二年前くらいかな、「あなたは神様に好かれるひと。だからどんどん神社仏閣に行きなさい。」と言われたんだけど。
「先祖が神様に認められる良いことをしたおかげ」らしい。
ありがとう、ご先祖様。
たしかに……子供の頃からそういう予感?みたいなのはあった。
けど、それ以上がわからない。そこが凡人なんだな。
神社訪問は二十代前半から行ってる。
地元山形では当時、神社なんかにお祭りの時以外に若者なんて来なかった。
当時の彼女にも複雑な笑顔されたなぁ。
もうひとつの趣味「戦国」歴史好きのライフワーク城跡探訪で地元山形の天童市にある舞鶴城公園を調べてるうちに、幕末まて天童は織田藩だったことに衝撃を受ける。
歴史好きとはいっても、超偏向で戦国だけ!なわけで、それ以外の時代は全く興味ゼロ。
まさか自分んちのすぐ近くにあの織田信長の末裔が関係してたとは!と雷に撃たれるくらいの衝撃をうけ、信長公を祭神とした健勲神社の存在を知り速攻でお参りに行ったのであった。
天童市の舞鶴山の西側にある健勲神社は、京都にある健勲神社より先に創建されたらしいけど、神職などいない社でどことなく寂れた感じだった。
その時ちょうど社内で負けられない競技会に出場することになっていて、あの戦の天才信長公が御祭神なのだからと必勝を祈願した。
そのおかげかどうか見事優勝。
2ヶ月後に御礼言上に行くと後ろから声が。
なんと、山形県神社庁から神職が派遣されてた。
寂れたこの神社を天童市の観光スポットにしたいと熱い想いがある神職だった。
あれから二十年以上。
この神職は大変有能な方だったようだ。
見事、天童健勲神社は立派な観光スポットになられた。
ついでに僕の信長公、健勲神社との因縁も強力になった。
なんの因果か、その後32歳で上洛。
京都のおなごに縁がありそのまま居着いてしまった。
それなら行かねば。京都、船岡山の健勲神社。
はっきり言えば、天童健勲神社より立派。
でも御祭神は信長公で一緒だしと拝殿に向かうとにわかにあやしい雲行きに。
僕が拝殿前に立つと同時に真上でドドーンと雷が。
これで嫁さんビビりまくり「アンタなんなーん?!」
「フフフ、これでわかったやろ~」と僕。
内心は僕もかなり焦ってたけど。
これは自分に都合良く「神鳴り」であったと解釈してます。
おーよく来たな。と。
まー、長くなりましたがそんなこんなの神社仏閣パワースポット訪問や、日々の雑多な独り言をぼちぼちやっていきます。
よろしく。