新約聖書にはイエスについて書かれた福音書が4つありますが、そのうち3つは原本ともいうべき資料に基づいて書かれているようで、結構重複しています。
そして民話やイエス以外の人の話がイエスの言動とされてる部分や、創作じゃないかと思われる部分がちょこちょこ見受けられます。
しかも、この三つはイエスの12使徒によって書かれたものではありません。
これに対し、ヨハネの福音書は、イエスの12使徒の一人ヨハネによって書かれている(弟子による口述筆記)とされています。
そして、他の3つと被ってる部分が少なく、イエスの言葉は逆に他よりも多い、という特徴があります。
もちろん、最後に「ここに書ききれないほどの話がまだまだある」というようなことが書かれてますし、福音書の中で最後に書かれたと推測されてますので被ってる話をカットしてるのかもしれません。
そうだとしても重要な話は載せないわけがありません。
十字架につけられて復活した話は当然載っています。
でも、受難に遭う前に、「できればこの杯を取り除いてください」だとか、十字架上で「神よなぜお見捨てになったのですか」などの話は書かれてませんし、神殿で大暴れした話も、イチジクの木に呪いをかける話もありませんし、悪魔つきの話も出てこないし、終わりの日の預言などもありません。
それらのほとんどは、以前、「真実のイエス」シリーズで聖書の福音書の間違いについて指摘した内容です。
それらがないので、福音書の中では「ヨハネによる福音書」が一番正統なものだと言えるでしょう。
ちなみに、新約聖書に出てくるヨハネは二人いまして、洗礼者ヨハネは、使徒ヨハネとは別人です。
学者の間では使徒ヨハネが書いたんじゃないと最近言われてるようですが、もしそうなら、他の福音書では使徒ヨハネと書かれている部分を「イエスが愛しておられた弟子」と表現している意味がわかりません。
私はこの福音書はイエスの12使徒のヨハネによるものだと思います。もちろん、編集などされてる可能性は認めますが。
また、ヨハネの黙示録も同じ使徒ヨハネによるものです。
(参考までに、ギリシャの聖人ダスカロスさんを霊的に指導してたのもこの使徒ヨハネです)
また、スピ系では有名な下記の話が出てくるのは、この「ヨハネによる福音」の冒頭部分です。
「初めに言があった。
言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」
この続きを読むと、「言」や「光」はイエスを、「闇」はこの世の人々のことを表わしていることがわかりますが、老子の本のように、もう一つの意味も隠されているのです。
宇宙の始まりは創造しようとする思いです。
言葉は思い、意図です。それがあって初めて創造が行われます。
だから言葉は神とも言えます。
言葉は音の響きです。音は振動、波動で表わせます。
全ての物質やエネルギーは粒子的性質と波動的性質を持っています。
だから、万物は言葉によって出来ているとも言えます。
言葉は神のエネルギーで永遠の命です。命は光として表わされます。
人間の中には神の光が輝いています。でも、物質世界が現実だと思い込み、自我に翻弄され、闇の中にいると、光が閉ざされ、自分が神であることを認識できません。
私なりの表現ですが、だいたいこんな内容が含まれています。
こういった宇宙の真理というべき話まで書かれているのが「ヨハネの福音書」なのです。
ヨガナンダさんの師匠であるスリ・ユクテスワさんがババジの指示により書いた「聖なる科学」という本を今読んでますが、この本はインドの聖典と聖書の一致点をあげて真理は一つであることを知らしめるために書かれたものです。
そして、そこに使われている聖書の抜粋は、「ヨハネによる福音」と「ヨハネの黙示録」がほとんどです。
やはり、そうか、と思いましたので、これを書いてる次第です。
ということで、イエスについての話で真実に一番近いのは「ヨハネによる福音書」だと思います。
ただ、やはり、全てがイエスの言葉ではないように思えますし、放蕩息子の例え話や山上の垂訓などもありませんので、全てを読んだ方がいいかもしれません。
ただイエスのたとえ話は、解説がないとわかりにくい話が多いし、聖書には間違って書かれてる部分もあるので、以前紹介したヒマラヤ聖者やヨガナンダさん、ダスカロスさん、マクドナルド・ベインさん、奇跡のコース関連の本あたりを併せて読むことをお勧めします。
もうひとつだけ書きますと、このヨハネによる福音では、イエスが「わたし」という言葉を死ぬほど使ってますが、それはイエスでなく、神我(キリスト)を表わしている場合もありますので、全部イエスを指してると思わない方がいいでしょう。
イエスへの個人崇拝ではなく、それぞれの内にあるキリスト(神我)を通してという真理を語っているのです。
ちなみに、黙示録は文字どおり読んでもよくわかりませんので別にお勧めはしません。非物質的体験、ビジョンですので、何かを象徴しているのです。
もちろん、SFファンタジーのように読んでもいいかもしれませんが。
ただ、実はいろんな真理が黙示録にも秘められているようで、それは「聖なる科学」に書かれていました。「聖なる科学」の感想は後日書きますね。まだ読み終わってないので。
そして民話やイエス以外の人の話がイエスの言動とされてる部分や、創作じゃないかと思われる部分がちょこちょこ見受けられます。
しかも、この三つはイエスの12使徒によって書かれたものではありません。
これに対し、ヨハネの福音書は、イエスの12使徒の一人ヨハネによって書かれている(弟子による口述筆記)とされています。
そして、他の3つと被ってる部分が少なく、イエスの言葉は逆に他よりも多い、という特徴があります。
もちろん、最後に「ここに書ききれないほどの話がまだまだある」というようなことが書かれてますし、福音書の中で最後に書かれたと推測されてますので被ってる話をカットしてるのかもしれません。
そうだとしても重要な話は載せないわけがありません。
十字架につけられて復活した話は当然載っています。
でも、受難に遭う前に、「できればこの杯を取り除いてください」だとか、十字架上で「神よなぜお見捨てになったのですか」などの話は書かれてませんし、神殿で大暴れした話も、イチジクの木に呪いをかける話もありませんし、悪魔つきの話も出てこないし、終わりの日の預言などもありません。
それらのほとんどは、以前、「真実のイエス」シリーズで聖書の福音書の間違いについて指摘した内容です。
それらがないので、福音書の中では「ヨハネによる福音書」が一番正統なものだと言えるでしょう。
ちなみに、新約聖書に出てくるヨハネは二人いまして、洗礼者ヨハネは、使徒ヨハネとは別人です。
学者の間では使徒ヨハネが書いたんじゃないと最近言われてるようですが、もしそうなら、他の福音書では使徒ヨハネと書かれている部分を「イエスが愛しておられた弟子」と表現している意味がわかりません。
私はこの福音書はイエスの12使徒のヨハネによるものだと思います。もちろん、編集などされてる可能性は認めますが。
また、ヨハネの黙示録も同じ使徒ヨハネによるものです。
(参考までに、ギリシャの聖人ダスカロスさんを霊的に指導してたのもこの使徒ヨハネです)
また、スピ系では有名な下記の話が出てくるのは、この「ヨハネによる福音」の冒頭部分です。
「初めに言があった。
言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」
この続きを読むと、「言」や「光」はイエスを、「闇」はこの世の人々のことを表わしていることがわかりますが、老子の本のように、もう一つの意味も隠されているのです。
宇宙の始まりは創造しようとする思いです。
言葉は思い、意図です。それがあって初めて創造が行われます。
だから言葉は神とも言えます。
言葉は音の響きです。音は振動、波動で表わせます。
全ての物質やエネルギーは粒子的性質と波動的性質を持っています。
だから、万物は言葉によって出来ているとも言えます。
言葉は神のエネルギーで永遠の命です。命は光として表わされます。
人間の中には神の光が輝いています。でも、物質世界が現実だと思い込み、自我に翻弄され、闇の中にいると、光が閉ざされ、自分が神であることを認識できません。
私なりの表現ですが、だいたいこんな内容が含まれています。
こういった宇宙の真理というべき話まで書かれているのが「ヨハネの福音書」なのです。
ヨガナンダさんの師匠であるスリ・ユクテスワさんがババジの指示により書いた「聖なる科学」という本を今読んでますが、この本はインドの聖典と聖書の一致点をあげて真理は一つであることを知らしめるために書かれたものです。
そして、そこに使われている聖書の抜粋は、「ヨハネによる福音」と「ヨハネの黙示録」がほとんどです。
やはり、そうか、と思いましたので、これを書いてる次第です。
ということで、イエスについての話で真実に一番近いのは「ヨハネによる福音書」だと思います。
ただ、やはり、全てがイエスの言葉ではないように思えますし、放蕩息子の例え話や山上の垂訓などもありませんので、全てを読んだ方がいいかもしれません。
ただイエスのたとえ話は、解説がないとわかりにくい話が多いし、聖書には間違って書かれてる部分もあるので、以前紹介したヒマラヤ聖者やヨガナンダさん、ダスカロスさん、マクドナルド・ベインさん、奇跡のコース関連の本あたりを併せて読むことをお勧めします。
もうひとつだけ書きますと、このヨハネによる福音では、イエスが「わたし」という言葉を死ぬほど使ってますが、それはイエスでなく、神我(キリスト)を表わしている場合もありますので、全部イエスを指してると思わない方がいいでしょう。
イエスへの個人崇拝ではなく、それぞれの内にあるキリスト(神我)を通してという真理を語っているのです。
ちなみに、黙示録は文字どおり読んでもよくわかりませんので別にお勧めはしません。非物質的体験、ビジョンですので、何かを象徴しているのです。
もちろん、SFファンタジーのように読んでもいいかもしれませんが。
ただ、実はいろんな真理が黙示録にも秘められているようで、それは「聖なる科学」に書かれていました。「聖なる科学」の感想は後日書きますね。まだ読み終わってないので。