本を通して歴史を楽しむ

本を通して歴史を楽しむ

歴史を月9ドラマのように楽しみつつ、人生や社会をより豊かなものにするヒントになればうれしいです

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とても複雑な気持ちになる一冊でした。

 

ナチスが取っていた手法や政策は、現代にも通じる所があり、それが第一次大戦後のドイツの地位低下や世界大恐慌後の不況から立ち直らせた側面があります。

 

しかし一方で、独善的な(時には妄想的な)民族主義思考が、究極的な国家犯罪に繋がって行きました。そして最大の問題は、国民が黙殺し、時にはそこから利益を得ていたが故に、大きな異論が出なかったことです。ヒトラーの政権掌握後は政党もナチだけとなり、報道の自由が制限されたことも大きかったと思います。

 

ドイツは18世紀の段階で既に文明国であり、明治維新後の行政・法律・医学・文学と多岐に渡り日本に影響を与えていました。そんな国でもこのような歴史を歩んでしまいました。

 

社会を構成する人を幸福にする社会とは、その社会が技術を持っているだけではだめで、人の命や自由に対して尊厳を持っていることだと感じた一冊でした。

 

 

読み物として非常に面白い一冊でした。
PLやBS、CFといった財務諸表がどのように出来てきたのか関心ある方にはお勧めの一冊です。

 

これを読んで感じたのですが、会計制度は出来上がったルールで、それを遵守するようなもののように感じがちですが、本来はビジネスを高度化していく為にクリエイティブしていくものだと思いました。実際、欧米はビジネスを上手くいくようにする為に会計制度を創ってきました。それに比べると、日本は会計制度を追いかける、振り回されているような側面があると思います。管理会計分野を中心に、もっとビジネスを更によくする為の会計制度創出が求められています。

 

 

平成政治史の通史として読みやすい一冊でした。

 

歴代政権の思惑は複雑なものの、30年の歳月の中で、官邸を中心とした中央の権限強化が図られたことがはっきり分かります。
私は、この世界の多極化、不安定な時代においてはこの方向性は間違っていなかったと思います。恐らく、冷戦期の、利益分配に終始し、方向性が明確でない日本政治が続いていたら、この国はもっとやばかったと思います。

 

ただ、強化されたものに対しては牽制する機能が必要なはずなのですが、残念ながら民主党政権時の統治不能の記憶等が引きずってしまい、今は健全な牽制機能は正直無いとしか言いようがありません。それは次の時代の課題のように感じます。

 

最後にふと思ったのですが、現代のようなトップダウンな政治体制のもとで、こんなに国会議員必要なの?と思いました。最近、地方においては政治歴が短い代議士より長い地方議員の方が幅を利かせるようなことを聞きますが、それは単に政治歴の問題だけではなく、構造的な問題のような気もします。アメリカの上院議員は100人です。人口が半分だから50人とは乱暴なことは言いませんが、500人近くも必要ないのではないでしょうか。

 

 

江戸時代の、特に後半を中心に財政・金融政策を検証した本です。山室先生の本は何冊か読んでいますが、膨大な資料検証を背景にしつつ、現代人的な視点で理解できるように書かれる歴史学者だと思います。

 

私は、長年、なんで江戸時代には商人に税金が無かったのかと不思議で仕方なかったのですが、この本によると、商人に課税してしまうと、課税分が物価上昇に繋がってしまい、消費者である武士の生活が苦しくなる為課税できなかったとあり、江戸時代は武家中心社会であったことを考えれば、いくばくか疑問が氷解しました。

 

しかし、税金を取らないということは富の再配分機能が働かず、経済格差が広がっていきます。それを防ぐため、江戸時代後半には「会所」という組織が設けられ、豪商たちの富を吸い上げ、困窮者へのサポート等に活用されていきます。江戸時代は、徳川家中心、武家中心の社会のように捉えられますが、確実に近代に向けて民生意識が形成されつつあったように思います。

 

その他にも、武家の借金の棒引きや、貨幣流通量を増やす為の取り組み等、とても興味深い一冊でした。

 

 

 

フィンランドってあまり知らないな、位の軽い気持ちで読んだのですが、あまりに面白く、一気に読み終えた一冊でした。

 

そもそも(恥ずかしながら)フィンランドは600年近くのスウェーデン支配、100年近くのロシア支配を経た後独立した、建国約100年強の若い国である事も本書で知りました。
ただ、この100年の歩みの中では、日本と似たところが多い国だと感じます。

 

第二次大戦の時は、やや硬直的な外交姿勢も災いして、ソ連との二度の戦争に敗北し、国土の一部もソ連に割譲しました。しかし、こうした経験から第二次大戦後は「中立国」路線を歩み、ややソ連寄りながらも東西問わず各国との友好関係を意識的に構築し、産業が発展していった過程は日本と似ている面もあり、「北欧の日本」と言われていたのも理解できます。

 

冷戦後はEUに軸足を置いていますが、かつては国富の源泉であった製糸業や造船業、通信業(NOKIA等)は国際競争力が低下している為、今後の成長源としてゲームや自動運転等のベンチャー企業の成長が期待されています。また一方で高齢化や財政負担増加の問題を抱えている点までよく日本に似ていると感じます。

 

今後のフィンランドの課題解決の取組みは、日本にとっても参考になるものかも知れないと、フィンランドに対して興味を持った一冊でした。

 

 

2019年に読み終えた最初の一冊目。徳川家康の前半生を描いた本で、上巻は豊臣秀吉と対決した小牧・長久手の戦いの前まで描いています。

 

家康くらい、粘り強く、また我慢強さについては、(目的に対して超人的に粘り強い人物が多い)歴史上の中でも群を抜いている人はいないと思います。そして、それは家康が、対外的・対内的な人間関係を形成・維持する為に必要だと考えていたからだと感じます。

 

「家康がとらえている人間の課題は、人間というのは人間関係で成立している、ということであった。人間関係を人間からとりのぞけば単に内蔵と骨格をもった生理的存在であるにすぎないということを、この人質あがりの苦労人はよく知っていた。(中略)家康はこの武田攻めより三年前、信長の命によってその長男と妻に自殺を強いざるをえなかった。もし拒絶すれば家康の人間関係は一時に崩壊するであろう。」(「覇王の家(上)」甲州崩れ)

 

もちろん、長男や妻を犠牲にするような戦国時代的な忍耐は不要ですが、

 

自戒も込めてですが、現代では過度な自我や自己主張が、時には人間関係を崩壊している事がないかなと思います。何が本当に実現しないといけない目的かを考えたら、人間関係を考慮しながらの振る舞いが必要だと感じます。

 

 

朱子学は、江戸時代の封建体制を擁護した学問のように受け止められ、あまりよい印象は持たれていないと思います。一方で、革命思想と言われ、「知行合一」と実践を重んじる陽明学の方が、まだ現代でも好意的に受け止める方が多いような印象があります。

 

しかし、朱子学は本来、朱熹という中国の宋時代の儒学者が、その時代の体制とも対立しながら構築された理論であり、朱熹死後、体制向け学問として変質したと考えられています。元々は「修己治人」と言われるように、自分を磨き、修めることにより、社会に貢献できるような存在となる事を目指していました。

 

これは私の勝手な解釈ですが、自分を修める過程は、朱子学は座学重視、陽明学は実践重視であるものの、修めた後の社会貢献は実践的であるべき、という点では共通していたように感じます。こうした思想的基盤は、時代を経て、アジアが教育を重視し、経済成長していく基盤の一つともなってきた気がします。

 

朱子学と陽明学

 

20数年ぶりに読んでみました。大変手前味噌ながら、高校時代、歴史は全国模試でも上位の方だったので、この内容を理解していた方だと思いますが、

 

これで歴史を理解するのは難しいと思いますよ、普通は。
確かに、ある程度歴史を断片的に知っている人間が、通史として理解するのには、とてもよい一冊だと思います。

 

でも、歴史を知らないどころか、人生・社会経験が乏しい高校生が、この情報量が多い本を読んでも、それは暗記に終始し、苦痛でしかないでしょう。歴史嫌いの一因になることも理解できます。

 

既に歴史教科書の見直し作業が行われていると聞きますが、私が思うのは2点。

 

1点目は、あまり網羅性に拘らず情報量を絞った上で、テーマを絞ってストーリー性を重視すべきだと思います。受験上も、重箱の隅をつつくようなワード質問ではなく、時代背景や人物の考え方等を問うような、理解・思考力を問う内容にすべきです(大変失礼ながら、教員の質の低い大学ほど、重箱の隅をつつくワード問題が多いと思います)

 

2点目は、漫画やゲームによる歴史教材を副教材にするのもよいのでは思います。(本来的には)他の教科以上にストーリー性が求められる為、漫画やゲームの方が学生の頭には入りやすいと思います。

 

 

山本博文さんは江戸時代を、親しみやすく、興味深く書かれる先生です。本書では、武士、庶民、学問の切り口で江戸時代のあれこれを書いていますが、学問のパートが一番関心を引きました。

 

江戸時代初期に徳川家康が林羅山を政治顧問として登用する等、政治と学者が密接だったこともあり、机上ではなく実践の為の学問が志向されます。学問のベースは儒学(朱子学)でしたが、江戸中期以降は儒学者の中から西洋からの知識を吸収する蘭学者が登場します。

 

江戸時代も終わりになり、実践的であるが故に鎖国政策を批判する蘭学者を弾圧する「蛮社の獄」が発生しますが、実践的学問を許容できなくなる程、幕藩体制の時代は限界に来ていたのだと思います。

 

明治維新後、日本は海外の知識・技術を貪欲に吸収しながら急速に成長しますが、これも一朝一夕でできたことではなく、学問を実践に活用する江戸時代の土壌があったからこそ、成し遂げられたように感じます。

 

 

 

10年前に読んだ本を再読してみました。ベストセラー「失敗の本質」は日本軍の失敗を検証したものですが、これは世界各地で行われた歴史的な戦争の成功・失敗を分析したものになります。

 

全体(政治)戦略から始まり、軍事戦略、作戦、オペレーション・技術の連携・関係を戦争毎に分析しています。戦争目的がある程度達成されている場合、この連携・関係が密であり、また失敗している場合にはその逆もまた真であることがよく分かります。

 

個人的に印象深かったのは、第四次中東戦争におけるエジプトの限定戦略(イスラエルに全面的に勝利するのではなく、一部でも勝つことにより、中東情勢を流動化させ、エジプトの国際的地位を高める戦略)です。目的が勝ち方を定義することが実感できます。

 

10年前に読んだ時はよく意味が分からなかった気がしますが、今回は多少はビジネスの現場に引き寄せて考えられた気がします。