タイトル的に微妙な感じですが、国語辞典に載ってる本来の意味で使っています。
自分の性癖を明かすとかではないです、漢字の印象からそうなるよな孔明の罠やな。
最近よく考えるのですが、
政治家さんとか人気の芸能人さんとかがめちゃ奇麗事を喋ることがあって
それに対して自分は斜に構えてずっと聞いてきたんすよね。
嘘ついてんなー とか 人気取りしてるわ とか まあまあ穿った物の見方してましたわな。
でも自分が本音で生きるようになってくるとこれが面白いもんで
あの人達の言ってた奇麗事を自分がなんの抵抗もなく人に触れ回ってて。
それに違和感もないし奇麗事とも思わない自分がここにいて。
本音で生きると人はきれいごとに還っていくのかなと思います。
きれいごとがアカンのではなく、ソレが人を都合よく扇動できてしまって
周りの人間からするとアジテーターとカリスマの区別が全然つかないのが問題かな、
無駄に難しくしてしまった。。
とりま自分的に、人は生まれながらに善人とは思えないシニカルな所に立脚してまして。
そこでジタバタしていろいろやらかす人間性が今は心から愛おしく思えて。
この辺の心の変遷がタイトルに繋がっていくはずなんやけどまま力不足。
こね回さずに超妥協してこのままあげます、とっちらかるな超不本意。。