※少し前に書き溜めたものになります

俺は自分を守る必要があった。

それは「俺は他の奴とは違う」という強がりでもあった。

俺は自分の木を育てた。

地上はあまりに騒々しかった。

地上はあまりにも俺を傷つけすぎた。

だから俺には登るべき木が必要だった。

 

俺は常に人を見下したがっていた。

木の上に登って

そこから人を見下ろしていたかった。

 

中3か高1くらいからだろう。

俺は人と上手く関係を築くことができなくなっていた。

俺は常に人と自分を比べ、

人よりも何かが優れていないと

安心して人の輪の中にいることすらできなかった。

 

だから俺は勉強した。

鏡の前に立って容姿をよくしようとした

それは木を育てることだった。

誰よりも高い木を育てることだった。

そしてその木にいつでも登れる安心を得て初めて、

俺は人と安心して会話ができた。

安心して地上に降りることができた。

 

しかし

地上にいるときでさえ、

俺は常に自分の育てた人一倍大きな木に

寄りかかりながら

人と話していたのだ。

だから俺は人と関係を築けない。

 

何もない荒野では地面にかがみ込んでしまう。

 

人を見下せないと人と会話できない。

 

いつか俺は

自分が人と関われなくなったのは

中学3から高校1年の時だと書いた。

確かにそれは当たっていた。

その頃から俺は明確に人を見下すようになっていた。

 

しかし、

本当はもっと昔からそうだったんじゃないのか?

確かに俺は自分の木を育て上げた。

だから人を見下せた。

しかし、

俺はそれよりずっと昔から

自分が登って人を見下せるような木を

地上の騒々しさから逃れてゆっくりしたを見下ろせる木を

育てていたんじゃないか?

 

それは小学3年生からそうだった。

しかし、その木はあまりに貧弱だった。

時には人からすごいと言われた。

時には人から注目された。

しかしそれは限定的なものだった。

幼い頃から俺は人を見下そうとしていた。

そして実際に見下すことも多々あった。

しかし、その木があまりに貧弱なために、

俺はやむなく地上で生活しなければならなかった。

 

その木があまりに貧弱だから

俺は地上で生活できていたのだ。

 

しかし、勉強を始める。

誰にも負けない大きな木を育て始める。

その木は確固たるものだった。

その木は誰からも羨ましがられた。

俺はついに地上から解放された。

俺はついに人から尊敬されるようになった。

 

俺は自分の力で自分を高みに持って行った。

 

しかし

俺はもはや地上で生活することを忘れていた。

 

 

水を上げれば木は育つ。地上はあまりに住みずらかった。俺は木を育てなければならなかった。木に登り、周りの木との高さ比べに一喜一憂した。自分の価値は木の高さで測られ、相手の価値も木の高さで測られた。土地には様々な種類の木があった。運動、学力、容姿、社交性。これらはすべての住人が否応無しに育てなければならなかった。無意識にそれらの高さをお互いに意識しあうように仕向けられていた。地上にいながら、決まって所有している木のことを脳裏に浮かべた。しかし地上の状況が厳しくなるにつれ、俺は新しい種を探すことに・水を与え木を育てることに追い立てられるようになっていた。中学以後は特に顕著だった。まずはその土地で珍しい種を探すことから始まった。筆回しや音楽ゲームやカードゲームはまさにそれだった。やがて学力の芽を育てることに固執した。取り憑かれたように木の高さを比べる生活が始まった。遡って、小学生の頃はどうだったか。6年生、俺は既に筆回しを始めていた。トランプ奇術にも水を与えた(もっとも、わずかな茎と二、三の枝葉が出てきただけだった)。また、自分の憧れるキャラクターのポーズを借りて、細くて今にも折れそうな木を育てたこともよくあった。また、逸脱や悪行などの類にも水をやり、着実に成果を発揮していた。悪行の樹木は誰よりも伸び、その高いところから下を見下して優越に浸っていたが、正義という名の軽蔑が樹木ごと俺の自尊心を踏み潰した。5年生でも悪行の樹木には水をやっていた。5年生に進級した当初、俺は地上を肩をそびやかせて歩いていた。俺は漠然とした男女の階級、つまりはいかに他の奴らよりイケているかという自分の評価を、過剰に高く見積もっていた。自分知らずの自惚れは、高くそびえた樹木の上から地上を見下している自分を頭の中で想像していた。肩すかしはすぐ現実に突き飛ばされた。自惚れの樹木は自ら姿を消し、現実の地上での軽蔑を与え俺を傷つけた。すぐさま俺は悪行の樹木に登った。それに必死で水をあげた。樹木はそびえ華を咲かせた。間も無く正義という名の軽蔑が樹木ごと俺を踏み潰した。踏まれては育て、踏まれては育て、悪の樹木はそれ自体が俺自身と感じられた。途中学力などの木も育てようとした。しかしまったく成果は得られず、現実は俺を地上に叩き落とした。現実が地上でなんども俺を張り倒した。4年生でも俺は悪行の樹木を育てていた。学年で一番の問題児のグループに所属した。自分がそのグループの何番目に位置しているのかをよく想像して楽しんでいた。悪の組織での階級の中に位置付けられた自分を見て自尊心が満たされた。胸につけられた勲位の星の数は、悪の組織の一員であることの証明と、自分の階級を表し、それを見せつけながら誇らしげに歩いていた。悪の印を持っていない同級生がいれば、決まって見下していた。集団の中で上位に位置する組織に属していることが、俺に自信を与え周りを見下す権利を保障した。悪行も重ねた。元から多少の悪行癖はあったが、4年生で一気にそれは悪化した。悪行の樹木の上にいることが、悪の組織に所属していることが、地上での生活を忘れさせ、その仮想空間の中での想像は、俺に一時の安定を優越感とともに与えた。4年生の頃、少しずつ同級生から一方的な暴言を浴びることが出てきていた。3年生の頃にそれは始まっていた。3年生の時にサッカー少年団に入った。最初は誰もが優しかった。やがて親しさが乱暴を許し、一方的な暴言が地上の俺を始めて脅かした。それはいちばんはじめの出来事かもしれなかった。リーダーの気に入らぬことを俺が別の友達にチクったと言うらしかった。帰り道俺は袋叩きにあった。あまりに繊細な俺は言い返す言葉もなく、ただただ長い家路が終わることを待った。これが初めての地上での事件かもしれなかった。確かに若干の乱暴はむしろ嬉々として受け止めていた。入団したての頃は、まだ周囲にはよそよそしさと遠慮があった。しかし時間は距離を縮め、私たちは親密になっていった。乱暴は遠慮がもはや無くなったことの証明だった。完全に仲間の輪の中に入った証明だった。4年生でも同じような事件があった。同じ理由で帰り道の袋叩きにあった。普段の遊びでもだんだんと扱いに差異ができてきていた。リーダー格の人間は大切にされ、つねに機嫌を伺われていた。俺に対してはだんだん暴言が増え、軽い暴力や暴言・まったく尊重されていないと感じられる態度の数々によって、自然に俺はこの集団の中での立ち位置を・階級を悟った。休むことなく発揮されていた無邪気は、時と場所を選ぶようになり、やがて俺は口をきかぬようになっていた。わずか小学3年生の時である。遊んでいたとしても、俺はなかなか自分から話題を提供しなかった。つねに周りの会話を聞いて、自分の入れる機会を辛抱強く待った。どこへ行くにもただついていくだけだった。移動する時もいちばん後ろから付いていった。行き先を決めるのも、俺はただ代表者たちの意見に従うだけだった。そう、おそらく小学3年生の頃から始まったのであろう。あの頃から地上が騒がしくなった。多少の気苦しさをつねに感じて過ごしていた。そうして事件が何度か起きた。袋叩きにされ、俺の中の恥部を晒され、気づけば俺は種を探して歩き回るようになっていた。そうだ、彼らと関わり合ったのが始まりだったのだ。彼らと関わったから、地上が騒がしくなったのだ。小学1年生、2年生。俺は内から湧き起こってくる活発さを、休むことなく発散し続けていた。無邪気さは休む時を知らなかった。ほとばしる活発さは、つねに同じような活発な友達を欲していた。あたり構わず声をかけて遊びに誘っていた。2年生の時だった。俺は彼らを見出した。身体から発せられるこのクラスで一番の活発さは、同じく活発な俺には魅力的だった。そうして彼らとの交際が始まったのだった。時は再び進むが、小学生の頃、俺はアニメのキャラクターによく憧れを抱いていた。それらは決まって悪役だった。味方だったとしてもアンチ主人公の雰囲気があった。それらは例えば、一族殺しの抜け忍者であったり、実験狂の無敵の変質者であったり、十刃の中のナンバー4や6だったり、戦闘力が53万の宇宙人やゴキブリがモチーフのニヒルな男、そしてその冷酷無比な残虐性を恐れられたアメリカンフットボールの強豪校のツートップであった。彼らはつねに強敵として正義を苦しめた。正義は偽善であるはずだった。自分を保つために精一杯の偽善者たちを圧倒的な力で捻じ伏せる。アニメは正義を主張しすぎていた。連帯や仲間同士の感動を賛美しすぎていた。俺にはそんな日常はなかった。連帯や感動を感じられる素直さが潰されていた。素直でいては苦しむだけだった。反逆を、復讐を企てなければ自分を救ってやれなかった。多数派のリーダーは俺を見下し、その他はリーダーになんとなく従って、それでいて上手に正義である顔をしていた。普段は見下しながら、俺が悪いことをすると正義を盾にさらなる暴言を吐いた。俺は素直に生活できなくなっていた。自分を保つためにはどうしても非行に走らなければならなかった。非行をすれば正義の名の下にさらなる鉄槌が下された。教師も親も頭ごなしに俺を攻め立てた。俺を問題児として見下していた。どうしても俺に部が悪いわけだった。小学生にして苦い思いを何度もしていた。多数派が軽々と賛美する正義が憎らしかった。アニメを見るたびに憎しみが沸いていた。悪は徹底的に正義を叩き潰して欲しかった。悪は圧倒的な実力を持っていた。正義をもはや壊滅的に滅ぼしていた。最後の最後まで破壊し尽くして欲しかった。全ての人間を殺戮してもらわなければ気が済まなかった。アニメはいつもあと一歩のところで俺に歯軋りさせた。正義は必ず盛り返した。必ず秘められた力を解放し、悪を抑えた。俺は地団駄踏んでいた。歯軋りをしていた。液晶の前の俺はいつもこんな少年だった。根深い問題なわけだった。日常は、地上は、幼い頃から俺を傷つけ暴言していたのだった。それに耐えるには・自分を保つためには素直さを犠牲にするしかなかった。そうだ、俺は素直でなくなっていたのだ。樹木に登る緊張が俺と周囲の調和を妨げ、永遠に除かれないと思われる高い壁を感じさせた。

一方俺は素直な人だと褒められることが小さい頃から今の今までよくあった。二つのギャップが俺にはあった。ある時は俺であり、またある時は別の俺であった。それはきっと樹木にこだわったり、あっさり捨てたりを繰り返していたからだった。俺は素直さを捨ててはいなかった。また一方ではどうしようもなく素直でなく・偏執的だった。何が俺にこだわりを持たせ、何が俺のこだわりを溶かすのか。

※少し前に書き溜めたものになります

俺は自分を守る必要があった。

それは「俺は他の奴とは違う」という強がりでもあった。

俺は自分の木を育てた。

地上はあまりに騒々しかった。

地上はあまりにも俺を傷つけすぎた。

だから俺には登るべき木が必要だった。

 

俺は常に人を見下したがっていた。

木の上に登って

そこから人を見下ろしていたかった。

 

中3か高1くらいからだろう。

俺は人と上手く関係を築くことができなくなっていた。

俺は常に人と自分を比べ、

人よりも何かが優れていないと

安心して人の輪の中にいることすらできなかった。

 

だから俺は勉強した。

鏡の前に立って容姿をよくしようとした

それは木を育てることだった。

誰よりも高い木を育てることだった。

そしてその木にいつでも登れる安心を得て初めて、

俺は人と安心して会話ができた。

安心して地上に降りることができた。

 

しかし

地上にいるときでさえ、

俺は常に自分の育てた人一倍大きな木に

寄りかかりながら

人と話していたのだ。

だから俺は人と関係を築けない。

 

何もない荒野では地面にかがみ込んでしまう。

 

人を見下せないと人と会話できない。

 

いつか俺は

自分が人と関われなくなったのは

中学3から高校1年の時だと書いた。

確かにそれは当たっていた。

その頃から俺は明確に人を見下すようになっていた。

 

しかし、

本当はもっと昔からそうだったんじゃないのか?

確かに俺は自分の木を育て上げた。

だから人を見下せた。

しかし、

俺はそれよりずっと昔から

自分が登って人を見下せるような木を

地上の騒々しさから逃れてゆっくりしたを見下ろせる木を

育てていたんじゃないか?

 

それは小学3年生からそうだった。

しかし、その木はあまりに貧弱だった。

時には人からすごいと言われた。

時には人から注目された。

しかしそれは限定的なものだった。

幼い頃から俺は人を見下そうとしていた。

そして実際に見下すことも多々あった。

しかし、その木があまりに貧弱なために、

俺はやむなく地上で生活しなければならなかった。

 

その木があまりに貧弱だから

俺は地上で生活できていたのだ。

 

しかし、勉強を始める。

誰にも負けない大きな木を育て始める。

その木は確固たるものだった。

その木は誰からも羨ましがられた。

俺はついに地上から解放された。

俺はついに人から尊敬されるようになった。

 

俺は自分の力で自分を高みに持って行った。

 

しかし

俺はもはや地上で生活することを忘れていた。

 

 

地上はしばしば危険が及んだ。出会う人出会う人が傷つけんと向かってきた。そんな時は木に登ればよかった。木は一つで十分だった。彼らは俺を追ってきた。長い槍で俺を貫こうとした。人々はそれぞれ自分の木を持っていた。自分の木と地上とを自由に昇り降りできた。俺は何も木を持っていなかった。追われれば地上で逃げまとうばかりだった。木陰でひとり涙をこらえることもあった。すぐに所有者が上から飛び降りてきた。小学生の頃、地上はまだ平和が保たれていた。わずかしか動乱はなかった。平安のうちに無邪気はあるがままを溢れさせていた。時々、小さな草木を必要とした。細い茎でみきと呼ぶに値しなかった。それは例えば誰かのポーズを借りることであったし、あるいは奇術のような技を磨くことだった。人が驚くような何かを身につければ、周囲は敵意を忘れ、親しみのを顔に取り戻してくれた。大地にはありふれた草木が茂るばかりだった。物珍しい品種を育てればきっと誰もが目を向けた。広い田畑で自分が育てられそうな種を探す必要も、当時はそれほど感じていなかった。ただただ無邪気に大地を走り回っていた。中学に上がり、たちまち地上は騒がしくなった。通り過ぎる誰もが刺々しくなった。ある時は結託し連合を作り、ある時は木陰の裏から突然姿を現して、通りすがりの気まぐれで俺を攻撃してきた。俺は単にそこを歩いていただけだったのに、ただただ木陰に逃げ込んで休んでいただけなのに。品種への探究欲はいよいよ強くなり、頼りない茎を幹たらしめんとした。小学生の頃から茎くらいには育っていた。それでは不十分だった。もっと高く太く育てなければならなかった。毎日水をあげた。時間が許す限り水をやった。放課後や部活終わりの大半が注ぎ込まれた。地上にはある程度似たような品種しか生育していなかった。丈高からぬ木々は無表情に木肌を晒し、吹く風に抵抗することなくその幹や枝を曲げていた。大きくなれば目立ちそうな種はすぐに見つかった。幾つかの種が見定められ、何本かの幹が育てられた。筆を回す奇術を伸ばした。音楽ゲームの腕を伸ばした。カードゲームの世界に没入した。「お前がすごいことってどれを取ってもナンバー2だよな」「どの分野でもナンバ−2だよな」下校時に同級生から言われたことだった。確かに言われた通りだった。同じような木はいくつか生えていた。筆遊びは季節的に大量に流行ったこともあった。いくつもの後進の愛好家たちが、自分と同じ木々に登っていた。同じ色の木が立ち並んだ。視界の下には同じような葉が海のように広がっていた。それ自体が新たな大地のようだった。私はそれらの大地を見下ろせる高みにいることに愉快を感じた。私はこの土地で二番目に高い木の持ち主だった。一番の持ち主とはよく木の育て方について談笑した。他と比べて大きく差を開いている優越感が感じられた。二番目でもよかったのだ。むしろ付き従っている心地よさもあった。音楽ゲームも似たようなものだった。その木を見せれば誰もが驚いた。多くの後進車が現れた。快く彼らに育て方を教えた。この品種でも二番目だった。その木が珍しいこと、人を魅了すること、その品種の中では他より大きく差を開いていること、それらがこの土地での自己防衛手段だった。地上での収まることを知らぬ動乱を、常に木の上から眺め、わずかばかりの平穏を見計らっては下に降り、またすぐに追い立てられては登り、しばらく機会を見計らうという上り下りを繰り返した。地上には降りたかった。機会を逃すわけにはいかなかった。登っている時も降りてる時も、地上にいても樹上にいても気が休まることがなかった。追い詰められた私は一つの品種に熱中するようになった。ほとんど無意識に熱中し始めていた。防衛本能とでもいうべき不思議な無意識が、数多ある中の品種を見定め、その伸び代を予見していた。時間の許す限り栄養を与えた。試行錯誤で育て方がわかってきた。指数関数的に枝葉はみなぎり、幹はいよいよ猛々しくそびえた。その木は土地にはありふれていた。ほとんど全てが育成放棄されていた。誰も育て方を知るものはいなかった。それでいて誰もが大きく育てたいものだった。うらびれた場末に絢爛な城が建つように、朽ち果てた木立に大樹が隆起した。時に任せて色褪せ、風のなすままにその身を曲げた木立の中で、大樹の緑は青々として、そびえる幹には生命の雫がほとばしっていた。地上の誰もが恐れおののいた。静かな羨望がその心に見て取れた。時たま小さな動乱は私に向かってきた。私はゆっくりと踵を返し、自身の大樹に登ればよかった。大樹の枝葉の密集の中で澄まして下を眺めていればそれでことが済んだ。地上は昼と夜で住人が変わった。昼間は物騒だった。自然に樹上の時間が多かった。夜はガラリと様子を変えた。朗らかな平穏が俺を迎えた。私は常に地上で生活したかったのだ。嬉々として、安心して地上での時間を楽しんだ。昼間と比べて夜は短かった。安心して過ごせる貴重な時間だった。大樹を育てながら地上で団欒していた。大樹はどこよりも高くなり、もはや恐れるものはなくなった。いつの間にか私は昼と夜で別の人間のように振る舞うようになっていた。昼は常に樹上で下を見下していた。地上に降りる気はもはや無くなっていた。樹上で澄ましているだけで、地上での平穏を・地上での本来の姿を忘れた。常に人を見下していた。夜は喜んで地上に降りた。体を休め、心も休めた。本来の自分を取り戻し、ますます自分を開花させた。地上で人が集まってくるようになっていた。談話は回り、皆が私を見つめていた。中学が終わり、地上からは人がいなくなった。ガランとした地上で私は立ち尽くしていた。やがて一人、また一人と住人がやってきた。なぜだか私は大樹に手をかけていた。常に幹に背をもたせかけていた。片手で幹に体重を預け、寄りかかりながら地上の時を過ごした。やがてどっと人が流れ込んできた。長らく閑散としていた地上に、数ヶ月ぶりの賑やかさが戻ってきた。私は寄りかかるのをやめ、指先だけ大樹に触れながら、集団に溶け込む足踏みをしていた。私は可愛らしい人見知りをするようになっていた。地上で普通に溶け込み団欒することを望みながら、踏み出せないいじらしさに唇を噛んだ。話しかけられるのを常に待っていた。近くを人が通ると、何構わないふりをしながら、全身で念を送っていた。思い切って輪の中に飛び込んでみた。部活動では運動部に入った。地上ではたちまち荒々しい人たちに囲まれた。悪意のないトゲが私を襲った。悪意はなかったが、私は強い敵意を感じた。反射的に中学時代が思い出された。昔のトゲトゲしい地上が思い出された。私は急いで大樹に登った。登って上から見下そうと思った。あたりは霧が立ち込めていた。雲霧の中で一人大樹に水をやった。それで救われる望みを託した。長からず時が経ち、霧はあっという間に晴れた。外来種としか思えない巨大な樹木たちがその異様な全容を現した。壮観だった。見下ろそうと済ましていた私は意気をくじかれた。あまりにも上空にそびえるそれらの大木は、それまで私の慎ましくも心血を注いできた年月を鼻で笑った。地上での夢も破れ、この木に登っていた。彼らは遥かそびえるその大木から、私の年月など足蹴にしながら槍を降らせてきた。私には逃げ場がなくなった。いよいよこの木を育てることに偏執した。大樹はさらなる成長を遂げる。偏執的な情愛が大樹をして狂わせたのか。限界が限界ではなくなった。そうして私はまた地上に降りた。私の木が一番高い。そういった自信が余裕を与えたのか。しばしの談笑を地上で楽しんだ。そうして高校時代が終わった。再び地上から人が消えた。再び霧が立ち込めた。歴史は繰り返された。異形の木々は天を貫かんばかりだった。地上はさらなる動乱に揺れた。私はまたもや逃げ場を失った。同じようなことが繰り返される。私は散々育てたこの木を捨てた。私の木は天をつらぬく前に限界を迎えた。幾つも種を探し回った。偏執的に水を与えた。いくかは芽を吹き、いくつかは頑なに殻を破らなかった。登ったり降りたりを繰り返した。今までずっとそうだった。

※少し前に書き溜めたものになります

俺は自分を守る必要があった。

それは「俺は他の奴とは違う」という強がりでもあった。

俺は自分の木を育てた。

地上はあまりに騒々しかった。

地上はあまりにも俺を傷つけすぎた。

だから俺には登るべき木が必要だった。

 

俺は常に人を見下したがっていた。

木の上に登って

そこから人を見下ろしていたかった。

 

中3か高1くらいからだろう。

俺は人と上手く関係を築くことができなくなっていた。

俺は常に人と自分を比べ、

人よりも何かが優れていないと

安心して人の輪の中にいることすらできなかった。

 

だから俺は勉強した。

鏡の前に立って容姿をよくしようとした

それは木を育てることだった。

誰よりも高い木を育てることだった。

そしてその木にいつでも登れる安心を得て初めて、

俺は人と安心して会話ができた。

安心して地上に降りることができた。

 

しかし

地上にいるときでさえ、

俺は常に自分の育てた人一倍大きな木に

寄りかかりながら

人と話していたのだ。

だから俺は人と関係を築けない。

 

何もない荒野では地面にかがみ込んでしまう。

 

人を見下せないと人と会話できない。

 

いつか俺は

自分が人と関われなくなったのは

中学3から高校1年の時だと書いた。

確かにそれは当たっていた。

その頃から俺は明確に人を見下すようになっていた。

 

しかし、

本当はもっと昔からそうだったんじゃないのか?

確かに俺は自分の木を育て上げた。

だから人を見下せた。

しかし、

俺はそれよりずっと昔から

自分が登って人を見下せるような木を

地上の騒々しさから逃れてゆっくりしたを見下ろせる木を

育てていたんじゃないか?

 

それは小学3年生からそうだった。

しかし、その木はあまりに貧弱だった。

時には人からすごいと言われた。

時には人から注目された。

しかしそれは限定的なものだった。

幼い頃から俺は人を見下そうとしていた。

そして実際に見下すことも多々あった。

しかし、その木があまりに貧弱なために、

俺はやむなく地上で生活しなければならなかった。

 

その木があまりに貧弱だから

俺は地上で生活できていたのだ。

 

しかし、勉強を始める。

誰にも負けない大きな木を育て始める。

その木は確固たるものだった。

その木は誰からも羨ましがられた。

俺はついに地上から解放された。

俺はついに人から尊敬されるようになった。

 

俺は自分の力で自分を高みに持って行った。

 

しかし

俺はもはや地上で生活することを忘れていた。

 

 

いつから俺は人を見下して当然だと、人を見下せて当然だと思うようになっていたのだろう。もしくは見下したいと思うようになっていたのだろう。人と会話をする。俺はよく変なことを言った。会話の流れからして不自然なことを言って周りを困惑させた。明らかに見下して目の前で笑う者もたくさんあった。大学ではイケているというか、調子に乗っているというか、そういう人たちはそういう人たちで固まっていた。俺は彼らを見るとどうしようもない胸の痛みを感じた。胸が下へと押さえつけられるような劣等感を感じた。構内を歩き・学食を歩き、人とすれ違うたびに、激しい劣等感を感じた。その度に俺はきっとこう頭の中で呟くのだった。どうせ俺よりバカのくせに、理系科目、文学、何も知識がないくせに。その中には天才が混じっていることがよくあった。頭の中での批判は・自分を保つための精一杯の強がりは、ことごとく彼らに潰されなければならなかった。そうしてさらに激しい劣等感を感じた。それはもはや劣等感ではなかった。劣等感を極限まで押しつぶした高密度な混沌だった。自分よりもかっこいい者・自分よりも女を連れだっている者・わあわあ食堂で女と騒いでいる者に、強い敵意を持った。何としても見下そうとした。どこか勝っている点がないかと、必死で強がりの種を探した。種が見つからない相手もあった。頭の中ですら口ごもった。劣等感はますます圧縮された。男たちを軽蔑しようとした。彼らと連れだっている女どもも見下そうとした。バカのくせに、今まで何にもしてきたことがないくせに、どうせ俺に将来見下されるくせに。彼らと接触せねばならない時、例えば授業で、例えばサークルで、例えば食堂の順番待ちで、彼らは不必要に偉そうだった。自分の優位を胸に突き出していた。わざと大きな音を立ててお盆を置いたりした。きっと俺に対する優越感を感じているのだった。そうしてその優越感を俺に態度と目線で伝えていた。女を連れている、俺のことはきっと相手にしない女を連れている優越を威張っていた。女どもも同じだった。俺が話すと顔を伏せて笑いあった。この世に男女の階級があるとすれば、違う階級にいるということを教えてやると言わんばかりだった。お前は下の階級だから相手にしないと言わんばかりだった。大学に入学した頃はこんなことばかりだった。常に男女の階級を自慢げに諭され、それに反発せんために都合の良い突っつきどころを探していた。大学に入学した当初は野心に燃えていた。一方男女の階級上でバカにされる機会がたくさんあった。初めての新入生歓迎ご飯会で向かいの席の女に容貌を笑われた。高校の一時期俺はモテていた。お前の方が下だろ気持ち悪い顔しやがって・バカのくせに何も本気で努力したことがないくせに。都合の良い種を探しているだけだった。バカにされれば常に頭の中で反発していた。相手に勝てそうな種を育てなければならなかった。俺はますます入学来の野心に固執した。様々なイベントに参加して自分の野心を叶えることができそうな機会を探し求めた。野心という強がりの種に水をあげているのだった。高校に入学した時も似たことだった。男としての階級でバカにされ、学力の階級で圧倒され、強がりの種さえ全て踏み潰されていた。俺は一つのことに固執するしかなかった。強がりの種の一つを見定め、それに全力で水を与えた。種は芽吹き誰よりも高く幹を伸ばした。学年で一番になっていた。劣等感は感じる必要がなかった。種がそのまま優越感に変わっていた。かっこいい男がバカにしようと今まで通りの態度を取ってきたとする。俺は伸びきった幹を見せるだけでよかった。それだけで相手は萎縮した。天は学力だけでなく、容貌をも恵んでくれた。巨大な樹木が突然与えられた。誰かが俺をバカにしようとする。俺は二本の、誰よりも高くそびえ立つこれらの大樹を見せつけるだけだった。相手はもはや卑屈になった。高校時代、俺は大樹を作り出すことができた。大学時代、俺は種に必死で水をあげた。勉強は必死でやった。野心もなんとか形にしようとした。種は目を吹き、茎を伸ばした。茎は幹となり枝葉が生じた。半年近くが経った。ついに俺は枯渇した。種は育った。しかし周りの人間は生来大樹を持っていた。あまりにも大きな大樹を構えていた。学力も容姿も劣っていた。新たに種を見定め、水をあげたこともあった。図書館に通った。文学に水をあげた。太宰を読んだ、三島を読んだ。俺には全くわからなかった。何が面白いのかわからなかった、そもそも書いてある文章が理解できなかった。種はいじらしく小さな芽を出しただけだった。春が落ち着き夏が目を出し、俺は枯渇した。無気力になっていた。学校をやめようかなどと友達とぼやいていた。学校の試験も惰性で受けた。夏休みに入り、無気力な俺はほとんどを寝て過ごした。夏が過ぎ、やがて秋が顔をのぞかせた。夏休みはサークルのプロジェクト旅行で本来の自分を出す心地よさを感じていた。人と比べ、劣等感を打ち消すために種を探し、決死で水をあげる徒労を笑った。背伸びをやめて地面を踏みしめた。張り詰めていたふくらはぎの緊張が解けた。長かった分だけ緊張の緩和が心地よかった。その心地よさがまた懐かしかった。また味わいたいと思っていた。秋が来ても俺は相変わらず孤独だった。だから俺は地図を描いたのだった。高校の頃は大樹がそびえていた。二本もそびえていた。大樹の上で周りを見下していた。俺は圧倒的な孤独になった。俺は大樹を降りることにした。かっこつけるのもやめた。勉強もそれほどしなくなった。それでも俺は心地よかった。確かに多少は馬鹿にされた。しかしそれは親しみのこもった”馬鹿にした”だった。大学の夏休みのサークル旅行も同じだった。馬鹿にはされていたとは思うが、どこかに親しみがこもっていた。俺が木から降り、無邪気な自分を晒して見せたのが彼らを安心させたのだ。育てた樹木同士を比べ合う緊張が解け、地上で無邪気に戯れる気楽さに安心したのだった。人間はもともと地上生活者であった。樹上生活では気が張るのだ。人を見下そうとする心、見下さざるをえなく感じてしまうこの心は、とりもなおさず強がりの種に水をあげさせる心であろう。男女の階級、学力、男としての階級の中での劣等意識とその反発が俺を田畑に走らせ、種を探させ、水をあげずにはいられなくさせるのであろう。種を育て、樹木に固執し、その上から周りを眺めて高さを競った。樹木は育ったり育たなかったりした。いづれにしても俺はその樹木から降りた。地上生活を楽しんだ後、何かが俺を再び田畑に走らせた。樹木を登ったり降りたりした。それがそのまま俺の学生時代だった。この上り下りはいつから始まったのか。高校に入った時にはすでに始まっていた。中学の頃からなのだろうか。

 

 

※少し前に書き溜めたものになります

 

 

三島由紀夫は小説の中でこんなことを言っていた。幼少の頃である。一冊の本の一つの挿絵が異様に自分の心を惹きつけた。なんども何度も本能的にその挿絵を開いた。食いいるように何時間でも見ていられた。その挿絵には、土を蹴り上げ、狂ったようにけたたましい白馬とその上で短剣を振りかざす美男子が書かれていた。その美男子が放つ異様な雰囲気、決死の覚悟というより他に言いようのない異様な覇気、そしてまっすぐに死へと向かっていきもうじきこの世から消えねばならないその美貌。美貌は完璧だった、消えてしまうにはあまりにもったいなかった。しかしすぐに消えねばならなかった。持ち主が自ら葬るのであった。その感覚、すぐに完璧なのに葬られなければならないこの感覚、誰も持ち主を止めることができないこの感覚。その美貌とそのどうすことこもできない儚さが異様に自分を捉えて離さなかった。その日も本を読んでいた。女中は彼に話しかけた。あなたはこの本の物語をご存知なの?あの本はねジャンヌダルクという英雄の話で、男のように見えるけど実はあれは女なのよ。彼は頭の中で何を感じたのだろうか。馬鹿にされた、この女に俺は馬鹿にされた。裏切られた。男と女。男は女を求める。男は女に求められるかどうか、ある時は存在を受け入れられ、ある時は存在を無下にされる。男はいつも自分の全存在をかけて女に向かって自分を投げつけた。女は男の全存在を、ある時は尊敬とそれを自分のものとして抱きしめられる幸福を感じ、またある時はその全存在を無下にも蹴ちらす。男は、その全存在を、男の尊厳を、人間としての全てを蹴散らされる、見下される。三島は男に自分の全存在を投げかけた。挿絵の中の男に投げかけた。その男に全存在で服従し、服従していることに興奮を感じた。男は女だった。女は彼の不能を笑った。お前は不良品だと全存在を否定した。尊厳が蹂躪された。彼女に敵意を持った。それから三島は女の男装を見ると、自分にも説明がつかないどうしようもない嫌悪感を感じるようになった。俺には三島の気持ちがわかるような気がした。彼は歴史に残る天才だった。俺は頭の中で彼に接近していた。幼少期に彼が感じたこの屈辱感を撫でてあげると同時に、彼の才能を我が物にしている満足があった。才能が心を傷つけて泣いていた。俺はそれをなだめていた。才能を手元に置いていた。彼は理解を示した俺に頭を持たれかかせた。ベッドの上で三島は裸だった。両手を枕に天井を見上げていた。屈強な体だった。胸部が張り裂けんばかりに突っ張っていた。それでいて肌には傷一つ付いていなかった。静かな部屋だった。空気と人間が均衡を保っていた。ゆっくりと彼に近づいた。空気を乱さぬように、運動が体に熱を与えないように、人間の運動で空気を温めないように、完全に整えられたこの均衡を崩さないように、ゆっくりそろろと彼の傍に腰掛けた。胸に手を置いた。肌と肌、そして掌紋の間に入り込む部屋の空気が同じように均衡を保っていた。適度な体温の交換と、指先の運動を邪魔しない程度の適度な湿度が心地よかった。指先は適度な湿度で体をなぞった。冷たく張り詰めた体に、疼きを与えた。ビクり、ビクりと彼はなんども体を萎縮させた。胸部は張り裂けんばかりだった。均整が保たれた冷たい肌の上で、細やかな産毛がそよめいていた。部屋の空気の均衡が胸板と産毛にみなぎっていた。俺は彼の乳房を愛撫した。外腹から這い上がって、横胸側で舐め上げた。疼きが下から上へと走りながら、7合目あたりに着くや否や、接地面に圧力を加えながら飛び上がった。三、四度左右で繰り返した。いじらしく疼きを走らせた。最も欲しいであろう疼きを焦らすように、弱く意地悪な疼きを楽しませた。冷たく均整が保たれていた、張り裂けんばかりの胸肌に、俺の体温そのものが這い上がってくる。37度の舌先がそれまでの空気と肌の均衡を破る。冷たい均整は温度で乱され、湿度の心地よさは疼きに変わった。彼は首を持ち上げて俺の目を見つめる。最も欲しい疼きを願うように。自分の興奮を伝えるように。

何が俺にこのような想像をさせるのだろう。俺は女が好きだった。女の体に欲情した。しかし男の裸体が、その隠部が、胸を浮つかせながら思い起こされることがよくあった。全ての男に対してそうなのではなかった。例えば塾の先生だった。ある時は仲の良い同級生だった。ある時はテレビの男性アイドルだった。たいていその対象には最初尊敬があった。先生は俺に知的な感動を与えた。対象となる同級生はいつもどこかに無頼な雰囲気があった。彼は多少の美男子だった。しかし身なりは汚れていた。自分で美貌を不意にしていた。美貌を籠でぶら下げながら、泥道を歩いて平気だった。小学生の頃、俺はテレビの男性アイドルをよく頭に浮かべていた。ジーンズを履いていた。おしゃれなダメージを加えれたチェックの赤シャツを腰に巻いていた。俺はその美しさになぜが引かれた。美しいと同時に汚れていた。服には全てダメージが加えられていた。その服の下にある完全な美しさを想像した。そこには胸があった、腹があった、二の腕があった。脛があった、太股があった。傷一つつかない美しい肌がみなぎっていた。十二歳の俺は最後の一歩で踏みとどまっていた。いつでも隠部は隠されていた。白い空白が中心にはあった。男の隠部は父親のを見て知っていた。黒々と茂った隠毛からは、いびつな人肌が垂れ下がっていた。それ自体が生き物のようだった。持ち主とは切り離された生き物のようだった。得体の知らない醜さがあった。それと同時に、何気ない顔をしている持ち主と、この生き物が同居しているおかしさに異様な興味で引かれた。そのアイドルは完璧な美しさを持っていた。服を透かしたその下にはきっと傷一つない人肌が突っ張っていた。俺は空白に黒々とした生き物を当てはめてみた。完璧な人肌と、黒々とした隠毛から垂れ下がるいびつな人肌は、どこかちぐはぐな感じを与えた。完璧な体は汚されていた。到底二つが同居しているようには思われなかった。しかしそれはそこにあるはずだった。彼は男だった。男には決まってそのいびつな生き物が付いていた。俺は一度、毛一つ生えていない小さな生き物をはめ込んでみた。醜さを表していないまだ子供のそれだった。完璧な体とその子供の同居は妙な安心感で納得された。しかし彼の年齢は20を超えていた。大人の男だった。子供は大きくなり、その醜さを明らかにしているはずだった。そこでは醜さと完全さが同居しているはずだった。俺は困惑した。醜いその黒々とした生き物を、真ん中をくりぬかれた完全な体の空白に当てはめては首をかしげ、また無理やり当てはめては困惑したりした。完璧な美しさを何度も汚した。完全なものの真ん中に、その醜さが同居しなければならない必然にグロテスクを感じた。納得はできなかった。しかし納得しなければならなかった。当てはめては取り出し、当てはめては取り出すこの想像は、安心と困惑を繰り返しながら俺を引き込んで行った。二十を超えた俺は男色の街にいくようになっていた。もちろん女は好きだった。しかし幼少期から感じられたこの異様は男への興味を、もっと明らかにしてみたかった。何人もに尻を撫でられ、何人もに唇を奪われ、何人かに体を許した。彼らは当然欲情していた。俺が女に対するのと全く同じように俺に対した。しかし俺は違和感しか感じなかった。はっきり言って不快だった。忌まわしい体温を持った唇は、ただ物体としてそこにあって、その体温が生暖かければ生暖かいほど不快になった。尻を撫でる手もただの物体だった。それらの接触からは何の興奮も得られなかった。この違いは何なのか。幼少期から繰り返された、男色の想像の中で、俺は真っ先に隠部を想像した。黒々とした隠毛の中のその生き物がまず俺の中に浮かんできた。尊敬を感じる男の姿と、その下に隠された生々しい生き物のイメージを湧き起こっては消して、湧き起こっては消した。消さなければたまらなかった。二つのものが同居したグロテスクな影像は打ち止めなければ発展していった。行き着く先は絡み合う二つの体だった。さすがにそこまで発展させる勇気は起こらなかった。身近な人たちだった。最後まで発展させて平気なはずがなかった。最初の影像の時点で止めなければ、どんどん発展していきそうだった。彼らと男色の町の人々は何が違うのだろうか。彼らには俺にないものがあるからだろうか。尊敬だろうか、憧れだろうか。確かに彼らにはそういった感情を感じた。俺は尊敬できる・憧れを感じる彼らの性質・才能に興奮しているのだろうか。性質・才能を愛撫しているのだろうか。愛撫し恍惚を浮かべるその表情を見ながら、性質・才能を征服した感に酔いしれているのだろうか。女と交わる時、俺は前戯に何時間もかけた。取り憑かれたように奉仕した。奉仕といってよかった。男の隠部を口に含んだことがある。生暖かさとそれ自体が生き物に感じられる生々しさがあった。口に含む時には胸で覚悟を決めた。女の隠部も同じだった。そこには持ち主とは別個の生々しさがあった。生暖かさがあった。それだけで独立の籠った臭いもあった。やはり俺は覚悟を決めていた。どうして覚悟を決めながら交わるのだろう。隠部の愛撫だけで一時間はすぐ経った。覚悟を決めてまですることだろうか。俺は女との性交でほとんど果てたことがなかった。女の体には欲情していた。群衆の中で女の体を見ると執拗に目で追った。決まって隠部は欲情していた。一晩の間に俺は物語を創造する気概で望んでいた。毎回毎回創造した。夜12時くらいから始まり、四、五時間はあっという間に過ぎた。女の中に物語を作っていた。自分の欲望を果たすことはどうでもよかった。部屋では二人しかいなかった。何もごまかすことができなかった。俺は今まで現実に傷ついてきていた。何もごまかさなければ、俺それ自体を見られたら、きっと失望されるに決まっていた。二人きりの逃れようのない部屋で失望されるのはたまらなかった。そのためには奉仕するしかなかった。俺は自分を守るために、そして自分は不能ではないという裏書きをもらうために奉仕せねばならなかった。奉仕せずにはいられなかった。女の頭の中に物語を作る。頭の中に俺の虚像を作り出す。その虚像に満足している女に安心する。自分そのものを隠し、虚像で目をくらまして物語の中を歩かせた。奉仕はきまって実を結んだ。どの女と交わっても、もう一度会って欲しいと誘われた。その言葉が俺に裏書きを与えた。俺は不能ではないという証明になった。一人の女からは一枚の裏書きしかもらえなかった。二回交わっても意味はなかった。一枚の裏書きで目的は達していた。俺はすぐ次の裏書きを求めに行った。俺はそれを繰り返した。今では裏書きは十分たまった。女に奉仕せず、むしろ溜まった裏書きが慢心を与えた。傲慢な交わりをするようになっていた。

 

※少し前に書き溜めたものになります

階段を上ること

それは素晴らしいことだろう。

描いた夢への着実な道だろう

しかし俺は何か大きなものを見落としていた。

大きなものを失くしていた。

 

 

こいつらと闘っていくんだな、こいつらを抜かすことになるんだな。初めての授業は国語だった。苦手な科目だったが、この授業は非常に明快だった。目からウロコだった。方法論が確立していた。難解な文章を複雑な方法論で解き明かした。理解は当然困難だった。しかし食らいつこうと思った。ものにできれば怖いものなしになれると思った。国語の授業は私立と共通だった。サレジオ学園の生徒がいた。高校受験の時に問題集に出てきて知っていた名前だった。なかなか難しい高校だった。階段を上る上で当然倒さねばならぬ相手だった。誰々くんと言う名前はサレジオ学園という名前に変換された。公立高校の生徒もいた。同じ横浜で俺よりレベルの低い学校だった。誰々さんはレベルの低い学校の名前に変換された。すでに階段の下にいた。勝負はついていた。前しか見ていない俺の視界からは外された。初回の授業でも積極的に質問しに行った。熱意をみなぎらせていた。熱意は先生にも伝染した。これこれこういうことですか?「そうです!その通りです!」「ありがとうございました!」とても疲れた。頭の栄養を使い切っていた。その疲労感に満足した。本気で勉強し、本気で部活をするつもりだった。この疲労感を乗り越えた先が夢への通過点たる大学だった。数学の授業を受けた。この春から同じ高校に入学する同級生がいた。彼は中学からこの塾に通って、公立の高校受験をしていたのだった。階段の上にいるやつに思えた。一段俺の上にいるかと思った。これから勉強を始める高校数学の話をした。彼は白チャートで勉強していると言っていた。白チャートは一番簡単な参考書だった。彼は一段、二段と下にいる人間だった。高校の数学全然わからないよねと口にしながら、見下していた。こいつは相手にならないなと思っていた。出会う人全員が階段にいた。会う人会う人が高校の名前に変換された。高校のレベルに応じて見上げたり見下したりした。はるばる横浜まで通ってきていた。誰も知り合いはいなかった。元からの友達もいなかった。誰々くんは高校の名前になり、誰々さんは受けている授業の名前になった、どこどこ大学向けの数学の授業なら、彼女は決まってどこどこ大学になったし、AクラスBクラスCクラスならどこのクラスの誰々さんになった。俺は毎日自習室に通っていた。高校入学前から入り浸っていた。新しい自習室にワクワクした。ここで夢を追っていくのだと浮き足立った。ここで自分を鍛錬していくのだと気合が入り、困難と闘っているであろう自分を満足しながら想像した。上級生たちが自習していた。使い古された単語帳からは、何色もの付箋が飛び出していた。その色が多さと、ボロボロになった分厚い塊は、これから自分が登っていく階段の高さを想像させ、やって見せると意気込ませた。上る階段が高ければ高いほど、自分が大きく成長できると信じていた。新三年生の机には幾つも赤本が載せられていた。知ってる大学、知らない大学、有名な大学、そうでない大学、私立の大学、国立の大学、文系と理系、医学部。背表紙の大学名と持ち主の顔を見比べた。持ち主はその大学の名前になった。塾の教科書も置かれていた。どこどこクラス、どこどこレベル。あの人はどこ大志望で選抜クラス、あの人も同じ大学志望だが非選抜クラス。クラスの難易度によって、志望大学の難易度によって頭の中の階段に置かれていった。ある人は上である人は下。横浜に来てからの俺は、階段に立って見上げたり見下したりしかしていなかった。必死に上へ上へと登ろうとした。必死に習ったことを吸収しようとした。必死に先生に質問した。やがて高校が始まった。全員が同じ高校に所属していた。勉強をするのは当然だった。階段を上るために横浜に来た。そのために丘を登ってきた。俺はもともと頭がよくなかった。勉強も嫌いだった。どこに行っても問題児に分類されていた。運動も小さい頃から続けていた。かなり活発な少年だった。中学に入り、現実に傷つき、哀れな非行に走っても、活発な名残は残していた。自分は活発だと認識していた。寄せ集めの学校の中では、男として地位が高い方だと思っていた。いや、中学までは無自覚だったかもしれない。より地位が高い同級生たちから傷つけられ続けながらも、どちらかというと地位は高い方だと無意識に思っていたという程度だろう。それが横浜に来る間に、丘を登っている間に変わった、ほとんど意識していなかったのが明確に意識するようになった。俺はただ勉強だけしてきた奴らとは違うんだ。ドロップアウトしかけてここまで上り詰めてきたんだ。俺は勉強だけじゃなく、運動もできるし男としての地位も高いんだ。少なくとも苦労なくこの丘に車で登ってくるようなお前らと、俺は格が違うんだと明確に意識していた。

初めて会った奴らは必ず記号化された。中学時代はそんなことなかった。誰々さんは誰々さんだった。小学校からの友達、中学校からの友達、同級生。それぞれがそれぞれだった。中学2年から勉強を始めた。成績が上がった。上位者表に名前が載った。自分の証が、自分が優れている証が掲示板の上で胸を張っていた。全員が俺の名前を見た。全員が俺を尊敬した、驚いた。内申書の成績も上がった。成績を聞かれる、得意げに答える。必ず驚かれた、驚愕していた。俺の価値を上に見上げていた。ある人は俺より上で、ある人は俺より下だった。中学の友達はそのまま友達だった。誰々さんは誰々さんだった。しかしそれだけではなくなった。誰々さんは誰々さんで、なおかつ成績がしかじかの誰々さんになった。相変わらず仲良くする人もいた。元から仲が良かった人だった。だから彼らは彼らだった。それでも必ず志望校や成績がどれくらいかを考えた。元から恨んでいた奴らもいた。積極的に俺を傷つけた奴らだった。彼らとは昔は仲が良かった。誰々くん、誰々くん、、、だった。面白い誰々くん、かっこいい誰々くん、集団の中心的な誰々くん、心が優しいが打たれ弱い誰々くん。中学に入りそれぞれの差異が明らかになってくる。明確な優劣がつく。見下される。死んで欲しい誰々くん、殺してしまいたい誰々くん、消えてしまえばいい誰々くん、相変わらず優しい誰々くん。彼らは俺の中で変わった。俺は勉強した。俺は頭がいい俺になった。変わっていて見下されて当然な俺から、頭が良く周りより優れている俺になった。死んで欲しい誰々は、馬鹿で死ねと思う価値すらない誰々になり、殺してしまいたい誰々は、馬鹿だから殺す価値もない誰々になり、消えてしまえばいい誰々は、どうせ将来大したことないから無視しても構わない誰々になった。そして相変わらず優しい誰々は、頭が悪いが見下すのはあまりに申し訳ない誰々になった。誰々は相変わらず誰々として接してくれた。俺は同級生を常に見下していた。しかし優しい彼は俺を元の俺に戻そうとする力があった。ドゲトゲしい俺の心に昔の自分を思い出させてくれた。塾でも多少勝手が違った。俺はほとんど一番下のクラスだった。それから一番上のクラスまで上がった。同じ下のクラスで面白い誰々は、昔同じクラスだけど相変わらず面白い誰々になり、あまりに頭が良すぎてもはやどうでもいい誰々は、意外にいい勝負できる誰々になり、どうしてそんなに勉強ができるのか不思議だった仲の良い誰々は、いつの間にか俺の方が頭良くなったけどまああいつの良いところは別にあるよなと思う誰々になった。

確かに、塾の中でも人を見る俺の目は変わっていた。どうしても成績と志望校がくっついてきた。しかし彼らは彼らだった。勉強は俺の方ができるようになったけど、いいやつだからなと思っていた。俺は学校での、頭が良いから見下せて当然な俺ではなく、頭はいいけど昔みたいに仲良くしたい俺になっていた。彼らは元から優しいからかもしれない。彼らは俺を傷つけなかったからかもしれない。現実が俺を傷つけたから。傷が恨みをもたせたから。恨みが俺に復讐をさせようとするから。そのためには成績が必要だった。見下すための地位が必要だった。現実と闘わなければならなかった。闘わなければ傷つけられるだけたった。現実のなすがままにボロボロになるしかなかった。中学3年の頃は人とうまく関われていたと思っていた。確かに当たり前に会話はあった。心の交流は日常にあった。しかし俺はすでに変わっていた。人の見方が変わっていた。どうしても学力がついて回っていた。学力の優劣は当然横浜までついて回った。出会う人全てが初対面だった。誰々さんは初めからどこ大志望の誰々さんだった。初めからどこどこクラスで偏差値いくらの誰々何だった。