ずっと気が進まなかった「スター・ウォーズエピソードⅦ フォースの覚醒」を、意を決して観てみることにした。
 
当初は中古で購入しようとしていたのだけど、「DVD+BD+デジタルデータ」という謎のセット販売(何故同一ソフトを別形態で同梱するのか理解に苦しむ)でしか見つからなかったので、こちらもずっと気が進まなかったTSUTAYAへの会員登録(再登録)を意を決して済ませてレンタルした。
 
で、視聴を済ませたところでやっぱり腹の立つ映画だった。この煮え切らない気持ちを、これまたかつては気が進まなかったアメブロに意を決して書いてみようと思う。
 
僕はディアゴスティーニの週刊スター・ウォーズ・ファクト・ファイルをコンプリートする程度にはスター・ウォーズ・ユニバースに魅せられているのだが、むしろ従来のスター・ウォーズ作品を愛してきたからこそ、EP7については、その詳細が伝わってくるにしたがい次第に興味を失ってきたのであり、公開中とうとう劇場に足を運ぶことがなかった。いっぽうその翌年公開されたスピンオフ作品の「ローグ・ワン」についてはかなり評判がよかったこともあって劇場に観に行った。そして実際気に入る作品であった。
 
先日知人と話すなかで、彼もEP7よりもローグ・ワンが好きだという旨のことを言っていたので、流行に乗るのではなく批判されている事象を「何がどう悪いのか」理解する意味では観てみてもいいかな、と思った次第。
 
肝心の感想なのだけど、これは「お金はかかっているけれど脚本や設定がチャチ」という点に終結すると思う。
 
ハン・ソロの息子を堕落したダーク・ジェダイに仕立てあげたところからは「スター・ウォーズ・サーガは父と子の物語なんだ(ドヤッ」という作り手のエゴが透けて見えるが、これが本当に必要な設定だとは思えない。というか、全体に不必要な要素が多すぎる映画だった。お金のかかった壮大なスター・ウォーズ同人映画としては全く認めなくもないが、そのために多くのメインキャラクターの設定をブチ壊すような真似はやめてほしいと思った。
 
全体にビジュアルやカメラワークがアメコミ映画か昨今のゲームのプレイ画面のようであるところも気になった。スター・ウォーズシリーズはもっとパンアウトひとつ撮っても映し方が凝っていた。EP7に関しては、映像に対して「VFXが綺麗だ」とは思っても「すごい」とは思わなかった。
 
キャラクターもテクノロジーも設定のツメが甘いような感じで、従来のスター・ウォーズ・サーガの設定の深さからすると「やめてくれええ」というようなものが多く出てきた。
 
だいたいあれ、今回のキーになる帝国軍の残党「ファースト・オーダー」の新兵器「スター・キラー」、惑星ひとつを丸ごと大量殺りく兵器に作り替え、恒星ひとつを丸々吸収して惑星を破壊するレーザー砲を多数照射して星系ひとつ分をいちどに破壊するという。いやいや、太陽吸収したらその時点で惑星爆破しなくても星系滅ぶでしょ。わけわからんわ。
 
明らかに人員が不足しているように見えるファーストオーダーがこのような異常に建設費用がかかるに違いない(それこそ天文学的数字だろう)兵器を用意すること自体が非現実的だし、かなりの違和感がある。
 
帝国の残存領域で破壊と残虐の限りを尽くすファースト・オーダーと新共和国が支持するレジスタンスの戦いというのは昨今の中東情勢を暗示しているようにも見えるけど、そのファースト・オーダーが高コストな大型兵器に頼っているというのが筋道として奇妙。(しかもファースト・オーダーの成立とか戦略とかその辺の説明はない)
 
なにより今回も劇中ではレジスタンス側がその破壊に成功するじゃん。
 
初代デススターは設計の小さなほころびを帝国が取るに足らないものとして十分に対策しなかったことが破滅の原因だった(しかも、『ローグ・ワン』作中ではその設計上のほころび自体が設計者が帝国への報復のために意図的に用意したものであったことが明らかになった)し、二代目デススターはまだ建設途中であり、反乱同盟軍の主力艦隊を集結させ一網打尽にするためにおびき寄せる罠としてあえてリークさせた皇帝の慢心で破壊されてしまう(スーパーレーザー砲がすでに完成して一部使用可能な段階にあることはトップシークレットだった)のに比べて、今回登場するスター・キラーはジリ貧の帝国残党が起死回生を狙うために作り上げた最終兵器であって、いかなる些細なほころびも許されないはずじゃないですか。なのになんで今回も戦闘機で攻撃可能な外側に弱点を作ってるわけ?ここで描かれる帝国とその残党って銀河を統治するには学習能力が低すぎない?
 
ファースト・オーダーを操る最高指導者スノークとかいうのも銀ぴかなのに実はめちゃくちゃ弱いキャプテン・ファズマとかいうのも全然魅力的じゃない。
 
そもそも製作途中段階で早くもEP7を見る気が失せた最大の理由は、スピンオフシリーズへの経緯を持ってないということ。
 
実はスター・ウォーズの世界というのは、膨大な小説やコミックなどによって、数多の作家が設定を継ぎ足し継ぎ足し、それらが相互に矛盾をきたさないように巧妙に展開されてきた。公式設定はルーカスフィルム傘下のルーカスブックスの校閲を受け、保存されてきた。ところが版権がディズニーに移る前後からの過激なまでの商業主義によってそれらの設定の一切を打ち捨てて作られたのがこのEP7である。エンドアの戦いのあとどうやって帝国の残存勢力と新共和国が戦い、新たな脅威に立ち向かい、ハンとレイアが絆を深めてきたのか。ルークがいかにしてジェダイ騎士団を再興させたのか。そうしたことが一切否定されてしまったのだ。
 
スター・ウォーズ・ユニヴァースを守って来た先人たちの苦労をないがしろにするようにおいしいところだけもっていくやり方が非常に気に食わなかった。そしてその感想は映画を実際に見ていっそう強まってしまった。
 
一方で『ローグ・ワン』は、あえて既存の世界観を壊さないように、今まで描かれていなかった部分にスポットを当てた。新登場する兵器やドロイドも、既存のアイディアの延長線上にあるものが多く、発展過程的に
 
EP7の黒光りするタイ・ファイターになぜ二人搭乗できるのか、なぜスーツなしで搭乗できるのか、フィンはタイでどこまで逃げる気だったのか(オリジナルのタイ・ファイターは単座式、コスト削減のためあらゆる装備は簡略化され、生命維持装置すらないためタイ・パイロットは生命維持装置を備えた特殊スーツの着用が必要、ハイパードライブも搭載していない短距離機)という多くの釈然としない疑問が噴出する一方、『ローグ・ワン』で新登場したタイ・ストライカーはEP6に登場したタイ・インターセプターとデザイン的な近似を感じさせる。『ローグ・ワン』で描かれている時期はEP4の直前なので、従来タイ・ファイターはダース・ヴェイダー専用機のタイ・アドバンストX1以外には用途に応じたヴァリエーションが描かれてこなかったが、このタイ・ストライカーは地上任務用で、しかも帝国の秘密を守るスカリフであれば、のちのタイ・インターセプターにつながる試作機が試用されていても整合性は取れるというわけ。
 
ローグ・ワンに登場する新キャラや新技術には既存のスター・ウォーズ作品に統合していこうという意図が見て取れるが、EP7にはそれがない。
 
端的に言ってしまえば、ローグ・ワンが最初からスピンオフ然としたスピンオフであるのに対して、EP7は平然と正史の顔をした尊大で不遜なスピンオフ、という印象だ。
 
加えて言うと、スター・ウォーズシリーズはいつもストーリー展開が同時並行的で、一作品のなかでめまぐるしく多くの事件が起き、多くの戦闘が描かれる(EP3はきわめつけのように激しかった)のに、EP7は中心人物・視点人物が固定されていてあんまり動かないのも、この作品を単調に見せているなと感じた。
 
スター・ウォーズの正史としては絶対認めたくないし、映画としても正直そんなにすごく面白いとは思えなかった。
 
カタナ艦隊は許せてもカンジ・クラブは許せん。