【恨の精神とは?】
朝鮮人の精神的特徴の一つとされる概念。感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす朝鮮語の概念「恨(ハン)」のこと。
ソウル大で学びつつ延世大学、漢陽大学等で日本語教師を経て筑波大教授となった朝鮮問題に詳しい古田博司先生によりますと『"恨"とは朝鮮の伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況の下で下位に置かれた不満とその解消願望』とされてます。
『韓国人はまず他人を恨み、自然を恨み、神を恨み、災難に遭った自分の不幸を嘆く。事態を受け入れるのではなく飽くまで抵抗する。神や自然に対してまで抵抗し続け恨みをバネに生きていくのが人間であるという考え』
日本人は過去の悲しいことは「不幸な災難だった」と早く忘れたいと思う。避ける事のできない「災難」なら納得できないけれど仕方ない、と。
特に加害者と被害者があれば互いに接触を減らし悲しいことは思い出したくないという考えがあると思います。
加害者側から、誠心誠意謝罪され、賠償され社会的制裁を受けたのならば、いつまでもネチネチ恨むのは潔くないし、被害者側にとっても精神衛生上よろしくないと。日本人の多くの考えははこちらだと思います。
が、朝鮮半島に根付く『恨の文化』とは『恨みは千年も忘れない』というのです。
『恨をバネに抵抗していくのが人間的である』とのこと。
『韓国人は自分の回りで何か問題が起こった時、それを自分ではなく他の誰かのせいにしようとする。
"被害妄想型の恨"である』と。この被害妄想型の恨とは、その言葉の通り『被害妄想』ですから、そのストレス解消が別のところに現れます。
激情型といわれる韓国人ですが、実はその感情表現はストレートなものばかりとは限りません。韓国・朝鮮のことわざが表してます。
『姑への腹立ち紛れに犬の腹をける』=自分の怒りを全く関係のないほかに移す意味。
また『長生きすれば姑の死ぬ日がある』とういう意味の説明は不要でしょう。
尚、姑による嫁いびりは赤ちゃんのお尻を見れば分かるとの皮肉(?)もあるそうです。
意味は、姑に反抗できない嫁が赤ちゃんに当たるという。
日本からしたら有り得ない例えです。(例え酷い『嫁いびり』されたとしても自分が産んだ可愛い赤ちゃんに八つ当たりするか???)
韓国では一般的に通じる例えみたいで驚愕です。
新羅時代より歴代支那王朝の属国であったのは屈辱で、大陸の政変の度に侵略され内乱、服従を余儀なくされた歴史から支配者ですら解消できない問題を抱えた歴史は気の毒に思います。
しかし、抵抗せず大国に事大し続けてきたのは彼等自身で、その結果の境遇を嘆いたり、恨んだり、果てはアカの他人を羨んだりと。やはり日本人の感覚からすると理解できない。
日本人からしたら自業自得でしょう、と。
因みに、今の自分が理想の場所にいないと嘆き、他人を恨み、幸せな人に嫉妬する。
こんな『恨みと嫉妬』に囚われているから負の連鎖を呼び寄せているのでしょう。