雨について 1 | 上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

V6の三宅健と森田剛と岡田准一をイメージしたイケメン教師が、今どきの女子高校生たちと繰り広げる学園ドラマ。ドラマの進行の合間に出てくるけんちゃん先生の古典講義は勉強にもなる?



STEPを聞いています。雨について。


初めてこの歌をまともに聞いたのはMVでした。ビックリしたよね。最初見たときははっきり言って、引いた。


雨に対するV6の思い入れと、自分との温度差がありすぎて。やたら冷静な自分と雨の世界観にのめり込んでるV6


でも、結局MVはリピが止まらなかったし、歌番組もそう。アルバムに入ってる雨を何度も聞いて、やっと雨の世界観に自分ものめり込むことができた。助走なしに見るもんじゃねーよあのMVは。



で、最初からどうも気になった歌詞が、准ちゃんパートの始まり。



黒い髪の毛を触れた手




なんだかここに妙にインパクトを感じたんですよね。


で、なんでだろうと考えてみたんですけど、

たぶん、言葉の選び方に歌詞として馴染みがなかったからかな、と思いました。



恋人の髪を触る というのは、歌詞としてはありがち。でも、インパクトがあったのは、



髪 ではなく、髪の毛



に触()れる ではなく、を触(さわ)



だったからじゃないかと。



髪の毛は、髪より日常語だし、触るも触れるより日常語。


ふつう歌詞では髪の毛じゃなくて、髪って言うんじゃないかな。そして、髪を触る よりは、髪に触れる の方が詩的にはしっくりくる。


ついでに言うと、君の髪、長い髪、前髪、なんかはありがちだけど、わざわざ黒い髪って言ってる歌詞もちょっと私には馴染みがなかった。



それから、


物を触る というときは、その触る対象(髪、ひいてはその持ち主である恋人)に強く関心がいってる感じがして、



物に触れる というときは、触れている点というかそれを感じている自分の手のひらの感触に関心がいってる感じがしませんか。



続く歌詞で、



今持ってる酒片手



とあるように、彼女の髪(=彼女の存在)が今は酒に代わってるわけで、


髪=彼女の存在が確かに今はもうない、というニュアンスをより強めるのは、


に触れる じゃなくて、 を触る


だと思います。


さらに、


彼女の髪を触った手



彼女の髪を触(さわ)れた手


は拍数が同じで、どちらも過去に彼女の髪を触った事実を表しますが、後者の可能形だとそれが過去であるという事実だけでなく、今はもうできないという喪失感(感情)まで表現できる。愛する人が酒に代わっている切なさ。



今持ってる酒片手



は珍しい語順で、カタコトってかパタパタってか音声的に早口言葉的な印象で好き。



2に続く