今日は令和哲学カフェが始まってから2か月になるところ
ぶちゃけ場が開かれました。
ぶっちゃけ場・・私にとってぶっちゃけるって怖いイメージがあったんですね。
私の思うことを言ったらやられると。
それは私の無意識エンジンにが発動している賜物(笑)。
わがままを言ったら、怒られて父に押し入れに閉じ込められた。
お母さんも助けてくれない。私は愛されていると思っていたのに、実は愛されていなかった。
絶対孤独。この世からの断絶。
それがあるので、ぶっちゃけるなんてとんでもないことでした。
なのでその思考回路が育ってないんですよね。
内に思うことはあってもそれをアウトプットすることができない。
言葉にして伝えることができない。
もどかしさを感じるんですよね。
それを認識できるだけでも今進歩です。
参加者さんのぶっちゃけは気づきになりますね。
どういう観方をしているのか。
そしてそれに対して、ノ先生が答えるところがどこから観てのことなのかと。
日本人って、そもそも建前がひどいから、
ぶっちゃけといってもなんかいい子なイメージがあるのかもしれません。
本音って何?
私は目の前の人に何が言いたいの?
そう思うこと多いのではないですかね。
ぶっちゃけ場の中でノ先生が言ってました。
「自分が知ってることが絶対だから、相手の尊厳をひっちゃかめっちゃかにさせる。
顔を見てぶつかればいいのに、会ってる時は笑顔で、その後ろでSNSなどで書き込みをしている。
事実が1だったら-20で交流が起きるのがSNS。
知っている世界から自由になる教育が必要。
部分のNOでは弱い。既得権ある人が幸せで、民衆が苦しんでいるだけ。
鬼滅の刃をもって無駄を切ることだ」
瓶の外に出て、瓶の中のアバターの自分をみることで
その本音が観えてくるのですよね。
じゃないと瓶の中ではいらない考え、感情だらけで、全く観えてきません。
自分の内にあるものと表現が全く違ってしまうことがほとんどです。
だから自分も傷つけ、相手も傷つけます。
感じてることを、正確に表現できる私になりたい。
ぶっちゃけが楽しめる私になりたい。
そのための令和哲学カフェですね。
明日からの令和哲学カフェのテーマは再び美学に戻ります。
今まではカントだったけど、これからはニーチェです。
勉強しましょう!
ぜんけ けい