「セラピールーム光のささやき」と、子どもを亡くした親の会「心のままに月の光の会」を主宰しています、荒川淳子です。

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お盆の準備をしながら、少しいつもと違う夏を感じていました。

「いつもと違う」という感覚があると、どうしてもあの冬、その前のみつほとの「いつもと違う」過ごし方を思い出します。

その時は「いつもと違う」と思わずに毎日毎日忙しくしていて、過ぎ去っていきましたが。

後で思えば、あれも、これも、少~しずつが「いつもと違う」時であったことを思います。

この「いつもと違う」を恐れから感じると、その恐れを現実に創造する、愛から感じると、その愛を現実に創造する、と知り、私は愛へ向けて感じていきます。



母もずいぶんと歳をとり、あれほどお盆のしきたりを守ることに全力を傾けていたのに、体力が追い付かず、今年はいくつかお任せ状態です。

家族の人数も変わったのに、依然と同じようにはできない、それを認めるのが寂しすぎて、がんばってきたんだとも思います。



日々、母との戦いを続けてきた私でしたが、本当に少なくなったこの頃です。

以前だったら、母が「簡単でいいよ、簡単にしようか。」と言うと、私はものすごく怒っていました。

「あんなにきちんとしなきゃいけない。あんなに縛っていたのに。あんなに。。。あんなに。。。あんなに。」と。

果てしなく、自分も楽にならず、母を責めて、自分も責めていました。

でも、母の老いを受け入れるってこんなことだよなぁ、一番受け入れていなかったのは私かもしれないなぁ、と感じています。

セラピー、キャラクトロジー®心理学、さまざまなスキルを学ぶ中で、自分を癒し続けていることで、母との戦いに終止符を打ち、その変化を楽しむ余裕も出てきました。

あれっ?!っと、笑いあえる、ということです。



今日でお盆も終わります。

初盆の時の苛立ちとものすごい虚しさと抵抗と、、、今はやっぱり変化しています。



寂しくもあり、それもよし。

穏やかでもあり、それもよし。

やはり哀しくもあり、それもよし。

そして、やっぱり合図があると、と~っても嬉しい私もいて、それもよし。

合図を単なる勘違いと言われても、そうねぇ、それもよし。



子を思う気持ちには何も変わることではないという、そこがぶれなくなっていることが大きな安定なのでしょう。



新盆をお迎えの方、今日の送り火はことさら辛いことでしょう。

迎え火を焚いても、姿も見えず何の保証もない、その苦しさ辛さは、じっと耐えるしかない時を重ねて、今があります。

自分自身の気持ちの変化に抵抗もしました。

穏やかになっていくことで、忘れてしまうのではないかという恐怖、悲しみ、自分自身に愛を向けることは罪悪、そう思った日々も、やはりあります。

それでも、森羅万象すべてが変化の中にあり、それに逆らうほど、辛いことはありません。

受け入れるという言葉に抵抗があり、散々逆らいました。

でも、時は訪れるものですね。

何より、天の娘、共に生きる息子たちや家族、自分自身、これから先をどう生きるか、それを思うと、やはり優しい日々にしたいという強い思いがありました。

それが、今の私の現実を創ってきたのだと思います。

自らが望むように現実は創造されていく。

自らが望み、選ぶように現実は創造されていく。

何を選んでもいいのですが、今の私は選んできた結果です。

ほんの少しだけ、この先の生きるを思い、皆さんが自分自身を愛することを思い出してくださればいいなぁと、いつも思っています。



今年の庭は西瓜が豊作でした。

2本の苗から、なんと4個のりっぱなスイカたち。





かぼちゃはちょっと残念な、1個だけ。

そして、月下美人が、なんと3回目のつぼみたちが咲く日を待ちかねていました。




1回目3輪、2回目も3輪、3回目は10個以上のつぼみがありました。

今日の送り火に合わせて、3輪が咲いてくれそうです。





♡全ての存在に愛と感謝を込めて♡



♡ある日の空♡飛び立つ鳥のような雲♡



もうっあせる縦横が直せな~いっにひひ