この日は馬見丘陵公園北入り口から歩いて、北エリア、中央エリアまで歩いた。
今年は緑道沿いの花壇には、ヒマワリは全く植えられていなかった。北エリア
の集いの丘には一面シロツメグサが咲いていて、既に一部ヒマワリも咲いてい
た。更に中央エリアに向かうと、紫陽花やヘメロカリス、ムクゲ、サルスベリ、
ブッドレア、水連等が咲いていた。
(07.16)
この日は藤原宮跡の蓮畑に咲く蓮の花を見に行ったが、曇っていて、そう暑くも
なかったので、久しぶりに藤原宮跡をのんびり散策した。資料によると、藤原宮
は、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都で、藤原京
(西暦694~710)にあった宮で、藤原京のほぼ中心に位置し、北を二条大路、南
を六条大路、東と西を、それぞれ東二坊、西二坊大路によって囲まれ、その規模は、
東西925.4m、南北906.8m、面積は約84haにもおよぶ。宮の内部は大きく中央・
東・西区の3つの区画に分かれていて、中央区には、大極殿や朝堂院、朝集殿院と
いった、政治の中枢となる施設のほか、天皇や皇后の住まいである内裏がおかれて
いた。又、東・西区には行政の実務をおこなう、官衙がおかれていて、政治の中心
地といる。宮の周囲は瓦葺の塀と外濠で囲まれ、塀と外濠の間には外周帯と呼ばれ
る空閑地が広がっている。宮への出入り口としてそれぞれの辺に3つずつ、合計12
の宮城門があったようだ。藤原宮は日本で初めて造られた瓦葺の宮殿で、主要な建
物は礎石建ちで、中国風の宮殿建築を取り入れたものとなっていたようで。飛鳥時
代の宮殿が、全て桧皮葺や板葺の屋根であったことを考えれば、これまでと全く違
った建物となっていた。藤原宮で政治が行われたのは、僅か16年だが、この時期
の歴史上の大きな出来事としては、大宝律令の制定(701年)、和同開珎の鋳造(
708年)等が知られている。現在、藤原宮跡は国の特別史跡に指定されていて、世界
遺産暫定リストにも記載される等、未来にわたって受け継がれる重要な遺跡だ。
(07.09)