そうです!私が再ブレイクさせたいというか、
再確認してほしいアーティストというのは、
KANさんなんです。
KANと聞いて、知ってる人は、
もう僕やファンの人にとっては聞き飽きてる
「あぁ、”愛は勝つ”の人ね・・・。」
もう、判で押したように、一字一句、最後の「・・・。」に至るまで
同じ反応なんですよねぇ。
逆に言えば、20年以上経っても「愛は勝つ」と「KAN」という
ワードが頭の中にちゃんと結びついて残ってるっていうのは、
凄いインパクトがあったってことなんでしょう。
で、その凄いインパクトのイメージをまずぶち壊さないと、
KANというアーティストを正しく再確認していただけないという
ところがなかなか難しい点ではあるのですが。。。
でもね、イメージをぶち壊すと言っても、
「愛は勝つ」を否定するのは、これまた正しくないと思うんです。
KANさんの曲の中でもある意味異色ではあるのですが、
この曲はこの曲で、かなりクオリティの高い楽曲だし、
今風に言うなれば、「神曲」だと思うので、
いずれ「愛は勝つ」という楽曲について、このブログで再確認する
機会を設けたいとは思ってます。
さて、一方で、KANと聞いても、
10代20代の方では知らない人も多いと思います。
主に、ピアノやキーボードを演奏しながら歌うミュージシャンで、
作詞作曲編曲も自身で行ういわゆるシンガーソングライターです。
過去には有名どころで今井美樹、SMAP稲垣吾郎、平井堅等に
楽曲を提供した実績も。
1990年から1991年にかけて、さっき話に出た「愛は勝つ」
が200万枚の国民的ヒットでブレイクしました。
今でこそ世間にはあまり評価されていませんが、
ミュージシャンの間では、ミスチル桜井和寿、aiko、
平井堅、スキマスイッチ等からファンであることを公言され、
高い評価を受けています。
KAN本人は、このような今の状況や、
「愛は勝つ」でブレイクする前の売れなかった時代を皮肉って、
「音楽界の盲点に君臨してましたから。」 ( ←名言^^)
と自虐的に言うことも^^
で、そんな、音楽界の盲点に君臨してしまっている^^
KANさんの楽曲を、このブログで再確認していこうじゃないか
とゆうわけです。
そして今回の第1回目は、「愛は勝つ」ではなく、あえて
「永遠」という曲をご紹介させていただこうと思います。
「永遠」は、「愛は勝つ」のヒット直後に出したアルバムに
収録されていますが、
ピアノの弾き語り+ストリングス(弦楽器)伴奏で展開される
クラシックを聴いてるかのような重厚な曲と、
哲学的という表現が正しいかどうかわかりませんが、
愛する人の全てを受け入れ、
全身全霊をもってその人に愛を与え続けていく決意が
書かれた重みのある歌詞。
自己犠牲。
愛する人のためなら、自分は傷ついても構わない。
自分はそこまで人を愛せるのだろうか?
「永遠」の歌詞を読んだ時の衝撃は忘れられない。
そして、思わず涙を流していたことを覚えている。
そして、KANという人の人間性に惹かれてしまわずには
いられなくなったのである。
「永遠」のような無償の愛を与えられる人だからこそ、
どんなに苦しい状況であっても「愛」の力を信じたいと
ピュアに言い切り歌い上げることができた人なのである。
でも、「愛は勝つ」を単純な応援歌と捉えた世間は、
その直後にリリースされた「永遠」の歌詞を読んで
どう思ったのだろうか?
何か求めていたモノと違う・・・。
そんな自己犠牲の愛なんて回りくどいモノじゃなく
今、目の前にある愛を勝ち取る
ストレートなラブソングが聴きたかったのに。と、
世間との間にズレが生じ、
KANさんは長き不遇の時代の始まりを迎えて
しまったのかもしれない・・・。
でもね、本当のKANさんは、
どっちかっていうと「永遠」の方なんです。
世間が勝手に期待し、
勝手に裏切られたと思ってるんです。
KANさん、可哀想ですよね。
それでは、「愛は勝つ」のイメージをリセットして、
「永遠」の歌詞をお読みください。
(歌詞は「歌ネット」よりリンクさせていただいてます)
(Amebaのブログは、歌詞の掲載を許可されています
http://ameblo.jp/staff/entry-11662311246.html)
永遠 作詞:KANいかがでしたか?
最後に、僕が歌詞の中で一番気に入ってる部分をご紹介します。
「永遠」の場合、どちらも捨てがたいので、
2箇所を書かせてください。
♪もしも恋事に罪をおかしたら
その罰はぼくに受けさせて下さい
たとえば ぼくがちょっと痛がっていても
少しの間だけむこうをむいててください
あぁ 愛しき君よ もう泣かないで
いつも隣に永遠にぼくはいるから
♪ぼくの表現が大げさすぎても
君は気にせずに歩いててください
たとえば ぼくの存在が君の重荷になるなら
その荷物もぼくがもちます
あぁ 愛しき君よ もう泣かないで
いつも隣に永遠にぼくはいるから
せつないです。
こんなに相手の事を思っていても、
歌詞の中に「夢で見ては」とか
「とまれ」とかかいてあるので、
結局お相手とは、夢の中でしか幸せな時を過ごせてなく、
遠くへ去ってしまいそうなお相手に、「とまれ」と
「去って行くな」と願いを込めているのだと
歌詞を解釈すると、とてつもなく悲しくてせつない状況を
思い浮かべずにはいられません。
KANさんの歌詞の世界いかがでしたか?
基本的に歌詞は実話というKANさん。
悲しい恋愛をし、相手を最大限に思いやる優しい人ですよね。
最後の最後に、この曲をKANさん自身が解説したものを
ご紹介させてください。
1992年に出版した「ぼけつバリほり」より
「 はっきり言う。ぼくは一人の人を何年も愛している。
それがかなうものかどうかは別として、愛し続けている。
この詞を書いているうちに、人を愛することの苦しみは
頂点に達する。予定外に悲しい歌になってしまった。
これ以上、人を愛することはないだろうし、
これほどの歌は書けないだろうと思った。
ぼくは初めて、「ラブソング」と言えるものを作った気がした。
そして、それはとても悲しいことである。 」