イエスの有名な言葉の一つに、

「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」

というものがあります。

これは「目には目を、歯には歯を」という言葉とは正反対で、理解しがたい方もいると思います。
私も昔はよくわかりませんでしたが、現時点での解釈を書かせていただきます。


ちなみに、ハムラビ法典の「目には目を~」は復讐すべし、と言ってるわけではなく、裁判や刑罰についての話です。

今でも、罪を犯した者を裁く時、やったことに相応の罰を与えるのと同じです。

「倍返し」とかダメだ、という話でもありますし、スピリチュアル的には因果応報、出した物が返ってくる、という話でもあります。

だから、実は正反対の復讐を勧める言葉ではないのです。


ちなみに、裁きについてですが、イエスは、石打ちの刑の現場にさしかかった時、

「今まで一度も罪を犯したことが無い者だけ、この女に石を投げなさい」

と言い、裁くことすら認めていません。

完璧な人間などいないのだから、互いに許し合いなさい、ということです。

だから、右の頬を打たれても、それに対して報復しようと考えるな、と言っているのです。


ただ、やられっぱなしで泣き寝入りして、悔しい思いと恨みを抱くのでは意味がありません。

だからといって、攻撃、誹謗中傷を受けた時、それに対して反論したり、報復したりしたとします。

それで終わるでしょうか?

ますますヒートアップするのは目に見えています。

自分がフォーカスしたものにエネルギーは注がれるからです。

病気や怪我と同じです。そこに意識を向けて、不平不満を口にしていたら、いつまでも快方には向かいません。

イエスはそのエネルギーの法則を知っていたから、報復を諫めたのです。

だから、誹謗中傷を受けても反論するのはやめましょう。

そんなことをしても、いつまでも心休まることはなく、不毛な時間を消費するだけです。

人生は短いですから、好きなことにエネルギーを向けた方がいいと思います。


小さい頃、子供どうしで喧嘩したり気になったりしたことが、大人になると、たわいもない、かわいいものだったなと、暖かな目で見られるようになりますよね。

「人は鏡」、外界に展開するのは自分の内面です。

他人の嫌な部分が気になる、ということは、自分の中に同じ要素がある、もしくは同じステージにいる、とも言えるでしょう。

それを公言してるようなものなので、安易に口にしない方がいいと思います。


肉体に宿っていると、お互いの本心がよくわかりません。

だから、誤解やすれ違いが生じるのです。

それを元にドラマが生じ、それを体験するために作られた世界ですから、仕方ないのです。

ていうか、自らそれを体験しに来たのですから、仕方ないと言うのも筋違いです。

そして、それぞれ価値観や持っている信念(こうあるべき等)が違うので、それに合わないと、

「あの人はおかしい、この人は間違ってる」となります。

それは正義感から出る場合もありますし、自己顕示欲から出る場合もあります。

「自分は正しい、自分の方がよくわかっている、だから教えてあげなければ」

もしもまともな意見だったとしても、相手が望んでもいないのにアドバイスしても、受け入れ体勢が無ければ反発されるだけで、余計なお世話になります。

みんな自由意志があるのですから、それを尊重して、自分の人生を輝かせることにエネルギーを注いだ方がいいです。

だいたい、そんなことをしなくても、出したものは必ず返ってくる世界です。
自分の心の中に、人を責める思いがあれば、いずれ人に責められるでしょう。

それは今世だけでの話ではないかもしれませんが、やり得なんてないのです。

だからってそれを責める必要もありません。完璧な人などいないですし、そういう経験を潜在意識ではしたいのかもしれませんから。

(でも、相談されたら、親身になって話を聴いてあげて、相手が求めているならアドバイスしてあげましょう)


逆に、批判された時、そこに少しでも自分が改める必要があった場合は、それを受け入れたらいいですし、
全く見当違いであった場合、スルーすればいいのです。


どんな人でも批判されてきました。

世界的な聖者であるイエスであっても仏陀であっても。

どちらも最後は殺されたほどです。(※仏陀は毒殺ではなく食中毒らしいです)

聖者であってもそうなのですから、普通の人なら批判されるのは仕方ないことです。


それに、批判のマイナスエネルギーにフォーカスして、自分の波動を下げるのは馬鹿らしいです。
自分の波動に合った世界が展開するんですから。

批判や誹謗中傷を信じる人が出て、自分が一時的に損することは起きるかもしれませんが、
こういう世界に生まれてきたんですから、それは仕方ないとあきらめましょう。

ただ、これはどうなの? と誰かに聞かれたら、自分の考えを答えればいいですが、
悪口を言われたから、私もあの人の悪口を言おう、とか、聞かれてもいないのに、私は潔白だとか言い回るのはお勧めしません。

大事なのは、自分の宇宙に対し、何も恥じることなく生きることで、他人の評価や他人の目を気にして生きることではないのです。


私だって何度も誤解されたり、批判されたり、理不尽な目に遭ったりしてきました。

もちろん、私も間違うし、失敗もしますが、その時最善と思った選択をした結果ですから、それを受け入れるしかありません。


そもそも、全ては今の自分に必要なことしか起きない世界です。

もしも、右の頬を打たれたら、それを経験する必要があった、ということです。

そう考えると、そこにステップアップするチャンスがあることに気づきます。

それに気づくと、もう感謝しかなくなります。

「宇宙は全肯定」とはそういうことです。


この世界は自由で、全てのものに存在意義がありますから、批判する人も役割を果たしていると言えますし、みんな好きなことをすればいいですが、互いに許し合うことができれば、少しずつでもいい世の中になっていくと思います。

イエスは自分を殺そうとした人達さえ許しました。十字架につけられている時にさえです。


そもそも、肉体や非物質体を全て脱ぎ捨てたら、誰もが完璧な存在で、全ては一つだとわかっています。

自分も他人も本来ないですし、責める必要なんてないのです。

ただ、無限に分かれて肉体に宿って不完全な状態での体験をしてるだけなのですから。

せっかくの有限なこの世界での人生です。全てを楽しんでいきましょう。


なお、この記事が「批判してる人を批判してる」と思われたら、私も同じ穴のムジナですが、
誰か特定の方を想定しての話ではありません。そんな記事は基本書きません。

これをしちゃいけない、こうあるべきだ、と言ってるつもりはなく、一つの提案、一つの解釈として受け取っていただければ幸いです。


※追記です。ここに書いたことの大半は、自分のやった失敗体験や知らなかったことが元になっていますので、あえて特定すると、過去の自分自身に向かって書いた記事と言えます。

あと、仏陀の死因についての部分も途中で追記してますが、どうも殺されたというのは薄いみたいです。失礼しました。




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