新しいテーマと新しいWHT出演者になった令和哲学カフェ。
今日面白かった!!
(今までも面白かったのよ。でも今回は今までと違う感じがしてね、面白い)
テーマはドゥルーズと尊厳。
知ってますか?ドゥルーズ。
ドゥルーズは、数学の微分概念を哲学に転用して、差異の哲学を構築し、スコトゥスの存在の一義性(これについては、アラン・バディウのドゥルーズ論に詳しい)という視点から、ヒューム、スピノザ、ベルクソンらの著作を読み解いた。
Wikipediaより
これだけ読むとどんな哲学をしたのかあまり知りたいと思わないかも( ´艸`)
令和哲学カフェでは今日からノ先生がこのWikipediaに書かれているよりはわかりやすく解析してくれると思います。
今日の質問「違いの意味価値とは?」
そう聞かれたら、普通に人との違い、見た目や中身の子ことを思って、その違いの意味価値を考えます。
私は違いがあるってなんかすごいかと最初思ったのです。
その違いがあるからこそ出会えるって。
なので、意味価値とは出会えること・・そんな風に思っていました。
WHT出演者の人たちもそれぞれ違いの意味価値を語っていたのです。
で、今までのように、相手の主義主張い大して論破したり、それぞれの主義主張を融合していくのかと思いきや、
ノ先生から最後にでた投げかけが、
みんながそれぞれの主義主張を正しいねといって、お互い認めあおう、となったら、
みんなが主義主張したこと、
認識を楽しむことできる?
多様性創造は可能?
人類の進化発展は可能?
出会いを楽しむことできる?限界突破生まれる?
これはどうすればいいの?みんなの主義主張したことは間違ってるの?
これ、どう考えますか?
難しい質問。
ノ先生は何を言いたくてこの投げかけをしたのか。
ここの問いかけのまとめに私はえっ!?という感じでした。
「本当に違いが分かればどこからどこまでが共通点で、どこからが違いか認識できる。
そこまで明確に認識できる状態になったときにはあなたも正しい、私も正しいは起きない。
本当の違いの価値を明確に認識できる出会いができればその出会いに上昇が起こる。
どこが共通でどこが違うのかを鮮明に分かるのは中々難しい。
なぜなら、違いを言語や概念という共通点で同一化させてしまう。
違いを同一化させてしまうから、本当の違いが観えない。
それで、今観えない言語や概念を全部つぶせと言っているのがニーチェ、ドゥルーズ。
今ここすべて0スタートできる。
同じ単語を使って、反復することで違いを同一性があると決めつけてしまう。
繊細な観察ができない、認識センスが鈍い状態になっている。
全ての言語から自由になれるを強調したのがニーチェ、ドゥルーズ。
知っている世界に留まったらダメ。常に違いを認識できることでアップグレードしていく。
そうすれば人間一人一人が個性あふれる人間になっていく。」
これ聞いた時、初めは????と思ったのだけど、よーく噛みしめてみると、
今まで私が考えていた「目でみる違い」とは次元の違う「違い」だと思いました。
”違いを同一化させてしまうから本当の違いが見えない。”
例えば「リンゴ」という言葉。
リンゴと聞いたら、赤いリンゴや青いリンゴを思う人。まるごとのリンゴやウサギのリンゴの形を思う人。
売られてるリンゴや木になっているリンゴを思い浮かべる人。
などなど、その言葉をきいた時点で、人それぞれのストーリーが展開されます。
けれど会話の中に「リンゴがあるね」とでてきたら、この「リンゴ」の言葉ひとつだけではそれをお互いに知ることはなく、
「そうだね」という返事で終わってしまうとします。
リンゴはあるという目で見える共通は取れるけれど、その裏にあるストーリーの違いは取れないわけです。
その人それぞれのストーリーがあるのに、「言葉」で共通を生み出してしまう。
それはお互いサラーっとした表面上の関係しか築けないし、その言葉で勝手に相手を支配しようとすることに
つながるのかもしれません。
そんな感じなのかな・・まだ浅い気がします。
あー、ここのあたり深めたいです。
「ポイントは同一性と違い」
今夜の令和哲学カフェが待ち遠しい(⋈◍>◡<◍)。✧♡
ぜんけ けい
令和哲学カフェ 平日21時から22時30分 ZOOM & YouTubeにて
ポストコロナonline会議 8月15日(土) 19時から21時30分 交流会 21時40分から22時40分
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