最近のキーワード。
「究極の絶望」
令和哲学カフェでも語られています。
今日は私に起こったことから、書いていけたらなと思います。
人ってめんどくさい。関係ってめんどくさい。
そんなことしょっちゅう起こりませんか?
私もあります。
会議などで自分が発言したことを否定的に受け取られたり、
こちらは怒らすつもりないのに、いきなり相手が怒りの反応をして返してきたり。
これ「観点」の問題を知るまでは、なんでそんなことが起こるのかわからずにいたので、
こういった状況になると、自分が傷つくのが嫌なのと、怒りの恐怖を感じることが嫌なのとで、
もう話すもんか。とものすごい鎧をつけてしまってました。
けれど、それだと、相手とつながれない寂しさもあって、すごい孤独感を感じて、それに対してもイライラしたりと、
何をどうしてもコミュニケーションがうまくいかず、めんどくさい・・考えたくない・・と虚無の世界へ逃避していたのです。
逃避するから、現実で何かをやりたい!と思っても、思いばかりが先走ってしまったり、
人と協力関係がつくれなく、挫折感を味わっていました。
それが「観点固定の問題」を知ることで、私がなぜ否定的にとられることが嫌なのか、
なぜ、自分の発言が相手を怒らせてしまうと思うのか、
そうなることの感情の仕組みを理解できました。
それは私自身がダメだとか、相手の人がダメだとかではなく、
たった一つ観点の固定の問題。固定した観点から出発するから、ある条件、状況が一致してしまうと、
そのパターンが発動してしまうのです。
それを私だけではなく、相手もしてるのです。
なので、私が同じ言葉で発言したとしても、怒る人もいれば、全く気にしない人もいる。
私が怒られることにポイントを置いてるから、そこにフォーカスしてしまい、感情が大きく動くということになるのです。
ここで何が絶望かというと、怒られること、コミュニケーションが取れないことに絶望なわけではなくて、
人間観点無限大あるのに、一点に固定してしまうので、出会いの可能性、関係性を築ける可能性をすべてつぶしてしまってるということです。
この観点固定の問題は私個人の問題ではなく、脳を使っている人ならもれなく誰もがもっている問題なので、
77億全人類が可能性をつぶしてしまう出会い、関係性つくりしかできない状態になっている。
このことが絶望なのです。
目の前に人がいるのに、話してるのに、コミュニケーションしてるのに、
出会ってないし、わかりあえないし、つながれない、それが絶望。
今日のカフェで令和哲学者Noh先生が言われてました。
「3日後に地球と惑星が衝突するとしたら、アメリカも中国のことをどうこうしようと思わない。個人の悩みもどうでもよくなって、
この惑星衝突をどうするの悩みになる」
「全人類の共通の絶望が究極の絶望。
その絶望と出会ったら、究極の希望になる。
それに出会わせるのが女性性」
これからの時代は女性性を使う時代です。
何かにチャレンジしたい。
自分が達成したい夢がある。
自分の可能性を活かしたい。
そう思ってるかたこそ、究極の絶望から出発することをお勧めします。
IT×哲学×心で面白く、かっこよく、美しく
善家 圭
令和哲学カフェ 月曜日から金曜日 21時から22時30分
ZOOM & YouTubeにて参加できます。
今回のテーマは令和 Rock Festival〜究極の絶望から究極の希望へ〜