1998年、僕らのバンドは過渡期で最高潮を目前としていた
エッグマンとスターパインズカフェを交互にひと月に1回以上のライヴサイクルで、
最後はライヴごとに全曲、あるいは少なくとも8割以上の楽曲を刷新したり、
手を加えることで、同じ演奏形態は2度と披露しない勢いで加速して行った
そして1998年の夏、CLUB Queとスタパでnewbiesは自然崩壊
自らの手で永遠に葬り去った
オルタナ、ギターポップが市民権を得て、ハウス・テクノ・アシッド・ジャズから始まってクラヴミュージックが枝別れ
全盛期の時代
ほとんど全てに手を出してた
この曲、ライヴでやったかも憶えていない