先日、ツイッターにて「現在小学生や中学生の子どもを持つ保護者の多くは、学校や塾に子どもの”教育”を押し付けすぎていると思う。」と呟きましたが、今回はその理由を私自身の経験談を交えながら少しだけ綴らせていただきます。(少し分量が多いため、二部構成となる予定です。)
きっかけは、先月26日(火)に私がアルバイトとして勤務している某自立型学習塾で、勤務終了後に今後の学習指導の在り方などに関する意見(提案)を室長へ持ちかけていた時の事です。
その時私が室長に持ちかけていた提案は、ずばり「本教室における指導シマの撤廃、もしくは指導シマ数の削減」。
「指導シマ」とは、簡単に言えば複数の子どもたちが一つの場所(シマ)へ集まり、担当の先生が随時指導を行うスペースの事ですが、これは言い換えれば、巷に溢れている個別指導塾と同じような環境が自立型学習塾であるはずの公○式教室の中に複数存在している、という事なのです。
「なぜ指導シマを撤廃する必要があるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
それでも、私は指導シマを撤廃するべきであると考えています。
なぜか。
それは、「指導シマの存在が生徒の成長を妨げる」からです。
ではなぜ「指導シマの存在が生徒の成長を妨げる」のか。
それは、生徒が指導シマに居座る事で、「自学力」が養成されない可能性が高いからです。
ちなみに、私が考える「自学力」とは、主に次の3つの要素から形成されている力の事です。
・「自学力」を形成する3要素
①思考力→他人に頼らず、自分で創意工夫する力。
②挑戦力→リスクを恐れず、果敢に試行錯誤する力。
③解決力→①と②で得た知識や経験を応用する力。
これらの要素を全て含む総合的な力の事を私は「自学力」と呼んでいます。
勿論、社会人基礎力に見られるような様々な要素も後々必要になってくると思いますが、個人的にはこれらの3要素を含む「自学力」があれば、高校までは特に問題なく自分で学習を進め、また、何か大きな問題に直面しても自分の力で乗り越える事ができると思います。
しかし、仮にこの「自学力」が早い段階で身に付かないとどうなるでしょうか?
推して知るべし。
ずばり、自分の頭で物事を考える事ができず、新たな価値を生み出す事のできない"創造性のない人間"が出来上がると思います。
最近は「ぶら下がり社員」という言葉が流行っていますが、その「ぶら下がり社員」を生産する一因として、自学力の低下が挙げられるのではないでしょうか。(それを実証するデータがない事が悔やまれますが)
勿論、最初から自学力のある人間など存在しませんので、ある程度のサポート期間は必要であり、そのサポートの場が主に家庭や学校、塾になると思います。
しかし、だからと言っていつまでもそれらの場所に依存して良いというわけではありません。
親はいつか死ぬものであり、また、学校や塾から卒業する時は必ず訪れるからです。
さて、話を戻します。
先程私は、指導シマの存在が生徒の成長を妨げる理由として、生徒が指導シマに居座る事で「自学力」が養成されない可能性が高いという事を述べましたが、ここで私が勤務している教室における実体験に基づいた例を少し紹介したいと思います。
私は、数ヶ月前から一つの指導シマの一担当者として子どもたちを見てきましたが、私が小学生のころに比べ、現代の小学生は「考える努力」を怠る傾向があると思います。(と、ゆとり世代の代表格のような私が言うと周りの方々にボコボコにされそうですが)
例えば国語の読解問題では、本文に堂々と答えが書いてあるにもかかわらず、いたずらに「先生わからない!」と喚き、すぐに解答を諦めてしまう子どもが多いのが現状です。
公○式の読解教材(国語)は、99%本文に問題の解答(或いは解答の言い回しを僅かに変えたもの)が書いてありますので、ある程度パターンが掴めれば問題なくスラスラと解ける仕組みになっています。
私は常に「先生に聞く前にまず本文を何回もよく読んで考える事!」と偉そうに言い放って対処していますが、それでもすぐに同じ質問を繰り返す子どもの割合が圧倒的に多いです。
また、算数の問題(足し算や引き算)などでは、逐一「先生これで合ってる?」と尋ねてくる子どもも数多くいます。
私は生徒にまず考える作業を促し、基本的には何も教えないスタンスを貫いていますが、そうすると当然生徒の学習意欲が格段に下がるので、ある程度バランスを取るようにはしているつもりです。(それでも基本的に何も教えませんが)
これらの例はもはや認知のレベルという話ではなく、子どもたちの根本的な学習姿勢が養われていない証拠だと思います。
そして、残念ながら私が勤務している教室でこのような現状を作り上げてしまっているのが指導シマの存在だと思います。
一つの事実として、全国に点在する公○式教室では、そもそも指導シマという概念自体がありません。(※例外あり)
私は小学3年生の頃から中学3年生の頃までずっと地元の公○式教室へ通っていましたが(細かく言えば、中学の頃に通っていた教室の室長が引退する事になり、途中から地元の別教室へ移動する事になりましたが)、少なくとも私がかつて通っていた2教室では指導専門のブースなどは存在せず、また、私の友人(主に関東地方出身者)の中で公○式教室での学習経験がある者やスタッフとして働いている者に対して、指導シマ或いはそれに準ずる学習スペースの存在有無を尋ねたところ、全員が「そのようなものはなかった」という内容の回答を示した事から、この状況が如何に異質なものであるかが容易にわかると思います。
・いかに「教えない」か。
・いかに「気付かせる」か。
・いかに「学ばせる」か。
自立学習を促す教育においては、これらの工夫を最大限に凝らす必要があると思いますが、どれもなかなか難しいものです。
それにもかかわらず、室内に指導シマが存在する事で子どもたちは徐々に「考える努力」を怠るようになります。
また、常に学習監督者がいないとたった一問でさえ進める事ができない子どもも増えています。
いつかのエントリーでも触れましたが、元塾生の私が考える公○式最大の良さとは、大きく分けて
1.独力で学習を進める事ができる教材
2.徹底した反復学習を課すシステム
の2点であり、公○式最大のメリットとは、何よりも私が先に挙げた「自学力」が学習過程において自然と養われる事だと思います。
先ほど述べたように、全国に点在する公○式教室では、そもそも指導シマという概念自体がなく、公○式の教室内では、基本的に誰も教えてくれません。
泣いても喚いても、よほどの事が起きない限り先生は敢えて子どもに手を貸しません。
なぜか。
それは、子どもたちの自学力を養うためです。
一見無謀に思える教育方法かもしれませんが、その一連の作業を可能にしているのが解法パターンや手掛かりなどが要所に記載されているオリジナル教材です。
公○式の教材は、問題や例題をよく読めば基本的に解けるような構成になっています。
さて、ここで一つ疑問があります。
生徒の横に座って随時指導を行う「指導シマ」の存在は、はたしてこれらの点を十分に活かし、自学力を養う事ができるものでしょうか。
もし、却って自学力養成の妨げとなっているのであれば、体制の見直しが必要ではないでしょうか。
とにかく、わからない箇所があればまずは自分で考えて、考えて、考えた先にまた考えて解答(勿論おざなりではないもの)を導き出すという作業が公○式の鉄則であり、基本方針であったと思います。
そしてその繰り返しにより子どもたちの自学力が養われ、創造性のある人材が育成されてきたと思います。(少し大袈裟ですが)
ところが、複数の指導シマにおける現状としては、終日マンツーマンで指導を行う光景を目にする事が多く、また、特定の生徒が長時間滞在するという現象は既に私自身も体験済みです。
これでは通常の個別指導塾と変わりありません。
無論、指導シマにもメリットはありますし、指導シマを完全に撤廃しろとまでは言いません。
しかし、"指導シマの常連"を作ってはいけない事は確かです。
ということで、そろそろ公○式の原点回帰を図るべきではないでしょうか。
仮に、自立型学習塾だからこそしっかりと指導する機会(場所)が必要だと言うのであれば、教師はあくまで学習における根本的な姿勢と目的を意識させる事を教育の主軸とするべきであり、学習内容に関する細やかな指導などはそこに付随する形でも良いのではないでしょうか。
これは「自立型学習塾としての公○式」の在り方に対する、とても深い偏見混じりの考え方かもしれませんが、個々の入塾や学習の目的、認知レベル、保護者の教育観や経済力などを考慮しなければならないという事は十分に理解しているつもりです。
しかし、指導シマに関しては、せめていつでも利用できるものではなく、上記の過程(※自学力のステップ)を踏まえた上で、それ以外にどうしても選択肢がない場合のみ利用する事ができるという体制を作り上げる必要があるのではないでしょうか。
さて、過去のエントリーと無理矢理統合させた部分も多いため、文章として理に適っていない部分が多々見受けられると思いますが、どうぞご容赦下さい。笑
また、冒頭のつぶやき(テーマ)に関する記述は全くと言っていいほど含まれておらず、一見本来のテーマに沿っていないような記述のオンパレードでしたが、テーマに関する事柄は後半にてじっくりと説明させていただきます。(というのも、このような前置きがないと説明する事ができない部分が多いため)
尚、後半部分は私の教育に対するジレンマを全面的に押し出す事になるかもしれませんが、まだまだ知識も経験も浅い若輩者ですので、赤子を見るような目でご一読いただければ幸いです…笑
(※後半へ続く)
