けみろんの色々な趣味のブログ

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春の出張ツアーの締めくくりとして、4月24・25日と、札幌に出張に行く事にしたのは、3月も中旬。飛行機が大の苦手の私としては、「北斗星」での往復を考えていた。 でも、何だかんだで忙しくて、なかなか切符を手配する事が出来ずにいたら、「有珠山噴火!」のニュース。そして、室蘭本線の伊達紋別~豊浦間の運転見合わせの情報。
「北斗星」での復路は、「絶対にA個室寝台ロイヤルに乗ってやる!」と、指定が取れなかったら、出張は延期する位の覚悟で、4月10日、川崎駅のみどりの窓口で聞いてみると、あっさり取れてしまった。グランシャリオでの食事を考えたが、 98年に「北斗星」で帰って来た時に、「やっぱり、一人で食べるのは寂しい!」事を経験したので、どうするかは後日考える事にした。ところが、出発予定の4月22日の往路の「北斗星1号」の指定が、全く取れない!B開放寝台ですら開いていなかった・・・・
でも、「まぁ、直前になればキャンセルが出るだろう!」と安易な考えで、取りあえずは復路分のロイヤルだけを確保した。
出張も1週間前に迫って来たので、上野駅のみどりの窓口に寄ったついでに、行きの分の「北斗星1号」の指定を聞いてみたところ、やっぱり全室満席状態!仕方がないので、「北斗星3号」の指定を取ろうとしたら、ここで初めて知ったのだが、「北斗星3号」は函館止まりとの事。函館到着の時間を 聞いてみたら、朝の6時34分と言われ、「これじゃぁ、まるで寝台特急「北陸」並みに寝る時間がないじゃないかぁ!」と、思ったが、函館では、山線(函館本線)経由で特急「北斗」が走ると言う事で、「まぁ、久々に山線の峠越えでも楽しむか!」と思い、「北斗星3号」のB個室寝台券と、この「北斗星3号」 に連絡する「臨時特急北斗61号」の指定を確保した。
出発前日にも関わらず、会社の人と、朝4時過ぎまで飲んでしまい、寝不足と二日酔いのまま、4月22日の当日の夕方、上野駅へと向かいました。「寝台に乗ったら、やっぱりビールだ!」と、夢みていたのだが、さすがの二日酔いと寝不足で、ビールを見る気さえ起きず、お弁当とウーロン茶、缶コーヒーを買い込み、 13番線ホームへと向かいました。
函館止まりのせいか、ゴールデン・ウィーク前のせいか、この「北斗星3号」を待つ人は疎らで、入線して来るなり私は9号車(オロハネ25-503)の3号室、B個室寝台に乗り込みました。B個室寝台は、二階建て構造になっていて、私の3号室は一階にあたり、狭いながらも誰にも邪魔されず、一人になれるのが 良いが、天井が低いので、身長が178cmの私には勿論、真っ直ぐ立つ事は出来ない。着替えも中腰状態でしなくてはいけない。これを考えると、B開放寝台の方が名前の通り、開放感があって良いかもしれない。


19時03分、「ガクン!」と、客車特有の揺れがあり、定時にひっそりと上野駅を出発しました。車内放送では車賞さんが、有珠山の噴火の影響により、この「北斗星3号」は函館までしか運転しない事、函館からは札幌行きの連絡特急がある事を、ひたすら強調していた。発車するとまもなく車掌さんが検札に 来て、急遽作ったと思われる、手作りの函館からの連絡特急の時刻表と、B個室寝台の部屋のカードキーを置いて行った。車内は、「グランシャリオ」の案内が流れたが、今日は私には無縁の事なので、浴衣に着替えると、キオスクで買ったお弁当を広げ、狭い窓から夜の車窓を楽しみながら、遅い夕飯を食べた。
翌朝も早く起きなくてはいけない事もあり、二日酔いと寝不足の為か、どう頑張っても瞼の重さには勝てず、20時27分の宇都宮停車前には、ベットに潜り込んでしまっていた。
うとうとして気が付くと、いきなり「グォオオオオオ!」と言う音と共に、台風の大雨の中を走る列車の様に、雨が車体に叩きつけられるような「ザザッ!ベシベシ!」と言う音がして、青函トンネルの中を列車は走っていた。この音と共に徐々に目が覚めて来てしまい、ベットに横になりながらも、「このまま札幌まで行って くれたら、このまま再び寝る事が出来るんだけどなぁ・・・・」と思いつつも、トンネルを抜けると、窓の外は既に明るく、「あっ!道内に入った!」と思いながらも、雨が降っていたのと、早起きしなくてはいけない事もあり、あまり感動は起きなかった。前日、上野駅のキオスクで買った缶コーヒーを開け、タバコを吸い ながら飲んでいると、車内放送で「おはようございます。この列車は北斗星3号札幌行きですが、本日は有珠山の噴火の・・・」と、函館止まりを再び説明していた。これだけ車掌さんが説明していても、「この列車は、札幌まで行くはずだ!」とか思い込んでいる人がいるのかなぁ?とか考えつつ、函館に近づくにつれて、 私の脳も活発化してきて、徐々に目が完全に覚めて来た。
まさに、まるで寝台特急「北陸」の様に、6時34分、函館駅の7番線に到着した。青函トンネルを牽いて来たED79は、ドラえもんのマークが入っていて、とても好きにはなれない塗装色だった。

個人的には、しずかちゃん塗装しして欲しかったが、まぁ、ジャイアンよりは良いか!とか思いながらも、これから札幌までの 約4時間の山線経由を楽しもうと、函館駅ホームで駅弁を買い、「北斗星3号」の到着した7番線の隣のホーム6番線に停車中の札幌行き、臨時特急「北斗61号」に乗りこみました。この臨時特急「北斗61号」は、「北斗星」からの乗り継ぎ割り引きが適用されていて、特急料金も安かった。指定席の1号車(キハ283-2) は、札幌向きの先頭車で、勿論喫煙可能車で、朝早い事もあって、函館からの乗車人数は、とても少なかった。
ところで、何故指定券にまで「臨時特急」と言う名前を入れるのか不思議だったが、せっかくの函館本線経由の山越えをするのだから、せめて「北海」の名称を付けて欲しかったと思ったのは、決して私だけではないと思う。経路自体は、まさに特急「北海」そのものですからね。
7時05分、定時に函館駅6番線ホームを、重々しいディーゼルエンジンの音を唸らせて、臨時特急「北斗61号」は、札幌に向けて出発した。約4時間の長旅の始まりだ。
JR北海道の新鋭キハ283系は、長万部までは、いつもの走りなれたコースの為か、車体を振り子りながら、軽快なスピードで走り抜ける。五稜郭、大沼公園、森、八雲と停車しながらも、長万部に到着。ここで運転手さんが交代となり、ここから待望の山線となる。 長万部~札幌間は、この函館本線経由だと、174.0kmに対して、通常の室蘭本線・千歳線経由だと206.4kmと、距離的には、32.4km程函館本線経由の方が短いが、室蘭本線・千歳線経由の所要時間2時間に比べて、40分も余計に時間がかかってしまう。いかに山越えがキツイかを物語っている。
8時20分、長万部を出発すると、いつもの走り慣れた室蘭本線にいきなり別れを告げ、今までの快適なスピードで走って来たのが嘘のように、ディーゼルエンジンを思いっきり唸らせ、まるでへろへろの30キロレール上を走る、廃止されてしまつたローカル線を単行のキハ20が走る様に、のんびりと、しかも辛そうに走り出した。 「いやぁ~、やっぱり山越えは良い!」と晴れてきた車窓を眺めながらのんびり楽しんでいると、左手前方に、大きな虹が見えた。虹を見るのは何年振りだろう・・・・と思いつつも、列車はどんどん山奥へと向かって行く。さすがにこのスピードでは、キハ283系も得意の振り子を使えず、「まぁ、たまには振り子機能を休ませる かぁ!」と労わっているかの様に、のんびりと札幌を目指す。トンネルを何度も抜けると、周りの景色には、どんどん雪が多くなって来て、まるで「まだ冬?」と、4月の後半とは思えぬ状況と、この時期に、これだけの雪を見れてラッキー!と雪にワクワクしながら、車窓を楽しんだ。
9時23分、ニセコ駅で函館行きの臨時特急「北斗82号」とすれ違いの為、運転停車した後、最初の停車駅、倶知安に到着。倶知安を9時38分に出発すると、約1時間で次の停車駅小樽に着く。このままこの「北斗61号」に乗って札幌まで行くと、札幌には11時02分に着いてしまい、当然この時間では、ホテルにチェックイン する事も出来ないので、せっかくここまで来たのだからと、小樽で途中下車する事にしました。
10時33分に最終目的地札幌に向けて出発した「北斗61号」を小樽駅で見送り、私は改札に向かいました。今回は、遊びで北海道に来たのではなく、仕事で来ているので、勿論スーツにDEMO様の用品とか着替えとかが入っているリュックを背負い、仕事には欠かせないモバイルPCをケースに入れて、手に持っているので、 この日曜日に、観光地小樽に立つと、なんか怪しげな感じがしたので、取りあえず、リュックからカメラ(一応持参して来ました)だけを取りだし、他の全ての荷物は駅のコインロッカーに入れ、一度来て見たかった、小樽交通記念館に行く事にしました。小樽駅から、この小樽交通記念館までは、駅前からバスで15分位で行け、 入場料金940円を払うと、そこは私が学生時代に現役だった、しかも北海道で活躍した懐かしい車両達ばかりが、待っていてくれた。時間も早い事もあるのか、園内には人がまばらで、私はここぞとばかりに写真を撮りたかったのだが、持って来たカメラは、キャノンのEOS-IXEで、予備のAPSのポジフィルムを持って 来なかったし、カメラに残っているフィルムが20枚ちょっとしかなかったので、取りあえず、園内を周ってから撮る車両を決める事にしたが、どれもこれも好きな車両ばかりで、「せめて1本でも良いから、予備のフィルムを持って来るんだったぁ!」と後悔しても始まらないので、展示してある車両達を、じっくり観察する事に しました。この小樽交通記念館は、旧手宮線手宮駅跡に作られていて、以前のホームのあったであろう付近から、線路が放射状に伸びている。その線路の先端の小樽方面にはフェンスが張られていて、そのフェンスを挟んで旧駅前だったであろう所には道路が走っていて、線路は埋められてしまっているが、道路の向こう側には、 再び線路が小樽方面に向かって伸びている。その、駅前だったであろう場所の裏手には、小さいながらもバスターミナルがあり、「手宮」行きのバスが頻繁に走っている。個人的に思ったのは、この手宮線は、復活させようと思えば、割と簡単に復活できそうな気がしたが、手宮線自体を小樽駅を出発駅にしないと、意味がない 気がした。函館本線で、小樽から札幌に向けて乗っていると、小樽を過ぎて、南小樽に近づくにつれて、左手下方から、線路が近寄って来て、やがて南小樽駅で合流する、これが手宮線である。1985年11月までは貨物列車が走っていた。
こういう楽しい場所に居ると、時間が経つのが早くて、気が付くと14時30分を過ぎていた。園内にも家族連れの人や、アベックの人が増えて来て、お弁当持参で来た家族連れは、展示してあるキシ80の中で、その持参したお弁当を食べていた。ただ、キシ80は2両も展示してあるのに、2両共内装が全て撤去され、単なる カウンターとテーブルに、自動販売機のみの設置になっていたのが痛々しかった。せめて1両位は、オリジナルのまま残して欲しかった。これだけが唯一、心残りだった。
その手宮駅であっただろう場所の裏手の、バスターミナルからバスで小樽駅に戻り、小樽15時30分発の臨時特急「北斗65号」(キハ183-4562)で最終目的地の札幌に向かいました。16時02分、終点札幌に到着した後、ホテルにやっとチェックインし、ホテルに送っておいた、翌日から仕事で使うアイテムを受け取り、 持参のPCで会社のメールをチェックしつつ、寝不足もあったので、この日は早めに就寝しました。
翌日、部下の子(羽田から飛行機で来た)と札幌で合流し、2日間仕事をして、4月25日再び部下の子と別れ、「北斗星2号」までの時間があったので、取りあえず時間つぶしも兼ねて、小樽築港駅まで行って見ました。小樽築港駅は、真新しく改装され、国鉄が民営分割化された時にTV中継でC62が走った、C62の故郷 の小樽築港機関区は跡形もなく解体されていて、跡地はきれいに整地されていて、時の流れと、寂しいものを感じました。
と、真新しくなった小樽築港駅で、ボーッとしていると、iMODEにメールが来た。それは、JRの運転状況の情報を教えてくれる(契約が必要)「JRダイヤ情報メール」だった。有珠山の噴火後、毎日の様に、「 JR北海道管内 自然災害の影響で、本日、「北斗星小樽号」は函館本線経由に変更して札幌まで運転します。 「北斗星81号」「北斗星3号」「エルム」は函館止まりとなります。 」と言う情報が送られてくるので、「また、北斗星の迂回と、函館止まりのメールだなぁ!」と思ってメールを確認してみると、確かにそのメールも来て居たが、他には、もう一つ、なんと「 東北本線 水沢~金ヶ崎間の橋梁にゆがみが発見されたため、「北斗星1・3号及びカシオペア号」は一部経由を変更して運転します。なお、「はくつる号」は全区間運休します。 」と言うメールが送られて来た。「ええっ?マジィ??」と、思い、小樽築港駅から札幌まで快速電車で戻り、札幌駅の「みどりの窓口」に問い合わせたところ、「 北斗星2号は、予定通り運転しますが、奥羽、羽越、上越線経由で運転しますので、予定より上野到着が3時間程遅れます! 」との事。


「また、私は北斗星の、正規のルート(千歳線、室蘭本線、函館本線、江差線、津軽海峡線、津軽線、東北本線 )で帰る事が出来ないのぉ?」と、思いつつ、翌日入っていたミーティングの時間を、遅くずらして貰うように、お客さんに連絡した。まぁ、でも、以前の様に、台風で6時間も遅れたりはしないだろう!と思いつつ、札幌駅のキオスクで、お弁当やビールにおつまみ等を買い込み、 「北斗星2号」の出発に備えた。
17時10分前後、札幌駅5番線ホームに、北斗星色に塗装されたDD51の重連が、重々しいディーゼルエンジンの唸り声を挙げて牽引して「北斗星2号」が入線して来た。入線して、すぐの発車となる。私はワクワクしながら、10号車(オロハネ25-554)に乗り込み、11号室のA個室寝台ロイヤルのドアを開けた。


言葉にならない位、予想以上に、雑誌とかで見る写真とかからの想像を遥かに超えた、超~ウルトラ凄い寝台だった!一瞬、「マジィ!」と、固まってしまった。とにかく、今まで多々乗った寝台や、グリーン車に比べて、全然比較にならない程、凄い寝台!と、言うか、部屋だった!


「こりゃぁ~、一人で乗ったらバチが当たるぞ!」と、思い、改めて寝台料金が17180円もする価値が理解出来た。そして、寝台内と言うか、部屋の中でそわそわしている内に、17時13分、札幌駅を「北斗星2号」は出発しました。
出発すると、車掌さんが検札にやって来て、乗車券と寝台特急券を見せると、「ありがとうございます」と一礼し、 部屋の鍵とA個室寝台には付いてくる、タオル、石鹸、歯ブラシなどのセットを渡してくれた。車内放送では、有珠山の噴火の為に小樽周りで運転される事と、東北本線の水沢~金ヶ崎間が不通のために 奥羽・羽越・信越・上越・高崎線経由で運転される旨を放送していた。でも、何故、私が「北斗星」に乗車すると、必ずどこかが不通の為に、迂回コースを取る羽目になるのだろう・・・・と、真剣に思ってしまった。


とか、考えていると、ドアを「コンコン」と叩く音と、「食堂車の従業員です」との声が聞こえたので、ドアを開けると、「サービス品をお持ちしました!」と、 十勝ワイン、ウィスキー、缶のお茶、ミネラルウォーターを持ってきてくれた。また、「明日の朝、コーヒ-をお持ちしますが、何時頃にいたしましょうか?」 と、モーニングコーヒーのサービスもある事を、初めて知ったので、この思いっきり迂回コースを取る「北斗星2号」の上野到着予定時間が、12時35分と聞いていたので、「9時頃、お願いします」と頼んだ。備え付けの机には、良くホテルに置いてあるのと同じ、部屋の案内書が置いてあり、中を読むと、なんと、 ルームサービスまである事を知って、またまたびっくり!何故、電話機が付いているのがが理解出来た。この電話で、車賞さんとも連絡が取れるらしい。


部屋には、シャワールーム兼トイレが付いているのはともかく、ヘアドライヤー、TVは勿論、絵画まで飾ってある。ベットも広く、補助ベットを出してセットしてみたら、まさにクイーンサイズのダブルベットと化する。これなら2人で泊まっても、充分だと感じた。

シャワーも、通常のA個室寝台で貰えるシャワー券だと 10分しか使えないが、備え付けの為か、何分でも使えてしまう。勿論、バスタオルも装備されている。とにかく、「動くホテル」に相応しい装備、内容だった。これで、食堂車「グランシャリオ」で7800円のフランス料理でも食べれば、完璧なのだろうが、やっぱり一人で食堂車で食べるのは、寂しいので、 札幌駅のキオスクで買ったお弁当を、豪華なロイヤルのロッキングチェアーに腰掛けて、めちゃめちゃ広い窓から、車窓を眺めながら食べた。


「北斗星2号」は、最初の停車駅、小樽を17時48分に出発後、19時01分、倶知安で待ち合わせの為に運転停車した。4分停車後、待ち合わせても列車は来なく、19時05分、倶知安駅を出発した。その後、列車は快適に走りっているかの様に見えたが、20時15分に、黒松内駅で再び運転停車。 「4分程停車します」のアナウンスがあったが、その後、「待ち合わせの北斗71号が10分程、遅れているので、20時30分頃発車予定です。」と、再びアナウンス。10分遅れようが、20分遅れようが、3時間遅れるのが解っている以上、ほとんど誤差に近いので、豪華なロイヤルの部屋でくつろぎながら、のんびり 列車の旅を楽しんでいた。
20時33分、遅れている臨時特急「北斗71号」が通過して行き、この「北斗星2号」は、20時24分、黒松内駅を出発した。そして札幌を出発して2つ目の停車駅、長万部に20時56分に到着、1分停車の後、再び一路上野を目指して出発した。
車内では、八雲、森、函館に停車後、青森に0時55分、その後は迂回コースの為、大宮12時12分まで止まらない事と、上野には12時35分頃の到着予定と言う事を、車掌さんがアナウンスしていた。


そのアナウンス通り、八雲(21時20分)、森(21時44分)と停車し、22時30分、函館に到着した。函館から進行方向が変わり、22時35分、函館駅を出発する頃には、私もお酒が進み、良い気持ちになって来て居たが、なんか寝るのが勿体無い気がしてしまい、「どうせ上野に着くのは12時過ぎだから、夜更かし しちゃお~!」と思い、TVに流れるビデオを見ながら、再びお酒を飲んでいた。「青函トンネルは、23時30分頃の予定です。トンネルの長さは、53.8kmで、この北斗星は、約39分で通過します。」とのアナウンスが流れたのまでは覚えているが、気が付くと、窓の外は明るく、寝起きでボーッとしていたら、 7時15分、新発田駅に運転停車した。さすがに良く寝れた!と、感じがした。
7時35分に、車内に、「おはようございます、只今迂回運転の為、52分遅れて運転しています。」とのアナウンスがあったが、何故52分?もっと遅れているのでは?とか疑問に思ったが、7時41分に新津駅の手前で、信号停車した。2分停車後、7時46分に新津駅に到着。ホームの通勤・通学の人達は、突然の「北斗星」 の襲来に、「何で?」の様な不思議そうな顔をして、「北斗星」を見ていた。以前、「北斗星」は常磐線経由で走った時も、やはりホームの人達は、不思議そうな顔をして見ていた。やはり、人はいつもと違った事があると、「えっ?」と思うのでしょう。まぁ、私も実際その内の一人なのだが・・・・・
新津駅で2分停車し、7時48分に出発。7時50分頃、国鉄色のEF81-5の牽く貨物列車とすれ違った。やっぱりEF81は、例のローズピンク色が一番良いなぁ!と思う。8時には、羽生田駅で581系の急行「きたぐに」とすれ違い、私は買いだめしてある缶コーヒ-を目覚ましの為に、2本立て続けに飲んだ。
営業している食堂車の連結されている寝台列車の良いところは、朝早くから、車内販売に来てくれるところでしょうか。勿論、着替えて、食堂車に朝食を食べに行くのも良し。ただ、今回の朝食は、昨日のおつまみの残りで済まそうかと考えていたが、上野に到着するのが、お昼過ぎであり事を考えて、丁度車内販売が周って来たので、 お弁当を買った。なんと、売っていたお弁当は、新津駅の「SLばんえつ物語弁当」だった。まさか、「北斗星」で、新津駅の駅弁を食べれるとは思えなかったので、ちょっと嬉しかったです。
列車は、8時30分に、長岡駅の4番線ホームに再び運転停車。何分か遅れて走っているのか、それとも、定刻で走っているのか、全く解らない状態だった。長岡では8分停車後、ここからは、上越国境を越えるルートになる。昼間に長岡から、上越線経由で上野まで通して乗るのは、上越新幹線開業前に、急行「佐渡」で新潟から上野 まで通して乗って以来、超~久々の事だった。んんん・・・・今回の旅も、なかなか変化に富んでいて良いなぁ!とか関心していると、9時08分、ドアをノックする音が聞こえ、ドアを開けると、昨日、ワインやウィスキーを持ってきてくれた食堂車の従業員の方(多分、会計係りさんか、食堂長さん)が、いつもの銀色のトレイに、 食堂車で使っているコーヒーカップで、モーニングコーヒーを運んで来てくれた。やっぱり、ロイヤルのサービスはさすがだ!学生時代、日本食堂の上野営業所でアルバイトしていた時、最後に乗務した食堂車が、金沢と上野を信越本線経由で結んでいた、特急「白山」の食堂車だった。この時は、人手が足りなくて、従来のワゴンによる 車内販売の仕事としてではなく、厨房に入って、コックさんの手伝いとしての乗務だった。コーヒーを運んで来てくれた食堂車の方を見て、ふと、その頃を思い出した。


上越線に入った「北斗星2号」は、9時15分、六日町駅を通過、石打駅を過ぎた頃の9時24分、特急「はくたか」とすれ違い、9時29分、越後湯沢駅の4番線ホームに再び運転停車となった。長岡から越後湯沢までの間、どこで調べたのか、この上越線経由で走る「北斗星」を撮っている人が、数人見うけられた。私も内心は、 乗っているより、撮りたかった。越後湯沢で2分の停車後の9時31分、越後湯沢の駅を後にした。先ほど持ってきてくれたコーヒーは、ぬるくも無く、熱くも無く、程よい温かさで、味わいもなかなか良かった。ただ、もう1杯飲みたかった。
「北斗星2号」は、快適なスピードと、めったに見れない環境(寝台車)での車窓を楽しませてくれながら、上越国境を抜け、水上(10時04分到着、06分出発)、高崎(10時54分到着、55分出発)と、運転停車をし、その間、ホームで何気に列車を待っている人達の目をくぎ付けにし、本州内2番目の停車駅、大宮を 目指した。11時36分頃、熊谷駅を通過する頃から、外は雨模様となり、「この荷物で傘をさして、駅から会社まで歩くのは、しんどいなぁ・・・」と、思いつつ、長かった「北斗星2号」の快適、かつ豪華で、迂回だらけの列車の旅が終わろうとしている。12時15分、大宮駅の6番線ホームに到着。正規のルートを経由 して来た場合の時間より、3時間3分遅れての到着だった。
大宮駅を12時17分に出発後、私も散らかった室内と、荷物を片付け始め、楽しかった「旅」を振り返りつつ、これから会社に行って、ミーティングだ!と思うと、少し気持ちが落ち込んでしまった。そして、12時39分、上野駅15番線ホームに、正規の時間より3時間4分遅れての到着となった。到着後、ドアが開き、 列車を降りて、自分がついさっきまで過ごしてきた、A個室寝台ロイヤルの11号室を、ホームから覗いてみたら、なんか、今までこの部屋で過ごして来たのが、夢物語だったような、全く違った世界に居たんだぁ!と、なんか、悲しくて、寂しい気持ちになってしまった。
その後、私は山手線に乗り換え、会社に急ぎました。