kenchan7さんのブログ -2ページ目

結婚記念日の夜と...

今日は、○回目の結婚記念日ドキドキ

なのに、世間では"Windows7"の発売を明日に控えて

アキバでは、AM0:00の解禁Timeを睨んでの深夜星空販売Eventドンッ=祭の情報が...

ショック!Qooヾ(≧д≦)シ PCヲタノ ショウドウガサワグーアップ

しょぼん遺憾いかんショック!

愛する妻と子供達の為にも、帰りにチョッとしたBouquetチューリップ赤とWineカクテルグラスと何か洒落た一品を買って、ささやかなAt Home Dinnerで家族水入らずで過ごす予定やないか!


kenchan7さんのブログ-DVC00064.jpg
(↑本人の承諾を得てない為、見つかったら削除させられます??)

...プンプンMicrosoftのバカプンプンバカ!

もう脱"窓"してリンゴユーザーになるからな!

(T"T;)プンプン

...って、お子様以下ヤナ‥(-ω-;)(汗

女性Singer lela(レラ)本日debutお勧めっす!

久々の更新ですニコニコ!

日テレの週末の深夜番組で『音龍門』ていう幅広い…POPからRock・演歌まで…新人Musicianを「ヒットの原石」として紹介する音符音楽番組がありやして、

先週たまたま観ていたら、久しぶりに“心を撃ち抜かれる”程の衝撃的で“グッと引き込まれる”Angelラブラブ!Voiceをもった "lela (レラ)"という名の女性Singer音符をRecommend(お勧め)するコーナーで、リモコンを持つ手がパタッ止まって、目目と耳耳が釘付けになりました。


Major-Debutに向けたレコーディング~ジャケット撮影のドキュメンタリーぽい紹介といった内容だったんですが、

インディーズからメジャーDebutまでの苦難…心の病(対人恐怖症)を持っていらっしゃる…とか、そんな背景はさておき、

その(モチ良い意味でアップ)何とも言えないニコニコ独特というか、インパクトある歌声音符

…プロデューサーの表現を借りると「スピーカーの膜を通り抜けて直接リスナーの耳と心に響く」ような美声ドキドキと心への振動…

と、独特の世界観があって切ない音符詞曲音符が、すごく良くって、

久しく無かったアーティストへの“惚れてまうやろ長音記号1ドキドキ”の一目(耳?)惚れをしてしまいました。

Debut曲の『裸の月』しかまだ聞いてないのですが、番組ではアルバムのレコーディングをされてやしたので早く他のSongも聞いてみたい、と思うオイラにとって久々の注目アーティストでやんすアップチョキ
You TubeにPVがあったので、宜しければ皆さんも、その歌声を耳にしてください!!

> http://m.youtube.com/watch?v=zcXmBckczaQ&fulldescription=1&hl=ja&gl=JP&guid=ON&warned=True&client=mv-google

(上手くリンクが貼れてなければ、You Tube検索で"lela 裸の月"で探していただければ、CM用のショートカット版とフルコーラス版ともUPされてやしたので是非ニコニコお勧めしやすチョキ)

それでは See you!!ですパー

「神戸めぐり」の前に、時の流れに思ふこと...



前回のブログLastに


「奈良から直通で行けるようになった神戸(三ノ宮)めぐり」の予告をしておきながら、


更新に手が付かず遅くなってしまいやして、申し訳ありやせんガーンペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ


以下長い文章になることのお詫びと、上記記事の序段として

お付き合い頂ければありがたいでヤンスm( _ _ ;)m


休み明けで仕事がバタバタして疲れてやして f( ^ _ ^; (汗)... というのも無精な言い訳のひとつでやすが、



オイラ 実を言いやすと、’95年の阪神大震災を兵庫県西宮にあった(会社の)独身寮…高速道路が横倒れしたショッキングな映像を覚えている方もいるかと思いやすが、そこから200m南西の場所にありやした…で経験を致しやした。


個人的には 大きな怪我もなく、被災日当日は電車はもとより、主要な幹線道路も亀裂・隆突~陥没しておりやして、スクーター・自転車も危険ちゅうことで、


道路下で破裂したと思われるガス管から漏れるガス臭に気をつけながら、昼ごろ繋がった公衆電話での会社からの「寮内で待機しておけ」ていう指示に従って、


またその寮の周り…高速道路の南側(海側)で揺れが酷かった割に、町内での火事・倒壊の被害が少なかったという状況だったことで、


昼過ぎに電気が復旧してからTVで想像以上の災害であったこととをしって、余震や2次災害に備えてジャージに着替えて深い考えも持たずに過ごしておりやした。



翌日、阪神電車の甲子園駅まで部分復旧したことを早朝に知りやして、当面の生活道具(着替え等)を“テニス用のトーナメントバック”一杯に詰めて、当時の勤務地=大阪ミナミの難波まで何とか出社しやして、その夜から寮には戻らず、近辺のビジネス宿などを転々と約1ヶ月の間、避難生活をすることになりやした。



自分はそんな幸運に守られた一方で、別の独身寮(芦屋方面)の同僚から聞いた話では、


近所で多数の倒壊があり、その下敷きで生き埋めになった方の救援・捜索や、一部に火事が広がったりしても、そんな状況下では正規の消防隊・消防車が中々来る訳もなくって、


町内の消防団を手伝って、消火ホースやバケツ等 東方面の町まで走って掻き集めたり、延焼防止に努めることの手伝いなどに取り組んで、


大阪へ向かう電車が復旧するまでの3~4日の間、そういった救援ボランティアをやっていた、という話を聞いてすごい衝撃を受けて、


「会社の指示とはいえ、たった一日でさえも自分の身の安全だけ考えて、寮で待機していた自分らはいったい何をやってたんや !!」 ちゅう自責の念・恥ずかしさに強くさいなまれやした... 。



震災から2週間経った週末に、当時付き合っていた今の嫁さんの友人が、【東灘区】という神戸東部では、最も被害の大きかった町…阪神線・青木駅の近く…親が住職を勤めるお寺にて、避難場所として提供して働いてる由、


「電車がようやくそこまで復旧して、友人へのお見舞いとあわせて、何が出来るか分からないけど、泊り込みで避難所のお手伝いに行かない?」


という相談(誘い)を受けて、わだかまりを引きずっていたオイラは二つ返事で行ってきました。



向かう途中の電車の窓から目にする情景…特に甲子園・西宮を過ぎてからの町の状況は言葉に表せない程で、


数番地分の町の一角が全焼して真っ黒な炭の残った更地がポツポツあったり、

瓦屋根の瓦が落ちてはだけた屋根を青いビニールシートで覆った家ばかり、

倒壊・半壊した家々や、マンション・ビルも日々が入って傾いた(途中の階が潰れた?)ものや

倒れた電柱に切れた電線がそのまま“ぶらん”と垂れ下がったままだったり、


といった壮絶な情景を14年半が経ついまでもはっきりと覚えてます。


(正直いって、その時にも これから向かう場所で何が出来るんや?と恐怖も感じていやした...)


目的の駅に到着して降り立つと、その友人が迎えに来てくれていて、


そのお寺(避難場所)は駅から、徒歩数分とそう離れてはいないんでやすが、そのわずかな距離の間でも、戦後の闇市から残っていた(古いお店が固まっていた“30m×100m”の)駅前商店街の一角が、店ひとつ残らず空襲の焼け跡のように真っ黒で焦げ臭さだけを残していたり、


山側斜面よりの家で何軒も、屋根の下にあったはずの1~2階が潰れていたり、傾いた家屋など、TV画面では伝わらない惨状が目の前に広がってきやした。



寺に着くと、その2年前に鉄筋で立て直した本堂はしっかりと残っていましたが、

その友人家族が暮らす木造の家屋は(見てすぐ分かるほど傾き倒壊しかけていて)、まだ家財道具を運び出せていないからということで、傾いた側の家を一時的に木柱で支える手当てをちょうどしているところでした。


避難所の中心=本堂に入ると、ここ1週間で運び込まれた援助物資(水・缶詰等の食料から替えの下着など)が

所狭しと並べ積み上げられていて、30~40人の避難してこれた人たちが座ったり横になるフロアがあって、


その前方の壇上には、数十の位牌とお骨を収め、白布で包まれた箱が並べられていました。


(その中に遺影を添えたものがいくつかあったのですが、

4~5歳のお子さんの小さな箱がご両親の箱の間に、

おそらく遺影に合わせて前列中央に祭られていた光景が

どうしても忘れて頭からられず、今こうやって記しながらも

一緒に亡くなられたご両親の気持ちが察せられ、

大げさでなく 悲しみ・涙がこみ上げてきます。)


ボランティア等といっても、食事の準備を手伝ったり、避難されてきた人たちの家財道具を運んで雨にぬれないようカバーをかけたり、小さな子たちも少なくなかったのでご両親が少しでも休めるように、お預かりして敷地内で子供の遊び相手をしたり…オイラの方が夢中になって遊んでもらってたようなもんですが... (;^_^A (笑)…程度のことでやんす。


夜はその本堂で 雑魚寝 するわけでやんすが、


「あの当日にもっと出来たことがたくさんあったはずなのに...」 と思い返しても仕方ないことから、すぐ傍にいる

“亡くなられた方々への理屈ではいえない申し訳なさ” が浅い眠りと現実のハザマで揺れたり、追体験的な夢に

うなされたりして深い眠りには勿論つけませんでしたが、その場にいる避難している方々はそれ以上の苦しさや、負担があったと思いやす。



今も その悶々とした思いは、心の奥底から抜けていない ことを、このブログを書きながら感じヤス。 (ノ_・。)


そんなこともあって、今回・日帰りのShort-Timeながら「神戸(三宮)」を訪れたのもあったのでヤスが、


以前訪れたそのお寺と町も車窓越しではあるものの、14年越で(言葉通り)見違えるような綺麗な生活感の伴う街に変貌=復活を遂げていたことや、


三宮の町も昔の「神戸らしさ」を失うどころか、その災害を被せる(忘れる)ようにではなく、向き合って乗り越え神戸という街の“色・匂い・空気”を残しながら復興をして、すでにその先にある発展へ向けての力を一杯感じました!



(三宮の駅前ロータリー上 歩道橋より)
kenchan7さんのブログ-三宮

(異人館の街(北野)の丘より、神戸の街と港)
kenchan7さんのブログ-revP1010560神戸一望


神戸・元町の南京(中華)街
kenchan7さんのブログ-revP1010517南京街

たかがBlog記事ひとつで「前置き長すぎ!!パンチ!」と思うかもしれませんが、

“被害者・5千人以上... ”という一行で書かれてしまう同じ日本で起きたあの大災害から、


立ち上がってきた神戸の人たちかおとそれをサポートされてきた方々グッド!への敬意を

先にこめて、次回(いつになるやら??)こそ、神戸…北野周りの異人館の観光記を

Blogにアップさせていただきヤスかお!!(^▽^)ノシ


…最後に 長筆乱文お許しくださいやし~