「石橋を叩いて渡る」
これは日本にあるよく知られた諺の1つ。
軽はずみな行動を避けよ、足元をすくわれるぞ、慎重に安全を確かめてから行けよ、
という、ものですよね。
というのは、橋を渡っている最中に橋が崩れたら大変だもん。
川に落っこちるだけで済めばいいけど、命を落とすかも知れないし、命の次に大事なものも失ってしまうかもしれない。
でも、慎重に行くのはいいんだけど。
慎重に慎重、さらに慎重、、、
こんな感じで続いていったら、どうなっていくと思う?
慎重のエンドレス。
ずーっと、それが続く。
どこまでも。
石橋を叩いて叩いて叩いて…
ええっと、結局、渡れない…。
もしかしたら安全点検にばっかり
注意が向いてしまって最初の動きというか、
任務というのか完全に忘れてしまっていたりしてね。
そんなことも考えられる。
時間切れ、タイムオーバー!ってヤツに引っかかってしまったりして。
笑えないけど実際ある話かもしれない。
慎重さはいいよ。
慎重さは良いけど、なんにもさっきから進んでいないよ。
慎重さはいいよ。
慎重さはいいけど、もうその辺にしといたら…。
悪いけど、遅過ぎるよ。
これ以上、待っていられないよ。
仕事でも一緒。
プライベートでも一緒。
この考え方は変わらない。
作家で、ひろさちやさんが<「論語」生き方のヒント>~って、本を書かれています。
約2500年前の、お隣の大陸の孔子の教えが論語として今に伝わっています。
論語は漢字ばっかりだし、難しいところも多いですけどね。
論語は孔子の教えだけど、著者は孔子本人ではなく孔子の弟子によるものがまとめられたものです。
儒教の基礎が論語ですかね。
論語の一説にこんな文章が登場する。
<季文子(きぶんし)、三たび思いてしかる後に行なう。子、これを聞きて曰わく、再びすればこれ可なり>
季文子というのは人物の名で、子というのが孔子本人を指しています。
季文子は春秋戦国時代のお隣の大陸において、魯という国がありました。
その魯で家老を務めた程の人物であったから、実力者であったと思われます。
孔子の誕生の十数年前に亡くなっていて、慎重さで知られていたようです。
何事をするにも三度考えて行動したので、弟子の1人は、賞賛する形で季文子を引き合いに出しました。
ところが孔子は、再びすればこれ可なり、と切り返している。。。
「三度は多過ぎる。二度熟慮すれば充分だよ」
という、意味らしい。
人間の勘というのは、あながち馬鹿にできないようです。
テストなんかじゃ悩んだ揚げ句に山勘が外れ
てしまうこともあるけど、
でも悩んで迷う前の一番最初の直観が案外正解だったりすることがあるようです。
何か嫌な予感がする。
虫の知らせがある。
幸先いい感じだぞ。
これは手応えありそうだ。
そんな勘が現実に存在する。
女の勘の鋭さには、脱帽してしまう亭主や男もどこかにいるのではなかろうか。
物事を決める時、判断する時。
こんな考え方をするものなのかなぁ?というのが提案されていました。
1:物事を決めるとき、いちばん大事なのは直観です。たいていの場合、直観が正しいようです。
ただし、
2:直観だけでは頼りないから、もう一度、二度は考えましょう。
でも、そこで抑えておきなさいよ。
3:どちらでもいいと直観的に思えたときは、考えるだけ時間の無駄。
デタラメに決めなさい。
こんな説明がされてました。
3番目に関してなんですがね。
僕、はじめて知った言葉がありました。
ビュリダンのロバ!です。
ビュリダンのロバでっせ、でっせ。
14世紀のフランスの哲学者ビュリダンが提起した問題と書かれていたけど。
心理学用語のようですね。
本当にビュリダンが発祥元かどうかは定かではないようです。
これはたとえ話で、
・飢えたロバが登場する。
・道の分岐点にさしかかる
・それぞれ、どちらの道に進んでいっても
同じ量の乾し草あり。
・また乾し草までの距離も同じく一緒。
・ロバはどちらの道を行くか迷ってしまって、そのまま餌にありつけずに餓死した。
こういう話なんだそうです。
可でもなく不可でもなく、
どっちもどっちだなぁと悩んで決めあぐねているのなら、
どっちでもいいから進んでみるといいみたい。
じゃないと、野垂れ死んでしまうよ、それでいいのかい?ってコトらしいんだ。
まとめ!
出来れば直観を大切にする。
心配なら二度まで考える。
どっちを選んでも良さそうなら、いずれかを選ぶ。
石橋を叩いて渡るに留める。
石橋を繰り返し何回も何回も叩かないこと。
ビュリダンのロバは、
飢えていて、どちらの乾し草を食べるか迷っているうちに餓死してしまった。
コレって
二兎を追うもの一兎も獲ず、
に、なんか似ている気がしたな。
物事を決めるとき、いちばん大事なのは直観だそうです。
孔子に言わせると季文子はナンセンスだそうです。
三度は多い、二度熟慮すれば充分だそうです。
さて、これが活きてくる時が僕にもあるだろうか・・・・・(><@)(>_<)
これは日本にあるよく知られた諺の1つ。
軽はずみな行動を避けよ、足元をすくわれるぞ、慎重に安全を確かめてから行けよ、
という、ものですよね。
というのは、橋を渡っている最中に橋が崩れたら大変だもん。
川に落っこちるだけで済めばいいけど、命を落とすかも知れないし、命の次に大事なものも失ってしまうかもしれない。
でも、慎重に行くのはいいんだけど。
慎重に慎重、さらに慎重、、、
こんな感じで続いていったら、どうなっていくと思う?
慎重のエンドレス。
ずーっと、それが続く。
どこまでも。
石橋を叩いて叩いて叩いて…
ええっと、結局、渡れない…。
もしかしたら安全点検にばっかり
注意が向いてしまって最初の動きというか、
任務というのか完全に忘れてしまっていたりしてね。
そんなことも考えられる。
時間切れ、タイムオーバー!ってヤツに引っかかってしまったりして。
笑えないけど実際ある話かもしれない。
慎重さはいいよ。
慎重さは良いけど、なんにもさっきから進んでいないよ。
慎重さはいいよ。
慎重さはいいけど、もうその辺にしといたら…。
悪いけど、遅過ぎるよ。
これ以上、待っていられないよ。
仕事でも一緒。
プライベートでも一緒。
この考え方は変わらない。
作家で、ひろさちやさんが<「論語」生き方のヒント>~って、本を書かれています。
約2500年前の、お隣の大陸の孔子の教えが論語として今に伝わっています。
論語は漢字ばっかりだし、難しいところも多いですけどね。
論語は孔子の教えだけど、著者は孔子本人ではなく孔子の弟子によるものがまとめられたものです。
儒教の基礎が論語ですかね。
論語の一説にこんな文章が登場する。
<季文子(きぶんし)、三たび思いてしかる後に行なう。子、これを聞きて曰わく、再びすればこれ可なり>
季文子というのは人物の名で、子というのが孔子本人を指しています。
季文子は春秋戦国時代のお隣の大陸において、魯という国がありました。
その魯で家老を務めた程の人物であったから、実力者であったと思われます。
孔子の誕生の十数年前に亡くなっていて、慎重さで知られていたようです。
何事をするにも三度考えて行動したので、弟子の1人は、賞賛する形で季文子を引き合いに出しました。
ところが孔子は、再びすればこれ可なり、と切り返している。。。
「三度は多過ぎる。二度熟慮すれば充分だよ」
という、意味らしい。
人間の勘というのは、あながち馬鹿にできないようです。
テストなんかじゃ悩んだ揚げ句に山勘が外れ
てしまうこともあるけど、
でも悩んで迷う前の一番最初の直観が案外正解だったりすることがあるようです。
何か嫌な予感がする。
虫の知らせがある。
幸先いい感じだぞ。
これは手応えありそうだ。
そんな勘が現実に存在する。
女の勘の鋭さには、脱帽してしまう亭主や男もどこかにいるのではなかろうか。
物事を決める時、判断する時。
こんな考え方をするものなのかなぁ?というのが提案されていました。
1:物事を決めるとき、いちばん大事なのは直観です。たいていの場合、直観が正しいようです。
ただし、
2:直観だけでは頼りないから、もう一度、二度は考えましょう。
でも、そこで抑えておきなさいよ。
3:どちらでもいいと直観的に思えたときは、考えるだけ時間の無駄。
デタラメに決めなさい。
こんな説明がされてました。
3番目に関してなんですがね。
僕、はじめて知った言葉がありました。
ビュリダンのロバ!です。
ビュリダンのロバでっせ、でっせ。
14世紀のフランスの哲学者ビュリダンが提起した問題と書かれていたけど。
心理学用語のようですね。
本当にビュリダンが発祥元かどうかは定かではないようです。
これはたとえ話で、
・飢えたロバが登場する。
・道の分岐点にさしかかる
・それぞれ、どちらの道に進んでいっても
同じ量の乾し草あり。
・また乾し草までの距離も同じく一緒。
・ロバはどちらの道を行くか迷ってしまって、そのまま餌にありつけずに餓死した。
こういう話なんだそうです。
可でもなく不可でもなく、
どっちもどっちだなぁと悩んで決めあぐねているのなら、
どっちでもいいから進んでみるといいみたい。
じゃないと、野垂れ死んでしまうよ、それでいいのかい?ってコトらしいんだ。
まとめ!
出来れば直観を大切にする。
心配なら二度まで考える。
どっちを選んでも良さそうなら、いずれかを選ぶ。
石橋を叩いて渡るに留める。
石橋を繰り返し何回も何回も叩かないこと。
ビュリダンのロバは、
飢えていて、どちらの乾し草を食べるか迷っているうちに餓死してしまった。
コレって
二兎を追うもの一兎も獲ず、
に、なんか似ている気がしたな。
物事を決めるとき、いちばん大事なのは直観だそうです。
孔子に言わせると季文子はナンセンスだそうです。
三度は多い、二度熟慮すれば充分だそうです。
さて、これが活きてくる時が僕にもあるだろうか・・・・・(><@)(>_<)