続きです。


フォンタン手術を粗相をしながらも乗り越えて、夏休み明けに小学校1年生に戻りましたウインク

最初は2週間に1回の通院。

しばらくして、月1回、2ヶ月1回、3ヶ月1回となっていきました。

小学校1年生はまだまだ体力がなく、非常に体的にはきつかったイメージがありますガーンえーん

その時の自宅から小学校までは中々遠く苦労しました。

私の体調がだんだん良くなったとき、引越しになります。

隣の県に引っ越しをしましたリムジン前

親に大人になってから聞いたことですが、
①愛知県は障害者手帳があれば一時的にでも個人がお金を払わなくて良い。
引越し先の県は個人負担(最終的には戻る)があり、一時的にも大きい手術、入院となった時の負担があるため、引越しは手術が終わるまで延期をしてくれた。

②学校が近い、自然が多い場所に引越しをしたい。

と言うのが理由の一部としてあったみたい生ビール

1年生が無事に終わり、通院も半年に1回へ。
薬も何もなくなり引越ししました。

引越し先で、2年生になりました。

この時期の母と先生の会話にこんなものがあります。

母「酸素量が少ないと、脳に酸素がいきにくく頭が良くならない。なりにくいということはあるんですか?」

先「いや、ないですよ。東海高校でもいけると思います。」
※東海高校とは名古屋の進学校。
先生が心配ないという意味で言ったんだと思う。


2年生になり、新しい学校。
ただ、私が激しい運動はNG、プールもまだ積極的には出来ない。(私自身体の傷を見せるのも嫌だった)
プールサイドで体育座りしてましたハートブレイク

運動会も大嫌い!!!!!

苦しかったのは、運動会の
全員リレー

こいつは悪です笑

全員だけど自分は走れないし、
知らない親御さん?から
「あなたの学年全員リレー始まるわよ?
早く入場門へ行きなさい!」
とか。

うるせぇ!こっちの事情も知らないで話しかけてくんな!

ってマジで思いました。
小学校の運動会の6年生まではずーと嫌でした。

体育の時間もやってよいものとだめなもの。
先生も理解のない人もいました。
その時は父に相談して事情説明。
父はこういうときは心強かったえーん

私は実は運動系の家庭で、
私の親は野球とソフト、兄貴も野球(のちに甲子園にいってます)だったので、
私もそこそこ運動神経は良く、ただやっちゃだめ🙅‍♂️
これも悲しかった。
将来野球選手って一瞬思いましたがすぐだめになりました。

ただ2学期からは私も大好きだったゲームで友達もできて仲良く遊ぶようになり、これ以降楽しい小学校生活でした。

またフォンタン手術まで、本当に体が小さかったのに2年生からグングン成長し小学校6年の時には背の順で1番後ろ雷

成長するもんですねアセアセ

小学校は3年、4年から慣れ始め
5年6年生では学級委員をやるくらいまで成長。

障害のこと隠しても仕方ないので、明るく
「これやれないんだ!心臓悪いから死んじゃう!笑」
とか、
「俺泳げないんだ〜小さい頃心臓悪くて練習してなくてアセアセ
とか、そんな感じに自分から言うことで明るい障害者?みたいな位置で過ごしました。

修学旅行なども問題なく参加できました。

勉強頑張らないといけないですがこの頃は本当に普通の人って感じで、
私が唯一4年生から習わしてもらってた公文式で英語を
やり、そこそこ英語だけは得意で6年生で英検3級を取得グッ

はたからみたら普通の人ってかんじになり、そのまま地元の中学生になりました。

今まで普通じゃない立ち位置なんでやっぱり普通ってのはすごい嬉しかったグッ

続きは、次回
波乱の中学生以降です。

フォンタン手術後は本当にほぼ普通に過ごせて良かった。ただ疲れやすいくらいのイメージでした!