イエスの十字架の上に「INRI」と書かれた板が打ち付けてあります。
私は子供の頃からそれを目にしてましたが、実は意味を知りませんでした。
misaさんのブログに宝徳神社の凄い話が載ってましたが、そこで久しぶりに目にしました。その一文がこちら。
『「稲荷」とは、イエスが天の父と仰いでいた「INRI」なのか?』
イエスが日本に来てたなら、ありえそうですね。
「INARI」と「INRI」似てます。
でも、ちょっと気になりました。「INRI」って天の父って意味だったの?
それでWikiで調べたら、こうありました。
『「INRI」 は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。
中略
「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった』
聖書に書いてあった「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」のエピソードは知ってましが、それが「INRI」だったってことと繋がってなかったです。
ということで、「INRI」は、天の父ではなく、イエス本人を表すものなんですね。
だから、もしかしたら稲荷神社は、元々イエスを奉ってたのかもしれません。
昨日の木内さんの話によると、イエスは本当はイサヤのようです。諫早も関係ありそうだとありました。上陸地点かも。
「イサハヤ」と「イサヤ」似てます。
misaさんのブログ読んだあと、新しく読者になってくれた方のブログ見たら、なんとタイトルが、
「inori」
そう、「祈り」です。イエスは祈りの人でもあります。関係あるんじゃないでしょうか。
「INORI」と「INRI」似てます。
日本とユダヤは関係が深いと言われています。ユダヤのヘブライ語と日本語の共通点も多いですし、
日本の童謡や君が代が、そのままヘブライ語で別の意味の歌になるようです。
ということで、「稲荷」「諫早」「祈り」は、イエスに関係が深いのかもしれません。
昔はイエスが日本に来てたとかって話は全く信じてませんでしたが、どうやらそうらしい、と今は思っています。
私は子供の頃からそれを目にしてましたが、実は意味を知りませんでした。
misaさんのブログに宝徳神社の凄い話が載ってましたが、そこで久しぶりに目にしました。その一文がこちら。
『「稲荷」とは、イエスが天の父と仰いでいた「INRI」なのか?』
イエスが日本に来てたなら、ありえそうですね。
「INARI」と「INRI」似てます。
でも、ちょっと気になりました。「INRI」って天の父って意味だったの?
それでWikiで調べたら、こうありました。
『「INRI」 は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。
中略
「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった』
聖書に書いてあった「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」のエピソードは知ってましが、それが「INRI」だったってことと繋がってなかったです。
ということで、「INRI」は、天の父ではなく、イエス本人を表すものなんですね。
だから、もしかしたら稲荷神社は、元々イエスを奉ってたのかもしれません。
昨日の木内さんの話によると、イエスは本当はイサヤのようです。諫早も関係ありそうだとありました。上陸地点かも。
「イサハヤ」と「イサヤ」似てます。
misaさんのブログ読んだあと、新しく読者になってくれた方のブログ見たら、なんとタイトルが、
「inori」
そう、「祈り」です。イエスは祈りの人でもあります。関係あるんじゃないでしょうか。
「INORI」と「INRI」似てます。
日本とユダヤは関係が深いと言われています。ユダヤのヘブライ語と日本語の共通点も多いですし、
日本の童謡や君が代が、そのままヘブライ語で別の意味の歌になるようです。
ということで、「稲荷」「諫早」「祈り」は、イエスに関係が深いのかもしれません。
昔はイエスが日本に来てたとかって話は全く信じてませんでしたが、どうやらそうらしい、と今は思っています。