「病院にいるそうです。上野さん」
「病院って…それで遅れてんのか?」
「たぶん。あ、式が終わったら条先生に病院に来て欲しいって言ってました」
「は?どういう意味?遅れて来るんだろ?俺が行くの?第一、どこの病院?」
「上野さんのかかりつけの病院だそうです。条先生は知ってるって言ってましたよ」
「俺が知ってるかかりつけ…?」
「はい」
俺が知ってる病院っていえば…レイプ未遂のあとしばらく通院してた心療内科だ。
時々カウンセリングについて行ってた。そこに行ってんのか?
「確か、大丈夫だけど不安だって言ってて…」
ドキッとした。
大丈夫だけど不安…って、またあれを思い出すような何かがあったってことか?
「条先生に迎えに来て欲しいってことじゃないですか?」
「でも、茶話会までに行くって向こうが言ったんじゃないの?」
話がよくわからないのは、多分桜が言った事実と、こいつの解釈が混ざってるからだ。
とにかく、山田と話したってらちがあかない。事実を確認しなきゃ。
俺は内ポケットからスマホを取り出した。
桜からの着信はない。
俺はステージを飛び降りて、足早に体育館の出口に向かいながら桜に電話をかけた。
桜…いったい何があった?
体育館を出て、スマホを耳に当てながら眉間に皺を寄せて桜を探す。ひょっとしたらもうこっちに来てるかもしれない。
だが、電話は繋がらなかった。
「電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないためかかりません」
もう一度掛け直したが、同じだった。
あたりを見回すが、桜の姿はない。
ネクタイが春の風になびく。
もう一度かけなおす。
「何やってんだよ…出ろよぉ…っ…桜…っ」
***
私は機内モードにしたスマホで動画を撮りながら桃ちゃんの答辞を聞いていた。
「…最後に、一番近くで私たちを支えてくれた家族…本当にありがとうございました」
桃ちゃんはぺこりと一礼し、そしてまっすぐに保護者席を見た。
「最後まで諦めないこと、お互いを思いやる優しさ…それを教えてくれたのは、あなたたちでした」
これは、千帆さんと条くんに届けられるべき言葉だ。ほんとはここに、私ではなく、千帆さんがいなきゃいけないのに…。
「当たり前のありふれた毎日が、実は、多くの人に支えられた奇跡の連続だということを、私は今噛み締めています」
桃ちゃんの視線の先に、千帆さんはいない。でも、必ず届けるからね。桃ちゃん。
「卒業後、私たちはそれぞれの道に進みますが、どんな道に進もうと、今度は私たちがその奇跡を支えられるような大人になります。必ず、なります」
最後の挨拶を言って、桃ちゃんの答辞が終わった。
精一杯大きな拍手を送って、それから私は急いで席を立った。
早く病院に戻って、千帆さんにこれを見せてあげなきゃ。
「卒業の歌。卒業生、起立!」
体育館を出るとき、卒業生たちが一斉に立ち上がって、ピアノの前奏が流れた。
女子高生たちの歌声が、体育館の外まで聞こえて来た。
流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
せわしく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く
3月の風に想いをのせて
桜のつぼみは春へとつづきます
私は走ってバス通りに出ると、通りがかったタクシーに飛び乗った。