このブログでは健康について述べたいと思います。誰しも健康で長寿を願いますが、病気は突然に襲って来るものです。サムも若い頃に眼の病と4年前に脳幹出血を経験しました。医者から入院時に再起不能と言われましたが、あきらめずに必死に自分流でリハビリを行い、回復しました。このブログで奇跡とも言える私の経験をお話します。私は医学的な知識など一切持っておりませんが、とにかく元気な体を取り戻すことに成功しました。
脳幹出血
私がこれからお話しすることは私の身に起こった不幸な出来事です。人間はだれしも健康で元気よく人生を歩みたいと願いますが、その願いを神が聞いてくれるとは限りません。おろかな人間の行動によって神から与えられた体を大切にせず、自ら死へと急いでしまうのです。毎日、ブログに記事を書いて行きますので読んでください。
①発病
あれはちょうど4年前の寒い,雪の降る日でした。私の勤務先での仕事の量が非常に多く、新規のプロジェクトがいくつも重なり、企画案を夕方まで仕上げる予定でかなり自分自身にプレッシャーがかかっていました。食生活も規則正しものでなく、コンビニ弁当、外食が中心で、野菜、果物ほ十分に取ってはおりませんでした。その職場は禁煙でなく、オフィス内で社員は自由に喫煙を楽しんでいたのです。私はひどいヘビースモーカーで、その職場で脳幹出血で倒れたのです。
私は30代の後半より血圧が高くなり、近所の病院で血圧を下げる薬を処方してもらい服用していましたが、飲んだり、飲まなかったり、知人に決を下げると言われている健康食品を勧められたりもし、すぐに飛びついて試したりもしました。食事療法がよいと言われればそれも試みました。でも長続きはしませんでした。喫煙は体に良くないと知ってはいるのですが、決して止めようとはしませんでした。医者は「貴方は血圧が高い上に、眼底検査の結果、血管が細く、もろいので、喫煙だけは絶対に止めないと、将来、脳出血、心筋梗塞に必ずなります。」とまではっきり言われていました。それにも関らず愚かにも好きなタバコのセーラムピアニッシモを一日2箱も吸っていたのです。
やがて不幸な日が来たのです。子供と一緒に公園で遊んでいると黒い大きな半透明の丸い物体が見えるのです。急いで近所の眼下に行きましたが、その眼科医院では診断できず、大学病院を紹介され、大学病院に行くと即日入院、精密検査するも原因不明、眼底の出血が見られたのですが病名は分からないと言われ、当時はステロイドを大量に点滴し、眼底出血を止める処置をしてくれたのですが、おかげでステロイドの副作用で苦しみました。完治することなく退院させられ、結果、片目がほぼ失明したのです。私はそれでも喫煙し続けたのです。それはバカとしか言いようがありません。
脳出血の主な原因は高血圧なのです。高血圧の人の血管にはいつも高い圧力がかかっているため、細い血管の壁の一部にこぶのようなふくらみができてしまうそうす。そこにさらに高血圧が続くと、その一部が破裂して脳出血が起こります。また、加齢などによって血管がもろくなっている場合には、さらにリスクが高くなるのです。 また、タバコを吸っている人は脳出血をはじめとする脳卒中になりやすいものです。ニコチンには血管を収縮させる働きがあるため、血圧を高くします。大量の飲酒の習慣がある場合にも脳出血のリスクは高まります。 高血圧以外にも、脳の動脈の奇形や動脈硬化、血液の病気、脳腫瘍などによっても引き起こされることがあります。このブログを読んでる人は「自分だけは絶対にそうはならない」と思っているでしょう。「タバコを止めるぐらいなら死んだほうがましだ」とも思っているでしょう。しかし、タバコを吸っていると大変な苦しみを味わい、人生の絶望を経験することになるのです。私が経験した体験をこれからお話しするのでお楽しみください。近日中にブログにアップします。このブログを読んでいると必ず禁煙できます。禁煙パッチも禁煙ガムも必要がなくなります。
②救急車到着
さて、4年前に戻りおますが、その日は朝からスケジュールがいっぱいでした。夕方には企画書を仕上げて社長に提出の予定でした。気持ちもせいていて、血圧の薬も一週間は服用していなかったと思います。知人で健康食品を扱っている者がおり、健康食品が血圧を下げるのに効くと勧められれ服用していました。
効果は全くありませんでしたが、いずれ効くと思い。医者が処方する薬を飲まなかったんです。その日の朝に変な予感がして、自分は近いうちに病気で倒れるのでは、とふっと思いました。その夜に予感が的中、会議の最中に、発言しようにも声は出なくなり、手足はしびれ、立とうとすると床にヘナヘナと倒れこんだのです。意識はありました。周りの者たちは慌てふためいておりました。やがて救急車のサイレンが聞こえ、救急隊員が私が横たわっている三階まで上がって来て、私に名前、歳、住所、電話番号を何度も効きました。これは私が意識をなくさないようにするためにしたのだと思います。私を階下に運ぶにはエレベーターの無いこのビルではタンカーでは無理で、私を黒いジッパーの付いている死体運搬用の袋に入れ救急隊員と社員数名で担いでおろしたのです。黒い袋の中の私は生きた気持がしません。「もう死ぬんだ」「もう人生は終わりなんだ」頭の中で小さいころよりの思い出が次から次へと甦るのです。救急車はなかなか出発しません。救急隊員は私を受け入れる病院を必死に探しているのです。私は意識がもうろうとしていましたが、やたらと救急車の中の計器類が目につきます。救急隊員は意識がうすれかけている私に「お名前は」「住所」「お歳は」と私の意識がうすれてしまわないように何度も何度も聞きました。救急車の中の私は自分で脳の血管が破れたことを悟り、もう数時間で死ぬんだと覚悟を決めました。そして同時に気持も萎えてしまったのです。
③集中治療室
④病棟
⑤リハビリ
⑥退院
⑦職場復帰
⑧その後のリハビリ
⑨禁煙・禁酒
⑩退職
⑪運動
⑫勉強
健康の秘訣
同志社タイムス2月号
同志社大学 中條毅名誉教授とサム(小南)の対談記事 一部抜粋
同志社大学名誉教授中條毅先生に長寿の秘訣についてお伺いしました。先生は90歳になりますが、背筋はまっすぐ、歩く姿は若者の様に足取りも軽く、顔色もよく、とても健康なのです。先生にどうすれば先生のように健康で元気よくいられるのかお伺いしました。
小南*次にお伺いしたいのは先生の長寿についてです。どのようにすれば先生のようにかっこよく元気に90歳まで活躍できるのか教えてください。読者はこれを一番知りたがっていると思います。
中條*そうですね。平均寿命は高くなっていますが、同志社の名誉教授の中でも私が一番の高齢者になってしまいました。私が若いころより心がけていたのは暴飲暴食を避けること。毎朝必ず、30分間体操をすること。この体操は海軍に入隊しているときに習った体操です。それから足腰を鍛えることですね。人間は足腰から先に弱っていくものです。だから毎日散歩は欠かしません。2時間ぐらい歩いても平気です。
小南*先生が食事に気を使っているのは知っております。若い頃から脂っこい食事を避け、昼食にはいつもリンゴやバナナなどを持参して、研究室でよく食べていたのを覚えています。
中條*まだまだ私の食生活には秘密があるのですが、それは十一月の記念講演会の時に話しましょう。
小南*先生の歩いている姿を遠くから見ると、とても90歳とは思えません。足取りも軽く、背筋も凛として、私たちと何ら変わりません。むしろ私たちの方がよぼよぼ歩いているぐらいです。何か秘訣があるのですか。
中條*さきほど申し上げた様に、足腰を鍛えているからです。
小南*毎日のウオーキングですか。
中條*違います。自宅の階段です。
小南*そういえば先生のご自宅の階段には手すりはないですね。それも吹き抜けの真ん中に手すりのない三階までの階段がありますね。
中條*戦時中私が乗っていた駆逐艦の中をイメージして階段を作ったのです。毎日階段を三階まで上り下りすると手すりもないので、平衡感覚が強化され、足腰も強くなるのです。
小南*でも、ちょっと怖いですね。
中條*慣れれば何ともないのです。あの階段のおかげで私は90歳まで生きれたのかもしれませんね。
小南*読者の皆様、絶対にまねはしないでください。しかし、先生のご自宅の階段は人生は一歩間違えば一寸先は闇だ、危険であると教えてくれているような気がしますし、しっかりと自分の足で歩け、何かに頼るな、と教えている気がします。私もこれからできるだけ手すりを使わず階段の上り下りをするように心がけます。まだまだ先生の長寿方法をお聞きしたいのですが、紙面の都合もあり、十一月の記念講演会にてお聞かせください。楽しみにしています。私たち60歳を超えた者にとっていつ病魔が襲ってくるか不安です。元気にかっこよく先生の様に老いて行きたいのです。今後ともよろしくご指導ください。
中條*私はこの年になって夢を持って生きているのです。それは私が大学で教えた団塊の世代の人たちに生涯教育を勧めることなのです。私も60歳を超えてからたくさん学びました。勉強することは脳の活性化につながり、体も元気になるのです。彼らに学ぶことの大切さを訴えたいのです。彼らに私の様に長生きをしてもらいたいのです。
小南*そうですね。私も大学院に入学してから禁煙にも成功し、腰痛で悩まされてましたが、いつしか消えてしまいました。学ぶことによって体が元気になるとは考えたこともありませんでした。これからは60歳を超えてからも働きたい方がたくさんおられますが、不景気で高齢者が職を得るのは大変です。先生、何かアドバイスを頂ければ幸いです。



