R.I.P. マルコ・シモンチェリ 2
シモンチェリを知ったのは、2008年。その前の年は、そんなに活躍してなかったのでなぜ急にという感じでした。
茂木では見事勝利し、表彰台の写真をたくさん撮りました。
翌年は連続チャンピョンとなってMOTO GPクラスへということでしたが、チャンピョンは青山に。
でも、昨年、グレッシーニからMOTO GP デビュー。
去年、ちょうど茂木の表彰台の写真にサインをもらいました。
近くでみると、肌がきれいだし、すごい好青年。
そして、今年の茂木でも生ボンバーを。
アグレッシブな走りと対照的なパドックでの優しさ。そしてイタリア人ということもあり好きなライダーの一人であり、数年後にはチャンピョン争いにからんでくるなと思ってました。
マレーシアでの土曜日。
もう、こういった写真を撮れないのも残念だし、もちろん本人に会えないが一番残念だよ。
2011年11月11日11時11分11秒
自分の誕生日が1月11日ということもあって1に対する想いは普通の人よりかなり強い方だと思います
。
今日は、2011年11月11日11時11分11秒があった日。
だからといって何かあるわけではないけど、次の2111年1月11日11時11分11秒に自分が生きているかどうかもわからないので記録に残しておこう![]()
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R.I.P. マルコ・シモンチェリ マレーシアGP
ブログを書くタイミングがなかなか見つけられないまま、気がついたら1年経っちゃいました。
&途中まで書いたけど、UP しなかったりと。(そして、書くときは決まって悲しいお知らせが・・・)
今年この9月から10月にかけ秋の4連戦という壮大なツアーを実行しました。
本当は、第1弾から書きたいところでありますが、悲しい結末となった最後のマレーシアGPから。
僕にとっては初の海外 MOTO GP だったわけですが、悲しい結末となってしまいました。
このレースは前週、インディでダン・ウェルドンが亡くなったばかりで、事故直後のGPということで僕は安全という意味にいつもより気にはかけてました。
そして、MOTO2からの妙な嫌な流れ。
3~4コーナーにかけてのところで見ていました。
主になんか80の選手を写真撮ったりしてたらそのアクセル・ポンスが転倒しレースは17周を終えた時点で赤旗中断。転倒したマシンは眼の前。(その後、再スタートするのかと思ってたらそのまま、レース成立)
そして、MOTO GP 。
自分の気持ちは、スターティンググリッドを真近で見れてかなり感激(茂木はオーバールコースが邪魔して見えないから)してました。
そして、スタートと思ったら2周を終えてみんなピットに引き上げ赤旗中断でびっくり。
モニターが非常に見づらい席であり、ロッシがクラッシュして(茂木の時と同じでついてないなと思いながら・・・)、
その後、TECH3のピットが。その時点では何が起きたから分らず、電光掲示板には普通にラップがされてたので下位(11位以下の選手)で何かあったのかなと思ってました。
しばらく再スタートを待ってると、なんとコーリンのマシンが眼の前にあり、スタッフがいろいろいる。この時は、コーリンに何か起こってるのかと思いました。
そして、分けのわからないままレース中止。この時、マレーシア人の最悪なところをみてしまいました。(確かにマレーシア人からしたら所得の違いは分るし、腹を立てるのも分るけど・・・)
パドックに戻ったら、シモンチェリがどうのこうのとテロップで流されてました。まだこの時点で、シモンチェリは療養中だと思ってました。そして、グレッシーニのパドックには人だかりが。
なんか異様な雰囲気でありましたが、この時、携帯でその事実を初めて知りました。
その後、仲の良いスタッフとも出会い、思わずハグと肩をたたきあいました。
そして、言葉に詰まってしまったけど、いろいろレースのことも話しました。
パドックは土曜の華やかさとはうってかわって、静けさがただよってました。
目を真っ赤にしてる女性。
みなあちこちで抱き合い、肩をたたきあっているシーンが印象的でした。
他チームのスタッフも懸命に片づけをしてましたが、みんなこの事実をそれぞれ個人で受け止めてるような気がしました。
こんな悲しいパドックは初めてであり、何ともいえない気持ちであるのと、つい1時間前の出来事が嘘であってほしいと何度思ったことか・・・。
もうこのアグレッシブな走りが見れない残念さと1時間前まで眼の前にいた人がこの世から亡くなった悔しさ。
その気持ちが入り混じってますが、一番悔しかったのは本人だろうなと思います。
いろいろ夢をみせてくれてありがとう。
富沢祥也 9月5日
今年は著名人が亡くなるの多い年だと思ってました。
小林繁(野球)、藤田まこと、木村拓也(野球)、パク・ヨンハ、梨本さん
オグリキャップ、スーパークリークと。
そんな矢先の訃報でした。
最初つぶやきで知って、それからネットで事実を調べました。
時間が経つにつれそれは受け入れられましたが、何しろ7月の8耐で会ったばかりなので信じられないというのが 正直な気持ちでした。
この後、少し話してチェコでは頑張ってと声かけたところでした。

手帳に書いてもらったサインです。
正直いうと、彼には大ちゃんみたいなことを期待してたし、これからの日本を青山君と一緒に引っ張ってくれていくのではと思ってました。
各チームからの引用だが
V・ロッシ
「でも、今日のように悲しいことが起こると、すべてがゼロになってしまう。そして成績などどうでもよくなってしまうんだ。祥也は素晴らしいライダーだったし、それ以上に人間としてとても温かみがあった。それに面白くて、いつも笑っていて、みんなを楽しませるようなことばかり話していた。まだ若く、未来があっただけに、みんながとても悲しんでいる」
J・ロレンソ
「こんな悲しい日には、言葉が出てこないよ...。祥也のことは、本当に残念。だっていいやつだったし、ライダーとしても力を持っていたからね。とても悲しくて、僕がどれほど悲しんでいるかを彼の家族や友達に伝えたい。それ以外何もない」
W・ズィーレンベルグ、チーム監督
「富沢選手のことは本当に残念だ。彼は才能にあふれていて、いつか必ずモトGPにやって来ることになったはずのライダーだった。このスポーツでは常に起こり得ることだが、今日はそのことを、我々全員に改めて思い出させることになった」
ダニ・ペドロサ
「今日の優勝は言葉にできないほど最高の気分だったが、チェッカーを受けてパルクフェルメに到着したとき、メカニックがみんな真面目な顔をしているので変だなあと思ったら、富沢選手が亡くなったことを知らされた。とてもショックで言葉がなかった。とにかく、彼が亡くなったことが信じられなくて3回も聞き返してしまった。そして、とても悲しい気持ちになったし、こんなことは決して起きてはいけないと思った。富沢選手は、いつも楽しいジョークを言って、みんなに愛されていた。とても速くて勇敢なすばらしいライダーだった。先週のインディアナポリスでは、ピーター・レンツ選手を亡くした。1週間で2人の選手が亡くなるなんて、本当に悲しい。彼の家族に心からお悔やみを申し上げます。」
アンドレア・ドヴィツィオーゾ
「富沢選手の事故は、レースが終わってから知ったが、あまりにもショックだった。この2週間で2つの悲劇的な事故が起こり、2人のライダーが亡くなった。セーフティコミッションは、これまでたくさんの安全を実現してきたが、コース上で起きた事故だけに避けられなかった。富沢選手の家族にお悔やみを申し上げます。自分が父親になった今、こういう出来事が、家族にとってどんなに悲しいことかということを感じている。」
青山博一
「レースを終えた後に祥也が亡くなったことを知らされたけれど、言葉もありませんでした。祥也は本当にいい友達だったし、信じられない気持ちでいっぱいです。今日はすごくいい走りをしていたし、表彰台に立てると思っていました。本当に悲しくて、今はなんて言っていいのか、言葉もありません」
どれだけ彼がみんなから愛されているかのコメントでした。
MOTO GP が近づいてくると、大ちゃん、ノリックのことをいつも思い出します。
http://ameblo.jp/kenglobe/entry-10360370609.html
何かいろんなことを考えさせられるけど、考えていても前には進めない。
でも、これだけは自分の中で忘れてはいけないことだと思い、ブログにしました。
夢を見せてくれてありがとう。
そして、鈴鹿で最後、出会えたことに感謝。
さすが、賞金王
今日は普通に仕事だったけど、
一番びっくり
したのは、皇帝が復活したこと。
夏に一度、話題が出てからずっと書きたかったけど、タイミング逃して書けませんでした。
でも、今度の話は本当のこと。
来年、久しぶりに皇帝に会える。
来年こそは念願であった 皇帝にサインをもらうことを目標にしようと思いました。
正直、復活するからには勝算ありってことだし、もしかして前人未踏の8回目のワールドチャンピョンの可能性。
そして同時に我が友アロンソとの対決。また、ガチンコでやってくれることを期待してます。
それともう一つうれしかったこと 友達が大舞台で勝ったこと
http://ameblo.jp/kenglobe/entry-10182250640.html
今年は去年みたいに1億円を12人で争うレースの方には出場できなかったけど、
top13-52 が争うレースに出場。
昨日から勝つとは分かってたけど、やっぱり本当に勝ってしまうところがすごい。
去年の1億円とは比べモノのにならないけど、それでも確か1600万円 GET。
今年は、フライングで出場できないレースが多く大きいレースに勝てなかったからね。
最後にやってくれました。








