担当:KNY(ギターボーカル)
東京へ戻りの電車でこれを書いている。

3月は何かと混沌としたシーズンだ。出会いもあれば、別れも同じくらい付いて回るもの。
ただ、いまの自分には新しい出会いより別れの方が多いから、毎年の事ながら、何かに期待膨らませることよりもメランコリーな気分になってしまう。

そんな中 この数日に体験した二つの お別れ について書いていく(前置きのような深刻な雰囲気では無いのでお気楽に)

この間、ソロで故郷松山のイベントに参加してきた。
mond(2018年解散)というバンドがいた。彼らはとてもジャパニーズフォーキーな音楽性を持っていて、“地方色あるはっぴいえんど”のようなグループだった。

URL: youtu.be


never young beachやキイチビール&ホーリーティッツのようなインディ路線の流行る昨今、かなり刺さりのあるスタイルではあったと思う。西日本を中心に人気が出てきた頃の解散、かなり惜しい。

そんな稀有な存在であったmondのシンガーソングライター平岡ひぃらが東京へ単身で進出すると言うことで、
彼の松山での最後の企画イベント出演オファーを受けた。

実は彼がmondを始めた時や派手にギグ回していたタイミングで僕は彼とは親密な関係では全く無かったし、なんなら松山を離れる迄に彼と話した事は一度も無かった。
地元でやってたバンドも、mondだけは何故か共演した事も無い。偶然にも。

平岡ひぃらとのファーストコンタクトは2018年GW期で、今より1年も経たない最近の話だ。営業回りしていた居酒屋で一杯ひっかけているところにイベント後のmondがやってきて、CDを渡した事がきっかけだった。
平岡ひぃらは予め僕の事を何故か認識していたらしい。『いつか何かのイベント、一緒にやろう』と声をかけ勢いでLINEまで交換したが、彼はそれを覚えていて今回のイベントに呼んだらしい。

なんて人情に厚いヤツなんだと思った。
彼の歌声もそうだが、人間がカッコいい。こういう人には沢山の人間がサポートで付いてくれる。
ライブや打ち上げでも彼の人間味が垣間見えるシーンが多々あり強く興味惹かれたものだ。

東京でも今以上に、更に活躍するだろうと思う。
自分としては東京を離れる際沢山の人のサポートを受けてきたからこそ、同じベクトルを持った仲間をサポートして行きたいのだ。
彼の音楽の一リスナーとして一音楽仲間として応援していこう。また自分にも良い刺激になった。

話題変わって。大学軽音部サークル時代の卒業イベントに呼ばれライブ出演してきた。
最近やる機会なんて無いコピーバンド、しかも僕の現音楽のルーツであるGRAPEVINE。昔このサークルのメンバーでもやったなあ。3年も前になるのか。

今回演奏したのは『片側一車線の夢』というカントリー色強めな激エモソング。

URL: youtu.be

この曲について特筆すべきは何と言っても歌詞から滲み出る哀愁なのだ。
『車線の上時計を放り投げて
どこへでも行かないか 忘れるよりも抱えたまま 楽じゃないが』
『俺は都会で少しは学んで
孤独とガレージとこの車を見つけ出した』
故郷を離れ何かを追いかけて、あるいは追いかけていたものを投げ捨てて来た者に強く重く刺さる言葉である。

そして、自分の今置かれている/置かれていた境遇にも近しいものを覚え感情移入してしまうのだ。“故郷のノスタルジア”というのは僕が東京に出てきて創作のテーマにしてきたポイントだから、その共通項を感じてぐっと引き寄せられていた。

では、卒業を控え新たに旅立つ彼ら、別れを新しい出会いをしていく彼らには この歌はどう映るのだろうか。新しい出会いへの期待に あるいは同じ時間を長く過ごした仲間の別れへの寂しさに混沌としている今だから、
深いところまでこの歌は届くはずだろうと僕には思えた。

部活やサークルで熱中していた事も、卒業と同時にすっかり冷まされてしまうことが多いだろうが『行かないか かつてのようには若くないのがおっかないが 失った夢の続きを見るのだろう』という言葉が背中を押してくれるような気がしている。

演奏が終わり、打ち上げも終わり、一眠りして帰途に着く中、
毎年のことで慣れっこのつもりでいたのにこの期に及んで言いようもない寂しさが押し寄せて来、

来、

今、
新幹線の車内、駅弁とパン、レッドブルと酒類、汗ばんだニオイが充満しているので早いとこさ東京に帰りたい。


via COMPUTERKIDS
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