佐賀の花咲おじさん -7ページ目

佐賀の花咲おじさん

佐賀県佐賀市住み。 草花に何の興味も無かった男が『認知症の母との時間を共有する為に』始めた花作りにハマり出す。サラリーマンを続けながら在宅介護を8年間続ける。母は平成25年初夏に天国へ旅立つ。母の思い出とガーデニングや日々の出来事を書いております。

一年ぶりのブログ。

たくさんの方が訪問して頂き、

たくさんのコメントも頂きました。

誠にありがとうございました。


中学時代の同級生達が、

お通夜、葬儀共に受付を引き受けてくれました。

高校時代の同級生達が、

「ブログ見たよ」「ケンタ大丈夫?」って

葬儀翌日に自宅まで駆け付けてくれました。

本当にありがとうございました。

今回は会葬礼状をブログに残しておきます。


「親父の子供で幸せだったよ」

「今まで本当にありがとう」

シャイで優しい男、それが親父です。

きっと二人の姉も大きく頷いてくれること

でしょう。自分の気持ちを表に出す事は

少なかったけれど、心根の温かさはしっかり

家族に伝わってきました。二年程前に生まれた

ひ孫と顔を合わせたときの様子も忘れられ

ません。恐る恐ると言った感じで赤ん坊を

抱っこし目尻を下げておりました。


現役時代にはコンクリート製品を作る

工場で励み続けた大黒柱でした。片道十キロ

程の距離を自転車で通勤していた姿を覚えて

います。定年を迎えてからは夫婦水入らずの

時間を…考えていたかもしれませんが、

その頃から母が記憶のかけらをこぼすように。

「施設に入れたくない」という父の希望で

二人で母の介護を続けてきました。次第に

子供へ戻っていくのか父に甘える母と、それが

まんざらでもなさそうに世話をしていた父。

そんな二人の様子を愛おしく感じたものです。


好きなプロレス中継があるときばかりは

テレビのチャンネルを私たちに譲らずに

夢中になっていたこと、甘いものが好物で

自分も食べたかったのか仕事帰りに よく

回転焼きを買ってきてくれたこと。甦って

くるのは胸を温めてくれる面影ばかりです。

空の上で9年ぶりに母との再会を果たしたら、

二人で肩を並べながら私たちを見守っていて

くれるよう願い、逝く背を見送ります。


令和四年四月二十六日、

父は満九十一歳にて生涯をとじました。

生前心通わせ、温かな手を差し伸べてください

ました皆様へ深く感謝を申し上げます。