れなかったのです。閉幕3日前まで頑張っていました。
毎日寝不足になって頑張ったけどダメでした。
通パスもここまでか…とあきらめたのです
だから、私の万博は、10月8日が最終日。
ありがとう
を連発した、8日の帰り道が懐かしい
そんな中、まさかのお誘いを受けたのです。
彼らは、うちの亡くなった父に、とてもお世話になったと。
「一体なにを?」と、うちの家族には謎。
兄弟が別々に、自分のジュースを取られたくないので
『おじちゃん、預かって』と頼まれて預かったとか
そういう話しは聞いてはいましたが、
それ
とか
そんなこんな想像しつつ
でも、何はともあれ両親のご近所付き合いのお陰で、こんな機会が巡ってきたことに感謝でした。
ただ、最近の母は、車椅子で連れて行かなければなりません。
最終日とあって人混みも普通ではないと想像。
母は置いていくか迷いました。
が、行きたかったら全力で連れていくと聞いてみたら
「行きたい」というので、三人が行けるように
手配してくれました。感謝
弟くんが、当日は母の車椅子を運んでくれたり、本当に
有り難かった
こちらは関係者入場口に並ぶスタッフの方々。
夢洲駅の北側です。この先に関係者ゲートが。
兄くんが西ゲートの方にあるコモンズDから
関係者パスを持ってきてくれました。
弟くんも「こんなにすごい人は初めて」と。
警備員さんも『関係者入場口もすごいことになっています~』と拡声器で(笑)
それでも、8時30分入場の人たちよりわずかに早く関係者ゲートを通過させてもらって安全に中に入れました。
マスコミの方々がゲートに向かってカメラを構えて最終日の来場者を撮影しているので、後ろを通って移動。
そして、日本館に向かい当日の自由観覧の列に並びました。
ってことで、閉幕日に入場するまでを記しました。
続きは、日本館とアメリカ館に行ってみたことを記したいと思います。