KHの日記
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この年になって文章を書くことや、読むことについて、大きな変化がおきようとしている気がする。

何かこれといった大きなきっかけがあったわけではないのだけれど、いろいろなことの積み重ねがたまって、溢れ出たという感じ。

私はこれまで、論理的な文書の読み書きに慣れ親しんできた。

自分が書く文章は、全て箇条書きで書きたいぐらいの勢いだった。

MECEで整理された形で書きたかったのだ。

自分の頭の中を、マインドマップのようにして、あらゆる日常の物事を、マインドマップと照らし合わせて考えたかった。

そして、そのマインドマップを日々、ブラッシュアップしていけば、あらゆることを、多面的にとらえられるという、野望めいたものも持っていた。

そのころは、小説を読むこともあったが、実はちゃんと味わってはいなかったように、今となっては思う。小説の楽しみ方を知らなかったのだ。

自分が知らないということは、知らない人間にとっては気が付きようがないことである。だから、別に疑問も持たなかった。

いや、なんとなく欠けたものがあるといった予感めいたものはあったようにも思う。しかし、大きな問題にはしなかった。

先に述べたように、今回の心境の変化について何か大きな切っ掛けがあったわけではないのだが、小さな断片的な原因はいくつか思い浮かぶ。思い浮かぶままに書き記そうと思う。

 

・「書きあぐねている人のための小説入門」保坂和志

そもそものきっかけはこの本だったように思う。
「小説とは頭の悪い人にしか書けない」といった意味合いの一文があった。
合理的、簡潔、に書くと、小説は書けない。回りくどく、冗長さがあってよい。
そのように、文章を書くことや、文章を楽しむということを、一切してこなかったような気がした。
この本によって、「このままでいいのか?」という問いが自分に生まれた。

 

・町田康の本

文体そのものへの興味というものをはじめてちゃんと味わった。

町田康はなんでもないことを理屈っぽく冗長に書く。しかしそれが面白い。

書いてある内容を知りたいわけではないので、先を早く読み進めたいという欲望がなくなる。

音楽を早送りで聞きたいと思わないように、町田康の本もここちよいテンポで読めればよい。

 

・坂口恭平の本

坂口恭平は、画家、音楽家、文筆家、と多面的な活動をしているが、どれも生活の一部に取り込んでいるようなところがある。

例えば、生きるために書いているといった雰囲気がある。

人はなぜ自己表現をするのかという問いを突き付けらえるが、私には答えが見つからない。

ただ、真摯に生きるということは、大切だと思うし、自分もそうありたいと感じた。

私も、ただただ書くという行為を、うまく書く必要はないから、まずは初めてみようと思い立ち、日記を始めた。

 

・キンドルの読み上げ機能

IT技術の進歩はすごい。

本の読み上げ機能を初めて経験したときは、誤読が多く、途中で止まったりのトラブルだったり、イントネーションも変なところが多く、あまりピンと来なかった。

しかし、最近、久しぶりに読み上げ機能を試したら、飛躍的に品質が向上していた。実用に十分使える。

読み上げ機能で本を読む経験は、読書という概念を少し変えた。なんとなく、映画を見ているような感覚で、本を読んでいた。

というのは、読み上げ機能が一定のスピードで読み上げるので、通常の読書のようにスピードをコントロールすることができない。

むしろスピードのコントロールができないメディアである映画を見るといった経験に近かったのだ。

これは、論理的に内容を追うような文章や、ストーリー展開が中心となる小説などの文章にはあまり向いていないように思う。

一方、文体そのものを味わうような小説や、詩といったものを鑑賞するには向いているのではないかと思う。

あせらずにじっくり味わおうという姿勢で取り組める。

 

いずれにしても、今回、日記を始めることにした。続くかどうかはわからない。

書くこと自体が快感にならないとおそらく続かないだろう。書くことが少しでも気持ちよいことになれば続けることができるだろう。