May U Live 2 See The Dawn...
高校入学と音楽への執着
今日はプリンスの55回目の誕生日です。
デビューアルバム「For You」からのファースト・シングル「Sof And Wet」がリリースされてから今日で35年です。
毎年6月7日の誕生日にしか更新してませんが、特に意味はありません。
「誕生日にしか更新しない」
のではなく、
「誕生日くらい更新しなきゃ」
今回はプリンスが高校生になってからのお話です。
1972年、14歳になったプリンスは、セントラル高校へ入学します。
セントラル高校は、プリンスが卒業したブライアント中学校のすぐ近くにありました。
どちらも自宅から数ブロックで行くことができる距離でした。
プリンスはクラスの中でもかなり静かなタイプで、教師たちに叱られる事もほとんどなかったようです。
猛勉強する様子が無かったにも関わらず、成績は良かったそうです。
ほとんどの同級生たちにとって、当時のプリンスは「シャイで静かなティーンエイジャー」という印象で、音楽的才能がある事はあまり知られていなかったようです。
親友たちに対しては、人間的な一面も見せていました。
親友たちは人気スポーツ選手などの追っかけをやったりしていましたが、プリンスは後ろから付いていくだけのタイプだったようです。
プリンスはパーティーに出席した時でも、酒や煙草には手を出す事はなかったそうです。
プリンスにはガールフレンドがいました。
チアリーダー部のキム・アップシャーという女性で、数年間プリンスと親しくしました。
プリンスは音楽理論を勉強しました。
学校のギター部にも所属し、バンドを組みました。
いくつもの楽器の練習に時間を費やした結果、生まれつきの才能を持っていると思われるまでになりました。
音楽の先生が昼食の時間に音楽室の鍵を掛けていたので、プリンスは邪魔されずに練習に没頭できました。
音楽教師の一人ジム・ハミルトンによれば、プリンスは音楽に対して熱狂的だったが傑出した生徒ではなかったそうです。
プリンスはハミルトン先生の「音楽ビジネス」という特別カリキュラムを履修します。
プリンスは音楽に集中するため、2年生の時にバスケット部を退部しました。
プリンスは、ますます内向的になったように見えて、「引きこもり」というもっぱらの噂でした。
プリンスは、長い間父親と一緒に暮らさなくなりました。
ガールフレンドとおしゃべりしている所を見られ、父親に邪魔をされた日からずっとです。
父親は厳格でガールフレンドの家に行く事を許してくれませんでした。
のちにプリンスは、どれだけ父親に戻ってきて欲しいと望んでいたかについて述べています。
プリンスは、叔母にあたるオリヴィアと住むようになりますが、彼女も厳格でキリスト教の長老会に所属していました。
プリンスは、いつも週末に父親と会っていました。
オリヴィアはプリンスに対して良くしてくれましたが、資金援助してもらうには歳を取り過ぎていたのです。
次回は「Symbolic Beginning, 94 East」の音源を制作するに到った経緯についてのお話です。
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音楽との出会い
今日はプリンスの54回目の誕生日です。
あっと言う間に、第1回の記事を書いてから1年が経過してしまいました。
第2回目は、プリンスがどのようにして音楽と出会ったか、について書きます。
プリンスは「ジョン・ヘイ小学校」という小学校に通っていました(現在は閉校し空地になっていて、その北側に「リンカーン小学校」がある)。
3年生の時、プリンスとアンドレ・シモンとチャールズ・スミス(プリンスの"はとこ")の3人は親友になりました。
アンドレ・シモンは、プリンスが最初にバンドを組んだ時のメンバーであり、デビュー後もバックバンド「ザ・レボリューション」の初期ベーシストとして活躍します。「ザ・レボリューション」を脱退した後も、ミネアポリス・ファンクを語る上で欠かせないソロ・アーティストとして活躍しました(最近、ソロ・アルバム3作が続けてリイシューされたのでチェックされたし)。
プリンスは、聖書の勉強会や聖歌隊の練習で近くの教会まで通いました。
1967年当時のミネアポリスは、まだ人種差別により白人と黒人の学校が別々でした。
やがて、アメリカの憲法が改正され、人種差別を無くすために、黒人と白人が同じ学校へ通う事になりました。
プリンスと妹のタイカは、この時の怖い体験をずっと引きずる事になります(タイカ・ネルソンも1988年にシンガーとしてデビューしている)。
「1967年、公立学校のバスは、何の疑いも知らない政治的な道具の集団と僕を乗せて走る。
僕らの両親は、別の色の人種が近くにいる事に疑問を感じた。
だから、怖さのあまりに、子供たちから離れないように乗っていたんだ。」
(「ラヴ・シンボル」収録の「Sacrifise Of Victor」より)
プリンスが10歳の時、両親が13年間の結婚生活にピリオドを打ちます。
母親のマッティは、プリンスとタイカを養うため、2人を家に残し外に働きに出るようになります。
その頃からプリンスは、父親が置いていったピアノを真剣に弾きあさるようになります。
音楽をやる事は、「逃げ」であったと同時に、「コミニケーション手段」でもあったようです。
「僕は多くの時間を一人で過ごしたよ。そして、音楽に目を向けるようになった。
いつも演奏してたよ。音楽のおかげで心の隙間を埋められたんだ。」
数年後、母親のマッティはヘイウッド・ベイカーと再婚します。
プリンスは、義理の父親による"しつけ"が耐え切れなくなり、12歳の時に家出をします。
そして、実の父親と一緒に、ミネアポリスの南部に引越します。
プリンスは、近くのブライアント中学校(現サバサニ・コミュニティ・センター)に通うようになります。
そして、アート・エリクソン牧師のもと、パーク・アベニュー・メゾジスト教会で青年活動に参加しました。
中学校ではクラスメイトのデュアンと出会います。
父親ジョンはデュアンの母親と再婚し、プリンスとデュアンは親友になりました。
プリンスは学校で何どもイジメに遭います。
背が低いのと病弱なのが原因でした。
名前のせいで、「プリンセス」というニックネームを付けられました。
また、ジャーマン・シェパードに似ているため、「肉屋の犬」というニックネームを付けられた事もありました。
友達もたくさんいて、バスケットボール、フットボール、野球にも熱中しました。特にバスケットボールは、大学の二軍のチームで活躍しました。
次回は、高校生になってからのプリンスの話です。
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プリンスの生い立ち
これはいわゆるブログではありません。
これは、ブログという場所を借りた、プリンスというアーティストの紹介サイトです。
今日はプリンスの53回目の誕生日です。
このサイトを始めるに相応しい日かも知れません。
まずはプリンスの生い立ちから紹介していきます。
プリンスこと、プリンス・ロジャーズ・ネルソンは1958年6月7日にアメリカはミネソタ州ミネアポリスのマウント・スィナイ病院で誕生する。
ミネアポリスとは原住民ダコタ・インディアンの言葉で「水」を意味する「ミネア」とギリシャ語で「都市」を意味する「ポリス」を合わせた名前だ。
その名の通り、湖が多くて、ロータス湖、ルーシー湖、クリスタル湖、シルヴァー湖など後にプリンスのアルバム名・曲名・歌詞のヒントになったのではと思わせる湖もある。
ミネアポリスはミネソタ川がミシシッピ川に合流する地点にあり、すぐ東にセントポールという街がある。この2つの都市は合わせてツイン・シティーズ(双子の都市)と呼ばれていて、メジャーリーグのミネソタ・ツインズのチーム名の由来にもなった。
ミネアポリスに住む人々は9割以上を白人が占める。黒人はごくわずかだ。
ラジオで流れる曲も白人のミュージシャンによるロック系の曲が多かったはずだ。
プリンスのジャンルを超えた音楽スタイルや人種を超えたバンド編成は、これによって培われたのかも知れない。
父親の名はジョン・L・ネルソン。「プリンス・ロジャーズ・トリオ」というジャズ・バンドのピアニストだった。バンドのほかに、ハニーウェル・エレクロニクスという会社の工場でプラスチックの型を作る仕事をしていた。
母親の名はマッティ・ショウ。ジャズ・シンガーだった。
マッティがジョンの事を「プリンス」と呼んでいた事からバンドの名前は「プリンス・ロジャーズ・トリオ」と名付けられた。
ジョンは「自分がやりたかった事すべてを託したい」という気持ちから、バンド名にちなんだ名前「Prince Rogers」を息子に授けた。
ちなみに、出生届のスペルミスで戸籍上は「Prince Roger Nelson」となっているそうだ。
プリンスは生まれてすぐに「スキッパー」(隊長)という愛称で呼ばれるようになる。「スキッパー」というのはマッティが以前飼っていた犬の名前だそうな。
最近になって、プリンスはテレビのインタビューで、「幼少の頃てんかんを患っていた」と告白している。ある時、母親に「ママ、もう発作は出ないよ。そう天使が言ってたから。」と言った時から、てんかんが急に完治したそうだ。
ちなみに、ナポレオン、ソクラテス、レーニン等もてんかんを患っている。
小学校に入ると、その「プリンス」という珍しい名前でいじめられるようになる。小学校の先生でさえ、出欠をとる時にプリンスの名前を呼ぶ時に吹き出してしまったそうだ。
それほど、プリンスという名前は英語圏でも珍しい名前らしい。
今回はこのくらいにして、次回は「プリンスがどのようにして音楽と出会ったか」について触れていきます。
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