名古屋ネット句会の仲間である太田風子さんが店長の「ことばカフェ岡崎店」

 が、3月5日(火)に開店されました。第一回目のテーマは「オノマトペ」。

  風子さんから、開店の模様をお知らせいただきました。

 

  涅槃西風ねうんねうんと猫の寄る       当卯

  チュウリップくっちぱっちと一括り      典子

  カスピ海春のもにもにヨーグルト       たまゑ

  わっしゃわっしゃクリスマスローズ盛んなり  風子

  

  当日の句会では、「今までにないオノマトペ」を意識されて、みなさんから

 すてきな句が出そろったようです。風子さんからのお便りを拝読し、刺激され

 たことを返事させていただきました。お許しを得て、その中身を記してみます。

 

     「涅槃西風ねうんねうんと猫の寄る」の「ねうんねうん」を、「擬態とも

  擬音とも取れる猫の様子と声」と鑑賞されている風子さんの言葉に、「そう

  なんだ!」と思わず頷いている自分がおりました。すごい句ですね。

   「ねはんにしねうんねうんと」と、声に出して読むと、N音(「ね」に挟

  まれた「ん」の繰り返し)に包まれて、不思議な感覚を覚えます。浄土から

  の迎え風ってこんな感じなのかしらと。そして、最後に「猫の寄る」と意外

  なものが顕われてきます。私は、顕われたものが猫であったことにも驚きま

  したが、最後が「寄る」という言葉で着地していることがすごいと思いまし

  た。ねうんねうんと鳴きながら寄って来るその寄り方は、いかにも涅槃西風

  を纏ったあの世からの使者のようです。誰に寄ってきたのかも気になるとこ

  ろですね。

   今読んでいる本に、「オノマトペは感覚イメージを写し取ることば」

  (『言語の本質』今井むつみ・秋田喜美著 中央公論新社刊 )とありました

  が、まさに風子さんの仰る通り、「ねうんねうん」と写し取ったその感覚は、

  聴覚のようでもあり視覚のようでもあります。擬音語・擬態語と整理されて

  しまったオノマトペではなく、さまざまな感覚が動員されているのかもしれ

  ません。だからこそ、こんな不思議な響きをもった「ことば」になって、私

  たちの前に現れてきたのでしょうね。

   ご紹介いただいた句には、その感覚イメージの写し取り方に共通したもの

  を感じました。「くっちぱっち」は、「輪ゴムで括る音」のようでもあり、

  一括りされた「チュウリップ」の「・・リップ」とも響き合って、いかにも

  生気に弾む早春のチュウリップの様子が見えてきました。

   「もにもに」は、「カスピ海」と「ヨーグルト」をつなぐ「春」のやわら

  かくちょっと酸っぱい感触を見事に写し取っています。(「カスピ海」の響

  きから、カルピスの酸っぱい甘さを連想したのです。)見たことがないのに、

  春の光につつまれたカスピ海が、すうっと目の前にあらわれてきました。

   風子さんの「わっしゃわっしゃクリスマスローズ盛んなり」にも、それを

  感じて、思わずクリスマスイヴの花屋の店先に立っている自分を想像してし

  まいました。クリスマスローズは、どちらかというと清楚なイメージの花で

  すが、それが「わっしゃわっしゃ」と「盛んなり」なんですね。花びらの広

  がる様子なのでしょうか。しかし、「わっしゃわっしゃ」は、なにか祭りの

  かけ声の「わっしょいわっしょい」を連想させる動きと声を感じさせます。

  たくさんのクリスマスローズが、いま音を立てて一斉に花びらを開き始めて

  いるようです。クリスマスを迎えるわくわく感が、句全体から伝わってきま

  す。

 

  風子さんたちの挑戦から生まれた新しいオノマトペが写し取った「感覚イメ

 ージは、私の考えてきたこれまでのオノマトペの概念を大きく揺さぶってきま

 した。音(声)を写し取った擬音(声)語、様子や手触りを写し取った擬態語、

 心の動きを写し取った擬情語と、対象のありようを写し取るそれぞれの感覚で、

 オノマトペは整理されているものと思っていたのですが、そんな薄っぺらいも

 のではなかったのです。

  「ねうんねうん」、「くっちぱっち」、「もにもに」、「わっしわっし」な

 ど、これまで出会ったことのないオノマトペには、対象を写し取るさまざまな

 身体感覚が見え隠れしています。

  オノマトペを新しくすることは、対象をとらえる「言葉の身体性」を発見す

 る契機となりそうです。