初夏の風物詩的な食べ物、

老松さんの

『夏柑糖(夏みかんの寒天ゼリー)』が好きだ。

 

 

【甘酸相和(かんさんそうわ)】

 

夏蜜柑(夏みかん)の持つ

甘い中にも酸味と苦味があり、

サッパリとして

さらに食べ応えもある。

 

また、

 

七夕迄の期間限定商品とあり

手土産にも丁度良く

いつの頃からか

まんまとハマって今に至る。

 

 

【夏柑糖の誕生】にふれれば

四代目 太田達 氏が

お祖母様に言われ

庭の夏みかんで寒天ゼリーを作ったのが

始まりだとか。

 

現在では

長州 萩の夏みかんを取り入れ

寒天と砂糖で 見事に作られている。

 

最後に

 

「夏柑糖」の夏みかんが

京都の方らしい考えだなぁと

思うのは

 

柑橘類で有れば

グレープフルーツでもなんでも

出来そうなのに 夏みかんにこだわられたのは

味と夏みかんが【日本固有】の柑橘類だからに

他ならないと言うことらしい。

 

漂流してきたものが 

日本固有のものなのかどうかは

別として

 

日の本 日本に

漂流して来たのも なにかの「縁」

 

四代目 太田 達 氏は

「お菓子は 人と人を繋ぐ 中継ぎ」

だと おっしゃる

 

では

 

太田侑馬氏と植村健士氏との

次世代のお二人は

今後なんとおっしゃるのだろう?

 

世代交代後が 非常に興味深く楽しみだ❗️

 

 

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蛇足1)

 

有職菓子御調進所 『老松』

明治41年(1908年)創業

 

〈有職菓子御調進所〉

平安時代の宮廷祭祀官の流れを汲む家系、

古来より宮中の有職故実にもとづく儀式・典礼に使われる菓子を手掛けてきた。

 

店の名は 

 

(土師(はじ)一族の一つ菅原家)菅原道真公、菅原是善(これよし)(父)、菅原清公(きよきみ)(祖父)で有名な北野天満宮の

末社 【老松社】

 

老松社は、

(道真公の師であり、正室:島田宣来子(しまだののぶきこ)の父でも有る

島田忠臣(しまだのただおみ)を祭神として祀(ま)っている。

 

島田忠臣は 道真の父:菅原是善(これよし)の弟子だったが出世して 藤原時平の父:藤原基経(もとよし)の近習となった人物。(漢詩の当時第一人者の一人)

 

その老松社から 店の名を

「老松」と なさっている。

 

※北野天満宮から 上七軒までは

すぐソコの距離間

 

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蛇足2)

 

下記のような

【飛梅(とびうめ)伝説】は 有名だが 

 

「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花  

主(あるじ)無しとて 春を忘るな」

 

拾遺集(しゅういしゅう)=拾遺和歌集:平安時代

大鏡:平安-鎌倉時代

北野天神縁起絵巻:鎌倉時代

源平盛衰記:鎌倉時代?室町時代?

 

「東風吹かば匂いおこせよ梅の花

主人無しとて春な忘れそ」

 

宝物集(ほうぶつしゅう):平安時代末期

太平記:室町時代

古今著聞集(ここんちょもんしゅう):鎌倉時代

十訓抄(じっきんしょう、じっくんしょう):鎌倉時代中期

 

さだまさし氏の 泣けてくる歌にもある 

【飛梅】

「時間という樹の 想い出という落葉を

拾い集める.......

私も一夜で飛んでゆく......

東風(こち)吹かば 君は何処(どこ)かで

想いおこしてくれるだろうか.......。」

 

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中国 秦の始皇帝に 五大夫(ごたいふ)の松として

徳のある樹木とみなされた松。

 

その松の新たな伝説

 

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【老松(追い松)伝説】も有名だ。

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「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 

何とて松の つれなかるらん」

 

(伝説では

桜は 一夜にして枯れてしまったとある。)

 

 

歌舞伎「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の中でも

 

梅王丸は 道真公を追い、

桜丸は自害し、

松王丸は 咎(とが)められたことを

無念に思い息子の命を差し出す。

 

とある。 

 

そんなこんなで 「老松」は

歴史のある 古都京都らしい よい

お店の名前だ。