樹木希林さん(1943∼2018)が

いてくださった日々…

  ドリアン助川(作家)

 


希林さんはよく


(人間の裏まで見る悪い性格なの)


と、


自分のことを

評されていた。



だが、

これほど細やかに


斬新な

ユーモアを持って


人々を

包み込んだ女優を

私は知らない。






小説❝あん❞、

映画化(河瀬直美監督)。


{徳江}と言う役で希林さん

は主人公をつとめる。






その{徳江}の精神的

モデルとなった


上野正子さん(91歳)が

暮らす、

ハンセン病療養所を


希林さんは役作りのため

2回ほど訪れている。




いきなり

この療養所を訪れ


正体も明かさず

面談を求めたらしい。



希林さんは

いっもそうやって

周囲を驚かせる人だった




希林さんは映画を

きっかけに


実に多くの旅を共にして

くださった。 






全国の都市での舞台挨拶


カンヌやウクライナや


カタールなどの

国際映画祭への参加


山間部の小さな町や 

離島での上映会


時には新宿ゴールデン街

のバーにまで

お付き合い下さった。






原作者に過ぎない私を


(作品に込めた気持ちを

語って歩きなさい)


と、


後押しして下さった。




カンヌでの上映後

鳴り止まない

スタンディング

オベーションの中で、


(もう帰りましょう)


耳打ちしてきた希林さん、


なぜですか? と、

訊くと、


みんな手が痛いのを

我慢しているんだよ


いたたまれないから

引っ込みましょう


と、

おっしゃった。





ウクライナでの映画祭は

ロシアと紛争中だった

こともあり


プロジュウサーから

渡航を止められた。



するとその夜電話があり

そういう所だからこそ

行ってあげたいわよね、

と、電話を下さった。











その結果、

私と希林さんは


戦争テロ保険

というものに加入し


ウクライナに

向かうことになった。






かの地では

上映後に



涙を流して近づいてきた

観客たちを



こちらの

言葉

分からないからと


無言で

抱きしめていらした。


ラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブ



そして帰路



何故かまっすぐに

沖縄に向かい



辺野古埋め立てに

反対する


おばあちゃんたちに

交じり











座り込みに

参加したのだった。








福島会津若松の

中学校では


映画の感想を言えずに

立ったまま


固まってしまった

女子生徒を


やはり静かに

抱擁されていた。




(私も同じだったのよ、

一言も話せない

子だった)、 



と、


囁きながら…









ある大学での

❝あん❞の上映会の

打ち上げのこと、



ふいに

CTスキャンの画像を

取り出された。



ワイングラスの横に

置かれた

その写真は



ガンが全身に

広がっていることを

示していた。






言葉を失った私たちに





(だから会いに来たのよ)



と、



希林さんは


いたずらっぽく


微笑んでみせた。






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女優と言う枠を越えて


希林さんは


私たちの心を


温め続けてくれた


人の世の華であった。





あの日から

覚悟はしていたのだ



でも、



こんなに早くとは

思ってもいなかった。









自分らしく

素敵に  


人生をまっとうした

希林さん、





ありがとう

ありがとう、、、

ありがとう、、、

御座いました。



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