その日その場を! (Instagramを見るにはプロフィールをクリック) -2ページ目

この日は馬見丘陵公園北入り口から歩いて、北エリア、中央エリアまで歩いた。

今年は緑道沿いの花壇には、ヒマワリは全く植えられていなかった。北エリア

の集いの丘には一面シロツメグサが咲いていて、既に一部ヒマワリも咲いてい

た。更に中央エリアに向かうと、紫陽花やヘメロカリス、ムクゲ、サルスベリ、

ブッドレア、水連等が咲いていた。

 

 

                                                                       (07.16)

この日は馬見丘陵公園の北入り口から緑道を通って、北エリアに向かった。

緑道は2本平行にあって、この時期、緑道の両側は木々の緑が覆うように

なっていた。木々からはアブラゼミの声がうるさい程聞こえていた。日陰

も多くウォーキングには最適な道だ。

 

 

                         (07.16)

この日、公園を歩いていると、最近見た中では一番大きく見事なシロオニタケに

出会った。傘の大きさは30cmほどあった。シモツケの花にはイシガケチョウ

が、サルビアにはモンキチョウが止まっていた。池の草の枝にはシオカラトンボ

やコシアキトンボ、ウチワトンボ等が羽を休めていた。木の幹ではニイニイゼミ

が懸命に鳴いていて、近くには何個かの抜け殻がついていた。

 

 

                         (07.14)

この日、公園北エリアの花壇ではヒマワリの開花が始まって、沢山の花が咲いていた。

ホワイトライトやルビーエクリプス、サンフィニティ、アポロン等、色んな品種が咲

いているが、例年に比べると、公園内のヒマワリが植えられているスペースが少ない。

ただ、今年の夏も「ひまわりフェア」にかわる「あおぞらマルシェ In 馬見ひまわり」

が27日(土)・28日(日)が行われるようだ。

 

 

                       (07.14)

蒸し暑いとなったこの日、少し歩いただけで汗が噴き出してくる。夏の公園

ではいろんな花々が咲いているが、訪れる人も少なく、ちょっと勿体ない様

な気がする。ジニア、一才サルスベリ、サルビア、セイヨウニンジンボク、

ブッドレア、マリーゴールド、カンナ、ヒャクニチソウ、シモツケの他、草

むらではワルナスビの花も咲いていた。

 

 

                                                                       (07.14)

この日も夏の花咲く公園を歩いた。北エリアの花壇では色んなジニアの花が、

センニチコウやヒオウギ、朝顔、アンゲロニア等が沢山咲いていた。トンネ

ルを抜け中央エリアに行くと、ウンナンチュウキンレンや白いムクゲ、紫や

白のブッドレア、カンナの花なども楽しむことができた。

 

 

                         (07.11)

この日はウォーキング途中で、花壇のヒャクニチソウにツマグロヒョウモンが、

マリーゴールドやブッドレアにはキアゲハが、ヤナギハナガサにはモンシロ蝶

が、ヒメジョオンにはヒメウラナミジャノメが遊んでいた。静かだった公園も

セミの鳴き声が至る所から聞こえてきていて、水辺ではシオカラトンボが羽を

休めていた。

 

 

                      (07.10)

この日はヒマワリがどれほど成長しているのか見てみようと公園北エリアに

向かった。集いの丘にはシロツメグサが沢山咲いていて、丘の向こうにある

花壇ではひまわりが大きくなっていて、沢山の花がついていた。全体的に開

花するのは、まだしばらく先になりそうだったが、すでに数輪開花していた。

 

 

                       (07.09)

藤原宮跡の周辺には稲田が広がっていて、この時期、田植えされ田んぼの向こうに

大和三山が浮かぶように見えている素敵な景色が堪能できる。

 

 

                     (07.09)

この日は藤原宮跡の蓮畑に咲く蓮の花を見に行ったが、曇っていて、そう暑くも

なかったので、久しぶりに藤原宮跡をのんびり散策した。資料によると、藤原宮

は、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都で、藤原京

(西暦694~710)にあった宮で、藤原京のほぼ中心に位置し、北を二条大路、南

を六条大路、東と西を、それぞれ東二坊、西二坊大路によって囲まれ、その規模は、

東西925.4m、南北906.8m、面積は約84haにもおよぶ。宮の内部は大きく中央・

東・西区の3つの区画に分かれていて、中央区には、大極殿や朝堂院、朝集殿院と

いった、政治の中枢となる施設のほか、天皇や皇后の住まいである内裏がおかれて

いた。又、東・西区には行政の実務をおこなう、官衙がおかれていて、政治の中心

地といる。宮の周囲は瓦葺の塀と外濠で囲まれ、塀と外濠の間には外周帯と呼ばれ

る空閑地が広がっている。宮への出入り口としてそれぞれの辺に3つずつ、合計12

の宮城門があったようだ。藤原宮は日本で初めて造られた瓦葺の宮殿で、主要な建

物は礎石建ちで、中国風の宮殿建築を取り入れたものとなっていたようで。飛鳥時

代の宮殿が、全て桧皮葺や板葺の屋根であったことを考えれば、これまでと全く違

った建物となっていた。藤原宮で政治が行われたのは、僅か16年だが、この時期

の歴史上の大きな出来事としては、大宝律令の制定(701年)、和同開珎の鋳造(

708年)等が知られている。現在、藤原宮跡は国の特別史跡に指定されていて、世界

遺産暫定リストにも記載される等、未来にわたって受け継がれる重要な遺跡だ。

 

 

                        (07.09)