「最初が肝心」
「終わり良ければ全て良し」
という言葉がありますが、最初と最後、どっちが大事なんでしょうか?
もしも、どっちか1つが正しい、もしくは大事であるなら、どっちかは間違っている、もしくは二の次となります。
こういうことはよくあって、人はどっちかだけが正しいと思いがちです。
でも、どっちも正しいので、どっちも大事です。
ただ、最初が間違っていると、そのあとずっと苦労します。
たとえばボタンの掛け違いを最初にすると、あと全部間違いとなります。
なので、終わりよければ、とするには、最初を訂正する必要があります。
個人的な例えですと、編集中の「Secret Mirror」正規盤1曲目の「蒼の旋律」にはベースが入るんですが、最初のハンドパンの音の長さが少し短かったことに先日気付き、元の音源から編集し直した、ということがあります。
なぜ気付いたかというと、最初の音を2コーラス目からの和音に変えようかとコピペしてみた時、波形の長さが伸びたからです。
だから、編集していて、なんか早い、タメがない演奏だと感じてしっくり来てなかったのです。
最初の音が短いので、それに合わせるとそういう編集になってしまいます。
だから、最初が肝心なのです。
でも、終わりの音や演奏がおかしいと、それまで完璧だったとしても、残念な印象になります。
逆に、前半イマイチでも、後半盛り上がって終われば、「良かった」という印象が残るでしょう。
だから、終わり方も大事です。
ただ、終わりはつじつま合わせが出来ますが、最初が間違っていると、いいものにするのは大変です。
だから、何かやるうえで、イマイチだな、と思った時は、初心にかえる、最初からやり直す、最初を見直すことが大事です。
それを今回痛感しました。
しかし、不思議なことに、昨日家で編集した音源をコピーしたUSBメモリーを会社のPCに差すと、そのフォルダーがどこにも見あたらないのです。
前回もそうでしたので、今回はちゃんとコピーされたのを確認したつもりだったんですけどね。
ちなみに、今朝はバイパスが事故渋滞で、全然進まず、空いてたら30分のところを90分かかりましたが、そのおかげで昨日の夜焼いたCDをしっかり聴くことができました。
最終チェックで、2カ所ほど修正点を見つけたので、そこだけ修正しておこうと思ったのですが、それがすぐ出来ないということは、帰りも車で聴いてもう少しチェックしてからの方がいいということなんだと解釈しました。
こんな感じで、起きることを肯定的に捉えることは大事だと思ってます。
たとえば、少し前に録り直した「ミステリーキューブ」のマサボンのベースの入りの音がどの音源もノイズが入っていて、気に入ってたのにカットするしかなかった、と書きましたが、
その後編修音源を聴くと、逆に無くて良かったと思えました。
出だしが小さな音で始まる曲なので、ベースも静かに入り、徐々に盛り上がる方がいいことに気付いたからです。
そこをカットしたおかげで、「写し出された闇~コクーンのボサツ~」では同じ入りの音を出だしだけでなく、中盤でも二回使っていい感じにすることができました。
あまり同じような入りが連発するのはワンパターンなので、当初この曲ではカットしてたんですが、逆に増やすことで良くなったのです。
そういう風に、まずはあるものを受け入れてなんとか工夫してみると、当初想定していた以上に良くなる場合があります。
なので、皆さんも想定外のことが起きた時、
「これが必要だったんじゃないか」
とまず考えることをお勧めします。
もちろん、それでももっといいものを求めて録り直した曲もありますので、全部採用しなければ、という話ではなく、とりあえずいったんは受け入れてみる、という話です。
そのうえで、どっちを選択するか決めるといいです。
変化を受け入れるも良いですし、また元のイメージでやり直すのも良いです。
少し話を戻しますが、「初心にかえる」は「帰る」と「返る」両方の漢字が使われるようで、
これもどちらか一方だけが正しいわけではないようです。
帰るは元の場所、返るは元の状態、なので、返るが良さそうですが、初心を心の場所で捉えると帰るとなり、新聞等ではこちらが多いそうです。
でも、決定的ではないので、辞書ではひらがなで書くケースが増えてきているそうです。
だから、どっちの漢字でもひらがなでも好きな方を使いましょう。
とにかく、どっちかしかない、ということはない、ということを常に頭に入れておき、そんなことで争うのはやめましょう。
これは長瀞の通り抜けの桜の1つ。なんで2色均等に咲くんでしょうね。
だから、両方採用する、というのもありかもしれません。もしも可能なら、という話ですが。
