②の続きです。

人間は不思議なものですよね。
ICUから通常の病棟に戻ってここからは良い方向に進みます。

フォンタン手術をしてよかったなと思い始めた時期にもなります。

この時期から病気以外、前向きに考え方も出来るようになった気がします。

〜病棟1日目〜
病棟に上がった日、母親と一緒に同じ個室で寝た記憶があります。
痛さなどはあまり変わらなかったのに、そこそこ寝れた気がしますニコニコ

ナースステーションが近くて明るい場所だったとはいえ、ICUよりは暗い。母親が近くにいた安心感もあったのでしょうか。

またICUから出て心電図やサチュレーションの機械などが少なくなって音もましになったのかなグラサン

次の日執刀医の先生が来て、
先「順調だね!このまま問題なく進みたいね。
痛みはどう?引いてきた?」
私「痛いです、、」
先「痛みは我慢するしかない、痛み止めは出せるからいつでも相談してね。」

先生が私の様子を見て、
先「水分制限一日300mlにしよう。あと傷跡見た感じ、次回抜糸をしよう!
「そろそろゆっくり歩いて行こうね。」
と話をして、一気に色々始まりました。

先生が帰ったあと
看「尿カテーテルとりましょう。
あと鼻のカテーテルも。薬も口から飲んで行こうね!」

尿カテーテルを抜き、鼻のカテーテルもとりましたニヤニヤ
ご存知の通り、尿カテーテルを取ると自分でおしっこ行かないと行けません。
鼻のカテーテルが無くなったら自分の口で薬を飲みますウインク

昔から薬を飲むのは好きではなかったですが、何より

口から水分が取れるお茶お茶お茶

これの嬉しさがありました。
中心静脈カテーテルは首にあったので食事はまだ。

ただ1日300mlなんで、ほとんど薬の水分だけです。
それでも本当に嬉しかった。

この時母親も嬉しそうにしてましたウインク

苦手な事があります。
尿カテーテルを抜いた後の最初のおしっこです。

1週間も自分でトイレ行ってないとどうやっておしっこするんだっけ?となりでない時もありますポーン

私「おしっこってどうやってするんだっけ。
おしっこしたいのにやり方がわからない。」

母「看護師さん呼ぼうか?」
しばらくして、
看「おしっこどうするかわからなくなる時あるんですよね。もし本当にだめそうなら尿カテーテル入れるよ?」

私「!?!?」
「尿カテーテル絶対いや!!!!」

そこから、1時間半くらい私の中での戦いです。

尿器をあて、ベットで横の状態で必死におしっこを出そうとしましたプンプンプンプンプンプンプンプンプンプン

尿器「チョロ…」おっ出た・・・

ちんちんに走る激痛!!!!

尿道が腫れていた?少し傷?かなんかわからんですが、痛かった。
でも出さないともう一回尿カテーテル、、、

一人で悶えながらでした。
なんとかおしっこをし、2回目、3回目からは痛みも少なくなりここはクリアしました。

今まで当たり前のことが出来なくなり、少しずつ戻していく。退院まではこれの繰り返しですびっくり


〜病棟2日目〜
いつまでも尿器でおしっこするわけには行きません。
歩いて個室のトイレに行く時がやってきました。

2日目昼間からのチャレンジ。
その日は母親でなく父親がいた気がします。

看「トイレまで、歩いてみようか!」

私「頑張ります!」

ベットから起き上がり、、、
ってのがまず出来ない。

左は点滴や首元に管があり、中々力を入れるのが怖く右手に力を入れましたが起き上がれず。
何をやってるの?状態えーん

父親に手伝ってもらい背中を支えてもらいベットに座る。
この時点で息切れしてました笑い泣き

看「座って落ちついてからでいいからね!ゆっくり。」

息切れが戻り、左へ方向転換し足を地面につけ右手に力を入れて立とうとした瞬間。

膝から崩れ落ちそうになり、父親と看護師に支えられてました。

私「ごめん。足に力が入らなくて、自分のじゃないみたいで立てなかった。」

支えてもらい、トイレに行き座っておしっこ。
脈拍は乱れていたみたいですが、そこからまた立ち上がり、支えてもらいながらベットへ。

すごく運動したくらい疲れましたガーン
1週間寝たきりだと足の筋肉も衰えていきます。

看「これからは頑張ってトイレに行こう。大丈夫すぐ出来るようになるよ。
最初は一人では行かないでね!倒れると大変だから。
夜は尿器でいいからね!」

まず薬を自分で飲む。
自分の足でトイレに行く。
それだけで2日かかりました。
それでも前進!

〜病棟3日、4日目〜
そこそこ元気はあり、常に喉が渇いた感じではありましたが周りの世界は進んでいきます。
先生の診察後

先「今日抜糸しよう。あとレントゲン
ちょっとしたらまたくるね!」

私「抜糸、、また痛いですか?」
先「抜糸は痛くないよ!大丈夫」

と先生は言ってくれますが、もう信用しませんよね。

しばらくして抜糸が始まりました。
胸を消毒し、なんか凄いハサミみたいなもので、
「バチン!バチン!」と切る音。

抜糸って呼んでますが胸をつなぎとめてるのはホッチキス?みたいなもの。
バチン!いてっ!!
バチン!いてっ!!
先「もう少しだよー頑張ってー。」

全部切ったあと若い医者に代わり、若い医者の人がピンセット?で胸にあるホッチキスの残骸を拾い、最後に胸の消毒アセアセアセアセ

ピンセットで残骸を拾うのも注射針を抜く感じでしたガーン

やっと治療が終わり、しばらくしてレントゲン。

自分の胸の写真に蝶々結びのような影。
私「これなんですか?」
先「骨を切開したから止めてる針金みたいなやつだよ!気にしなくていいかな」

先生は親と会話。
先「順調に進んでいます。ただ、胸水が少しあるように見えます。水分制限頑張り、利尿剤で排出しましょう」
親「わかりました。ありがとうございます。」


〜病棟7日目〜
先「今日から口から食事も取りましょう!最初はゼリーとかそういうのからはじめましょう!」
記憶ないですか、この辺で外部のペースメーカーもとった気がします。

親「わかりました!ありがとうございます」

私はお腹がめちゃくちゃ空いてはなかったですが嬉しかった。
その日から簡単なゼリーだけが開始され、歩くのも出来るようになりました。

元気になった私は親に
「ゲームやりたいな。スーパーファミコンやりたい」

親「次の日持ってくるね!」
私「手術頑張ったからソフトも買ってくれるんでしょ?ロックマンXやりたい!」

こういうたわいのない話ができてきたのは非常に良かったんでしょう音符音符音符

次の日、スーパーファミコン(新品)、ロックマンX、あと兄貴が持たせてくれたドラゴンクエストⅤ

この2つのソフトで病院を過ごすことになります。

〜病棟10日目〜
スーパーファミコンは持ってきてもらったものの、30分くらいやったら疲れてしまい途中で辞めてしまってました。
ドラクエ5では最初のサンタローズの洞窟で辞めちゃってってのを繰り返し、、、

体力がなかったのかなと思いますアセアセ
その時には水分制限は500mlになってました。

ただトイレには一人で行け、食事も普通になってきて残りの管は左首にある中心静脈カテーテルのみ。

元気になってきた?感じがあり、
看「大部屋に行きましょうか?」
親「ありがとうございます」

という会話があり次の日からは大部屋へ。
小児科の循環器のお部屋へ移動することになりました。

順調に見えた入院生活。
大部屋に行きある程度自由に動けるようになった私に、今までで1番痛い治療が始まります。

続きは次回。
同年代の友達。水分制限地獄、大部屋での生活、胸水ドレーンです。