こんにちは。

いつも読んで下さりありがとうございます。

4人の子供が教えてくれたこと、10回目です。

9回目はこちら→http://ameblo.jp/ken-gaa/entry-12187661988.html

 

 

 

★子育ては我慢するものではないんだな

 

例えば仕事が嫌だったら、やめることもできる。

人間関係が苦しかったら、そこから逃げることもできる。

 

けれど、子育てが嫌と思った時、逃げる選択もあるけど、

お母さんをやめることはできない。

 

三男がうまれてやっとお世話することも慣れてきた。

 

三男は6カ月から保育園に通っている

仕事をしていたのもあったけど、

早くから保育園にいれて沢山の人の手がある中で育つのが

いいのではないかと上の子3人を育てる中で思っていた。

 

そしてちょっとした期待。

この子は人の中にいることが大好き。

保育園も学校も大好き。そんな子になってくれたらいいな・・。おねがい

 

それがね・・・。

やっぱり行かなくなる。ショボーン

保育園に通っているのにも関わらず、登園するのを嫌がるようになる。

その当時仕事は調整できたから、無理に行かせることしなかったけど、

保育園って休んでいたら、やめさせられてしまうんだよね。

 

園長先生が良い先生で話を聞いてくれて、三男ともつながりをつくろうとしてくれたり、

休んでいてもちょっと行ったときに登園としてくれたり・・・。

なんとか保育園を卒園できた。

 

小学校も入学式から涙目。えーん

・・・次男と一緒。1年生の早い段階で行くのを嫌がる。

渋々遅刻していったり、保健室登校したり・・・。

行かない日も続いた時もある。

 

ただお兄ちゃんたちの時と違ったのは

養護の先生と連携を取れるようになったこと。

今は行かなくても、なんとなくつなっがているように

先生が色々考えてくれてる。

 

現状を言えば、学校へ今は行ってない。

 

色々思うし、色々迷う。

なんでうちの子ばかり、こんな学校を否定するの?

何が原因でこの現象を起こしているの?

親にしてみれば、学校へ行ってくれるだけで、幸せなことなのかも。

 

でも長男のことがあってから、

学校へ行かないことは大した問題ではないと思ってしまうから、

逆に学校へ行っていても心が健康にはならない子もいると思ってしまったから。

 

何が一番必要なことなのか。ラブラブ

それを知っていることがすごく大事なことと思った。

 

学校へ行くことでも

友達の中にいることでも

勉強ができることでも、

仕事ができることでもなく、

 

人間・・・自分のことも相手のことも尊厳をもって、愛をもって、存在させて、

さらに尊厳をもって、愛をもって、関係性を築いていけることが

大事なことではない?

 

それを理解、納得させる教育が必要。

その教育をするのは学校でもなく、会社でもなく

子どもにとってのお母さん、お父さん、もしくはお母さんの愛を持つ人なのではない?

 

子育てはやめることができないから。

逃げ出すことはできてもお母さんという役割は消えない。

わからなくても、どうしようもなくても、怒りが爆発しそうでも、

育てることをやめることはできない。

 

だからこそ、自分を愛せる、自分の可能性を理解、納得できる、それを現実の関係性に活かしていけること。

相手を愛せる、相手の可能性を理解、納得できる、それを現実の関係性に活かしていけること。

 

知らないがゆえに自分をいじめるのはもうやめよう。

知らないがゆえに人をいじめるのをもうやめよう。

子育ては我慢するものではないんだな・・。

本当は愛そのものなれる偉大なるチャレンジだ。

 

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4人の子が学校へ行かないとなった時に出会った、今の教育の限界。

人間の限界。関係性の限界。お母さんという素晴らしいポジションなのに、小さく、弱者的に思われてしまう社会。

私はそこを全て突破して、お母さというポジションがめちゃ価値あるポジションとしてまずはお母さんたち自身に認識してもらい、その価値あるポジションのお母さんのイメージを今までとは全く新しいものに変えていくミッションがあると感じてます。

 

次世代子育て・家族コンサルタント・マインドームコーチ

ママ大爆発主催

 

善家 圭