※少し前に書き溜めたものになります
俺は自分を守る必要があった。
それは「俺は他の奴とは違う」という強がりでもあった。
俺は自分の木を育てた。
地上はあまりに騒々しかった。
地上はあまりにも俺を傷つけすぎた。
だから俺には登るべき木が必要だった。
俺は常に人を見下したがっていた。
木の上に登って
そこから人を見下ろしていたかった。
中3か高1くらいからだろう。
俺は人と上手く関係を築くことができなくなっていた。
俺は常に人と自分を比べ、
人よりも何かが優れていないと
安心して人の輪の中にいることすらできなかった。
だから俺は勉強した。
鏡の前に立って容姿をよくしようとした
それは木を育てることだった。
誰よりも高い木を育てることだった。
そしてその木にいつでも登れる安心を得て初めて、
俺は人と安心して会話ができた。
安心して地上に降りることができた。
しかし
地上にいるときでさえ、
俺は常に自分の育てた人一倍大きな木に
寄りかかりながら
人と話していたのだ。
だから俺は人と関係を築けない。
何もない荒野では地面にかがみ込んでしまう。
人を見下せないと人と会話できない。
いつか俺は
自分が人と関われなくなったのは
中学3から高校1年の時だと書いた。
確かにそれは当たっていた。
その頃から俺は明確に人を見下すようになっていた。
しかし、
本当はもっと昔からそうだったんじゃないのか?
確かに俺は自分の木を育て上げた。
だから人を見下せた。
しかし、
俺はそれよりずっと昔から
自分が登って人を見下せるような木を
地上の騒々しさから逃れてゆっくりしたを見下ろせる木を
育てていたんじゃないか?
それは小学3年生からそうだった。
しかし、その木はあまりに貧弱だった。
時には人からすごいと言われた。
時には人から注目された。
しかしそれは限定的なものだった。
幼い頃から俺は人を見下そうとしていた。
そして実際に見下すことも多々あった。
しかし、その木があまりに貧弱なために、
俺はやむなく地上で生活しなければならなかった。
その木があまりに貧弱だから
俺は地上で生活できていたのだ。
しかし、勉強を始める。
誰にも負けない大きな木を育て始める。
その木は確固たるものだった。
その木は誰からも羨ましがられた。
俺はついに地上から解放された。
俺はついに人から尊敬されるようになった。
俺は自分の力で自分を高みに持って行った。
しかし
俺はもはや地上で生活することを忘れていた。
水を上げれば木は育つ。地上はあまりに住みずらかった。俺は木を育てなければならなかった。木に登り、周りの木との高さ比べに一喜一憂した。自分の価値は木の高さで測られ、相手の価値も木の高さで測られた。土地には様々な種類の木があった。運動、学力、容姿、社交性。これらはすべての住人が否応無しに育てなければならなかった。無意識にそれらの高さをお互いに意識しあうように仕向けられていた。地上にいながら、決まって所有している木のことを脳裏に浮かべた。しかし地上の状況が厳しくなるにつれ、俺は新しい種を探すことに・水を与え木を育てることに追い立てられるようになっていた。中学以後は特に顕著だった。まずはその土地で珍しい種を探すことから始まった。筆回しや音楽ゲームやカードゲームはまさにそれだった。やがて学力の芽を育てることに固執した。取り憑かれたように木の高さを比べる生活が始まった。遡って、小学生の頃はどうだったか。6年生、俺は既に筆回しを始めていた。トランプ奇術にも水を与えた(もっとも、わずかな茎と二、三の枝葉が出てきただけだった)。また、自分の憧れるキャラクターのポーズを借りて、細くて今にも折れそうな木を育てたこともよくあった。また、逸脱や悪行などの類にも水をやり、着実に成果を発揮していた。悪行の樹木は誰よりも伸び、その高いところから下を見下して優越に浸っていたが、正義という名の軽蔑が樹木ごと俺の自尊心を踏み潰した。5年生でも悪行の樹木には水をやっていた。5年生に進級した当初、俺は地上を肩をそびやかせて歩いていた。俺は漠然とした男女の階級、つまりはいかに他の奴らよりイケているかという自分の評価を、過剰に高く見積もっていた。自分知らずの自惚れは、高くそびえた樹木の上から地上を見下している自分を頭の中で想像していた。肩すかしはすぐ現実に突き飛ばされた。自惚れの樹木は自ら姿を消し、現実の地上での軽蔑を与え俺を傷つけた。すぐさま俺は悪行の樹木に登った。それに必死で水をあげた。樹木はそびえ華を咲かせた。間も無く正義という名の軽蔑が樹木ごと俺を踏み潰した。踏まれては育て、踏まれては育て、悪の樹木はそれ自体が俺自身と感じられた。途中学力などの木も育てようとした。しかしまったく成果は得られず、現実は俺を地上に叩き落とした。現実が地上でなんども俺を張り倒した。4年生でも俺は悪行の樹木を育てていた。学年で一番の問題児のグループに所属した。自分がそのグループの何番目に位置しているのかをよく想像して楽しんでいた。悪の組織での階級の中に位置付けられた自分を見て自尊心が満たされた。胸につけられた勲位の星の数は、悪の組織の一員であることの証明と、自分の階級を表し、それを見せつけながら誇らしげに歩いていた。悪の印を持っていない同級生がいれば、決まって見下していた。集団の中で上位に位置する組織に属していることが、俺に自信を与え周りを見下す権利を保障した。悪行も重ねた。元から多少の悪行癖はあったが、4年生で一気にそれは悪化した。悪行の樹木の上にいることが、悪の組織に所属していることが、地上での生活を忘れさせ、その仮想空間の中での想像は、俺に一時の安定を優越感とともに与えた。4年生の頃、少しずつ同級生から一方的な暴言を浴びることが出てきていた。3年生の頃にそれは始まっていた。3年生の時にサッカー少年団に入った。最初は誰もが優しかった。やがて親しさが乱暴を許し、一方的な暴言が地上の俺を始めて脅かした。それはいちばんはじめの出来事かもしれなかった。リーダーの気に入らぬことを俺が別の友達にチクったと言うらしかった。帰り道俺は袋叩きにあった。あまりに繊細な俺は言い返す言葉もなく、ただただ長い家路が終わることを待った。これが初めての地上での事件かもしれなかった。確かに若干の乱暴はむしろ嬉々として受け止めていた。入団したての頃は、まだ周囲にはよそよそしさと遠慮があった。しかし時間は距離を縮め、私たちは親密になっていった。乱暴は遠慮がもはや無くなったことの証明だった。完全に仲間の輪の中に入った証明だった。4年生でも同じような事件があった。同じ理由で帰り道の袋叩きにあった。普段の遊びでもだんだんと扱いに差異ができてきていた。リーダー格の人間は大切にされ、つねに機嫌を伺われていた。俺に対してはだんだん暴言が増え、軽い暴力や暴言・まったく尊重されていないと感じられる態度の数々によって、自然に俺はこの集団の中での立ち位置を・階級を悟った。休むことなく発揮されていた無邪気は、時と場所を選ぶようになり、やがて俺は口をきかぬようになっていた。わずか小学3年生の時である。遊んでいたとしても、俺はなかなか自分から話題を提供しなかった。つねに周りの会話を聞いて、自分の入れる機会を辛抱強く待った。どこへ行くにもただついていくだけだった。移動する時もいちばん後ろから付いていった。行き先を決めるのも、俺はただ代表者たちの意見に従うだけだった。そう、おそらく小学3年生の頃から始まったのであろう。あの頃から地上が騒がしくなった。多少の気苦しさをつねに感じて過ごしていた。そうして事件が何度か起きた。袋叩きにされ、俺の中の恥部を晒され、気づけば俺は種を探して歩き回るようになっていた。そうだ、彼らと関わり合ったのが始まりだったのだ。彼らと関わったから、地上が騒がしくなったのだ。小学1年生、2年生。俺は内から湧き起こってくる活発さを、休むことなく発散し続けていた。無邪気さは休む時を知らなかった。ほとばしる活発さは、つねに同じような活発な友達を欲していた。あたり構わず声をかけて遊びに誘っていた。2年生の時だった。俺は彼らを見出した。身体から発せられるこのクラスで一番の活発さは、同じく活発な俺には魅力的だった。そうして彼らとの交際が始まったのだった。時は再び進むが、小学生の頃、俺はアニメのキャラクターによく憧れを抱いていた。それらは決まって悪役だった。味方だったとしてもアンチ主人公の雰囲気があった。それらは例えば、一族殺しの抜け忍者であったり、実験狂の無敵の変質者であったり、十刃の中のナンバー4や6だったり、戦闘力が53万の宇宙人やゴキブリがモチーフのニヒルな男、そしてその冷酷無比な残虐性を恐れられたアメリカンフットボールの強豪校のツートップであった。彼らはつねに強敵として正義を苦しめた。正義は偽善であるはずだった。自分を保つために精一杯の偽善者たちを圧倒的な力で捻じ伏せる。アニメは正義を主張しすぎていた。連帯や仲間同士の感動を賛美しすぎていた。俺にはそんな日常はなかった。連帯や感動を感じられる素直さが潰されていた。素直でいては苦しむだけだった。反逆を、復讐を企てなければ自分を救ってやれなかった。多数派のリーダーは俺を見下し、その他はリーダーになんとなく従って、それでいて上手に正義である顔をしていた。普段は見下しながら、俺が悪いことをすると正義を盾にさらなる暴言を吐いた。俺は素直に生活できなくなっていた。自分を保つためにはどうしても非行に走らなければならなかった。非行をすれば正義の名の下にさらなる鉄槌が下された。教師も親も頭ごなしに俺を攻め立てた。俺を問題児として見下していた。どうしても俺に部が悪いわけだった。小学生にして苦い思いを何度もしていた。多数派が軽々と賛美する正義が憎らしかった。アニメを見るたびに憎しみが沸いていた。悪は徹底的に正義を叩き潰して欲しかった。悪は圧倒的な実力を持っていた。正義をもはや壊滅的に滅ぼしていた。最後の最後まで破壊し尽くして欲しかった。全ての人間を殺戮してもらわなければ気が済まなかった。アニメはいつもあと一歩のところで俺に歯軋りさせた。正義は必ず盛り返した。必ず秘められた力を解放し、悪を抑えた。俺は地団駄踏んでいた。歯軋りをしていた。液晶の前の俺はいつもこんな少年だった。根深い問題なわけだった。日常は、地上は、幼い頃から俺を傷つけ暴言していたのだった。それに耐えるには・自分を保つためには素直さを犠牲にするしかなかった。そうだ、俺は素直でなくなっていたのだ。樹木に登る緊張が俺と周囲の調和を妨げ、永遠に除かれないと思われる高い壁を感じさせた。
一方俺は素直な人だと褒められることが小さい頃から今の今までよくあった。二つのギャップが俺にはあった。ある時は俺であり、またある時は別の俺であった。それはきっと樹木にこだわったり、あっさり捨てたりを繰り返していたからだった。俺は素直さを捨ててはいなかった。また一方ではどうしようもなく素直でなく・偏執的だった。何が俺にこだわりを持たせ、何が俺のこだわりを溶かすのか。