続きです。



大部屋に移るまでに回復し、中心静脈カテーテルだけが体にある状態。
そして体力はないが、ある程度歩けて徐々に普通になってきた口笛

大部屋に行って、調子が良くなれば退院出来そうと言う期待が持てるレベルまで来ましたえー

大部屋になって4?6?忘れましたが、複数いました。

〜大部屋1日目〜
水分制限は未だに1日500mlでしたが、
食事も普通に戻り、朝には牛乳が出ます。

水分制限がある中でこの牛乳はものすごくありがたかった🥛

大部屋になったことで、同じ歳の子供と話をしたり、私よりもちょっと体調が悪そうな子供もいたりしましたが、ずっと個室にいた時より周りが賑やかでちょっとしたゲームとかしたりした気がしますキョロキョロ

仲良く遊べて楽しかった。

その中で弁が悪い女の子がいて、その子の印象があります。私よりも体調は悪そうでしたがよく話をしてましたニヤリ

みんな治療をがんばり治して行く、フォンタン手術って子はいなかったが、本当にいい思い出です音符

〜大部屋2日目〜
しばらく体調が良く、中心静脈カテーテル抜いて行こうかと話もありまたどこかで抜こうかと言う話になりました。

親はもちろん見舞いに来てましたが、夜中泊まることはなくなり、負担も減っていた?のかな。

この辺りから7歳の悪知恵が出てしまいます。
これが後ほど大変なことを引き起こしますアセアセアセアセアセアセアセアセ

どうしても1日500mlで、
お話もし、ご飯もそこそこ食べるようになり500mlだと本当に喉が乾く。次の日この感覚に負けてしまいました雷雷雷雷雷

〜大部屋3日目〜

朝ごはんを食べ、牛乳を飲みお茶150mlくらいで薬を飲みます。

昼、夜で150mlくらいでもう500mlに行きます。。

いつも通り朝ご飯食べ薬を飲みます。

歯磨きをしている時に、
この日はどうしても喉が渇きどうしようかと考えてうがいをしてました。
この時閃いたのが、、、

この顔を洗う水飲めるかな・・・

次の瞬間、周りを確認して、顔を洗うふりをして、洗面所の水を飲んでました。コーヒーシャンパンロゼワイン白ワイン
久々に味わうこの感覚ブルーハーツブルーハーツブルーハーツ
すごく満たされました。

朝の歯磨きの時にやってしまい、
次の日、また次の日と水分制限よりもおそらく300〜500mlは多く隠れて飲んだかな、、、、

〜大部屋6日目〜
朝隠れて水を飲んで、
お昼の頃親もいるときに先生の診察が始まりました。

胸の音を聞く先生の表情に異変。

先「胸の音が変な気がします」
「つらくない?どこかえらいとこない?」

私「いや、特にあまりわからないです」
「前の時よりはましな気もしますが」

先「あとでエコー見てみようか。」

昼過ぎ、夕方前にエコーに呼ばれエコーを心臓にあて、先生の表情が曇ります。

先「ダメだ、溺れてる!」
「すぐに治療しないといけない!胸水が溜まりすぎて片肺が動いてない」

わたしは右の肺だけなぜか水が溜まってました。

先「親を呼んで下さい!」
親「どうしました?」
先「胸水が溜まってたいへんです、今すぐ治療をしたいです。説明します」

胸水ドレーンの説明をして、急遽胸水ドレーンを入れることになりました。

まずは皮膚に麻酔、そのあとに肺、正式には胸膜に麻酔をし効いてきたら皮膚を切開。
看護師さんに押さえつけられながら、泣き叫ぶ私。

痛い!痛い!痛い!!!!

麻酔は効いているとは思いますが、
今までの人生で1番痛い、1番嫌なドレーン挿入を行いました。

ドレーンを入れたらすぐに胸水が、ドボドボ・・
濁った汚い水がたくさん出て、咳が止まりません。

水浸しの肺に空気が入る→肺が乾燥し咳が止まらない。→ドレーンを入れた箇所+今切開した右脇腹が痛い。

と言う地獄のルーティンがありました。

ドレーンは結局1週間入りっぱなしでずっと痛く辛い治療でした雷雷雷雷雷雷

水分制限がいかに大事か幼心に学びました。

先「なんでいきなりこんなに胸水が溜まったのだろう」
と疑問に思ってましたが、その場では言う元気がなく、翌日にまずは親に白状しました。

親に怒られるかと思いましたが、親は怒らず水分制限きつかったもんね。頑張ってたもんね。
終わったことは仕方ないよ。

でも次も先生の言うこと守らないと痛いことあるかもしれないからあと少し頑張ろうねと。
優しく諭してくれました。
この出来事から、本当にルールを守る人になった気がします。

医者にはその後、親からことの顛末は話をしたんだと思います。医者からも怒られることはなかったです。

先生の言うことは守ろうね!
痛い治療が増えるよアセアセアセアセアセアセ


それ以降は従順にルールを守り、
食事もなんでも良くなってから母が炊き込みご飯おにぎを持ってきてくれたり、仲良くなったおばちゃん看護師に
看「治療頑張ったね!退院の時好きなご飯ご馳走してあげるよ!」
と励まされました。

大部屋の友達も一人また一人元気に退院して、私と仲が良かった女の子も大部屋からいなくなり、みんな元気になったんだと思ってましたぶどう

私が成長して親と昔話をしてた時この話題がありましたが、親から聞いた話だとその仲良しの女の子は体調は良くならず、個室へ戻っていったんだと話を聞きました。その子のその後はわかりません。元気だったら良いけどタコ

退院直前には1年生の担任の先生がお見舞いに来てくれたり、千羽鶴を貰ったりしましたランドセル

千羽鶴って一回もおったことはなくいつももらう立場でした。千羽鶴折ってみたかった。

退院の日多分、8月の最終週くらいだったかな。
胸水ドレーンのせいで長引きましたが無事退院。

酸素吸入器などもなく、
サチュレーションは91
脈拍も通常。

大きな問題はなく、脇腹と胸に大きな傷を負いながら退院。

その日本当に約束したおばちゃん看護師に病院の食堂で親と一緒にカレーを食べました。

久々の味、なんの変哲もないカレーでしたが、人生で1番美味しかったですカレー

次はフォンタン手術後の1年生、
そして引越転校の2年生以降の話です。

フォンタン手術後は順調に進みます栄養ドリンク